2012/01/18 - 2012/01/18
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さすらいおじさんさん
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枚方市指定史跡 九頭神廃寺(くずがみはいじ)は「九頭神廃寺史跡公園」として整備されており現在も発掘が続いている。
九頭神廃寺は飛鳥時代後期から奈良時代にかけて建立された古代寺院で、平安時代中期に廃絶したものと考えられ7世紀中ごろから9世紀中ごろまで栄えた北河内最古の古代寺院とされている。
九頭神廃寺史跡からは銅造誕生釈迦仏立像(どうづくりたんじょうしゃかぶつりゅうぞう)が発見されたほか、焼けた土壇とともに鉄釘や聖堂製品などが出土している。
跡地一帯は宅地化され幻の古代寺院などと呼ばれていたが、1983年以降発掘調査され、寺院地は約140メートル四方、塔跡・瓦積基壇(かわらづみきだん)、建立氏族の居館とされる大型堀立柱建物群、延喜式内社久須々美神社(くすすみじんじゃ)が寺院地の南西角部に隣接して造営されていた事などが判明している。
外郭施設としては、西面大垣・西門・宝幢遺構(ほうどういこう)などあったことが判明している。内部施設としては、築地(ついじ)によって区画された二つの付属院地(ふぞくいんち)である倉垣院(そうえんいん)と北西院と寺内地内道路などが判明している。
九頭神廃寺については解明されていないことも多いそうだが、発掘が続けられれば新発見も期待できる。現在は大阪・京都・奈良の中間に位置する中堅の衛星都市である枚方市一帯が遷都が繰り返された飛鳥時代、奈良時代、平安時代頃には、奈良、京都、大阪を結ぶ重要なエリアとして想像以上に繁栄していたことがわかる。今回久しぶりに行ってみると西側の公園が整備され築地(ついじ)と宝幢遺構(ほうどういこう)が再現されていた。
(写真は九頭神廃寺史跡公園の再現された築地)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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「九頭神廃寺史跡公園」の碑。
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西側の公園が整備され再現された築地(ついじ)。
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築地(ついじ)の説明。
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築地(ついじ)の光景。
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西側の公園が整備され再現された宝幢遺構(ほうどういこう)。
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宝幢遺構(ほうどういこう)の説明。
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宝幢遺構(ほうどういこう)の光景。
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築地(ついじ)の光景。
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築地(ついじ)の光景。
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「九頭神廃寺史跡公園」周辺の光景。
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「九頭神廃寺史跡東公園」の光景。
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倉垣院(そうえんいん)の説明。
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「九頭神廃寺史跡公園」周辺の光景。
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「九頭神廃寺史跡東公園」の光景。
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「九頭神廃寺史跡東公園」の光景。
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北西院と穴門の説明。
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穂谷川周辺の光景。
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「九頭神廃寺史跡東公園」の光景。
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瓦組暗渠の説明。
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「九頭神廃寺史跡東公園」に近い穂谷川周辺の光景。
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「九頭神廃寺史跡東公園」の光景。
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「九頭神廃寺史跡公園」の説明。
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穂谷川周辺の光景。
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「九頭神廃寺史跡東公園」の碑。
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穂谷川周辺の光景。
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