2012/01/20 - 2012/01/22
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Morikonさん
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地元の友人から「石巻の仮設住宅で餅つきをやるので、
人を集めている」と聞きました。
東北大震災から一年経つ前に、ぜひ自分の目で
被災地の現状を見てみたかったので、
参加してみました。
以下、その時の模様です・・・。
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- その他
-
金曜日の20時、チャーターした観光バスに乗り込み、地元を出発。
新宿で他の参加者をピックアップし、一路北へ。
日付も変わり、福島県へ入った頃、粉雪が舞い始めた。
夜明け前に石巻のコンビニに到着。
駐車場の一角を借り、全員仮眠。
6時頃に朝食が至急され、車内で済ます。
7時過ぎに現地のコーディネーター
(NPO法人のスタッフ)がバスに乗り込み、
目的地に移動しながら説明を受ける。
「何か欲しい物はないですか?」
「何か困っている事はありませんか?」
という言葉は言わないで下さい。
被災者扱い「し続ける」と、どんどん堕落してしまいます。
今、被災地で一番景気が良いのは「パチンコ屋」です。
なぜか?
義捐金は分けて支給されていますが、
その額が40万だったり、60万だったりと、
家や職場を再建するには少額すぎます。
なので、パチンコ屋で無駄遣いしてしまうんです。
そういう人たちは、失業保険が給付される
一月一杯まで働こうとしません。
復興に立ち上がるのなら「今すぐに」が一番良いはずなのに、です。
ご自身も内陸部で被災され、直後から支援を続けている
コーディネーターの方でなければ言えない、重い言葉だった。 -
続けて「被災された方は、我々が失敗したことを聞いて、
ぜひ持ち帰ってほしいと思っています。
ですから是非、地元の方々の声に耳を傾けて下さい」
という説明があった。
このボランティアに行く前、
「コミュニティの崩壊した仮設住宅を支援するため、
餅つきをする」と聞いていたのだが、
正直ピンと来なかった。
自分の接した報道によれば、
「被災地の地区ごとに仮設住宅に入った」
はずだったからだ。
しかし、実態は震災前の状況を考慮しない抽選で、
点在している仮設住宅に振り分けられたのだった。
特に10戸〜20戸といった小規模の仮設住宅は
行政やボランティア団体のケアが後回しになりがちで、
そのフォローのため、今回のイベントが
コーディネートされたと知った。 -
ちょうど8時頃、目的地に到着。
20戸ほどの仮設住宅で、
近隣の小規模仮設3か所にも
今回の餅つきを宣伝してあるとのこと。
このイベントをきっかけに、
近隣の仮設の住人同士で交流が始まってくれると
良いのだが、という話。 -
さっそく準備スタート。
主に男性陣は火の番。 -
女性陣は食材の準備を担当。
餅米が蒸し上がるまで時間があり、
人員にも余裕があったので、
何班かに分かれ、現地の方に
石巻市内を案内してもらうことになった。
私を含め4人が、尾形勝壽さんの車に乗り込んだ。 -
最初に向かったのは高台にある日和山公園。
石巻市内が一望にできる。 -
正面には見覚えのある病院・・・。
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左を見ると、漁船が打ち上げられたまま。
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今は鉄骨しか残っていないが、
ここは尾形さんの店舗(ラーメン店)兼ご自宅だった。
津波の時、尾形さんのそばにいらした奥様は、
まだ見つかっていません・・・。 -
まるで爆心地のような光景。
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耐震構造の、比較的新しい建物は津波に耐えられたが、
大半の家屋は・・・。 -
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尾形さん宅の近くの小学校。
「紅白」で長渕剛が歌った場所、
と説明すれば分かりやすいだろうか。 -
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一時間ほど市内を周った後、仮設住宅へ戻る。
餅がつきあがるまで、
他のボランティアさんが子供たちと遊んでいた。
(この写真はNPOぐるっとさんからお借りしました) -
主に、つき手はボランティア、返しは現地の方が担当。
中央奥、茶色い服のオッサンが私。
子供が保育園・学童保育を利用していた頃は毎冬、
イベントで餅をついていたので、私も5回ほど
つき手をやらせて頂いた。
(この写真はNPOぐるっとさんからお借りしました) -
さすが東北、つきたてのずんだ餅は初めて味わったが旨いッ!
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地元の友人が持ち込んだ太鼓。
我々が演奏した後、現地の方にも叩いてもらった。
「どちらの太鼓の曲ですか?」と伺うと、
「渡波(わたのは)・・・」と教えてくれた。
渡波が石巻市内でも特に被害が大きかったエリアなのは
私も知っていた。
(この写真はNPOぐるっとさんからお借りしました)
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撤収風景。
NPOぐるっとの方から「予想以上に盛り上がった、
大成功だよ!」と嬉しい言葉を頂いた。 -
最後に集合写真。
(この写真はNPOぐるっとさんからお借りしました) -
現地の方が「ぜひ行ってもらいたかった」という場所、
石巻の東隣の女川へ向かう。
ここは震源に最も近く、最悪の被災地とのこと。
足元を見ると、ネクタイや病院の診察券が散乱していた。
この撮影場所から山側へ向かう道の両脇には、
高さ20mほどの「がれきの山」が延々と続いていた・・・。 -
鉄骨鉄筋のビルが、そのまま横倒しになってる・・・。
被害が最悪ながら、復旧の速度は
他の被災地に比べ、ケタ違いに早いという、何故か?
それは原発が立地されており、
女川町の財政が豊かだから・・・。 -
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旅の後に知ったが、ここでは屋上へ避難した13人
全員が津波に流された。
1人は救助されたが、4人が遺体で見つかり、
8人は行方不明だ(2012年3月現在) -
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この撮影場所は旧町立病院で、
海抜15mほどの場所に建っている。
つまり、それ以上の津波が襲ってきたという証拠、
二階以上は浸水を免れた。 -
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どこまで津波が襲ってきたのか、
はっきり分かってしまう、恐ろしい眺め・・・。 -
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時計の時刻を見ると、津波の前に壊れてしまったようだ・・・。
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女川の帰りに仮設物産店に寄り、
「元気の湯」で入浴・夕食の後、
今晩の宿泊所である尾形さん宅へ。
ここは尾形さんのご親戚所有で、
元々は大工の職人さんたちが住んでいたそうで、
広い部屋が何室もあった。 -
前年11月に開かれたB-1グランプリに
「石巻焼きそば」で参戦して6位に入賞した時の模様や、
「石巻焼きそばで我が街を復興したい」と語ってくれました。
私は日付が変わった頃に就寝・・・。 -
翌朝、尾形さん宅二階からの眺め。
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こちらは裏の風景。
沢山の白鳥が、画面右から左へと移動していた。 -
朝食と荷造りの後、尾形さんのワンちゃんと散歩。
元々の飼い主さんが仮設住宅へ入居するため、
尾形さんが引き取ったとのこと。 -
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バスで松島へ移動。
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伊達家の菩提寺・瑞巌寺は寄らず、
五大堂のみ見学。 -
震災の被害は、瓦が落ちた程度で済んだそうだ。
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たくさんの島が点在するおかげで、
松島沿岸への津波は2mほどに抑えられ、
被害も少なかったとのこと。 -
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松島湾遊覧船で塩釜へ移動。
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約50分の船旅。
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マリンゲート塩釜に到着、
二階の「山光」さんで昼食。 -
こちらを頂きます。
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海の幸を堪能♪
隣に座っていた方が船酔いで、
半分ほど残されていたので、それも私の胃袋へ(笑) -
バスは遊覧船には乗れず、陸路で塩釜まで移動。
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塩釜を襲った津波は5mと高く、
まだ爪痕も生々しかった。 -
マリンゲートに隣接した場所に仮設の物産店。
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たくさんの人が買い込んだり、宅配の手続きをしていた。
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傾いたままの街灯・・・。
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塩釜駅前で、お世話になった
尾形さん・NPOぐるっとの方々と
お別れし、一路南へ。 -
午前中、「福島県内の東北道は降雪のため通行止め」
という情報が流れていたが、
我々が帰る頃には何ら支障なく通過できた。
写真は羽生での夕景。 -
帰宅してから数日後、尾形さんから購入した
石巻焼きそばを夕食で頂く。
特長は、
①特製だしで一度味付けする
②お好みで後がけソースを加える
③半熟の目玉焼きをトッピング -
あー、コレは美味いッ!
家族にも大好評だった。
尾形さんには一日も早く店を再開してもらうべく、
「がんばっぺ石巻」http://www.ganbappe.biz/ を通じて、
少額だが支援させてもらった。 -
これも後日、地元の新聞に
今回の餅つきが取り上げられていた。
地元の友人は「太鼓のことが書いてねぇ!」と嘆いていたが、
BGMなんだから仕方ないでしょ(笑)
震災から約一年。
がれきの撤去といった「素人にできる力仕事」は
ほぼ無いようですが、代わりに息の長い支援は必須です。
ボランティアで、とは書きません。
旅行で構わないので、一度、
三陸を訪れて下さい。
絶対に風化させてはいけない光景が、そこにはあります。
ぜひ多くの人に「ご自分の目で見てもらいたい」、
そう感じた2泊2日でした。
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