2011/03/06 - 2011/03/06
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夜間飛行さん
2011年3月のプラハ旅行 第2日(その1a)プラハ国立技術博物館 自動車編1
2-1 プラハ国立技術博物館 総集編
http://4travel.jp/traveler/amsterdam/album/10674102/
a. 自動車編1
http://4travel.jp/traveler/amsterdam/album/10674119/
b. 自動車編2
http://4travel.jp/traveler/amsterdam/album/10674120/
2-2 軍事史博物館
- 同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
Model parniho vozu Josef Bozka z roku (1815)
世界で最初の自動車が1769年のニコラ・キュニョーの蒸気車、世界で二番目の自動車が1803年のトレビシックのスチームコーチとすれば、パリ、ロンドンにつづく世界で三番目の人を乗せる自動車は、プラハで生まれた。展示は、その自動車の模型。技術者ヨセフ・ボゼクが制作した4輪の蒸気駆動車で、1815年と1817年に、プラハのストロモフカ公園でデモンストレーションを行った。しかし自動車時代の到来には、まだ機が熟していないことに失望したボゼクは、製作した自動車を分解し、その部品は別の目的に使われてしまった。チェコに本格的な自動車が出現するには、1893年まで待たなくてはならなかった。
#1103-08817(#8818) -
Benz Viktoria (1893)
1893年12月に繊維産業の実業家、テオドール・フォン・リービッヒ(Theodor von Liebieg)が輸入したこのベンツ ビクトリアは、チェコで使われた最初の自動車で、オーストリア=ハンガリー帝国内でも三番目の自動車。1894年に、リービッピは世界の自動車史上で最初の長距離旅行を計画し、チェコのリベレツ(Liberec)からコブレンツ近くのゴンドルフ(Gondorf)までの939kmを6日間かけて、平均時速13.6km/hを走破した。リーッビッヒが残した日記によると、この旅の間、彼は一台の車にも出会わなかったという。
#1103-08820(#8816) -
Benz Viktoria
リービッヒのベンツ ビクトリア
#1103-08884 -
NW Prasident (1898)
チェコは、自動車産業の揺籃期をつくった約10か国のうちの一つに挙げられる。自動車はこの国で、19世紀の終わりから商業生産されるようになった。最初の自動車生産は1897年に、モラヴィア北部のコプジブニツェ(kopfrivnice)で鉄道用客車をつくっていたネッセルドルフ車両製造工業会社で始まった。この工場は、後のタトラ自動車工場として知られる。プレジデントと名づけられた最初の自動車は、1898年5月21日から22日に、フランツ=ヨーゼフ1世の治世15周年記念のエキシビジョンとしてコプジブニツェからウィーンまでを走った。
#1103-08825(#8822) -
De Dion-Bouton L (1902)
19世紀から20世紀への変わり目の頃、自動車はまだ珍しく、多くの人はその存在を聞いたり読んだりして知るだけだった。しかし時代は急速に変わり、量産された自動車が道路に現われはじめた。パリ近郊ピュトー(Puteaux)の工場で生産されたド・ディオン・ブートンの小型自動車もその一つ。1899年から1902年にかけて3000台の自動車を生産し、そのデザインは他の自動車メーカーに影響を与えた。展示は、ボヘミア北部 Krasny Bukでテキスタイル工場のオーナーをしていたグスタフ・イエーガーが輸入したもの。
#1103-08830(#8827) -
Gardner-Serpollet H (1903-1904)
20世紀の初頭、電気自動車や蒸気自動車は、内燃機関エンジンの自動車よりも優れていた。自動車の速度記録を見ると、1899年に時速100kmを超えた最初の自動車は電気自動車であったし、1906年に時速200kmを記録した最初の自動車は、蒸気自動車だった。蒸気自動車は主にアメリカで作られ、後にヨーロッパでも行われた。なかでもよく知られているのは、パリの自動車メーカー、Gardner-Serpolletである。展示はチェコに輸入されたうちの一台で、ボディはウィーンの A.Weiser&Sohn 製。
#1103-08831(#8832) -
Gardner-Serpollet H (1903-1904)
#1103-08834 -
Laurin & Klement voiturette B (1906)
1895年に、本屋のヴァーツラフ・クレメント(Vaclav Klement) と技術者のヴァーツラフ・ラウリン (Vaclav Laurin) がムラダ・ボレスラフで自転車修理製造店を始めた。10年のうちに、店はオーストリア=ハンガリー帝国で最も重要なオートバイ工場になった。この成功につづき、1906年には、Laurin & Klementは乗用車の製造を始めた。最初の自動車は、V型2気筒の小型車ボワチュレットだったが、ラインナップを急速に拡大し、その年の終わりには4車種の乗用車と1車種のトラックを市場に送り出した。展示は、ムラダ・ボレスラフの工場で最初の年に製造された voiturette B で、1935年意Vaclav Klementにより寄贈された。
#1103-08838(#8836) -
Velox 8/10 HP (1908-1909)
20世紀の最初の10年、チェコでの自動車生産はますます盛んになった。当時、30ほどの自動車メーカーが存在したが、その大部分は、少数の自動車を生産しただけで終わった。プラハの自動車メーカー Veloxは、自動車オーナーへのサービスや、タクシーサービスを行っていたが、自動車の生産にも挑戦し、1気筒エンジン車の製造に成功した。その車は、1899年のプラハモーターショーで発表されてチェコの自動車史に名を残したが、その名がそれ以降現れることはなかった。
#1103-08839(#8840) -
Velox 8/10 HP
#1103-08847 -
Renault AX (1909)
自動車が急速に発達した20世紀始めの10年、自動車は一部の熱心な愛好家のためのものだったが、次第に、交通機関としての信頼性が向上してきた。当時支配的な輸送手段だった鉄道と比べて、自動車は束縛されずに自由に行動できるという楽しみを提供した。1910年3月1日には、1000台以上の自動車がチェコで登録されていたが、そのうち323台がプラハでの登録だった。展示は、プラハの1台で、2気筒エンジンの ルノーAX。
#1103-08845(#8846) -
Bugatti 13 (1910)
自動車史に残る伝説、エットーレ・ブガッティがアルザスのモルスアイムに設立したブガッティ。ブガッティのツーリングカーは抜きん出たパフォーマンスとダイナミクスを発揮し、またレーシングカーはいくつもの記録を打ち立てた。保存されている中では世界で最も古いモルスアイムのブガッティが、展示のType13。
#1103-08849(#) -
Bugatti Type 13
#1103-09097 -
Audi 10/26 HP (1911)
チェコの自動車史は国内メーカーだけによって形成されたのではなく、多くの外国製の自動車もまた輸入されて使われた。展示は、現存する世界で最も古いアウディで、第一次世界大戦のとき、車を接収されることを恐れたオーナーが分解して家の屋根裏部屋に隠した。40年以上が経って、車は再び組み立てられて博物館に展示されることになった。
#1103-08855(#8856) -
Bedelia BD2 (1912)
第一次世界大戦前の一時期、安い車をつくろうという努力が、サイクルカーを生んだ。これらの小さくて安い3輪または4輪のミニカーには、オートバインのエンジンが取り付けられた。おそらく最も有名なサイクルカーはパリのベデリアで、1910年から1925年までの間に2000台以上のサイクルカーが製造された。多くのベデリアはチェコにも輸入された。
#1103-08859(#8860) -
Bedelia BD2
#1103-08863 -
1910年代の自動車。前列右から、Bugatti 13 、Audi 10/26 HP、Bedelia BD2、Praga Alfa 5/15 HP。
#1103-09101 -
Praga Alfa 5/15 HP (1913)
20世紀の前半、チェコには大きな自動車工場が3つあった。コプジブニツェ、ムラダ・ボレスラフに続いたのは、1907年に設立されたプラハのPragaだった。Pragaは、1913年から自動車を生産していたが、第二次世界大戦がはじまるまでには、すべてのセグメントで自動車を市場に出すようになった。Pragaのラインナップは、4種類の4気筒エンジンの乗用車、小型のPraga Alfa、2LエンジンのPraga Mignon、そして4Lエンジンの高級車Praga Grandだった。展示は、最初の年に生産されたPraga Alfa。
#1103-08865(#8866) -
Praga Alfa 5/15 HP
#1103-08869 -
Laurin & Klement RK/M (1913/1921)
ラウリン&クレメント (Laurin & Klement) ムラダ・ボレスラフは1906年に車の生産を始め、その後の数年で、最も成功した自動車メーカーのひとつになった。その商用車、乗用車は国内外で販売された。展示の RK/Mは、伝説的レーシングドライバーAlexander Kolowrat伯爵が1913年にオーダーしたもので、当初は5気筒スリーブバルブエンジンを搭載したRKタイプだったが、Kolowrat伯爵は1921年にオーバーヘッドエンジンのSpecial Mタイプへの換装を依頼した。改造された車は、国内のモーターイベントで多くの成功を収めた。
#1103-08870(#) -
Benz 16/40 HP (1914)
1914年にオルリーク城主カレル・シュワルツェンベルク5世侯がマンハイムのベンツから購入した。ボディは国内のコーチビルダー Pilsen 製。しかし若きプリンスはこの車を長く楽しむことはできなかった。彼は、帝国はオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊とチェコスロバキアの誕生を導いた第一次正解大戦の、最初の犠牲者の一人となった。動員が始まるとすぐに彼は出征し、1914年にシベリア戦線で赤痢のために亡くなった。彼の死後も車はオルリーク城で保管されていたが、共産主義者のクーデターにより一家の財産は没収され、車は博物館のコレクションに加えられた。ビロード革命ののちに1990年にチェコに帰国したカレル・シュワルツェンベルク7世は、当然に返還を要求することができたが、この車を博物館の所有物のままとすることにした。
#1103-08877(#8878) -
White 10 HP (1904)
20世紀の初頭、自動車がまだ希少であった頃、そのオーナーは裕福であるだけでなく、世間の好奇の目に耐えるためのアドベンチャー・スピリットが必要であった。当時、高貴な人々には必要な礼儀作法があり、ゆったりとした足取りで歩み、列車で旅行し、駅に行くには馬車を使った。展示は、当時の「冒険者」が使った2シリンダー複式蒸気機関の乗用車。製造は、White sewing machine company, Cleveland, Ohio, USA
#1103-08975(#8978) -
Konespezna rucni hasicska strikacka (1795/1820)
馬が牽引する消防車。ポンプはバランスビームを人力で操作した。
#1103-09001(#9002) -
Konesprezna parni hasicska strikacka Shand, Mason & Co. (1882)
馬が牽引する消防車だが、ポンプの動力が蒸気機関になった。
#1103-09006(#9005) -
Konesprezna parni hasicska strikacka Shand, Mason & Co. (1882)
消防車のポンプを動かした蒸気機関。単気筒ダブルアクション。
#1103-09008(#) -
Konesprezna parni hasicska strikacka Smekal (1914)
馬が牽引する消防車で、多層階の建物にも放水できるような強力な蒸気機関駆動のポンプを搭載している。
#1103-09013(#9016) -
Automobilova hasicska strikacka Skoda 154 (1930)
自動車の時代が到来すると、消防自動車は、徐々に馬が牽引する消防車にとってかわった。1930年には、チェコスロバキアで317台の消防自動車が使われていた。
#1103-09019(#9016) -
RAF 18/22 HP (1909-1912/1976)
1907に設立された、リベレツのレイヒェンベルガー(Reichenberger Automobil-Fabrik) は、第一次世界大戦前にはチェコで最大の自動車メーカーのひとつでm乗用車から商用車まで生産した。1912年にはラウリン&クレメント (Laurin & Klement) に買収されたが、リベレツは第一次大戦中に廃業した。1925年には、ラウリン&クレメントもまたシュコダに買収される。展示は、1976年に製造当時のボディに復元されたRAFデリバリーバン。
#1103-09020(#9021)
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