2008/06/20 - 2008/06/20
57位(同エリア106件中)
さんしぇさん
ジヴェルニー、ルーアンへ日帰り小旅行。
仏西部へは、初めて使うサン=ラザール駅、ところが早朝、
ネットでスト情報をキャッチするも、これがよく判らない。
とにかく駅へ・・。
2日目メニュー
・サン=ラザール駅沿線がスト?
・それでもジヴェルニーへ
・バス停はどこ?
・救いの“足”現る!
・ルーアン美術館
・大聖堂
・マルシェで買い物
・お夕飯はクレープリー
・パリ帰着、駅前で
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
窓の下では、登校の風景が。
渡仏直後は、時差のせいで早い時刻に目が覚め、慣れ
た頃に再び帰国のパターンを踏むもんですが、今日は
初めて使うサン・ラザール駅行き。
多少の緊張も加わってか、4h台には早くも起き出して
いました。
部屋の中は、スーツケースは広げっ放し、当然中身は
そのまんま。
同行者なしの気安さで、ここまでだらしなくていいのか
と、活を入れるのもマネだけ。
まずは無理せず慣らし運転、と己をどこまでも甘やかし
放題です。
夕べは実は、飛行機酔い症状が残っていて、普通にご飯
が食べられず、なのにケーキださくらんぼだといきなり
イレギュラーな食生活から始まりました。
それだけではあんまりなので、炊飯器をお粥炊きにして
持参の梅干や佃煮に早速お出まし願いました。
その甲斐あったか今朝はしっかり復調、残りのお粥を
平らげつつ、駅情報をネット検索始めて、おっと・・。
見ると、サン・ラザール駅を除いて通常どおりとある
のです。
さて、どう通常でないのか?
サン・ラザール駅沿線でスト、結果どうやら間引き運転
の様です。
見ると、行き先毎に検索して間引き具合があらかじめ
判るようになっています。
ところが私の行きたい、ジヴェルニー、ルーアンはどう
やっても検索窓が出てこない。
これは、間引き運転外の路線なのか、単に私のやり方が
間違っているのか。
ここでこうやっていても、判らないものは判らない。
そこで早めに出る事に決めました。 -
部屋から徒歩3分でバスに乗る事およそ20分、終点が
サン・ラザール駅。
実はモンパルナス駅、パリ・リヨン駅もそうですが、
この3つはメトロを使わずに行けるので、早出遅着の
折にも治安の上での心配がなく、使い勝手のよい駅
でもあります。
さて、初めて降り立ちましたかの駅、今日向かうジヴェ
ルニーに終の棲家を構えた主、モネがパリから初めて
伸びる鉄道駅を、そのカンバスに描き留めたことで他の
駅よりもひときわ見る者の想像力を掻き立てるのですが。
今は何しろさっき得たスト情報の実際を知りたいが為に
それどころでなく。
駅舎に入った時点では何ら、他の駅と変わるところは
無いようでしたが、乗り場に向かうと広いコンコース
ど真ん中に“案内”と掲げられた移動式のテーブルが
据えてあって、そこを取り巻くように係りの制服に身を
包んだ4、5人がお客の質問に応じられる様にしていま
した。
皆一様に見上げているのが、出発便の大掲示板。
向こう1時間程の出発便が時刻の若い順にずらずらと
行き先が掲示されていて、その横を辿っていくと、
出発ホームが判るようになっています。
今しも新たな数字が掲示されると、人垣が崩れ、我先
にその番線に向かって大荷物と共に大勢が移動して行き
ます。
さて、私の乗る便を探すと、上から下からこれがどこにも
なく、青くなりました。
やっぱり間引かれて今日は運行休止?
それならそれでこのチケットの払い戻しをして貰わないと。
己の会話力で交渉ができるかどうか、さりとて動かずば
事も始まらず、まずは案内のマダムを捉まえてチケットを
見せました。
するとマダム、つらつら読んで「マダムこれはあちらの
ホームです。」と、1番から並んでいる
ホームのずっと右方向を指して、にこにこおっしゃる。
あちら・・?「そうです、これは〇〇なのでこちらでは
ありません。」
近距離便と長距離便の車両の違いを言われたと思います。
ああ良かった、便があるにはあるんだ。
そしてその方向にずずいと行くと、一回り小さい掲示板
に26番線の表示が見つかりました。
既に到着していた件の便、扉口には最終到着駅の
“Rouenルーアン”とあるのをしかと確認して、その
2階建てのRER線と変わりの無い車両2階にようよう
座を占める事ができました。
考えたら、この季節ジヴェルニー行きはモネを愛する
日本始め米人始め各国の観光客の押し寄せるドル箱
路線、これを間引く挙に出る筈もなく。
心配も杞憂に終わって、まずは良い旅の出だしです。 -
発車時刻まで余すところ5分、空いていた車両も三々
五々人が集まり、8割方埋まって来ました。
見ると、皆さん一様に手元にモネ関連のリーフレット
などをお持ち。
パリからは多くのバスツアーが出発しますが、電車で
行く場合の、いの一番の便がこれです。
何しろバスツアー客とバッティングすると、狭いモネ
の家に立錐の余地すら無くなるとも聞いていますので、
その前に乗り込もうと意図するのが我々電車組(と、
いつの間にやら呉越同舟状態)。
今日の私は、行きはルーアン終点のチケットが1枚、
この1枚で道中のジヴェルニーは、“途中下車”の扱い
です。
面白いのは、こちらは乗車便の時刻は一応決まっている
ものの、座席の指定は無く、一旦途中下車したジヴェル
ニーから先は、当然ながら乗車便すら自由な扱いとなり
ます。
比べて帰りの便は、便と座席の双方共に指定されていて
変更不可の“縛り”の厳しい便、当然こちらの方が安く
約半額です。
ちなみに今回、往路19ユーロ、復路10ユーロでした。
さて、向かい合わせ4客の私の座る座席、同じ女性同士、
お隣には年配の欧米の方、お向かいはどうやら同じく
日本の一人旅と見受けられます。
一人旅同士行き先も同じなら、自然と情報交換が始まり
お向かいは旅の手練、昨日イタリアから周って来て明日
はイギリス、合間の今日できれば行きたかったモネハウ
スへ、だそうです。
フランス一辺倒でしがみ付いている私に比べて、なんと
自由に大陸を行き来しておられる事か。
お隣の方は、こちらはアメリカはシアトルからのやはり
一人旅、シアトルなれば“イチロー”と一挙に我々日本
組との距離も縮まりました。
電車を降りた先は、一旦地元バスに乗り換えるのですが、
これが又便数が少ない。
時間などの確認をすると、どうやら同じ時間帯で動く我々、
それでもお二人は共にパリへとって帰る算段だそうです。 -
さて、40分ほども揺られ降り立ったのは、Vernon
ヴェルノンの町。
ここからバスに乗り換え20分で待望の“Maison de
Claude Monetモネの家”
電車を降りてからは、大勢の人の流れに沿って一旦
階段を下り、丁度、線路を地下で横切って反対側の
駅舎に出ます。
いわゆる駅ロータリーですが、そうと知らなければ
どこにでもある田舎町のこじんまりした佇まい。
そこをなお行くと、やがて辺りに似つかわしくない
大型観光バス3台ほどが既に待機していて、各自、
運転手から乗車券を購入して行きます。(初めから
往復の設定で4ユーロ)
さしもの大勢がすっかりこの3台に収まって、途中
停車無しで快適に運ばれて行きます。
途中橋を渡った川辺のあたりも美しいのですが、
これがパリで見る同じセーヌとは思えない程大自然の
中に溶け込んで、こうしてモネを追っていくと言う事は、
様々なセーヌの表情に出会う事でもあると思いました。
ちょっとしたバス駐車場で下ろされ、またしても大勢に
くっついて行けばそこがモネの家入り口。
それなりの行列を成していてどうなるかと思った割に
9h30過ぎ、チケットをそこで買い求め、さくさくと
入場できました。
そこから先は我々せっかくの一人旅、自然に解散して
各々行くのも風通しが良いものでした。 -
2階から庭を望む。
この庭の向こう、公道を挟んで睡蓮の池が
広がります。
残念な事に、屋内の画像は一枚たりと在らず。
なぜなら家財保全の為でしょう、ここは写真撮影が
禁止なのです。(それでもどこぞの国からか、団体
さん、お構いなしにばちばちやってましたっけ・・。)
40歳過ぎてから安住したと言うこの住まい、人が住まう
に即した広さ加減、いかに慈しんで住み成されたか、
隅々までモネの美意識を感じる佇まいでした。
そして、順路に従い次々訪れる部屋部屋にこれでもか
と飾り付けた大半が、モネの好んだ日本の浮世絵、
それにしても集めに集めたり、いかにモネが異国の
それに惹かれたか、以降の画業にどう関わっていくか、
更に知りたいとも思いました。
美人画、歌舞伎役者の錦絵、江戸期の風俗を写した
もの、戦闘の場を描いた物などなど、いずれも細密
繊細な絵柄が美しく、これを同じ日本人が描いたの
だと、どこか晴れがましい思いで見て回りました。
やがて、順路も最後、大部屋に所狭しと掲げられた
のは、フランスあるいは世界の美術館に散ったモネ
の名作の写し。
それぞれの絵にはどこのなんと言う美術館蔵で
あるかが判るようになっていました。
つまりは、ここモネの家には彼自身の真筆は
一枚足りと、置かれていないのだそうです。
さて、屋内を上から下から巡り巡っても、およそ
30分くらいのものでしょうか。
実はモネの家は、正式名称“モネの家と庭”で
あるように、その庭が見事。
殊に、パリのオランジュリー美術館を丸ごと彩って
いる、“睡蓮”はここに隣接した睡蓮の池無くば、
生まれ得なかった傑作です。 -
5月のバラなどがこの6月下旬となっても、かろうじて
残っていました。 -
一角にあるベンチに身を預けてしばし。
目を瞑ると、小鳥のさえずりのBGMの中、時折肌を
撫ぜて行く風が、まだむせて暑くなる前の爽やかさ。
そこへ、馥郁とした個々の花々の香りも運ばれて来ます。
ここではピクニックは禁止との事、持参のコーヒーを
そっと口にして、持てる五感を全開して楽しんだひと時
でした。 -
モネの好きだったと言う、野に咲くコクリコ(ポピー)
とは少々趣が違い、オリエンタルポピーでしょうか、
大型で華やかなポピーが今を盛りに咲き誇っています。
さて庭をぐるり順路に沿って行くと一旦庭を出て
一般道の下に設けられた地下道を進みます。
やがて階段を上がるとそこは皆が憧れる、かの睡蓮の
池の入り口です。 -
入ってすぐに、日本語の看板!
モネ財団と愛知県豊橋市のさる植物園とを結ぶ
記念植樹をしたとか。 -
豊橋市の花、つつじ。
お花は終わったあと。 -
こじんまりとした池が開けます。
ぐるり一回りで、ものの10分ほどでしょうか。
ここは“日本式”と謳っているだけに、言われてみれば
それらしい太鼓橋の様な風情の橋があり、大きな枝垂
れる柳あり。
あえて、造り込みをしないのかどうか、自然なままです。 -
肝心の睡蓮、8月が旬と聞いていますので、まだ時期
尚早とあまり期待せずに来ましたが、それでも午前中
の今、ちらほらと開いているのは白い色、時に甘やかな
ピンクの蕾が、沈んだ色調の池の面にそこにだけ灯が
燈ったようで大層愛らしい姿でした。 -
視界に飛び込んで来た、小船。
-
花ガラを掬い上げたりのお掃除中。
そう言えば、広大な庭のあちこちでも手入れに
大勢が地に這いつくばって(^^)ました。 -
木々の間に観光客が見え隠れ。
-
水辺に赤い色が良く映えます。
-
11h前の今、気が付くとあたりには人が後から
続々と参じて来るばかり。
もう30分も経れば呑気にしていると、ただ池を
回遊するだけにも順番待ちするような勢いです。
先へ進めば入ったと同じ出口。
地下道を引き返し家へと戻ります。 -
さて、バスの時刻まで1時間を余し、ヴェルノンの
鄙びた辺りを散策するも一興とモネの家を踏み出そう
としたその時、後ろから声が掛かりました。
見ると、電車でご一緒したアメリカからの観光客、
その名もマーサさん。
バスまでをどうするか訊ねられるので、この辺りを
歩いてみようと思います、と単語の羅列で答えると
私も一緒に、とおっしゃいます。
問わず語りで、マーサさんが娘と同じ職業な事に
とても親近感を覚えました。
特に民家の壁など佇まいに大変興味があるとの事で、
一見リタイヤ後のご年配に見受けたのですが、現役
のような話し振りです。
日本は日光、中善寺湖がとても美しかった、と力を
込めておっしゃるのでつられてこちらも嬉しくなり
ます。 -
道伝い斜向かいがアメリカン美術館、こちらは
お庭を通るのはフリーパスで、花の色毎に
ブロック分けした造りがモネの家とは異なり、
特に白一色の庭も捨て難い美しさです。 -
本館に立ち寄る時間はないのでそのまま行くと、
生垣の一角から子供達の声が賑やかに聞こえ、
見ると丁度屋外授業なのか、野外スケッチが
終わったところの様です。 -
面白い!
普通に我々が8つ切りと呼んでいるサイズを更に3等分
だかにして、その変形長方形を縦横自由に使い描いた
のが1人当て2枚3枚。
マーサさんと2人、興味一杯あちこち見せて貰いました。
このサイズならでは低学年の子供達が飽かず、しかも描き
上げる達成感も短時間に得られるのでは。
言葉足らずで半分も伝わらなかったでしょうが、指導者と
見ゆる女性とやり取りをしました。 -
向こうに目を馳せてようやくスケッチの対象が目に
入ってきました。
これぞ、モネの好んだ野に咲く自生種のコクリコ(
ポピー)。 -
こちら、これはこの日、この後訪れたルーアンの
美術館所蔵、モネの描いた題名もずばり
“ジヴェルニー付近のコクリコの野”です。
この辺りで描かれたのかどうかは、果たして。
さて、そろそろバス停を意識して動いた方が良さそう。
この先まだ行くのか、戻るのか意外や覚えていません。
丁度、〒配達のマダムを捉まえて尋ねると、更にあちら
(進行方向)へ行けとのご指示。 -
安心して向かうと右手に修理中の教会らしき
ものが見えてきました。
モネ教会、パレット片手にすっくと立つのは
もちろんモネ氏、ここにお墓もあるとの事です。
工事の養生幕に何事か書いたり、トロンプルイユ
(騙し絵)などを描いたり、フランスはこうした
ところにまで手を抜かないのは、ある種美意識で
しょうか。
さて、確かに、バス停らしきものがあるにはあるの
ですが、これは地元のいわゆる路線バスです。
ここで気づけば良かったのですが、〒のマダムは
まさにここを指しておっしゃったのでした。
多分、我々の運ばれて来た観光バスはあくまでも
観光用の直通便で、こちらが地元の人々の
普段使いの足なのだろうと後から思いました。
そうとは思わず、しかしこのまま行くのはおかしい
事は、マーサさん共々薄々感じています。
いよいよ時間は残すところ20分、さして遠くまで
来ている訳ではないので、場所さえ判ればまず余裕で
バス停にたどり着ける筈。
ところが尋ねようにも、あれだけいた観光客はおろか、
地元にお住まいと思しき人すら、いつの間にやら辺りに
人影が全く無くなっているではありませんか。 -
そこへ、車が一台ゆっくりと近づいて来ました。
マーサさん、勇躍その車を止めて(!)しまいました。
何事かと車内の仏人らしきご夫妻、幸い英語が達者な
ようで、しかしあちらもどうやら観光客、互いに土地
鑑無く、そこで、車搭載のGPSにマーサさん持参の
駐車場住所(用意周到です!)を入れようとして下さる
様子。
親切にも、GPSで探し当てた地図を頼りに直接連れて
行って下さる事になったのです。 -
来た道を戻る事戻る事、いつのまにこんなに外れ
まで歩いたのやらざっと1kmほど。
これは歩いてバス停なんてひょっとして間に合わな
かったかも知れず、マーサさんも同感のようで双方
顔を見合わせ目を瞠るばかり。 -
思わず手に汗を握りつつ、やがて見覚えのある公道に
下りそこからわずかでバス停到着。
間に合いました〜、余すところあと10分でした。
間もなく、行きに別れたもう一人の日本人女性も合流
して、いやはやこんな事があって・・、と話すも、
その頃にはおっちょこちょいな笑い話と化していたの
でした。
ご親切な仏人ご夫婦にも、言葉を尽くして下さった
マーサさんにも感謝です。
今思えば、縁は異なもの味なもの、米仏日混載の
千載一遇な数分間でした。 -
さあ、後は駅へ運ばれて行くだけ。
道中、大統領選ではマーサさんはオバマ氏支持と知り、
日本に小浜市在りきと言った話を交え、PCメールアド
レスなども交換しつつやがて行きと同じ駅に到着。
私一人、反対側ルーアン方面のホームへ目の前の地下道
を行くのですが、我々、危機を乗り越えた(笑)同士と
言うか何だか別れが惜しくて、ここは気持ちに沿って
自然にハグしてお別れ。
良い旅を、メールするわね、など言葉を交わして、後ろ
髪を引かれつつのさよならでした。
この先は一路45分程で、終点ルーアンへ。 -
1h30過ぎ、定刻ルーアン到着。
ルーアンはジャンヌ・ダルク終焉の地ですが、今日
許された時間は20h過ぎの電車まで丁度半日。
ジャンヌ様はまたの機会に取っておき、モネ伝いに
印象派の街ルーアンを垣間見る事にしましょう。
先刻送って頂いた地図を頼りに、駅前から歩いても
10分足らずのルーアン美術館へ直行。 -
昼休みが終わるところで、2h再開まで5分ほど待っ
てね、と係りのマダム。
フランスの施設の曲者と言えば、この昼休みの存在
です。
設けてない所もあるにはあるのですが、多くはお昼の
2時間ほどは閉めてしまうので、その間どう動くか
考えあぐねたり、知らずに行って閉ざされた扉を前に、
分断された時間を恨んでみたり。
最近はその辺は織り込み済みで、すっぱりランチ
なんぞして楽しむ事にしています。
ちなみに今日は、電車の中で持参のおやつを口に
して取りあえず良しとしましょう。
ここは初めから美術館として仕立てられたところ
だそうで、中央大階段前にレセプションが設けられ
ていて、まずは右手南翼からスタートです。
順路に素直に従えば、15世紀から始まって時代を
除々に下って来られるようになっています。
そんなに規模は大きくはないと思うのですが、
どうしてどうして良いものが1点また1点。
始めの大階段からして、パリ・パンテオンに収め
られているシャヴァンヌがお出迎え。
その先はそれぞれは1点づつですが、ベラスケスだ
アングルだジェリコ(ルーアンの生まれとか。)
にカラヴァッジョ、デッサンですがドラクロワも。
錚々たる大家の作品が目白押しです。
それぞれの点数が少ないので、却って惜しみ惜しみ
見る事ともなり。
カラヴァッジョ「キリストの鞭打ち」 -
ドラクロワ「自画像」
-
こちらは写しですが、
ラ・トゥール
「イレーヌに手当てを受けるサン・セバスチャン」 -
そして、お目当ての印象派の作品群より、
モネを数点。
さきほどモネの家で目に留めてあった、
「サン-ドニ街 1878年6月30日の祝日」
これぞfete お祭り!幾多の旗がたなびいて、
底鳴りする歓喜の声が聴こえるよう。
同じ日をパリ・モントルグイユ街から描いたものが
オルセーにあります。 -
「ヴェトゥィユのセーヌ川」
-
「ジヴェルニーのコクリコの野」
先ほどの風景と重なるようでした。
モネは他に、30連作中の1点のみですがルーアン
大聖堂の“グレーのカテドラル”。
他の画家では、シスレーの洪水を描いた連作から
1点、モディリアニが2点、ルノアールも。 -
シスレー
「ポール=マルリの洪水時の波止場」
氾濫したのはパリからここルーアンに向かう途中の
セーヌ川。
連作をオルセーで見ましたが、空気がシスレー以外
の何者でもなく。 -
モディリアニ
「ショーウィンドーの前のポール・アレクサンドル」
こちらもモディリアニの肌の色が形が。
絵を見ると言うのはかつて見たその画家の持ち味を
探して納得する事だったり、内側から沸いてくる
共鳴の感触を味わう事だったり。
満足して4h過ぎ、少し先を急ぎましょう。 -
ルーアンに来たら素通りできない大時計。
-
そしてかのルーアン大聖堂。
聖堂前が狭いので遠景が撮れず、収まりきらず。
曇天のもと、今日の大聖堂はルーアン美術館で見た、
“グレーのカテドラル”な感じです。
動かない対象を目の前に据え、それを取り巻く光や
空気に、30通りの変化を感じ取ったモネの感性に
敬意と感謝を捧げます。 -
さて、旧市街として区画されている場所もあるにはある
のですが、そこへ行く間も新旧が混在して、名も無い
通りを歩くのもこれが楽しい。 -
やがて、ジャンヌ・ダルクが火刑に処せられたと言う
旧市場広場中央にジャンヌ・ダルクの名前を冠せられた
教会が斬新極まりない外観を見せています。
中に入れるかと一回りしたところ、金曜日のこの日は
レストアなのか閉館で残念。
またいつかの楽しみに取っておきましょう。
ジャンヌを顕彰する十字架に手を合わせたその後は、
広場に沿って建つ常設の市場を眺めれば、主婦に
変貌するに手間はなく。 -
さて、八百屋さんではアスパラガスの白い色に釘付け。
一昨年の春には旬の事とてたくさん食べました。
昨日の市場では全く目にする事無く、6月も終わりに
なってまだ見掛けるなんて。
買いたいけれど、なまもの持って電車に乗るのは・・、
と振り切る様にして次なるは魚屋さん。
地元のマダムか、今しがた計って貰っているのは
どうやら鰯のマリネのようです。
手作りなのでしょう、大盛り300gほどでしょうか、
嬉しそうに受け取っています。
それを横目にさらに目を遣ると、黒々したムール貝の
山、値札は2、50ユーロ/Kg、はあっほんと?
パリでは3、80ユーロくらいから。
さすがパリよりも海に近いだけあります。
思わず、値札を指しながら2,50なんですかと確か
めて、パリに持ち帰れます?とおっかなびっくり。
魚屋のムッシュ、まかしといてと言わんばかりに「氷
入れてあげるよ。」と請合ってくれ、そうと来れば
お買い物モード全開。
1kgのムールと、さっきのマリネも少しだけお願いし、
嬉々として受け取ったは良いけれど、重っ、氷が・・、
見ると、ざっとムール本体の2倍量。
が、ここで、怯まないのが主婦魂。
勢い込んで戻った先はもちろんさっきの八百屋、なし
崩しに白アスパラもめでたく手中に収め気が付けば、
マルシェの買い物がルーアン土産ですか、と呆れる
自分が居りました。 -
ルーアン市内に入る際に電車の窓から見おろしたセーヌ
川、河口近くなだけに、より大河と化して当然ながら
パリのセーヌとは、又ジヴェルニーのセーヌとも趣の
違った悠揚迫らぬ表情を見せていました。
地図に拠ればこの市中心部からセーヌ河畔まで歩いても
2〜300m、行って眺めやるつもりが、折からのあい
にくの雨でちょっと挫けまして、ここは諦めて早めの
お夕飯にでも。
ノルマンディーまで来たら一度は食そう、そば粉の
ガレット。
大聖堂から程近い角地に立っていたのが“ラ・レガリ
エール”(旨いもん処、みたいな意味合いでしょうか。)
見ればクレープリーとあります。 -
18h頃だったか、さすがに店内お客は1組、メニュー
を眺めるもホワイトクリームを使ったり、具がこってり
炒めてあったりで、さっぱりとした組み合わせが見当た
りません。
お給仕のムッシュに、ハムと卵とチーズそれにトマトと
玉ねぎ入れられますか?と食べたいものを並べ立たてて
みたところ、どうやら大丈夫そうです。 -
コンプレット(通常、ハム+卵+チーズの揃い踏みを称す
ようです。)の名前で6,80ユーロ。 -
地階にも穴倉のようなフロア。
実は、あらかじめ良さ気な所を事前サーチしてあった
のですが、随分と前の事とて名前すらすっかり忘れて
いて、折しもの雨脚に押されるように、ここへは行き
当たりばったりに入ったのです。
ところが、ここが実はお目当てだったクレープリー
だったとは。
レジにあったショップカードを見て、どんぴしゃり
だった事を知り、び〜っくり。
どんより暗い雨空の下、外観は宣伝ほどには美しくも
何とも無く(笑・・そんなもんでしょう。)
ごく普通の佇まいだったので想像も及ばず、でも店内、
丁寧に人の手が掛かり、肝心のガレットは美味しくて、
何だか嬉しい気分でお店を後にしたのでした。 -
8h15の電車まで余すところ1時間、ゆっくり駅
まで歩いても15分です。
雨もとっくにあがり、水を得た緑が一層美しく、
辺りに暮れる気配なぞ微塵も無く明るい夕方です。
行きつ戻りつしながら駅の方向に向かいやがて、行き
には美術館に行くのに素通りした大きな梢の重なる
一角まで戻ってきました。
地図に拠ればヴェルドゥレル・スクワール(スクエア)
とあります。
スクエアどころか、なかなかどうして立派な公園です。 -
流れる小川には、つがいの白鳥が。
よくよく見ると背中から覗く黄色い柔羽。 -
おんぶされてた白鳥のべべちゃん。^^
すっかり和んで、そこを後にし駅へ。 -
駅に向かい右手に覗く高くも無い、されど
どこか得体の知れぬ不穏な塔。
かつての城郭の跡、7つあった塔の内の唯一、
今も姿を残すのは、ジャンヌ・ダルクが火刑
までの3ヶ月を幽閉されていた牢獄です。 -
さほど意識せずとも、今も街のあちこちに生きて、
我々に何がしかを問うかのようなジャンヌ・ダルク、
いつか今度は彼女に会いに来ようと、街をあとに
したのでした。 -
さて、とんとんと定刻21h50、灯ともし頃のパリに
帰り着きました。
ここからは行きに来たと逆さに戻るわけですが、ここで
判らないのがバス停のありか。
このサン・ラザール駅界隈、幸いこの季節22h前でも
まだ暗くはならず、駅前をうろうろするもさほど危ない
感じではありません。
パリの駅にはいわゆるバス・ターミナルなどは見かけず、
通りのあちこちに思い思いに据えたバス停を散見します。
バスを降り、再び戻ろうとする際、素直に向い側にあれ
ば良し、どうかすると全く別の通りだったりはしょっ
ちゅうなので、ここは人に尋ねた方が良いでしょう。
今朝降りた辺りを行くと、角に車椅子のムッシュが人待
ち顔をしていたので、さっそく尋ねようと切り出すも、
肝心の路線番数がとっさに出てこない、瞬間口ごもると、
「ああ、21それとも27?」
と、よくよくご存知の様子。
すると、21ならこっちと東に曲がり少し行ったところ
を、そして27ならと、戻った位置の今朝降りたと同じ
バス停を教えてくれました。
なるほど降車停からそのまま折り返しになるんですか。
私、何となく21まで行き待っていると、やって来た
のは27番バスで、目の前を先ほど教えて
頂いた方向へ曲がって行きました。
戻るのもなんだしそのまま21番を待ってみるつもり
だった私。
ところが、さっきのムッシュ「27が来たよ、早く
おいで。」と大声で呼んでくれるのです。
どうやら件のムッシュも同じバスを待っておられた
ようで、丁度等間隔のその角で待てばどちらが来ても、
急ぎ駆けつけようと言う普段からの倣いだったので
しょうか。
止まった27番バスからは、見ていると真中の大扉
から、するするとバスと歩道の段差を結ぶスロープが
出て来ました。
車椅子のムッシュは手馴れた様子で、その大きい扉
から何の苦も無く乗り込み、私はムッシュのご親切に
お礼を言いつつ席に収まり、後はアパルトマンまで
15分ほど。
暮れ始めたセーヌ辺り、イルミネーションを楽しみ
ながら、戦利品のムール貝を手に無事帰り着きました。
明日は6月21日の「音楽の日」、幾つの音楽に
出会えるでしょうか。
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