2012/05/19 - 2012/05/19
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10年以上前に九州の大崩(おおくえ)山の辺りで初めてアケボノツツジに出合いました。そのアケボノツツジを求めて四国の西赤石岳へ。
アケボノツツジの綺麗な時に登りたいと思っていましたが,北からの寒気の影響で荒れ模様の天候が続き,様子を見ているうちに時期を逸してしまいました。アケボノツツジは山頂付近にわずかに残っている程度でした。
西赤石岳には,東平(西赤石岳の北の瀬戸内側)から銅山峰ヒュッテ,銅山越を経て登ったことがありますが,今回は,日浦(南の別子ダム側)から銅山越を経由して登るコースです。
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足谷川
旧別子銅山の面影は,この足谷川に沿ってつづきます。 -
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日浦から銅山越にかけての登山道沿いには,日本のマチュピチュとも呼ばれる旧別子銅山の産業遺跡が数多く残っています。
足谷川に沿った遺跡は,瀬戸内側とのトンネル(通洞)が完成し鉱業所本部が瀬戸内側に移る,明治までのもののようです。
製錬所,小学校,病院,劇場など,12,000人もの人々が暮らした山集落の跡です。 -
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劇場跡
毎年,京都の歌舞伎公演があったそうです。 -
接待館
各界の要人のための屋敷跡です。 -
川沿いの急斜面に,段々畑のように遺跡があります。
銅山ですから環境問題との戦いがあったようです。鉱山側(住友)は明治後半から毎年驚くべき本数の植林計画を実行したようです。その植林事業は,今の「住友林業」に引き継がれています。写真の木々は自然のものではなく,植林だそうです。 -
旧住友病院跡
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登山道です。
この登山道(銅山道)は,明治の中期までは,人が粗銅を担いで峠越(銅山越)し,また,逆に生活物資を運んでいた道だそうです。 -
ダイヤモンド水
(掘削中に湧き出した水とのことです。) -
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坑道入口の一つです(歓喜坑道)
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銅山越(標高1,294m)
粗銅の運搬は過酷な労働だったのでしょう。峠には無縁仏を供養する峰地蔵が建立されていました。 -
銅山越は写真中央の鉄塔の近くです。
右が瀬戸内海側(北),左が太平洋側(南)です。 -
銅山越から西赤石岳を目指します。
新緑が見事でした。 -
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アカイシツツジです。
笹ヶ峰,石鎚山の方向,西向きの写真です。
ここは,四国の背骨ですが,上空は関空から上海,東南アジア方面への航空路になっているようで,沢山の飛行機雲が見えます。 -
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南の方向です。下に別子ダムが見えます。
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北向きです。兜山の向こうに新居浜の市街地が見えます。
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頂上付近にわずかに残ったアケボノツツジです。
ホノボノとしたやさしい花です。 -
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オオカメノキの花
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アカイシツツジ
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ツガザクラ
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