ウユニ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
毎回海外旅行は新鮮な印象を色々残しますが、今回の旅は体力的にもきつく、特に強烈でした。いつものように、きっかけは単純です。最近テレビでもよく取り上げられる「ウユニ塩田」を見たかったのです。そして、ついでに間接的な知人もいるので会いに行こうと思いついたのです。首都のラパスがかなりの高地にあるのは知っていましたが・・・・<br /><br />実はボリビアという国に対して必ずしもいい印象を持っていませんでした。話は私のAFSアメリカ高校留学、40年前にさかのぼります。ニューヨーク州西部の田舎町の高校に留学したのですが、同じ学校に同時期、ロータリー交換留学生としてボリビアからの留学生がいました。同じ立場の留学生同士仲良くなることも多いのですが、何故かあまり話をした記憶がありません。確か、彼女は英語もあまりうまくなかったように思います。中南米からの留学生にしてはあまり明るくもなかったのです。他方、同じ地区にAFSで来ている多くの中南米の連中は底抜けに明るく非常に対照的です。しかも、スペイン語は「ローマ字」読みのような発音で非常に興味を持ちました。意味はわからなくても、音としては聞き取れるのです。私の名前の「サカモト」を聞いて、「サカラモト・・・・」で「車が転んで・・・・」という文章ができると言って騒いでいるような陽気な連中です。<br /><br />しばらくして、彼女は突然消えました。早期帰国のようです。しばらくして理由がわかりました。何と彼女は妊娠していたのです。道理で明るくなかったのかなと納得しました。留学した時に盛んに言われましたが、国を代表する大使館員のような自覚を持てと。確かに、私にとって最初のボリビア人がそうだったので、あまりいい印象は持ちませんでした。先入観という意味ではやはり影響大です。<br /><br />【一気にウユニへ】<br />でも、基本的に底抜けに明るい中南米は大好きです。唯一の欠点は日本の裏側で遠いことです。1月13日(金)昼、福岡を出発した私は、割とスムーズに成田からの午後のアメリカン航空便でまずロサンゼルスへ。時差の関係で、同日朝着きます。ほどよい待ち時間でマイアミ便へ乗り換えます。3時間の時差もあるので、マイアミには午後7時頃着きます。でも、こんな経験は初めてですが、ゲートが空いていなくて1時間近く滑走路で待たされました。でも、次のラパスへの国際線は夜遅くの出発なので乗り換えまで時間はたっぷりあります。<br /><br />マイアミ空港では、シュラスコ料理(ブラジル風串刺しステーキ)とモロス・ライス(赤飯のような黒い御飯)と温野菜添えを約20ドルで注文、期待通りアメリカにしてはおいしかったです。キューバ人の多いマイアミには、キューバ料理のレストランもいくつかありますが、以前の記憶では大しておいしくなかったので、無難なブラジル肉料理にしました。正解でした。スターバックスでのトール・サイズのコーヒーの値段はたったの2ドル(160円程度)で、日本の340円のほぼ半額です。元々の値段が安いので、同じ日に2杯目のコーヒーを頼んだら100円ポッキリという日本のサービス、One More coffeeは本家アメリカにはありません。ちなみに、以前に確認したのですが、アメリカにもショート・サイズがありますが、メニューには書いていない隠れメニューです。ボリビアは高地で日差しが強そうなので、前もってサングラスを買いました。<br /><br />今回は全てアメリカン航空ですが、若くて細くてきれいな客室乗務員などにはお目にかかれません。スチュワーデスは、日本ではCA(キャビンアテンダント)と呼ぶことが多いようですが、アメリカではたぶんFA(フライトアテンダント)の呼び方の方が一般的のようです。それはともかく、夜遅くマイアミを出発した飛行機は予定通り翌朝6時にはボリビアの首都、ラパスへ着きました。福岡空港を出てから32時間ほど経過しています。標高4100Mの世界で最高所の空港だそうです。高山病に弱い私は、計算して到着の24時間前から12時間毎にダイアモックス半錠ずつを内服しています。それでも、やはり早速体調は微妙です。お土産を兼ねて持ってきたハイチュウの袋はパンパンに膨張しています。そうです、酸素が薄いだけでなく気圧も低いからです。ラパスの空港ではいつものように、取り敢えず少しだけ現地の通貨、ボリビアーノでキャッシングです。これが一番便利で、手数料も安いと私は思っています。念のため、常に所有している米ドルも少しは持参していますが。<br /><br />日本で苦労して見つけた、ラパスからウユニへの Amaszonas 航空の08時15分の便にゆっくり間に合います。飛行機が大好きで、ずい分色々な飛行機に乗った私にとっても最小の飛行機でした。もちろん、プロペラ機で、たったの19人乗りです。私を含めて5人が日本人乗客でした。狭い通路をはさみ1列ずつで、天井も背の低い私でもしゃがんでしか歩けません。機体のロゴマークもありません。操縦室にドアもなく、パイロットと副操縦士の二人も丸見えです。もちろん、さすがにCAもいません。予想通り、ものすごく貧相な建物しかないウユニ空港へ1時間足らずで到着です。タクシーなんかは見あたらず、航空会社のバスが待っています。たったの7ボリビアーノ(1ボリビアーノ=約11円強)でウユニの街へ着きます。<br /><br />この飛行機の存在をインターネットでたまたま見つけたのはラッキーでした。昨年の夏に就航したばかりらしく、しかも人数が限られるので、日本のツアーなどでは10時間以上かけてバスか車でラパスからウユニまで移動するのが普通のようです。当然ながら、飛行機のほうがはるかに楽です。しかも後でわかりましたが、ボリビアの道路事情は貧弱です。ただ往復250米ドル(約2万円)とこちらの物価にしては割高です。でも、これから予定している人には断然飛行機での移動をお勧めします。時間にルーズで有名な南米ですが、私の経験では飛行機はさすがにだいたい時間通り飛ぶようです。<br /><br />早速、日本で調べてメールでやり取りしていた旅行会社を探し当てますが、何と閉まっています。ちょっと困っていると、回りにはいくつも同じような旅行代理店があります。いくつかは開いているようです。適当に一軒に入って行くと、ちょうど2泊3日のツアーが10時半過ぎ出発でまだ間に合うとのことです。余裕を見て帰りの飛行機は3日後に取っています。値段を聞いてビックリ。たったの900ボリビアーノです。ホテルはボロらしく、念のため寝袋を50ボリビアーノで借ります。途中のコロラダ公園で入園料が150ボリビアーノ必要だそうですが、全部足しても1100ボリビアーノ、1万3千円足らずです。しかも、食事もホテルも付きです。<br /><br />【ウユニ塩田、礁湖ツアー】<br />実は、私はツアーの内容が全くわかっていませんでした。何故、ウユニ塩田のツアーに2泊3日も必要なのか?出発してしばらくすると、何の変哲もない「列車の墓」、つまり廃棄された鉱山鉄道に立ち寄ります。そして、時差ボケもありうとうとしているといつの間にか自分にとっての最大の目的地、ウユニ塩田が目の前にあります。4WDトヨタのランドクルーザーで、浅く水の溜まっている塩田の中に入って行きます。<br /><br />ツアーと言っても、客は6人だけです。イタリア人の中年カップルとリトアニア人の若者3人、そして1人だけの私が助手席です。ガイドの運転手はスペイン語だけですが、私は標高何千何百メートルなどの数字は何とか聞き取れます。時々、ツアーの仲間が英語に訳してくれます。<br /><br />アドバイスに従い、現地で前もって買っておいたサンダルに履き替え、少し水の溜まった塩田へ降り、写真を撮りまくります。私もここで写真を撮るのが一つの大きな目的です。聞いていた通り、雨季の1月に来たのが正解です。程よく水が溜まり、ちょうど鏡面の写真が撮れます。そして、何枚も撮った写真の中に、天地一体の写真もありました。不思議な写真です。濃い青色の空と地平線(水平線?)の境がなく、何とも言えない素晴らしい写真です。何と言っても、今回の旅のハイライトです。「ウユニ塩田」はスペイン語ではSalar de Uyuni ですが、英語では何と言うのだろうとふと考えました。後で、旅行会社の宣伝を見てわかりました。多くは、Salt flats と言うようです。たまに、Salt field という表現もあります。日本語で、「ウユニ塩湖」と言う人がいますが間違いです。決して湖ではありません。鏡面写真の撮れるベストシーズン、雨季の今でさえ、水量はほんの少しです。歩けるし、車が入って行けるのです。写真で見ると、乾季には水は全くなく、ひび割れた塩の層が見えるだけのようです。従って、ベストシーズンは12月、1月、2月の雨季で、夏です。<br /><br />この日は、スムーズに飛行機を乗り継いだ分、時差ボケもあり車の中で寝ていました。途中のお土産屋で帽子も買いました。高地の日差しは強烈で、サングラスだけでなく帽子も必需品です。帽子の嫌いな私ですが、帽子なしでは頭がクラクラします。私の体質は高山病に弱く、今回も予防薬、ダイアモックス(一般名アセタゾラミド)でかろうじて、頭痛や吐き気を抑えているのを実感します。今日は標高4千メートル近くです。一般的な高山病の予防法を披露すると、時々深呼吸をします。空気も乾燥しているし、脱水気味になるのでミネラルウォーターなどを一日に1〜2L飲んだほうがいいです。持ち歩くのは重いですが、私は車の助手席なので2Lのペットボトルを買って置いています。少しずつ、ちびちび水分補給が大事です。<br /><br />安いだけあって、アロータという町でのホテルは予想通りボロです。でも、ネパールのトレッキングでのホテルよりはましです。4人部屋でリトアニアの3人と同室です。夕食は意外とおいしく、ハーブなどの出汁のよく効いたスープとチキン料理です。共同のトイレに水シャワーがありますが、とても寒くて浴びる気にはなりません。高地なので、昼間は帽子が必要なくらい強い日差しで温度も上がるのに、夜はゼロ度近くまで冷え込みます。4人部屋はともかく、暖房などなく寒いので借りてきた寝袋に包まって寝ました。<br /><br />翌朝は7時半出発です。いよいよラグナ巡りです。Laguna(英語で Lagoon)とは、海の干潟のイメージでしたが、辞書によると「礁湖」と呼ぶようです。どうも少しずつ山を登って行っているようです。途中で奇岩の多い場所で写真休憩です。10時前に最初のラグナ・エディオナダ(標高4125M)へ到着。普通の青い湖に向かい側の山が反射し、フラミンゴが沢山いてなかなかの景色です。フラミンゴは一本足で立つと思っていましたが、ここのフラミンゴは全て二本足で立っていました。お昼はレストランかと思いきや、車の後部に運転手が準備した昼食を広げています。ホテルで準備したのでしょうか?マカロニ風のパスタ、キュウリ、トマトの生野菜、チキンのカツ、デザートにオレンジと意外とおいしいのです。勝手に取り分けて、岩場に腰かけて食べます。ピクニックです。ただ、たぶん高山病の影響で、胃腸の動きも今一つですぐに満腹になります。<br /><br />車で移動の途中で、イタリア人女性、ララが「ピピ」と言っているのが聞き取れました。最近覚えたばかりのイタリア語単語で「オシッコ」です。イタリア語とスペイン語は似ているのですが、後で調べるとまさに同じ単語を使うようです。さすがイタリア人女性で、車のかげで用を足していました。<br /><br />聞いていた通り、各人150ボリビアーノを払って、ラグナ・コロラダのある公園へ入ります。この奥にホテルがあり、早くも3時過ぎには着きました。チェックインしてから、みんなで車に乗り敷地内のラグナ見物です。ここは湖の微生物の関係らしく、湖の色が茶色です。ここにもフラミンゴはいます。<br /><br />今日のホテルは昨日よりもっとボロです。6人部屋で女性のララも同室です。それはともかく、食事が最悪でした。昨日と同じようなスープが出ましたが、少し味が落ちます。極めつけがスパゲッティです。まず、延びたような麺だけが運ばれてきます。まさかと思ったら、しばらくしてようやくソースがやって来ます。「トマトソース」もどきです。中南米独特のサルサソース風(小さく刻んだトマト、玉ねぎなど)ですが、辛くもありません。仕方がないので、塩とこしょうを少しかけますが、当然おいしくはありません。見た瞬間から私はあきらめていました。幸い、あまり食欲もありません。<br /><br />ララはちょうど昨年私が訪問した北イタリア、アオスタ(アルプス地方)出身です。昨年のイタリア旅行が13回目の私とは話があいます。色々、ローカルな話もできます。私のイタリア語はまだまだで、単語を混ぜる程度で基本的には英語で喋ります。ララはすでに英語にもなっている有名な「Mamma Mia!」と嘆きます。私は「まぁ、まぁ」となだめていました。隣のテーブルを覗くと、韓国人の若い女の子2人がこのスパゲッティをお代わりまでしてばくばく食べています。若さのなせる技か、韓国人だからなのかわかりません。<br /><br />確認を込めて、イタリア本国ではスパゲッティを食べるのにスプーンを使ってくるくる回したりしないですねと聞くと、そんなみっともないことはしないと断言します。日本で誰かに聞いた、幼児だけは使うのかと聞くとこれも否定します。食べやすいように、カットしてあげてショートパスタにすることだけはあるようです。それを横で聞いていたツアー仲間のリトアニア人の一人が、ビックリして「知らなかった。リトアニアでも、みんなスプーンを使って巻き取って食べる」と言っていました。実際にやるとわかりますが、端っこから少なめにからませれば、スプーンなんか使わなくてもフォークだけでスパゲッティをうまく巻き取れます。<br /><br />やはり、アメリカナイズされたイタリア料理が世界に広まっているのでしょうか?ピザにかけるタバスコなども本国イタリアでは絶対にありません。ちなみに、タバスコのメーカーはアメリカのマキルヘニーという会社です。最近知ったカプチーノはイタリアではほとんど朝食時だけということも確認すると、二人で若干意見が違い、ララは朝食だけと言い、パートナーのレンツォは午前中だけと言います。いずれにせよ、午後や夕食時にはカプチーノは飲まないようです。<br /><br />翌朝は早いし、することもないし、電源もない(最低限の自家発電?)ようなボロホテルなので、9時前には寝ました。薄暗いロビーというよりは廊下みたいなスペースのテーブルでヨーロッパ人たちが酒盛りをしています。彼らは驚異的です。高地にもめげず、体にこたえるはずのアルコールを平気で飲んでいます。日本人にはとてもお勧めできません。気圧が低いので、飛行機内と同じで悪酔いします。アルコールに関しては強さのレベルが違います。<br /><br />ロシア人もいるようで、リトアニアの三人もロシア語で喋っているようです。リトアニアはソビエト連邦から独立した国ですが、本来リトアニア語は全くロシア語と違うそうです。たまたま、同行の三人は親の関係らしくロシア語が話せるのだそうです。<br /><br />ちょっと横着して、寝袋を開けずに服を着たまま寝ました。そのせいか、夜中は結構寒かったです。困ったのは、夜中にトイレへ行くと、途中で薄暗いなりについていた電気が突然、完全に消えました。真っ暗です。用を足すぶんは何とかなったのですが、問題は帰りです。いくつかある部屋がどれかわからないのです。こんなホテルで大部屋のせいか、どの部屋も鍵がかかってないので、却って自分の部屋との区別がつきません。仕方がないので、適当にドアを開けて手探りで部屋の状況を調べると、どうもドアの開き方が反対側です。自分のコンタクトレンズ道具を置いているのを思い出し探るとありません。それで、部屋が違うことを確認し、隣の部屋を試します。ようやく、自分の部屋に戻りましたが、ベッドが6人分あるので、他の人を起こさないように細心の注意で、何とか自分のベッドに滑り込みました。若いころは特に色々な安ホテルを経験しましたが、電気も消え真っ暗なのは初体験です。<br /><br />3日目、最終日は4時過ぎに運転手が起こしに来ます。もちろん、まだ真っ暗だし寒いです。ずっと鏡もないので、何とか鏡なしでコンタクトレンズを付けます。早過ぎて朝食なしで5時過ぎには出発です。ずっと山沿いに走りますが、チリとの国境だそうです。温泉の豊富な別府に住んだこともある私は感動しませんが、蒸気が吹き上げるところを見物し、それから本当に野外の礁湖(ラグナ・ブランコ(白い礁湖))のそばの温泉にも立ち寄ります。指を突っ込んで湯加減を確認するとちょうどいいのですが、何せまだ朝6時半、周りはゼロ度近くの寒さ、水着も準備していないし、それより上がった後のバスタオルもありません。しかも、日本で言えば着替え室の小屋は鍵がかかっているらしく、みんな外で体を拭いて着替えています。さすがに、私は入浴する気は全くありません。この近くの建物で、運転手の準備した質素な朝食です。この温泉の標高を知りたくて、リトアニア人が持っているスマートフォンのアプリで計測してもらうと4200Mです。たぶん、世界で一番高いところにある温泉でしょう。<br /><br />それからもどんどん標高の高い所へ行き、4900Mまで記録しました。もちろん、私にとっては最高記録です。ダイアモックスのおかげで何とか高山病にもならずに、こんな高い所へ無事にやって来ました。目玉のラグナ・ヴェルデ(緑色の礁湖)へ着きます(4400M)。名前通り、完全ではありませんが、湖の一部は緑がかった色をしています。向かい側にはリカンカブイ火山(5960M)と言う富士山のようなきれいな山があり、湖に反射してきれいです。<br /><br />しばらく走ると、いよいよ本当のチリとの国境へ着きます。リトアニア人3人はここでバスに乗り換えチリへ行くようです。あまりにのどかな国境です。看守も誰もいません。つまり、いくらでも不法侵入ができます。左端に小屋があり、入国審査場のようです。右端にチリの街へ行くバスが待っています。せっかくですから、歩いて国境を越え、チリ共和国の看板の所まで行って記念写真を撮りました。3人減ったわけですが、代わりに男性一人と子供らしい小さな男の子が乗ってきました。こういう国ではよくあることです。たぶん、仕事なのに私物化して知り合いを乗せているのです。<br /><br />先ほどの温泉の方へ戻って行きます。いよいよ一気にウユニの街へ帰るようです。途中で、奇岩のあるリャマのいるのどかな村に立ち寄り、初めてちゃんと家の中で昼食を食べさせてもらえました。それからは、延々とあまり見るものもない道路、しかも途中までほとんど舗装もされていません、を走るのみでうとうとしていました。途中で、以前住んでいたアメリカ、ニューメキシコ州の砂漠地帯の地平線を思い出しました。朝あんなに早く出発したのに、ようやく夕方5時半過ぎにウユニの街へ帰って来ました。この経験からも、ラパスからウユニまで車で10時間の移動、しかも往復、はきついだろうと想像します。<br /><br />ここで、少し高山病についてまとめてみます。まず、当然の如く、予防薬としてのダイアモックスは有効です。副作用に関しては以前と全く同じで、時々軽い両手の手先に軽いピリピリ感が出ました。少し不快ですが、痛くはありません。しかも一過性です。少し利尿がついて尿量が増え、軽い頻尿になることもありました。この程度です。<br /><br />末梢血酸素飽和度(SPO2)を計るパルスオキシメーターについてもまとめます。これは、一部の旅行会社が使っているようですが、解釈が難しいです。今回の経験で分かったのは、まず私自身の体験でSPO2は高地では75〜80%まで下がるということです。参考までに書くと、平地であれば正常値は95%以上です。90%程度でも、酸素吸入が必要なレベルです。ですから、明らかに体は悲鳴を上げています。でも、ダイアモックスのおかげで高山病は予防できています。高山病が軽度の場合は、山酔いと言って頭痛や嘔吐が主な症状です。<br /><br />旅仲間のリトアニア人3人に計らせてもらうと、一人は驚異的で94%とほぼ正常値です。でも、残りの二人はやはり85%程度でした。でも、元気いっぱいです。一番面白いと思ったのは、運転手で現地に住んでいる人で、もちろん高地に適応しているはずです。計らせてもらうと、何と88%しかありません。つまり、体内の酸素の飽和度は必ずしも高山病とは比例しないということです。一般的に高地では酸素が少ないことだけが問題視されますが、私の持論では、それ以上に気圧が低いということが影響していると思われます。<br /><br />脈拍も参考になります。私自身、高地では常に140くらいあります。平地で言えば、かなりの運動時レベルです。それだけ、体には負担がかかっているのが自覚できます。<br /><br />ツアーでのぼろホテルの後ですから、ウユニ塩田を間近に見る少し高級なホテルに行って宿泊しようとしましたが、タクシーはそんなに遠くへは行かないと断られ(物価が安いので、行ってくれれば大した金額ではないはず)、仕方がないので、近くのホテルにしました。せめてシャワーはありそうです。80ボリビアーノというので暗算すると、約9千円(?)、意外と高いなと勘違いしかけましたが、よく考えると一桁間違えて、たったの9百円でした。とにかく、有難いことにボリビアは物価が安いのです。聞いた話によると、隣のチリは結構物価は高いそうです。<br /><br />今回、何故か携帯電話がつながらないので、少し苦労しましたが、ここボリビアには多くの電話会社エンテルの店があって、後払いの電話で小銭が要らないので結構便利です。コチャバンバで会う予定のカミラヘ電話をします。ついでに、コチャバンバのホテルも電話予約します。「地球の歩き方」のおかげで、たくさんのホテルの情報があります。今回は前もって日本からのホテル予約は一切していません。日本に帰ってわかったのは、何と半年ほど前に買い替えた携帯電話が世界に対応していなく、肝心のアメリカ大陸では使えないのでした。うかつでした。今まで、世界中でつながっていたのにこんな経験は初めてです。経由地のアメリカでさえ電波が拾えていないので変だとは感じていました。<br /><br />疲れていてあまり食欲もないのですが、レストランを探します。午前中はたくさんあるように思えたのですが、夜は閉まっている店も多く、あまり選びようもありません。意外と、ピザやスパゲッティのレストランが多いですが、イタリア通の私は外国でこれらを食べようとは思いません。でも、大した店はなさそうで、適当に妥協して入ります。スープと野菜サラダを頼みました。相席で、若い二人の女性がやって来ました。少し聞いていると明らかにフランス語で喋っています。フランスから来たのかと尋ねると、やはりツールーズからやって来たと言います。一人は看護師でもう一人は理学療法士です。同業者です。もう半年以上旅行しているそうです。いくらフランスでもそんなに長くは休みが取れないだろうと聞くと、仕事を辞めて来たそうです。職業柄、帰ればいつでも仕事が見つかるので心配ないそうです。日本と同じだと思いました。<br /><br />【コチャバンバへ】<br />17日(火)は移動日です。ウユニからラパスへの午前の便は予約済みです。またあの小さな飛行機です。今度は最前列で、ドアもないコックピットのパイロットと副操縦士が丸見えです。ギリギリの時間になって、来る時一緒だった日本人の女性が乗り込んで来ます。空いた席へ座ります。後で聞くと、ギリギリになって搭乗券ももらわずに強引に乗れたようです。さすがに融通がきくのでしょう。<br /><br />予定通り、午前10時半過ぎにはラパスの空港へ着きます。でも、日本では調べきれずにラパス〜コチャバンバの飛行機は取れていません。最悪、長距離バスで7時間もあれば着くはずで、夜までには着くはずです。日本から到着時に気が付いていた空港内の旅行会社へ直行します。珍しく、旅行会社なのに二人とも従業員は英語が喋れません。でも、航空券を買うだけなので片言のスペイン語と大事な時間帯は紙に書いて、何とか希望通りの直行便が取れました。少し待たなければなりませんが、16時20分発のBOA便で、帰りは2日後の午前7時45分のTAM便です。往復たったの663ボリビアーノ(約7400円)です。<br /><br />安いけど、今度はまともな飛行機で、たった40分程度のフライトなのに若くてきれいなCAが飲み物とスナック菓子まで運んでくれます。コチャバンバ空港は街に近く、有名な丘の上のキリスト像も遠くから見えます。昨日、私にしては珍しく5つ星のホテルを予約しています。スペインの影響の強い南米らしく、パテオ(中庭)のある超豪華なホテルです。部屋も広いし、バスタブもあります。もちろん、日本を出て6日ぶりにインターネットにアクセスもできます。<br /><br />久しぶりにメールを開くと、以下のようなとんでもないメールが入っていました。<br /><br /><br />*****************************<br />東京某区で開業医をしています。<br />うちのクリニックの受付の女性が、<br />先日ヒマラヤ地方へ出かけました。<br />貴方のサイトをみて、高山病の予防のため、<br />ダイアモクスを処方してほしいと頼まれましたが、<br />断りました。<br />私の母が急死して、クリニックを休診にしているうちに、<br />無断で薬の問屋に、<br />ダイアモックスを注文して、<br />1箱丸ごと持って行ってしまいました。<br />昨日そのことに気がつき、<br />当人や、登山の他のメンバーにも薬を回して、<br />重大な副作用が出現したりしないかと大変心配しています。<br />貴方のサイトを改めて読んでみると、<br />一般の方が読むと、とても安全で副作用もわずかで安全な薬だと<br />思う内容だと思います。 <br />薬の管理が不十分であった、こちらに非がありますが、<br />安易な貴方の記述には、大変憤りを感じています。<br />今からでも間に合うかもしれません。<br />何か当地の彼女に助言できることがあればと思います。<br />ご意見、反論あれば、メール下さい。<br /><br />某クリニック<br />*****************************<br /><br /><br />私自身が、予防薬、ダイアモックスのおかげで何とか4900Mもの高地まで対応できたと感謝・感激していた最中なので、何だ、このメールは!?と憤慨すると同時に呆れ果ててしまいました。<br /><br />まず、この人物は卑怯ですね。人を非難するような文章を書くのに匿名です。メールのアドレス付記で、女医ということは想像できます。堂々と、本名や履歴まで書いて特定できるように書いている私のウェブサイトですが、彼女は匿名です!<br /><br />こんな不勉強な開業医がいるから、日本ではなかなか正しい知識が普及しないのでしょう。自分が知らないなら、少し調べれば、私が書いていることが医学の常識、世界の常識だということはすぐにわかるはずです。<br /><br />勝手に副作用を心配して騒いでいますが、高山病の予防には半錠ずつの1日2回内服、つまり一日たったの1錠です。ちなみに、この薬は保険適応のある緑内障の場合、1日4錠までになっています。(誤解が多い理由の一つが、日本の保険適応では高山病は適応外で、でもバイアグラのように自費扱いで医師の処方箋が必要です)。いずれにせよ、この薬は医者なら誰でも聞いたことがあるはずで、かなり昔からある薬で安全性も確立されています。素人じゃあるまいし、副作用の可能性で大騒ぎするのはバカ丸出しです。<br /><br />但し、軽い一時的な副作用はあります。時に利尿作用で尿量が増えることにより、軽い頻尿になります。また、両手が少しピリピリするしびれがくることもよくありますが、あくまでも一過性で、大した副作用ではありません。「神経炎」という病名を見て、大変な副作用だと勘違いする人がいますが、あくまでも一時的な軽い副作用です。 <br /><br />そして、自分の不勉強を棚に上げて、「安易な記述」と私を批判しています。お門違いです。<br /><br />医者でさえこんな人間がいるから、素人の間で噂レベルのくだらない誤った情報が飛び交っているのでしょう。旅行業界の無責任体質もありますが・・・・  あまり表ざたにはなっていませんが、私が調べた範囲だけでも、高山病で死者まで相当数出ています。医学的には、重症になると高地肺水腫、高地脳浮腫と言い、死に至る病気なのです。もちろん、多くの場合は頭痛や嘔吐、下痢程度ですが。<br /><br />2600Mのコチャバンバはやはり相対的にずいぶん楽で、食欲もあります。少し迷いましたが、SPO2も90%近くあるし、脈拍も久しぶりに100程度なので、ダイアモックスは飲みませんでした。ホテルのフロントでいいレストランを紹介してくれと聞くと、すぐ近くに市内でも有名な Casa de Campo という大きなレストランがありました。物価の安いボリビアなので、ここでは5つ星のホテル、グラン・ホテル・コチャバンバへ2泊しましたが、たったの8千円(一泊)でした。レストランは地元の人で賑わっているようです。ステーキ料理を頼みましたが、ワン・プレートで白い御飯とフライドポテトと野菜(トマト、ニンジン、インゲン豆)と一緒にステーキが来ます。ステーキの上には目玉焼きがのっています。別に、パンも来ます。やや炭水化物が多いですが、全部食べる必要はないので、栄養学的にもバランスが取れています。必ずたくさんの野菜がついてくるようです。<br /><br />翌朝、カミラは約束通り9時にホテルへ迎えに来てくれました。時間にルーズで有名な中南米ですが、日本に留学経験のあるせいかどうか、それとも個人的な資質なのかわかりません。取り敢えず、眺めがいいはずのキリスト像のある丘へタクシーで行きました。まだ時間が早過ぎて、麓からのケーブルカーは動いていません。それで、再びタクシーに乗り、上まで登りました。行ったことのあるブラジル、リオデジャネイロのコルコバードの丘を思い出しました。でも、ここコチャバンバのキリスト像の方が大きいそうです。<br /><br />高いところから俯瞰すると、この町はコンパクトで、空港も近くにあります。帰り(下り)は景色を楽しみながらケーブルカーで降りました。次に、カテドラール(町一番の教会)へ行きます。スペインの影響の強い南米ですから当然ですが、ヨーロッパと同じであちこちに教会(たぶん、ほとんどがカトリック教会)があり、一番な立派なのをカテドラールと呼ぶようです。教会の前は広場です。本来なら、豪華な教会内部を見学できるのですが、ちょうどデモをやっており混乱を心配して中に入れませんでした。カミラに何のデモか聞くと、よくわからないけどしょっちゅうデモがあるそうです。<br /><br />次に、サンタ・テレサ寺院へ行きます。ここで、カミラの友達にまた会います。もう三人目です。さすが、彼女の地元です。私のホテルに近い彼女の学校へ行きます。今は春休みだそうです。彼女は順調に行けば、6月頃から大学生だそうです。中へ入るとカフェテリア(食堂)があり、銅像があります。何と、彼女のおじいさんでこの学校の創始者だそうです。それで、現在は彼女のお父さんが校長先生だそうです。<br /><br />カミラはきれいな娘さんですが、ボリビアには珍しい白人です。聞くと、スペイン、アルゼンチン、ドイツなどの血が混ざっているようです。調べると、私の印象通り、ボリビアは中南米の中でも現地のインディオとの混血が多く、スペインを中心とした白人は15%程度しかいないようです。<br /><br />その後、結局昼食は昨夜と同じカサ・デ・カンポに行きました。有名なレストランらしくカミラも知っていました。この日は、魚料理を頼んでみました。もちろん、海のないボリビアですから淡水魚です。食べやすく切り身もあるようですが、私は写真も撮りたいし、丸ごとどんな料理か見たいので、そのまま注文しました。焼いたような、揚げたような焼き魚で、後でイタリア料理人に聞いたら、たぶんたっぷりのオイルに漬けるようにして焼いたもののようです。カミラはムニエールの魚料理でしたが、いずれも外国で食べる魚料理としてはかなりの味でした。かなりボリュームのある魚の皿と別に、いつものライスとフライドポテトと野菜たっぷりの皿がつきます。パンもつきます。パンは大しておいしくもないし、フライドポテトは油っぽいので私はほとんど食べません。<br /><br />食べ終わった後、彼女へのプレゼントでICレコーダーに録音した八女のホストスクールの先生とホストマザーの声を聴かせてあげます。たまたま一年前、少し興味を持ち、取材させてもらっていたのです。懐かしそうに聞き、時々ケラケラ笑っていました。ホストマザーから預かってきたおみやげも渡し、私からのおみやげとしてハイチュウとイチゴのポッキー、抹茶のクッキー、砂糖菓子などを渡しました。お茶所の八女の近くにホームステイしていただけあって、抹茶クッキーを喜んでくれました。ここは一流レストランでゆっくりできるので、色々な話をしました。カミラも日本語を話したがっているようなのでほとんど日本語で喋りました。途中、少し難しい話の時は英語に切り替えたりしましたが。<br /><br />次にポルターレス宮殿を見物しました。シモンI世が愛妻のために建てさせたというよくあるパターンです。わざわざ全ての材料をフランスやイタリアから取り寄せて作ったようで豪華な建物であり、もちろん内装もフレスコ画などもあり立派です。<br /><br />午後遅くなり、カミラはホストマザーへのお土産を取りに、どこかへおばあさんと会いに行くと言います。その間、私は近くのホテルへ戻り、のんびりしていました。なかなかおばあさんと会えなかったらしく、約束の時間より少し遅くなりましたが、一緒に夕食へ行くために戻って来ました。どこへ連れて行ってくれるのかと期待しましたが、歩いて行ける近くでした。どうも、彼女の学校の近くで時々、昼食に行くところのようです。学校のカフェテリアだけでは飽きるようで、自由に外に出られるのでしょう。<br /><br />かなり質素な庶民的な食堂でした。旅人としては、最初は少し物足りないとも思いましたが、途中でこれもいい体験かと思い直しました。いかにも家族経営の小さなレストランです。薄い牛肉に目玉焼きが乗っていて、白い御飯とフライドポテトと野菜があります。結局、これがボリビアの典型的な食事のようです。予想通り、二人分払ってたった4百円程度の安さでした。こうして、カミラには丸一日付き合ってもらいました。<br /><br />【ラパスへ】<br />翌日、19日コチャバンバからラパスへの移動日です。また、標高3600M以上へ戻りますので、朝からダイアモックスを予防的に内服しています。朝7時45分のフライトで今度はTAM航空、名前のmilitar が少し気になりますが、元々軍隊の関係なのかどうかわかりません。普通の飛行機でした。20分ほど遅れましたが、8時50分には標高4100Mのラパス空港へ着きました。すでに、3回目のラパス空港着です。タクシーに乗り、ホテルまで40分ほどかかりますが、安いのがわかっているので安心です。ホテルはララが推薦していた3つ星、ロザリオを昨夜電話予約しています。まだ時間が早いので、チェックインというより荷物だけ預けようとしたら、部屋に入れるようです。いい部屋でしたが、昨夜確認したはずのバスタブがないので、シャワーだけの部屋から変えてもらいました。一泊たったの5500円です。<br /><br />トイレに関してずっと気になっていました。どうも、使用済みのトイレットペーパーは詰まるので、流してはいけないようなのです。カミラにも一応聞いて確認はしていましたが、このホテルのトイレにははっきり書いています。やはり、備え付けの大きなゴミ箱へ入れないといけないようです。<br /><br />地球の歩き方で調べて、珍しく市内観光二階バスに乗ろうとタクシーでイザベル広場へ行きます。間に合ったはずなのに、バスが来ません。途中で、ホテルで前もって買った切符を持ったブラジル人二人がやって来ます。途中で、近くのおばさんと喋っています。どうも、この日はバスの運行がないようです。よく見ると、それらしきことを書いた紙が貼ってあります。しばらく運行中止のようです。<br /><br />仕方がないので、予定を変更してタクシーに乗り、まずは眺めのいい高い所へ。キリキリ公園へ行きます。次に、ライカコタの丘へ行きます。ここは、小さな子供の遊園地風ですが眺めはよく、のんびりチキンとサラダの食事もしました。地図で方向はわかるので、大通りをブラブラ歩きました。途中で喫茶店にも入ります。半分、目当てのカバン屋を探しますが見当たりません。結局、4〜5時間歩いたようです。徐々に、気分が悪くなりました。軽い高山病です。頭痛と吐き気が少しあります。クスコで歩いて観光して高山病になった時のことを思い出しました。<br /><br />タクシーの運転手と話していると、まだまだ車など日本製品に対する信頼は高いようです。日本人に対しても同様です。わざと中国人はと聞いてみると、中国人はダメだと、ここボリビアでも思われているようでした。<br /><br />午後4時頃からホテルに戻り、少し昼寝をしたら症状はだいぶおさまりました。ダイアモックスを内服しているので、軽くてすんでいるのを自分で体感します。ある程度元気を取り戻し、地元のダンスとケーナなどの音楽を楽しめるレストランを見つけ早目に行くと、一番乗りで真正面の席を取りました。サラダバーがあるのに、スープとオムレツを頼んでしまいました。軽い高山病のせいか、食欲もないのにたくさん頼んでしまいました。こういう時に限って、巨大なスープと巨大なオムレツが来ます。ほとんど食べきれませんでした。ショーは期待通り楽しく、途中でよくあるパターンで、お客さんにどこから来たか聞きます。ブラジル人の一大グループ以外は、私を含め日本人のグループばかりでした。<br /><br />翌朝、実質最終日です。朝はゆっくりします。もちろん、朝食はついています。今日はまず郊外の Valle de la luna (月の谷)へ行くと決めています。タクシーで行っても100ボリビアーノ(1100円)程度のようですが、時間に余裕もあるし、いつものくせでもっと安く行くことを考えます。こういう時に役に立つのが地球の歩き方の詳細な情報で、ミニタクシーの番号と乗り場を参考にしてある広場へ普通のタクシーで行きます。ミニタクシーといいますが、ミニバスと言った方がわかりやすいかもしれません。行先も書いていますが、走って来るバスを認識できません。番号がわかっているので、必死でその番号のバスを待ちます。どうも、日本人らしい若い男性もすぐ近くで同じバスを待っているようです。<br /><br />番号のバスがやって来たので乗り込みます。男性は慎重らしく、メモ紙を見せながらしつこく確認しています。私の前の席で、たったの3.5ボリビアーノ(40円!)支払ったようです。後ろから声を掛けるとやはり日本人でした。それから仲良くなり、一緒に回ろうということになりました。話をしていると、何と彼も昨夜同じレストランにいたようです。ウユニ塩田にも行ったようですが、バスが10時間もかかり、その上途中で脱輪し、荷物を全部降ろし、みんなで持ち上げてようやく復帰したそうです。やはり、飛行機でない陸路は大変なようです。つくづく私はラッキーでした。<br /><br />45分もかかってようやく目的地へ着きました。私も少額とはいえお金を払おうとしましたが、何故か要らないと言われました。「月の谷」は名前通り、月面のような地形で見ごたえがありました。一眼レフのカメラを持っているくらいなので、日本人男性、Iさんは私以上に熱心に写真を撮っていました。<br /><br />帰りがやや不安でしたが、あっさり逆方向へのミニバスがやって来ました。帰りは手前で降りたせいか、たったの2.3ボリビアーノでした。どっちにしろ、こんなに遠くまでやって来て、ただのような値段です。降りた広場でIさんとは別れ、1時過ぎなのでレストランを探しました。昨日から軽い高山病のせいか食欲もあまりなく、軽く中身不明の天然ジュースとスープだけ頼みました。予想通り、スープだけでもかなりボリュームもあります。15ボリビアーノ(170円)なりです。この日は朝から軽い下痢もあります。これも高山病の症状だろうと思います。昨日、歩き過ぎて少し気分が悪くなったので、この日はタクシーでホテルに帰り、まず部屋で休憩です。<br /><br />聞いた方が早いと思い、フロントでカバン屋がないかと聞くと歩いて行けるところにあるようです。普段はお土産も要らないし、ほとんど何も買わない私ですが、今回は物価が安いのを見越し、壊れたカバンの代わりに新しいキャスター付きの旅行用カバンを買おうと決めていました。しばらく探すとようやく何軒かお店を見つけました。希望通りの物が見つかりました。旅慣れた私の意見では、預託荷物用のカバンはとにかく目立つ方がいいです。ありふれた色では間違われます。盗まれることはまずありませんが、間違われることが多いようです。しかも、機内にも持ち込めるギリギリのサイズです。今回は計って来ましたし、巻尺も持って来ました。どうせ中身はどこで買っても中国製です。店員も華僑らしく、不思議なくらい無愛想でしたが、とにかく値段は安く230ボリビアーノ(2500円程度)です。以前、日本では2万円ほどで買ったような気もします。<br /><br />どうせ安いので、Tシャツも1枚買い、アルパカ100%のセーター屋に行き、5千円程度のセーターも買いました。また、当直や学会の時に使う(1〜3泊程度用)カバンもほころびてきたので、ちょうど革製で少しボリビアらしいデザインの刺繍の入ったカバンを見つけました。これも300ボリビアーノ(3300円)と格安です。と言うことで、今回は私としては珍しく色々買い物をしました。ボリビア最後の食事はマスタードソースのステーキ、マッシュルームスープ、野菜サラダで満足しました。<br /><br />今回の旅で気が付いたのは、ここボリビアでも車は何とかトヨタのランドクルーザーはじめ日本車がまだまだ頑張っています。でも、テレビは全て韓国のサムスン製です。ホテルはもちろんです。途中で経由したアメリカの空港でもテレビはほとんど全てサムスン製だったようです。<br /><br />【史上最悪のCA!】<br />普通ならここで旅行記は終わります。後は、乗り継ぎで長いとは言え帰国するだけだからです。でも今回は違います。すごい経験をしました。成田まではIさんと偶然同じ便です。<br /><br />時差があるので、帰りは三日がかりです。21日(土)朝7時5分にラパス空港を出発し、福岡空港には23日(月)の17時35分にしか到着しません。往路と違い、マイアミへは直行便ではなく、第2の都市、サンタクルス経由です。調べると、サンタクルスはボリビアには珍しく標高たったの200Mで、空港周辺もジャングルでした。そこからマイアミまでは隣に女性が座り、窓際の黒人男性との会話が耳に入り、どうも前立腺癌のお父さんを追加治療のためにマイアミの病院へ連れて行くようでした。彼女はオクラホマ州タルサに住んでいるようです。私も以前に行ったことがあるし、実は私は泌尿器科医だと話しかけると喜んでくれ話がはずみました。<br /><br />マイアミ空港では乗り継ぎの時間がゆっくりあり、Iさんと空港内を歩き回って往路でのおいしかったレストランを探し、シュラスコ料理を頼みました。彼もおいしいと言ってくれました。復路はロサンゼルスではなく、ダラスで23時25分に予定通り到着です。私は空港近くのハイアット・リージェンシーホテルを予約しています。円高のおかげもあり、二つもダブルベッドがある立派な部屋でたったの1万円程度でした。Iさんは空港で寝るようでした。<br /><br />そして翌朝、9時頃の成田への便です。ラッキーなことに私は最後から二列目で、最後の列は4席とも空席、私の列は右端の私だけ。その前の列も偶然、Iさんだけが右端、私の前です。もちろん、ゆっくり横になれるのを狙っています。ちょっと嫌な予感がしたのは、すでに最後列にはCAたちが明らかに私物と思われるカバン等を置いて、私物化しています。<br /><br />出発前に、離陸時だけ外を見たいので、空いている窓際の席へ移動します。ところが、その時です。一人の陰険なCAが大声で、席を移動するのなら、後ろ2列目は全て我々の物だと言うのです。そして、どうでもいい紙コップの束などを置こうとします。それで、ちょっと迷いましたが、元の本来の席へ戻りました。でも、悔しいので、離陸の直前に再度移動しました。ところが、鬼のような形相で一度動いたらおしまいだ!お前の席は変更だ!みたいな感じで脅すのです。少し動くのが早過ぎたようです。こうなると、窓際の席はあきらめ意地でも本来の席を死守します。あまりの陰険な雰囲気やCAの異常な様子に、前席のIさんもあきれていました。彼は英語を話せないようですが、異様な雰囲気だけでも十分に伝わったようです。<br /><br />途中で、3席空いているので、何故かテレビを見に白人男性がしばらく横の列にいました。でも、いなくなったし疲れたのでいよいよ横になりました。私の身長だと3席で十分です。でも、左から2番目の席に紙コップの束があるので、それを左端に移動しごろっと横になりました。エコノミークラスでは滅多にないチャンスです。前席のIさんも同様に横になっています。<br /><br />ところが、しばらくすると例の鬼CAがやって来て、重くはなく実害はないとはいえ、紙コップの束を袋ごと私の足へ投げつけるのです。明らかに嫌がらせです。そして捨てゼリフで ”This is for us!”と言うのです。まるで、宣戦布告です。よく考えると、意地悪でこのつまらない陣地争いをしているのはこの特定のCAだけです。他の4〜5人のCAは見て見ぬふりをしているようです。<br /><br />何度も飛行機に乗っている「空飛ぶドクター」の私ですが、こんなに陰険なCAはさすがに初めてです。アメリカン航空です。アメリカの航空会社には慣れていますので、何も日本のCAのようなきめ細かなサービスは求めていません。以前アルバカーキに住んでいたので、LCC(格安航空会社)の草分けである、サウスウェスト航空のホットパンツ姿のCAも経験しています。でも、これはさすがにひどい! 思い出したのは、今回の航空券代22万円程度を振り込んだ日が、ちょうど昨年の11月で、アメリカン航空が経営破綻した日です。日本航空と同じで、潰れても飛行機は飛ぶ確信があったので、迷わず支払ました。こんなひどいCAがいる航空会社なら潰れて当然と妙に納得しました。会社は再建中で1万3千人人員削減の予定だと新聞記事で読みましたから、是非こんな鬼のようなCAからクビにして欲しいものです。<br /><br />こうして今回も最後のすごいハプニングを伴ってボリビア旅行は終わりました。高地で体への負担もあり、最後に壮絶な闘いもありましたが、これも私にとっては「旅の楽しみ」です。私の旅の極意です。ツアーなどでは味わえないハプニングです。これがあるからこそ旅はやめられません。もうすでに、心は次の旅を妄想しています。<br /><br />

ボリビア旅行

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2012/01/13 - 2012/01/23

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空飛ぶドクター

空飛ぶドクターさん

毎回海外旅行は新鮮な印象を色々残しますが、今回の旅は体力的にもきつく、特に強烈でした。いつものように、きっかけは単純です。最近テレビでもよく取り上げられる「ウユニ塩田」を見たかったのです。そして、ついでに間接的な知人もいるので会いに行こうと思いついたのです。首都のラパスがかなりの高地にあるのは知っていましたが・・・・

実はボリビアという国に対して必ずしもいい印象を持っていませんでした。話は私のAFSアメリカ高校留学、40年前にさかのぼります。ニューヨーク州西部の田舎町の高校に留学したのですが、同じ学校に同時期、ロータリー交換留学生としてボリビアからの留学生がいました。同じ立場の留学生同士仲良くなることも多いのですが、何故かあまり話をした記憶がありません。確か、彼女は英語もあまりうまくなかったように思います。中南米からの留学生にしてはあまり明るくもなかったのです。他方、同じ地区にAFSで来ている多くの中南米の連中は底抜けに明るく非常に対照的です。しかも、スペイン語は「ローマ字」読みのような発音で非常に興味を持ちました。意味はわからなくても、音としては聞き取れるのです。私の名前の「サカモト」を聞いて、「サカラモト・・・・」で「車が転んで・・・・」という文章ができると言って騒いでいるような陽気な連中です。

しばらくして、彼女は突然消えました。早期帰国のようです。しばらくして理由がわかりました。何と彼女は妊娠していたのです。道理で明るくなかったのかなと納得しました。留学した時に盛んに言われましたが、国を代表する大使館員のような自覚を持てと。確かに、私にとって最初のボリビア人がそうだったので、あまりいい印象は持ちませんでした。先入観という意味ではやはり影響大です。

【一気にウユニへ】
でも、基本的に底抜けに明るい中南米は大好きです。唯一の欠点は日本の裏側で遠いことです。1月13日(金)昼、福岡を出発した私は、割とスムーズに成田からの午後のアメリカン航空便でまずロサンゼルスへ。時差の関係で、同日朝着きます。ほどよい待ち時間でマイアミ便へ乗り換えます。3時間の時差もあるので、マイアミには午後7時頃着きます。でも、こんな経験は初めてですが、ゲートが空いていなくて1時間近く滑走路で待たされました。でも、次のラパスへの国際線は夜遅くの出発なので乗り換えまで時間はたっぷりあります。

マイアミ空港では、シュラスコ料理(ブラジル風串刺しステーキ)とモロス・ライス(赤飯のような黒い御飯)と温野菜添えを約20ドルで注文、期待通りアメリカにしてはおいしかったです。キューバ人の多いマイアミには、キューバ料理のレストランもいくつかありますが、以前の記憶では大しておいしくなかったので、無難なブラジル肉料理にしました。正解でした。スターバックスでのトール・サイズのコーヒーの値段はたったの2ドル(160円程度)で、日本の340円のほぼ半額です。元々の値段が安いので、同じ日に2杯目のコーヒーを頼んだら100円ポッキリという日本のサービス、One More coffeeは本家アメリカにはありません。ちなみに、以前に確認したのですが、アメリカにもショート・サイズがありますが、メニューには書いていない隠れメニューです。ボリビアは高地で日差しが強そうなので、前もってサングラスを買いました。

今回は全てアメリカン航空ですが、若くて細くてきれいな客室乗務員などにはお目にかかれません。スチュワーデスは、日本ではCA(キャビンアテンダント)と呼ぶことが多いようですが、アメリカではたぶんFA(フライトアテンダント)の呼び方の方が一般的のようです。それはともかく、夜遅くマイアミを出発した飛行機は予定通り翌朝6時にはボリビアの首都、ラパスへ着きました。福岡空港を出てから32時間ほど経過しています。標高4100Mの世界で最高所の空港だそうです。高山病に弱い私は、計算して到着の24時間前から12時間毎にダイアモックス半錠ずつを内服しています。それでも、やはり早速体調は微妙です。お土産を兼ねて持ってきたハイチュウの袋はパンパンに膨張しています。そうです、酸素が薄いだけでなく気圧も低いからです。ラパスの空港ではいつものように、取り敢えず少しだけ現地の通貨、ボリビアーノでキャッシングです。これが一番便利で、手数料も安いと私は思っています。念のため、常に所有している米ドルも少しは持参していますが。

日本で苦労して見つけた、ラパスからウユニへの Amaszonas 航空の08時15分の便にゆっくり間に合います。飛行機が大好きで、ずい分色々な飛行機に乗った私にとっても最小の飛行機でした。もちろん、プロペラ機で、たったの19人乗りです。私を含めて5人が日本人乗客でした。狭い通路をはさみ1列ずつで、天井も背の低い私でもしゃがんでしか歩けません。機体のロゴマークもありません。操縦室にドアもなく、パイロットと副操縦士の二人も丸見えです。もちろん、さすがにCAもいません。予想通り、ものすごく貧相な建物しかないウユニ空港へ1時間足らずで到着です。タクシーなんかは見あたらず、航空会社のバスが待っています。たったの7ボリビアーノ(1ボリビアーノ=約11円強)でウユニの街へ着きます。

この飛行機の存在をインターネットでたまたま見つけたのはラッキーでした。昨年の夏に就航したばかりらしく、しかも人数が限られるので、日本のツアーなどでは10時間以上かけてバスか車でラパスからウユニまで移動するのが普通のようです。当然ながら、飛行機のほうがはるかに楽です。しかも後でわかりましたが、ボリビアの道路事情は貧弱です。ただ往復250米ドル(約2万円)とこちらの物価にしては割高です。でも、これから予定している人には断然飛行機での移動をお勧めします。時間にルーズで有名な南米ですが、私の経験では飛行機はさすがにだいたい時間通り飛ぶようです。

早速、日本で調べてメールでやり取りしていた旅行会社を探し当てますが、何と閉まっています。ちょっと困っていると、回りにはいくつも同じような旅行代理店があります。いくつかは開いているようです。適当に一軒に入って行くと、ちょうど2泊3日のツアーが10時半過ぎ出発でまだ間に合うとのことです。余裕を見て帰りの飛行機は3日後に取っています。値段を聞いてビックリ。たったの900ボリビアーノです。ホテルはボロらしく、念のため寝袋を50ボリビアーノで借ります。途中のコロラダ公園で入園料が150ボリビアーノ必要だそうですが、全部足しても1100ボリビアーノ、1万3千円足らずです。しかも、食事もホテルも付きです。

【ウユニ塩田、礁湖ツアー】
実は、私はツアーの内容が全くわかっていませんでした。何故、ウユニ塩田のツアーに2泊3日も必要なのか?出発してしばらくすると、何の変哲もない「列車の墓」、つまり廃棄された鉱山鉄道に立ち寄ります。そして、時差ボケもありうとうとしているといつの間にか自分にとっての最大の目的地、ウユニ塩田が目の前にあります。4WDトヨタのランドクルーザーで、浅く水の溜まっている塩田の中に入って行きます。

ツアーと言っても、客は6人だけです。イタリア人の中年カップルとリトアニア人の若者3人、そして1人だけの私が助手席です。ガイドの運転手はスペイン語だけですが、私は標高何千何百メートルなどの数字は何とか聞き取れます。時々、ツアーの仲間が英語に訳してくれます。

アドバイスに従い、現地で前もって買っておいたサンダルに履き替え、少し水の溜まった塩田へ降り、写真を撮りまくります。私もここで写真を撮るのが一つの大きな目的です。聞いていた通り、雨季の1月に来たのが正解です。程よく水が溜まり、ちょうど鏡面の写真が撮れます。そして、何枚も撮った写真の中に、天地一体の写真もありました。不思議な写真です。濃い青色の空と地平線(水平線?)の境がなく、何とも言えない素晴らしい写真です。何と言っても、今回の旅のハイライトです。「ウユニ塩田」はスペイン語ではSalar de Uyuni ですが、英語では何と言うのだろうとふと考えました。後で、旅行会社の宣伝を見てわかりました。多くは、Salt flats と言うようです。たまに、Salt field という表現もあります。日本語で、「ウユニ塩湖」と言う人がいますが間違いです。決して湖ではありません。鏡面写真の撮れるベストシーズン、雨季の今でさえ、水量はほんの少しです。歩けるし、車が入って行けるのです。写真で見ると、乾季には水は全くなく、ひび割れた塩の層が見えるだけのようです。従って、ベストシーズンは12月、1月、2月の雨季で、夏です。

この日は、スムーズに飛行機を乗り継いだ分、時差ボケもあり車の中で寝ていました。途中のお土産屋で帽子も買いました。高地の日差しは強烈で、サングラスだけでなく帽子も必需品です。帽子の嫌いな私ですが、帽子なしでは頭がクラクラします。私の体質は高山病に弱く、今回も予防薬、ダイアモックス(一般名アセタゾラミド)でかろうじて、頭痛や吐き気を抑えているのを実感します。今日は標高4千メートル近くです。一般的な高山病の予防法を披露すると、時々深呼吸をします。空気も乾燥しているし、脱水気味になるのでミネラルウォーターなどを一日に1〜2L飲んだほうがいいです。持ち歩くのは重いですが、私は車の助手席なので2Lのペットボトルを買って置いています。少しずつ、ちびちび水分補給が大事です。

安いだけあって、アロータという町でのホテルは予想通りボロです。でも、ネパールのトレッキングでのホテルよりはましです。4人部屋でリトアニアの3人と同室です。夕食は意外とおいしく、ハーブなどの出汁のよく効いたスープとチキン料理です。共同のトイレに水シャワーがありますが、とても寒くて浴びる気にはなりません。高地なので、昼間は帽子が必要なくらい強い日差しで温度も上がるのに、夜はゼロ度近くまで冷え込みます。4人部屋はともかく、暖房などなく寒いので借りてきた寝袋に包まって寝ました。

翌朝は7時半出発です。いよいよラグナ巡りです。Laguna(英語で Lagoon)とは、海の干潟のイメージでしたが、辞書によると「礁湖」と呼ぶようです。どうも少しずつ山を登って行っているようです。途中で奇岩の多い場所で写真休憩です。10時前に最初のラグナ・エディオナダ(標高4125M)へ到着。普通の青い湖に向かい側の山が反射し、フラミンゴが沢山いてなかなかの景色です。フラミンゴは一本足で立つと思っていましたが、ここのフラミンゴは全て二本足で立っていました。お昼はレストランかと思いきや、車の後部に運転手が準備した昼食を広げています。ホテルで準備したのでしょうか?マカロニ風のパスタ、キュウリ、トマトの生野菜、チキンのカツ、デザートにオレンジと意外とおいしいのです。勝手に取り分けて、岩場に腰かけて食べます。ピクニックです。ただ、たぶん高山病の影響で、胃腸の動きも今一つですぐに満腹になります。

車で移動の途中で、イタリア人女性、ララが「ピピ」と言っているのが聞き取れました。最近覚えたばかりのイタリア語単語で「オシッコ」です。イタリア語とスペイン語は似ているのですが、後で調べるとまさに同じ単語を使うようです。さすがイタリア人女性で、車のかげで用を足していました。

聞いていた通り、各人150ボリビアーノを払って、ラグナ・コロラダのある公園へ入ります。この奥にホテルがあり、早くも3時過ぎには着きました。チェックインしてから、みんなで車に乗り敷地内のラグナ見物です。ここは湖の微生物の関係らしく、湖の色が茶色です。ここにもフラミンゴはいます。

今日のホテルは昨日よりもっとボロです。6人部屋で女性のララも同室です。それはともかく、食事が最悪でした。昨日と同じようなスープが出ましたが、少し味が落ちます。極めつけがスパゲッティです。まず、延びたような麺だけが運ばれてきます。まさかと思ったら、しばらくしてようやくソースがやって来ます。「トマトソース」もどきです。中南米独特のサルサソース風(小さく刻んだトマト、玉ねぎなど)ですが、辛くもありません。仕方がないので、塩とこしょうを少しかけますが、当然おいしくはありません。見た瞬間から私はあきらめていました。幸い、あまり食欲もありません。

ララはちょうど昨年私が訪問した北イタリア、アオスタ(アルプス地方)出身です。昨年のイタリア旅行が13回目の私とは話があいます。色々、ローカルな話もできます。私のイタリア語はまだまだで、単語を混ぜる程度で基本的には英語で喋ります。ララはすでに英語にもなっている有名な「Mamma Mia!」と嘆きます。私は「まぁ、まぁ」となだめていました。隣のテーブルを覗くと、韓国人の若い女の子2人がこのスパゲッティをお代わりまでしてばくばく食べています。若さのなせる技か、韓国人だからなのかわかりません。

確認を込めて、イタリア本国ではスパゲッティを食べるのにスプーンを使ってくるくる回したりしないですねと聞くと、そんなみっともないことはしないと断言します。日本で誰かに聞いた、幼児だけは使うのかと聞くとこれも否定します。食べやすいように、カットしてあげてショートパスタにすることだけはあるようです。それを横で聞いていたツアー仲間のリトアニア人の一人が、ビックリして「知らなかった。リトアニアでも、みんなスプーンを使って巻き取って食べる」と言っていました。実際にやるとわかりますが、端っこから少なめにからませれば、スプーンなんか使わなくてもフォークだけでスパゲッティをうまく巻き取れます。

やはり、アメリカナイズされたイタリア料理が世界に広まっているのでしょうか?ピザにかけるタバスコなども本国イタリアでは絶対にありません。ちなみに、タバスコのメーカーはアメリカのマキルヘニーという会社です。最近知ったカプチーノはイタリアではほとんど朝食時だけということも確認すると、二人で若干意見が違い、ララは朝食だけと言い、パートナーのレンツォは午前中だけと言います。いずれにせよ、午後や夕食時にはカプチーノは飲まないようです。

翌朝は早いし、することもないし、電源もない(最低限の自家発電?)ようなボロホテルなので、9時前には寝ました。薄暗いロビーというよりは廊下みたいなスペースのテーブルでヨーロッパ人たちが酒盛りをしています。彼らは驚異的です。高地にもめげず、体にこたえるはずのアルコールを平気で飲んでいます。日本人にはとてもお勧めできません。気圧が低いので、飛行機内と同じで悪酔いします。アルコールに関しては強さのレベルが違います。

ロシア人もいるようで、リトアニアの三人もロシア語で喋っているようです。リトアニアはソビエト連邦から独立した国ですが、本来リトアニア語は全くロシア語と違うそうです。たまたま、同行の三人は親の関係らしくロシア語が話せるのだそうです。

ちょっと横着して、寝袋を開けずに服を着たまま寝ました。そのせいか、夜中は結構寒かったです。困ったのは、夜中にトイレへ行くと、途中で薄暗いなりについていた電気が突然、完全に消えました。真っ暗です。用を足すぶんは何とかなったのですが、問題は帰りです。いくつかある部屋がどれかわからないのです。こんなホテルで大部屋のせいか、どの部屋も鍵がかかってないので、却って自分の部屋との区別がつきません。仕方がないので、適当にドアを開けて手探りで部屋の状況を調べると、どうもドアの開き方が反対側です。自分のコンタクトレンズ道具を置いているのを思い出し探るとありません。それで、部屋が違うことを確認し、隣の部屋を試します。ようやく、自分の部屋に戻りましたが、ベッドが6人分あるので、他の人を起こさないように細心の注意で、何とか自分のベッドに滑り込みました。若いころは特に色々な安ホテルを経験しましたが、電気も消え真っ暗なのは初体験です。

3日目、最終日は4時過ぎに運転手が起こしに来ます。もちろん、まだ真っ暗だし寒いです。ずっと鏡もないので、何とか鏡なしでコンタクトレンズを付けます。早過ぎて朝食なしで5時過ぎには出発です。ずっと山沿いに走りますが、チリとの国境だそうです。温泉の豊富な別府に住んだこともある私は感動しませんが、蒸気が吹き上げるところを見物し、それから本当に野外の礁湖(ラグナ・ブランコ(白い礁湖))のそばの温泉にも立ち寄ります。指を突っ込んで湯加減を確認するとちょうどいいのですが、何せまだ朝6時半、周りはゼロ度近くの寒さ、水着も準備していないし、それより上がった後のバスタオルもありません。しかも、日本で言えば着替え室の小屋は鍵がかかっているらしく、みんな外で体を拭いて着替えています。さすがに、私は入浴する気は全くありません。この近くの建物で、運転手の準備した質素な朝食です。この温泉の標高を知りたくて、リトアニア人が持っているスマートフォンのアプリで計測してもらうと4200Mです。たぶん、世界で一番高いところにある温泉でしょう。

それからもどんどん標高の高い所へ行き、4900Mまで記録しました。もちろん、私にとっては最高記録です。ダイアモックスのおかげで何とか高山病にもならずに、こんな高い所へ無事にやって来ました。目玉のラグナ・ヴェルデ(緑色の礁湖)へ着きます(4400M)。名前通り、完全ではありませんが、湖の一部は緑がかった色をしています。向かい側にはリカンカブイ火山(5960M)と言う富士山のようなきれいな山があり、湖に反射してきれいです。

しばらく走ると、いよいよ本当のチリとの国境へ着きます。リトアニア人3人はここでバスに乗り換えチリへ行くようです。あまりにのどかな国境です。看守も誰もいません。つまり、いくらでも不法侵入ができます。左端に小屋があり、入国審査場のようです。右端にチリの街へ行くバスが待っています。せっかくですから、歩いて国境を越え、チリ共和国の看板の所まで行って記念写真を撮りました。3人減ったわけですが、代わりに男性一人と子供らしい小さな男の子が乗ってきました。こういう国ではよくあることです。たぶん、仕事なのに私物化して知り合いを乗せているのです。

先ほどの温泉の方へ戻って行きます。いよいよ一気にウユニの街へ帰るようです。途中で、奇岩のあるリャマのいるのどかな村に立ち寄り、初めてちゃんと家の中で昼食を食べさせてもらえました。それからは、延々とあまり見るものもない道路、しかも途中までほとんど舗装もされていません、を走るのみでうとうとしていました。途中で、以前住んでいたアメリカ、ニューメキシコ州の砂漠地帯の地平線を思い出しました。朝あんなに早く出発したのに、ようやく夕方5時半過ぎにウユニの街へ帰って来ました。この経験からも、ラパスからウユニまで車で10時間の移動、しかも往復、はきついだろうと想像します。

ここで、少し高山病についてまとめてみます。まず、当然の如く、予防薬としてのダイアモックスは有効です。副作用に関しては以前と全く同じで、時々軽い両手の手先に軽いピリピリ感が出ました。少し不快ですが、痛くはありません。しかも一過性です。少し利尿がついて尿量が増え、軽い頻尿になることもありました。この程度です。

末梢血酸素飽和度(SPO2)を計るパルスオキシメーターについてもまとめます。これは、一部の旅行会社が使っているようですが、解釈が難しいです。今回の経験で分かったのは、まず私自身の体験でSPO2は高地では75〜80%まで下がるということです。参考までに書くと、平地であれば正常値は95%以上です。90%程度でも、酸素吸入が必要なレベルです。ですから、明らかに体は悲鳴を上げています。でも、ダイアモックスのおかげで高山病は予防できています。高山病が軽度の場合は、山酔いと言って頭痛や嘔吐が主な症状です。

旅仲間のリトアニア人3人に計らせてもらうと、一人は驚異的で94%とほぼ正常値です。でも、残りの二人はやはり85%程度でした。でも、元気いっぱいです。一番面白いと思ったのは、運転手で現地に住んでいる人で、もちろん高地に適応しているはずです。計らせてもらうと、何と88%しかありません。つまり、体内の酸素の飽和度は必ずしも高山病とは比例しないということです。一般的に高地では酸素が少ないことだけが問題視されますが、私の持論では、それ以上に気圧が低いということが影響していると思われます。

脈拍も参考になります。私自身、高地では常に140くらいあります。平地で言えば、かなりの運動時レベルです。それだけ、体には負担がかかっているのが自覚できます。

ツアーでのぼろホテルの後ですから、ウユニ塩田を間近に見る少し高級なホテルに行って宿泊しようとしましたが、タクシーはそんなに遠くへは行かないと断られ(物価が安いので、行ってくれれば大した金額ではないはず)、仕方がないので、近くのホテルにしました。せめてシャワーはありそうです。80ボリビアーノというので暗算すると、約9千円(?)、意外と高いなと勘違いしかけましたが、よく考えると一桁間違えて、たったの9百円でした。とにかく、有難いことにボリビアは物価が安いのです。聞いた話によると、隣のチリは結構物価は高いそうです。

今回、何故か携帯電話がつながらないので、少し苦労しましたが、ここボリビアには多くの電話会社エンテルの店があって、後払いの電話で小銭が要らないので結構便利です。コチャバンバで会う予定のカミラヘ電話をします。ついでに、コチャバンバのホテルも電話予約します。「地球の歩き方」のおかげで、たくさんのホテルの情報があります。今回は前もって日本からのホテル予約は一切していません。日本に帰ってわかったのは、何と半年ほど前に買い替えた携帯電話が世界に対応していなく、肝心のアメリカ大陸では使えないのでした。うかつでした。今まで、世界中でつながっていたのにこんな経験は初めてです。経由地のアメリカでさえ電波が拾えていないので変だとは感じていました。

疲れていてあまり食欲もないのですが、レストランを探します。午前中はたくさんあるように思えたのですが、夜は閉まっている店も多く、あまり選びようもありません。意外と、ピザやスパゲッティのレストランが多いですが、イタリア通の私は外国でこれらを食べようとは思いません。でも、大した店はなさそうで、適当に妥協して入ります。スープと野菜サラダを頼みました。相席で、若い二人の女性がやって来ました。少し聞いていると明らかにフランス語で喋っています。フランスから来たのかと尋ねると、やはりツールーズからやって来たと言います。一人は看護師でもう一人は理学療法士です。同業者です。もう半年以上旅行しているそうです。いくらフランスでもそんなに長くは休みが取れないだろうと聞くと、仕事を辞めて来たそうです。職業柄、帰ればいつでも仕事が見つかるので心配ないそうです。日本と同じだと思いました。

【コチャバンバへ】
17日(火)は移動日です。ウユニからラパスへの午前の便は予約済みです。またあの小さな飛行機です。今度は最前列で、ドアもないコックピットのパイロットと副操縦士が丸見えです。ギリギリの時間になって、来る時一緒だった日本人の女性が乗り込んで来ます。空いた席へ座ります。後で聞くと、ギリギリになって搭乗券ももらわずに強引に乗れたようです。さすがに融通がきくのでしょう。

予定通り、午前10時半過ぎにはラパスの空港へ着きます。でも、日本では調べきれずにラパス〜コチャバンバの飛行機は取れていません。最悪、長距離バスで7時間もあれば着くはずで、夜までには着くはずです。日本から到着時に気が付いていた空港内の旅行会社へ直行します。珍しく、旅行会社なのに二人とも従業員は英語が喋れません。でも、航空券を買うだけなので片言のスペイン語と大事な時間帯は紙に書いて、何とか希望通りの直行便が取れました。少し待たなければなりませんが、16時20分発のBOA便で、帰りは2日後の午前7時45分のTAM便です。往復たったの663ボリビアーノ(約7400円)です。

安いけど、今度はまともな飛行機で、たった40分程度のフライトなのに若くてきれいなCAが飲み物とスナック菓子まで運んでくれます。コチャバンバ空港は街に近く、有名な丘の上のキリスト像も遠くから見えます。昨日、私にしては珍しく5つ星のホテルを予約しています。スペインの影響の強い南米らしく、パテオ(中庭)のある超豪華なホテルです。部屋も広いし、バスタブもあります。もちろん、日本を出て6日ぶりにインターネットにアクセスもできます。

久しぶりにメールを開くと、以下のようなとんでもないメールが入っていました。


*****************************
東京某区で開業医をしています。
うちのクリニックの受付の女性が、
先日ヒマラヤ地方へ出かけました。
貴方のサイトをみて、高山病の予防のため、
ダイアモクスを処方してほしいと頼まれましたが、
断りました。
私の母が急死して、クリニックを休診にしているうちに、
無断で薬の問屋に、
ダイアモックスを注文して、
1箱丸ごと持って行ってしまいました。
昨日そのことに気がつき、
当人や、登山の他のメンバーにも薬を回して、
重大な副作用が出現したりしないかと大変心配しています。
貴方のサイトを改めて読んでみると、
一般の方が読むと、とても安全で副作用もわずかで安全な薬だと
思う内容だと思います。 
薬の管理が不十分であった、こちらに非がありますが、
安易な貴方の記述には、大変憤りを感じています。
今からでも間に合うかもしれません。
何か当地の彼女に助言できることがあればと思います。
ご意見、反論あれば、メール下さい。

某クリニック
*****************************


私自身が、予防薬、ダイアモックスのおかげで何とか4900Mもの高地まで対応できたと感謝・感激していた最中なので、何だ、このメールは!?と憤慨すると同時に呆れ果ててしまいました。

まず、この人物は卑怯ですね。人を非難するような文章を書くのに匿名です。メールのアドレス付記で、女医ということは想像できます。堂々と、本名や履歴まで書いて特定できるように書いている私のウェブサイトですが、彼女は匿名です!

こんな不勉強な開業医がいるから、日本ではなかなか正しい知識が普及しないのでしょう。自分が知らないなら、少し調べれば、私が書いていることが医学の常識、世界の常識だということはすぐにわかるはずです。

勝手に副作用を心配して騒いでいますが、高山病の予防には半錠ずつの1日2回内服、つまり一日たったの1錠です。ちなみに、この薬は保険適応のある緑内障の場合、1日4錠までになっています。(誤解が多い理由の一つが、日本の保険適応では高山病は適応外で、でもバイアグラのように自費扱いで医師の処方箋が必要です)。いずれにせよ、この薬は医者なら誰でも聞いたことがあるはずで、かなり昔からある薬で安全性も確立されています。素人じゃあるまいし、副作用の可能性で大騒ぎするのはバカ丸出しです。

但し、軽い一時的な副作用はあります。時に利尿作用で尿量が増えることにより、軽い頻尿になります。また、両手が少しピリピリするしびれがくることもよくありますが、あくまでも一過性で、大した副作用ではありません。「神経炎」という病名を見て、大変な副作用だと勘違いする人がいますが、あくまでも一時的な軽い副作用です。 

そして、自分の不勉強を棚に上げて、「安易な記述」と私を批判しています。お門違いです。

医者でさえこんな人間がいるから、素人の間で噂レベルのくだらない誤った情報が飛び交っているのでしょう。旅行業界の無責任体質もありますが・・・・  あまり表ざたにはなっていませんが、私が調べた範囲だけでも、高山病で死者まで相当数出ています。医学的には、重症になると高地肺水腫、高地脳浮腫と言い、死に至る病気なのです。もちろん、多くの場合は頭痛や嘔吐、下痢程度ですが。

2600Mのコチャバンバはやはり相対的にずいぶん楽で、食欲もあります。少し迷いましたが、SPO2も90%近くあるし、脈拍も久しぶりに100程度なので、ダイアモックスは飲みませんでした。ホテルのフロントでいいレストランを紹介してくれと聞くと、すぐ近くに市内でも有名な Casa de Campo という大きなレストランがありました。物価の安いボリビアなので、ここでは5つ星のホテル、グラン・ホテル・コチャバンバへ2泊しましたが、たったの8千円(一泊)でした。レストランは地元の人で賑わっているようです。ステーキ料理を頼みましたが、ワン・プレートで白い御飯とフライドポテトと野菜(トマト、ニンジン、インゲン豆)と一緒にステーキが来ます。ステーキの上には目玉焼きがのっています。別に、パンも来ます。やや炭水化物が多いですが、全部食べる必要はないので、栄養学的にもバランスが取れています。必ずたくさんの野菜がついてくるようです。

翌朝、カミラは約束通り9時にホテルへ迎えに来てくれました。時間にルーズで有名な中南米ですが、日本に留学経験のあるせいかどうか、それとも個人的な資質なのかわかりません。取り敢えず、眺めがいいはずのキリスト像のある丘へタクシーで行きました。まだ時間が早過ぎて、麓からのケーブルカーは動いていません。それで、再びタクシーに乗り、上まで登りました。行ったことのあるブラジル、リオデジャネイロのコルコバードの丘を思い出しました。でも、ここコチャバンバのキリスト像の方が大きいそうです。

高いところから俯瞰すると、この町はコンパクトで、空港も近くにあります。帰り(下り)は景色を楽しみながらケーブルカーで降りました。次に、カテドラール(町一番の教会)へ行きます。スペインの影響の強い南米ですから当然ですが、ヨーロッパと同じであちこちに教会(たぶん、ほとんどがカトリック教会)があり、一番な立派なのをカテドラールと呼ぶようです。教会の前は広場です。本来なら、豪華な教会内部を見学できるのですが、ちょうどデモをやっており混乱を心配して中に入れませんでした。カミラに何のデモか聞くと、よくわからないけどしょっちゅうデモがあるそうです。

次に、サンタ・テレサ寺院へ行きます。ここで、カミラの友達にまた会います。もう三人目です。さすが、彼女の地元です。私のホテルに近い彼女の学校へ行きます。今は春休みだそうです。彼女は順調に行けば、6月頃から大学生だそうです。中へ入るとカフェテリア(食堂)があり、銅像があります。何と、彼女のおじいさんでこの学校の創始者だそうです。それで、現在は彼女のお父さんが校長先生だそうです。

カミラはきれいな娘さんですが、ボリビアには珍しい白人です。聞くと、スペイン、アルゼンチン、ドイツなどの血が混ざっているようです。調べると、私の印象通り、ボリビアは中南米の中でも現地のインディオとの混血が多く、スペインを中心とした白人は15%程度しかいないようです。

その後、結局昼食は昨夜と同じカサ・デ・カンポに行きました。有名なレストランらしくカミラも知っていました。この日は、魚料理を頼んでみました。もちろん、海のないボリビアですから淡水魚です。食べやすく切り身もあるようですが、私は写真も撮りたいし、丸ごとどんな料理か見たいので、そのまま注文しました。焼いたような、揚げたような焼き魚で、後でイタリア料理人に聞いたら、たぶんたっぷりのオイルに漬けるようにして焼いたもののようです。カミラはムニエールの魚料理でしたが、いずれも外国で食べる魚料理としてはかなりの味でした。かなりボリュームのある魚の皿と別に、いつものライスとフライドポテトと野菜たっぷりの皿がつきます。パンもつきます。パンは大しておいしくもないし、フライドポテトは油っぽいので私はほとんど食べません。

食べ終わった後、彼女へのプレゼントでICレコーダーに録音した八女のホストスクールの先生とホストマザーの声を聴かせてあげます。たまたま一年前、少し興味を持ち、取材させてもらっていたのです。懐かしそうに聞き、時々ケラケラ笑っていました。ホストマザーから預かってきたおみやげも渡し、私からのおみやげとしてハイチュウとイチゴのポッキー、抹茶のクッキー、砂糖菓子などを渡しました。お茶所の八女の近くにホームステイしていただけあって、抹茶クッキーを喜んでくれました。ここは一流レストランでゆっくりできるので、色々な話をしました。カミラも日本語を話したがっているようなのでほとんど日本語で喋りました。途中、少し難しい話の時は英語に切り替えたりしましたが。

次にポルターレス宮殿を見物しました。シモンI世が愛妻のために建てさせたというよくあるパターンです。わざわざ全ての材料をフランスやイタリアから取り寄せて作ったようで豪華な建物であり、もちろん内装もフレスコ画などもあり立派です。

午後遅くなり、カミラはホストマザーへのお土産を取りに、どこかへおばあさんと会いに行くと言います。その間、私は近くのホテルへ戻り、のんびりしていました。なかなかおばあさんと会えなかったらしく、約束の時間より少し遅くなりましたが、一緒に夕食へ行くために戻って来ました。どこへ連れて行ってくれるのかと期待しましたが、歩いて行ける近くでした。どうも、彼女の学校の近くで時々、昼食に行くところのようです。学校のカフェテリアだけでは飽きるようで、自由に外に出られるのでしょう。

かなり質素な庶民的な食堂でした。旅人としては、最初は少し物足りないとも思いましたが、途中でこれもいい体験かと思い直しました。いかにも家族経営の小さなレストランです。薄い牛肉に目玉焼きが乗っていて、白い御飯とフライドポテトと野菜があります。結局、これがボリビアの典型的な食事のようです。予想通り、二人分払ってたった4百円程度の安さでした。こうして、カミラには丸一日付き合ってもらいました。

【ラパスへ】
翌日、19日コチャバンバからラパスへの移動日です。また、標高3600M以上へ戻りますので、朝からダイアモックスを予防的に内服しています。朝7時45分のフライトで今度はTAM航空、名前のmilitar が少し気になりますが、元々軍隊の関係なのかどうかわかりません。普通の飛行機でした。20分ほど遅れましたが、8時50分には標高4100Mのラパス空港へ着きました。すでに、3回目のラパス空港着です。タクシーに乗り、ホテルまで40分ほどかかりますが、安いのがわかっているので安心です。ホテルはララが推薦していた3つ星、ロザリオを昨夜電話予約しています。まだ時間が早いので、チェックインというより荷物だけ預けようとしたら、部屋に入れるようです。いい部屋でしたが、昨夜確認したはずのバスタブがないので、シャワーだけの部屋から変えてもらいました。一泊たったの5500円です。

トイレに関してずっと気になっていました。どうも、使用済みのトイレットペーパーは詰まるので、流してはいけないようなのです。カミラにも一応聞いて確認はしていましたが、このホテルのトイレにははっきり書いています。やはり、備え付けの大きなゴミ箱へ入れないといけないようです。

地球の歩き方で調べて、珍しく市内観光二階バスに乗ろうとタクシーでイザベル広場へ行きます。間に合ったはずなのに、バスが来ません。途中で、ホテルで前もって買った切符を持ったブラジル人二人がやって来ます。途中で、近くのおばさんと喋っています。どうも、この日はバスの運行がないようです。よく見ると、それらしきことを書いた紙が貼ってあります。しばらく運行中止のようです。

仕方がないので、予定を変更してタクシーに乗り、まずは眺めのいい高い所へ。キリキリ公園へ行きます。次に、ライカコタの丘へ行きます。ここは、小さな子供の遊園地風ですが眺めはよく、のんびりチキンとサラダの食事もしました。地図で方向はわかるので、大通りをブラブラ歩きました。途中で喫茶店にも入ります。半分、目当てのカバン屋を探しますが見当たりません。結局、4〜5時間歩いたようです。徐々に、気分が悪くなりました。軽い高山病です。頭痛と吐き気が少しあります。クスコで歩いて観光して高山病になった時のことを思い出しました。

タクシーの運転手と話していると、まだまだ車など日本製品に対する信頼は高いようです。日本人に対しても同様です。わざと中国人はと聞いてみると、中国人はダメだと、ここボリビアでも思われているようでした。

午後4時頃からホテルに戻り、少し昼寝をしたら症状はだいぶおさまりました。ダイアモックスを内服しているので、軽くてすんでいるのを自分で体感します。ある程度元気を取り戻し、地元のダンスとケーナなどの音楽を楽しめるレストランを見つけ早目に行くと、一番乗りで真正面の席を取りました。サラダバーがあるのに、スープとオムレツを頼んでしまいました。軽い高山病のせいか、食欲もないのにたくさん頼んでしまいました。こういう時に限って、巨大なスープと巨大なオムレツが来ます。ほとんど食べきれませんでした。ショーは期待通り楽しく、途中でよくあるパターンで、お客さんにどこから来たか聞きます。ブラジル人の一大グループ以外は、私を含め日本人のグループばかりでした。

翌朝、実質最終日です。朝はゆっくりします。もちろん、朝食はついています。今日はまず郊外の Valle de la luna (月の谷)へ行くと決めています。タクシーで行っても100ボリビアーノ(1100円)程度のようですが、時間に余裕もあるし、いつものくせでもっと安く行くことを考えます。こういう時に役に立つのが地球の歩き方の詳細な情報で、ミニタクシーの番号と乗り場を参考にしてある広場へ普通のタクシーで行きます。ミニタクシーといいますが、ミニバスと言った方がわかりやすいかもしれません。行先も書いていますが、走って来るバスを認識できません。番号がわかっているので、必死でその番号のバスを待ちます。どうも、日本人らしい若い男性もすぐ近くで同じバスを待っているようです。

番号のバスがやって来たので乗り込みます。男性は慎重らしく、メモ紙を見せながらしつこく確認しています。私の前の席で、たったの3.5ボリビアーノ(40円!)支払ったようです。後ろから声を掛けるとやはり日本人でした。それから仲良くなり、一緒に回ろうということになりました。話をしていると、何と彼も昨夜同じレストランにいたようです。ウユニ塩田にも行ったようですが、バスが10時間もかかり、その上途中で脱輪し、荷物を全部降ろし、みんなで持ち上げてようやく復帰したそうです。やはり、飛行機でない陸路は大変なようです。つくづく私はラッキーでした。

45分もかかってようやく目的地へ着きました。私も少額とはいえお金を払おうとしましたが、何故か要らないと言われました。「月の谷」は名前通り、月面のような地形で見ごたえがありました。一眼レフのカメラを持っているくらいなので、日本人男性、Iさんは私以上に熱心に写真を撮っていました。

帰りがやや不安でしたが、あっさり逆方向へのミニバスがやって来ました。帰りは手前で降りたせいか、たったの2.3ボリビアーノでした。どっちにしろ、こんなに遠くまでやって来て、ただのような値段です。降りた広場でIさんとは別れ、1時過ぎなのでレストランを探しました。昨日から軽い高山病のせいか食欲もあまりなく、軽く中身不明の天然ジュースとスープだけ頼みました。予想通り、スープだけでもかなりボリュームもあります。15ボリビアーノ(170円)なりです。この日は朝から軽い下痢もあります。これも高山病の症状だろうと思います。昨日、歩き過ぎて少し気分が悪くなったので、この日はタクシーでホテルに帰り、まず部屋で休憩です。

聞いた方が早いと思い、フロントでカバン屋がないかと聞くと歩いて行けるところにあるようです。普段はお土産も要らないし、ほとんど何も買わない私ですが、今回は物価が安いのを見越し、壊れたカバンの代わりに新しいキャスター付きの旅行用カバンを買おうと決めていました。しばらく探すとようやく何軒かお店を見つけました。希望通りの物が見つかりました。旅慣れた私の意見では、預託荷物用のカバンはとにかく目立つ方がいいです。ありふれた色では間違われます。盗まれることはまずありませんが、間違われることが多いようです。しかも、機内にも持ち込めるギリギリのサイズです。今回は計って来ましたし、巻尺も持って来ました。どうせ中身はどこで買っても中国製です。店員も華僑らしく、不思議なくらい無愛想でしたが、とにかく値段は安く230ボリビアーノ(2500円程度)です。以前、日本では2万円ほどで買ったような気もします。

どうせ安いので、Tシャツも1枚買い、アルパカ100%のセーター屋に行き、5千円程度のセーターも買いました。また、当直や学会の時に使う(1〜3泊程度用)カバンもほころびてきたので、ちょうど革製で少しボリビアらしいデザインの刺繍の入ったカバンを見つけました。これも300ボリビアーノ(3300円)と格安です。と言うことで、今回は私としては珍しく色々買い物をしました。ボリビア最後の食事はマスタードソースのステーキ、マッシュルームスープ、野菜サラダで満足しました。

今回の旅で気が付いたのは、ここボリビアでも車は何とかトヨタのランドクルーザーはじめ日本車がまだまだ頑張っています。でも、テレビは全て韓国のサムスン製です。ホテルはもちろんです。途中で経由したアメリカの空港でもテレビはほとんど全てサムスン製だったようです。

【史上最悪のCA!】
普通ならここで旅行記は終わります。後は、乗り継ぎで長いとは言え帰国するだけだからです。でも今回は違います。すごい経験をしました。成田まではIさんと偶然同じ便です。

時差があるので、帰りは三日がかりです。21日(土)朝7時5分にラパス空港を出発し、福岡空港には23日(月)の17時35分にしか到着しません。往路と違い、マイアミへは直行便ではなく、第2の都市、サンタクルス経由です。調べると、サンタクルスはボリビアには珍しく標高たったの200Mで、空港周辺もジャングルでした。そこからマイアミまでは隣に女性が座り、窓際の黒人男性との会話が耳に入り、どうも前立腺癌のお父さんを追加治療のためにマイアミの病院へ連れて行くようでした。彼女はオクラホマ州タルサに住んでいるようです。私も以前に行ったことがあるし、実は私は泌尿器科医だと話しかけると喜んでくれ話がはずみました。

マイアミ空港では乗り継ぎの時間がゆっくりあり、Iさんと空港内を歩き回って往路でのおいしかったレストランを探し、シュラスコ料理を頼みました。彼もおいしいと言ってくれました。復路はロサンゼルスではなく、ダラスで23時25分に予定通り到着です。私は空港近くのハイアット・リージェンシーホテルを予約しています。円高のおかげもあり、二つもダブルベッドがある立派な部屋でたったの1万円程度でした。Iさんは空港で寝るようでした。

そして翌朝、9時頃の成田への便です。ラッキーなことに私は最後から二列目で、最後の列は4席とも空席、私の列は右端の私だけ。その前の列も偶然、Iさんだけが右端、私の前です。もちろん、ゆっくり横になれるのを狙っています。ちょっと嫌な予感がしたのは、すでに最後列にはCAたちが明らかに私物と思われるカバン等を置いて、私物化しています。

出発前に、離陸時だけ外を見たいので、空いている窓際の席へ移動します。ところが、その時です。一人の陰険なCAが大声で、席を移動するのなら、後ろ2列目は全て我々の物だと言うのです。そして、どうでもいい紙コップの束などを置こうとします。それで、ちょっと迷いましたが、元の本来の席へ戻りました。でも、悔しいので、離陸の直前に再度移動しました。ところが、鬼のような形相で一度動いたらおしまいだ!お前の席は変更だ!みたいな感じで脅すのです。少し動くのが早過ぎたようです。こうなると、窓際の席はあきらめ意地でも本来の席を死守します。あまりの陰険な雰囲気やCAの異常な様子に、前席のIさんもあきれていました。彼は英語を話せないようですが、異様な雰囲気だけでも十分に伝わったようです。

途中で、3席空いているので、何故かテレビを見に白人男性がしばらく横の列にいました。でも、いなくなったし疲れたのでいよいよ横になりました。私の身長だと3席で十分です。でも、左から2番目の席に紙コップの束があるので、それを左端に移動しごろっと横になりました。エコノミークラスでは滅多にないチャンスです。前席のIさんも同様に横になっています。

ところが、しばらくすると例の鬼CAがやって来て、重くはなく実害はないとはいえ、紙コップの束を袋ごと私の足へ投げつけるのです。明らかに嫌がらせです。そして捨てゼリフで ”This is for us!”と言うのです。まるで、宣戦布告です。よく考えると、意地悪でこのつまらない陣地争いをしているのはこの特定のCAだけです。他の4〜5人のCAは見て見ぬふりをしているようです。

何度も飛行機に乗っている「空飛ぶドクター」の私ですが、こんなに陰険なCAはさすがに初めてです。アメリカン航空です。アメリカの航空会社には慣れていますので、何も日本のCAのようなきめ細かなサービスは求めていません。以前アルバカーキに住んでいたので、LCC(格安航空会社)の草分けである、サウスウェスト航空のホットパンツ姿のCAも経験しています。でも、これはさすがにひどい! 思い出したのは、今回の航空券代22万円程度を振り込んだ日が、ちょうど昨年の11月で、アメリカン航空が経営破綻した日です。日本航空と同じで、潰れても飛行機は飛ぶ確信があったので、迷わず支払ました。こんなひどいCAがいる航空会社なら潰れて当然と妙に納得しました。会社は再建中で1万3千人人員削減の予定だと新聞記事で読みましたから、是非こんな鬼のようなCAからクビにして欲しいものです。

こうして今回も最後のすごいハプニングを伴ってボリビア旅行は終わりました。高地で体への負担もあり、最後に壮絶な闘いもありましたが、これも私にとっては「旅の楽しみ」です。私の旅の極意です。ツアーなどでは味わえないハプニングです。これがあるからこそ旅はやめられません。もうすでに、心は次の旅を妄想しています。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
5.0
交通
3.0
同行者
一人旅
交通手段
観光バス タクシー 飛行機
航空会社
アメリカン航空
旅行の手配内容
個別手配

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  • シュラスコ<br />マイアミ空港

    シュラスコ
    マイアミ空港

  • 平地でのハイチュウ

    平地でのハイチュウ

  • ラパスでのハイチュウ(膨張している)

    ラパスでのハイチュウ(膨張している)

  • 空からのラパス<br />回りには雪山が

    空からのラパス
    回りには雪山が

  • 19人乗り飛行機<br />ラパス〜ウユニ

    19人乗り飛行機
    ラパス〜ウユニ

  • 1列ずつの狭い機内

    1列ずつの狭い機内

  • ウユニ空港ターミナル

    ウユニ空港ターミナル

  • ウユニの街並み

    ウユニの街並み

  • ウユニ、ウユニ塩田の周辺地図

    ウユニ、ウユニ塩田の周辺地図

  • 青い空と廃線路

    青い空と廃線路

  • 室内は全て塩でできている

    室内は全て塩でできている

  • ウユニ塩田周辺

    ウユニ塩田周辺

  • ウユニ塩田<br />車

    ウユニ塩田

  • ウユニ塩田<br />鏡面像

    ウユニ塩田
    鏡面像

  • トリック写真

    トリック写真

  • ウユニ塩田

    ウユニ塩田

  • ウユニ塩田

    ウユニ塩田

  • ウユニ塩田<br />天空一体

    ウユニ塩田
    天空一体

  • ウユニ塩田<br />足も塩だらけ

    ウユニ塩田
    足も塩だらけ

  • 標高4千メートル

    標高4千メートル

  • 奇岩

    奇岩

  • ラグナ(礁湖)

    ラグナ(礁湖)

  • ラグナ

    ラグナ

  • 昼食(ピクニック)

    昼食(ピクニック)

  • 奇岩と山

    奇岩と山

  • ラグナ・コロラダ<br />茶色い礁湖

    ラグナ・コロラダ
    茶色い礁湖

  • 看板

    看板

  • ラグナ・コロラダ

    ラグナ・コロラダ

  • 高地の温泉

    高地の温泉

  • ラグナ・ヴェルデ<br />(緑色の礁湖)

    ラグナ・ヴェルデ
    (緑色の礁湖)

  • 全員集合<br />イタリア人、リトアニア人

    全員集合
    イタリア人、リトアニア人

  • 間違いなくチリ共和国へ入国!

    間違いなくチリ共和国へ入国!

  • この車で移動<br />荷物は天井に載せている

    この車で移動
    荷物は天井に載せている

  • リャマのいるのどかな村

    リャマのいるのどかな村

  • ボリビアの赤ちゃん

    ボリビアの赤ちゃん

  • 空からのコチャバンバ<br />キリスト像が遠くに見える

    空からのコチャバンバ
    キリスト像が遠くに見える

  • コチャバンバの5つ星ホテル<br />パテオ(中庭)

    コチャバンバの5つ星ホテル
    パテオ(中庭)

  • 有名レストラン<br />目玉焼きの下にステーキが

    有名レストラン
    目玉焼きの下にステーキが

  • カミラと<br />キリスト像の丘で

    カミラと
    キリスト像の丘で

  • キリスト像

    キリスト像

  • 下りのゴンドラ

    下りのゴンドラ

  • カテドラル

    カテドラル

  • 何故か座り込んでいる<br />地元の人々<br />コチャバンバ

    何故か座り込んでいる
    地元の人々
    コチャバンバ

  • カミラと友人

    カミラと友人

  • 緑のある公園

    緑のある公園

  • おじいさんの像と孫のカミラ

    おじいさんの像と孫のカミラ

  • カサ・デ・カンポ<br />高級レストラン

    カサ・デ・カンポ
    高級レストラン

  • 魚料理

    魚料理

  • コチャバンバ空港

    コチャバンバ空港

  • TAMのCA

    TAMのCA

  • ラパスの人々

    ラパスの人々

  • 盆地状のラパス市街

    盆地状のラパス市街

  • 黄色い屋根がサッカー場<br />高地のため、ブラジルが予選で<br />負けることも

    黄色い屋根がサッカー場
    高地のため、ブラジルが予選で
    負けることも

  • ラパス市街

    ラパス市街

  • ショーの見れるレストラン

    ショーの見れるレストラン

  • ショーのダンサーと

    ショーのダンサーと

  • 白いとうもろこし<br />ラパス市街

    白いとうもろこし
    ラパス市街

  • 「月の谷」<br />Valle de la luna<br />Moon Valley

    「月の谷」
    Valle de la luna
    Moon Valley

  • 「月の谷」<br />

    「月の谷」

  • 地元の子供

    地元の子供

  • マイクロバス

    マイクロバス

  • 悪夢のアメリカン航空機体

    悪夢のアメリカン航空機体

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