1991/11/08 - 1991/11/25
16位(同エリア89件中)
がおちんさん
貴州省・黔東南苗族侗族自治州雷山県にある郎徳鎮の苗年を見に行きました。苗年とはミャオ族の新年を祝う祭りです。
雷山県のミャオ族の盛装は美しく、見ごたえがありましたが、村では何度も酒を飲まされたため、不覚にも酔っ払ってしまってダウンすることに。
苗族の酒の怖さを思い知らされました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
-
1991年11月22日(金)
今回の旅は黔東南、西双版納、ベトナム、カンボジアと回る予定だ。
11月8日に日本を出発して香港に10日間、昆明に6日間滞在してから貴州へ向う。昆明駅が混雑していて、列車の切符を買うのに一日つぶれてしまった。
324次直快貴陽行きの硬臥(上段)に乗り込む。日が暮れてからは風景も楽しめないので、時刻表を見て時間をつぶす。もし昆明から北京まで客(一部は快客)で行くと、丸10日間かかり、11回も乗り換える計算になる。
面白そうだ。いつかやってみようかな。
※客は各駅停車 -
1991年11月23日(土)
朝6時半に貴陽に到着。すぐに凱里行きの切符(7元)を買う。貴陽はいつもどおり雨。今日は霧も出ていて冷える。
凱里に早く着くのは直快だが、寒くて2時間も待てず、すぐに発車する直客に乗り込んだ。しかしこれが失敗の元。
凱里の3つ手前の駅で車両トラブルが発生、修復に2時間もかかり、貴陽−凱里に半日も時間を費やしてしまう。
凱里では5月にも世話になったPさんを訪ね、用事を済ました。 -
1991年11月25日(月)
凱里のCITSに行くと、地域情報に詳しい職員の万さんから「今日は苗年の最終日ですよ」と言われ、行きたくなった。場所は郎徳。
交通費・ガイド料込みで100元FECでいいと言うのでお願いするが、未開放のためパーミットを取りに行ったら公安が留守だった(笑)。
「残念ですが、これでは行けません」と万さん。「じゃあ結構です」と諦めたふりをして、勝手に自分で行くことにした。
雷山行きのミニバスに乗って郎徳で下り、15分ぐらい歩いた村で爆竹の音と煙が上がっているのが見えた。 -
ぶおーっという笛の音と爆竹で来客を歓迎する村人。
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爆竹の煙がすごい。
ちょうど地元のテレビ局が取材に来ていたので、盛大だったのかもしれない。
タイミングが良かったようだ。 -
村のかなり手前から酒が用意されており、来客者は飲まなくてはならない。
自家製のキツーイ白酒である。
10メートルぐらい歩くとまた飲まされる。おそらく10ヵ所以上飲まされ、村の門に着く頃には完全に酔いが回ってきた。
これ、かなりヤバイ。 -
女性もけっこう飲まされていたようだ。口をつけただけだと、「もっと飲め」と言われる。
差し出された酒をそのまま飲むのがルールらしく、自分でお碗を持って全部飲むと、おかわりをつがれてしまい、先へ進めない。
それを知らなくて苦労した。 -
盛装したミャオ族の女性が姿を現した。
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銀細工が見事な民族衣装だ。
水牛の角は迫力満点。 -
次々とやって来る、白酒飲ませ隊(笑)。
この頃はもう頭がフラフラしてきた。 -
笛を吹いていた、村の男性たち。
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手荒い歓迎を受け、酔っ払ったまま記念撮影をする。
お姉さん達の民族衣装が素晴しいので、ちょっと照れてしまった。 -
美しい民族衣装を撮りたかったのだが、酔っ払ってまっすぐ歩けない。
失敗したと思ったが、もう遅い。 -
銀細工と服の刺繍が見事な苗族の娘さん。
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こちらはふだんの服に銀細工を飾ったもののようです。
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酔いを醒ますため、しばし村の中をゆっくり歩く。
郎徳上寨は凱里周辺で最も美しい村だといわれている。 -
昔話に出てくるような、山の村だ。
ここは未開放地区なので公安がいないかと最初は緊張したが、酔いが回ったせいか、どうでもよくなった。 -
祭りの日だからだろうけど、村を歩くおばあさんの服も美しい。
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髪型もキュート。
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渋いおじさんがキセルで一服。
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若い女性と子供。
自分の子ではないと言っていました。 -
楽しそうに歓談するおばあさん。
服の刺繍が見事です。 -
石の階段を下りてきたミャオ族のオバサン軍団。
実はこれ、テレビ撮影によるやらせです。
笑いながら階段を下りて来るシーンを何度も撮らされていました。
私もついでに一枚ショット。 -
コーン、コーンと銅鼓を鳴らして祭り開始。
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何やら男性たちが声を出しながら手をつないで通り過ぎていく。
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続いて女性たちも小走りでやって来た。
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追いかけっこ?
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何がどうなっているのかわからないけど、村人は正月を楽しんでいるようでした。
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続いて食事。
長老と思われる人が、ミャオ語で滔々と口上を述べる。 -
テーブルには白酒と豚肉、魚、鶏肉のご馳走が並ぶ。
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男性も女性も白酒を飲む。ミャオ族の酒はやや強制的。
私も食事に呼ばれて思いっきり飲まされた。飲食代は5元だ。
もう、酔っ払ってわけがわからなくなる。「一番美味いところをお前にあげる」と、鶏の頭をご飯の上に乗せられて閉口したが、みんなの楽しそうな雰囲気を壊したくないので我慢してガリガリ食った。
豚肉は脂身だけでシャリシャリだし、苗菜のひとつという鶏汁も冷めてまずかったけど、菜っ葉とご飯をかっ込んで食事を終えた。 -
酔いが回って動けなくなってしまい、しばしベッドで休ませてもらった。
「大丈夫ですか?」と小姐。
いえ、大丈夫じゃないです。 -
私が寝てる間に祭りも終了。
なんか、追いかけっこを観ただけで、あとはずっと酒浸りだった気がする。 -
家に戻る女性を引き止める。
もうちょっと民族衣装の写真を撮りたい。 -
リクエストにこたえてくれた姉さん。
美しい民族衣装を撮らせてくれた。
靴にまで刺繍が入っているのだ。 -
後ろ側。
襟から手にかけての刺繍が素晴しい。 -
豪華な銀細工。
さすが貴州のミャオ族は違うな。 -
母、娘、祖母の3人。
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さようなら、おばあさん。飲みすぎて頭が痛いけど、楽しい祭りでした。
公安の世話にもならないでよかったー。
凱里に帰る途中、前を走るトラックの荷台から豚が一匹落ちた。バスの中は、その豚をどうするべきかという話題でにぎやかになった。
西江・ミャオ族最大の集落〜貴州の旅1991に続く
http://4travel.jp/travelogue/10678985
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