2012/02/12 - 2012/02/12
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ka-keikoさん
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ツアーでデリー市内観光。
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安いツアーでのスタンダードの部屋(デリーにて)---広さはまあまあ、お湯がぬるかった。
この時期、毛布1枚では少し寒い---暖房もあったようだが 深夜に寒いと気が付いたので我慢した。 -
バスタブにバケツと柄杓。
これで何をするのかと不思議に思ったが---バケツにお湯を溜めて入浴すると、途中でお湯が出なくなっても大丈夫なのだと分かった。
連れの女性たち2人は幸運にもシャワーで入浴できたそうだ。 -
車の中から。
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車の中からレッド・フォート(ラール・キラー、Lal Qila)を見て---逆光なのでシルエットだけ。
このツアーではレッド・フォート(赤い砦)を車中から見るだけであった。
1639年〜1648年に 第5代皇帝シャー・ジャハーンによって建設されたお城。城壁が赤砂岩で造られているので「レッド・フォート」と呼ばれる。 -
ラジ・カート(Raj Ghat)。
ラジ・カートは インド独立の父と呼ばれるガンディーが死の翌日に火葬された場所である。
遺灰はインド各地の河に流されたので、ここには遺骨は納められていないが 大理石が安置されている。 -
ラジ・カートの中央に大理石が安置されている。
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ラジ・カートの周辺は公園に整備され リスも沢山いたのでパチリ。
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フマユーンにて---皇帝(ムガル帝国第2代皇帝のフマユーン)のお墓が 世界遺産になっている。
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入り口の立派な門。
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門をくぐると 逆光だが タージマハルの小型が見える。
ここに皇帝の遺体が安置されている。
お墓のまわりの水路は1905年〜1909年の間に付け加えられた物。 -
フマユーンのお墓。
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お墓の建物上から入り口の門を見て。
連れの女性2人とガイドさんは まだ門の所で写真を撮っている。
今回のツアーは 私達2人と若い女性2人、運転手、ガイドさんの6人でデリー、ジャイプール、アグラと移動したので楽であった---初日にガイドさんにインドではチップをあげる習慣がある事、チップは旅行最後の日に ほんの心持でいいからと---何気なくチップの要求があったが 40歳代の優しいガイドさんであった。 -
皇帝フマユーンのお墓の天井。
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建物内の中央に白い大理石の棺があるが 遺体はこの下に安置されていて、
1993年に 世界遺産に登録された。 -
皇帝フマユーンのお墓の建物を 斜め後ろから見てパチリ。
水路は正面にも 裏側にもあった。 -
同じ敷地内にある 16世紀末に赤砂岩で造られた「 Barber's Tomb 」。
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中には棺が2つある。
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インド門。 高さ42mのインド門は 第一次世界大戦で戦死したインド兵士の慰霊碑。インドはイギリスに協力して参戦したが 戦後の独立はならず大きな犠牲を払った。壁面には戦没者の名前が刻まれている。
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インド門からRaj Path 通リを進むと官庁街。
向こうに見える円形の建物が国会議事堂。
1911年にカルカッタ(コルカタ)からデリーへ 英国領インドの首都が移されると、放射線状の道路や町並みがイギリス人建築家の設計で建てられたが 独立したインドは そのまま引き継いで首都として現在に至る。 -
官庁街には 日曜日なので人がいなくて 犬が数匹ウロウロ。
ガイドさんが「犬がついて来るから 私の方に寄って」と言いながら
車道のまん中を歩いている---まん中を歩いても犬はついてきたが。 -
大統領官邸。
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官邸街にて、お花が綺麗だったのでパチリ。
この後、クトゥブ・ミナールへ。 -
クトゥブ・ミナール(Qutb Minar)。
インドの中で一番高い石のタワーで クトゥブディーン・アイバク(A.D.1192〜1210)によって造られたらしい。 -
タワーは直径14.32mの基礎部分、頂上部は2.75m、高さは72.5m。
勝利のタワーとして クワットゥル・イスラム・モスクに取り付けられた。
クトゥブディーンが1階を仕上げ、2、3、4階は かれの後継者であるイルトゥトゥミシュ(Iltutmish A.D.1211〜1236) が仕上げた。
1326年と1368年の雷によって損傷してから Firuz Tughlug(A.D.1351〜1388) が取り壊し再建し、もう1階加えたので5階のタワーになった。
後に、1503年 Sikandar Lodi(A.D.1489〜1517) が上層部の石の修復をした。 -
外壁には図案化した文字が刻まれている。
よく見ると 1階部分は角ばったものと 丸いものが交互に配置された縦溝装飾で
2階部分は丸い物だけ、3階は角ばった物で構成されているが 一直線に保たれ垂直に立っていて素敵なタワーである。 -
タワーの脇にある インドで現存する最も初期のモスクである QUWWATUL-ISLAM MASJID (クワットゥル・イスラム・マスジット)。
破壊したヒンズー教のお寺の石材を用いて建てられた。 -
半球状の天井とアーチ形の出入り口。
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アーチ形を見て。
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モスクとタワー。
タワーは5階だてで、下部の3階までは赤砂岩で、その上は大理石と砂岩で造られている。
特に4階部分は白い大理石が多いためか 白っぽく見え、3階部分の赤砂岩と対照的でとても面白い。 -
何度もタワーを見てパチリ。
タージマハールが243フィートで このタワーが238フィート。
5フィート低いだけである。
379段の階段があるようだが今では登れない。 -
お墓(Khalji's Tombだったかな---?)。
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唐草模様に彫刻された柱。
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アライ・ミナール。
クトゥブ・ミナールより高い塔を建てようとしたが造れなくて基礎部分だけが残っている。 -
ガイドさんに こういうポーズをして写真を撮るように言われパチリ。
アライ・ミナール(アライ塔)が倒れないように支えているポーズ。
この他、ツアー中に 尖塔を手でつまんでいるポーズもするよう言われた---面白いガイドさんであった。 -
モスクの中庭には高さ約7mの鉄柱が立っている。
以前は観光客が鉄柱に触れたが 今では囲いがあって触れない。 -
中庭。
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中庭---回廊で取り囲まれた43.2mx32.9mの長方形の中庭。
彫刻された柱や 27のビンズー教やジャイナ教のお寺の石材を用いて クトゥブディーンアイバクによって建設された。
モスクの建築はクトゥブディーンアイバクによって1193年から始まり、1197年に終了。
モスクはその後、2人の統治者 SHAMSUDDIN ILTUTMISH(A.D.1211〜1236)とALAUDDIN KHALJI(A.D.1296〜1316)によってさらに大きく造られた。 -
回廊の柱は彫刻されている。
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石柱。
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石柱に刻まれた彫刻。
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天井の彫刻。
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AMBIENCE MALLと言う ショッピングモールに立ち寄って。
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次の目的地ジャイプールに向かう途中、車の中から。
今日のバス走行距離は約300Kmと書かれていた---途中休憩1箇所。 -
車の中から。
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車の中から。
トラックが多く見られた。
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