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               (この写真は三重県庁舎内)<br />今回の明治村散策は<br />⇒ボランティアのガイド<br />  幸田露伴住宅「蝸牛庵」<br />  神戸山手西洋人住居<br />⇒催しが三重県庁舎なので<br />それらを中心に真冬の博物館明治村を<br />木枯らしが吹き捲くり<br />寒さも加わり、人影も少なく<br />趣くまま歩いてみました。<br /><br />注釈コメントは、殆ど明治村サイトより<br />      後日コメントを入れます・<br /><br /><br />2011 冬の明治村へ<br />http://4travel.jp/traveler/isazi/album/10540214/<br /><br />少し前の<br />新春の明治村を訪ねて<br />http://4travel.jp/traveler/isazi/album/10300659/<br />博物館明治村を散策<br />http://4travel.jp/traveler/isazi/album/10414776/<br />

2012 明治村(1)真冬を散策

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2012/01/28 - 2012/01/28

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風に吹かれて旅人

風に吹かれて旅人さん

               (この写真は三重県庁舎内)
今回の明治村散策は
⇒ボランティアのガイド
  幸田露伴住宅「蝸牛庵」
  神戸山手西洋人住居
⇒催しが三重県庁舎なので
それらを中心に真冬の博物館明治村を
木枯らしが吹き捲くり
寒さも加わり、人影も少なく
趣くまま歩いてみました。

注釈コメントは、殆ど明治村サイトより
      後日コメントを入れます・


2011 冬の明治村へ
http://4travel.jp/traveler/isazi/album/10540214/

少し前の
新春の明治村を訪ねて
http://4travel.jp/traveler/isazi/album/10300659/
博物館明治村を散策
http://4travel.jp/traveler/isazi/album/10414776/

  • 帝国ホテル中央玄関  5丁目67番地<br />旧所在地 東京都千代田区内幸町 <br />建設年代 大正12年(1923)<br />この建物は、20世紀建築界の巨匠、<br />アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計され、<br />大正12年(1923)4年間の大工事の後に完成した<br />帝国ホテルの中央玄関部である。<br />

    帝国ホテル中央玄関  5丁目67番地
    旧所在地 東京都千代田区内幸町 
    建設年代 大正12年(1923)
    この建物は、20世紀建築界の巨匠、
    アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計され、
    大正12年(1923)4年間の大工事の後に完成した
    帝国ホテルの中央玄関部である。

  • 帝国ホテル中央玄関<br />皇居を正面にして建てられた帝国ホテルは<br />総面積34,000?余の大建築で、<br />中心軸上に玄関、大食堂、劇場などの公共部分が列ねられ、<br />左右に客室棟が配されていた。<br />全体計画から個々の客室に到るまで、<br />きわめて多様な秀れた空間構成がなされ、<br />それまでの建築空間が主として平面的なつながりであったものを、<br />立体的な構成へと発展させた世界的に重要な作品である。

    帝国ホテル中央玄関
    皇居を正面にして建てられた帝国ホテルは
    総面積34,000?余の大建築で、
    中心軸上に玄関、大食堂、劇場などの公共部分が列ねられ、
    左右に客室棟が配されていた。
    全体計画から個々の客室に到るまで、
    きわめて多様な秀れた空間構成がなされ、
    それまでの建築空間が主として平面的なつながりであったものを、
    立体的な構成へと発展させた世界的に重要な作品である。

  • 内閣文庫<br /> 大蔵省技師の大熊喜邦により、<br />1911年に皇居大手門内に建てられた。<br />ルネサンス様式による明治洋風建築の教科書的作品で、<br />正面の円柱はギリシャ・ローマの神殿をほうふつとさせる。<br />政府の公文書や古文書などが収蔵された。

    内閣文庫
     大蔵省技師の大熊喜邦により、
    1911年に皇居大手門内に建てられた。
    ルネサンス様式による明治洋風建築の教科書的作品で、
    正面の円柱はギリシャ・ローマの神殿をほうふつとさせる。
    政府の公文書や古文書などが収蔵された。

  • 内閣文庫

    内閣文庫

  • 内閣文庫

    内閣文庫

  • 川崎銀行本店    5丁目57番地<br />旧所在地 東京都中央区日本橋 <br />建設年代 昭和2年(1927)<br />川崎銀行本店は、ルネッサンス様式を基調としており、<br />当時の銀行・会社の本店建築の中でも本格的銀行建築である。<br />構造は鉄筋コンクリート(一部鉄骨)造、<br />外壁は御影石積で地上3階、地下1階建、間口約38メートル、<br />高さ約20メートルの建築であった。<br />関東大震災以前の大正10年に起工され、<br />6年間の工期を費やして昭和2年に竣工した。<br />設計者の矢部又吉は、ドイツのベルリン工科大学に学び、<br />帰国後多くの銀行建築を設計したが、<br />この建物はその代表作といえる。<br />

    川崎銀行本店    5丁目57番地
    旧所在地 東京都中央区日本橋 
    建設年代 昭和2年(1927)
    川崎銀行本店は、ルネッサンス様式を基調としており、
    当時の銀行・会社の本店建築の中でも本格的銀行建築である。
    構造は鉄筋コンクリート(一部鉄骨)造、
    外壁は御影石積で地上3階、地下1階建、間口約38メートル、
    高さ約20メートルの建築であった。
    関東大震災以前の大正10年に起工され、
    6年間の工期を費やして昭和2年に竣工した。
    設計者の矢部又吉は、ドイツのベルリン工科大学に学び、
    帰国後多くの銀行建築を設計したが、
    この建物はその代表作といえる。

  • イチオシ

  • 川崎銀行本店 

    川崎銀行本店 

  • ハワイ移民集会所<br />旧所在地 アメリカ・ハワイ州ヒロ市 <br />建設年代 明治22年(1889)頃

    ハワイ移民集会所
    旧所在地 アメリカ・ハワイ州ヒロ市 
    建設年代 明治22年(1889)頃

  • 宗教大学車寄 

    宗教大学車寄 

  • 宗教大学車寄   3丁目33番地<br />旧所在地 東京都豊島区西巣鴨 <br />建設年代 明治41年(1908)<br />この建物は、現在明治村3丁目の岬の広場に<br />「あずまや」の如く建てられているが、<br />本来は明治41年(1908)東京郊外の巣鴨に新築された<br />私立宗教大学本館の車寄であったものである。

    宗教大学車寄   3丁目33番地
    旧所在地 東京都豊島区西巣鴨 
    建設年代 明治41年(1908)
    この建物は、現在明治村3丁目の岬の広場に
    「あずまや」の如く建てられているが、
    本来は明治41年(1908)東京郊外の巣鴨に新築された
    私立宗教大学本館の車寄であったものである。

  • 神戸山手西洋人住居<br />3丁目32番地<br />旧所在地 神戸市生田区山本通 <br />建設年代 明治20年(1887)代<br /><br />

    神戸山手西洋人住居
    3丁目32番地
    旧所在地 神戸市生田区山本通 
    建設年代 明治20年(1887)代

  • 神戸山手西洋人住居<br />神戸市の街中に、明治中期に建てられた外国人住居。<br />狭い敷地という悪条件の中、<br />ベランダの柱間に変化を持たせ、<br />左右非対称とするなど、<br />洗練されたデザインを駆使して、<br />建物を実際よりも大きく見せている。

    神戸山手西洋人住居
    神戸市の街中に、明治中期に建てられた外国人住居。
    狭い敷地という悪条件の中、
    ベランダの柱間に変化を持たせ、
    左右非対称とするなど、
    洗練されたデザインを駆使して、
    建物を実際よりも大きく見せている。

  • 神戸山手西洋人住居<br /> それぞれ木造総二階建の主屋と<br />付属屋からなる住宅であるが、<br />建物の沿革は余り明確にはなっていない。<br />明治20年代(1887〜1896)に建てられたものと推定され、<br />当初は外国人のものであったと思われるが、<br />同29年(1896)には日本人増田周助の所有であったとの記録がある。

    神戸山手西洋人住居
     それぞれ木造総二階建の主屋と
    付属屋からなる住宅であるが、
    建物の沿革は余り明確にはなっていない。
    明治20年代(1887〜1896)に建てられたものと推定され、
    当初は外国人のものであったと思われるが、
    同29年(1896)には日本人増田周助の所有であったとの記録がある。

  • 神戸山手西洋人住居

    神戸山手西洋人住居

  • 神戸山手西洋人住居<br />主屋は上下階とも同じ間取りになっている。<br />玄関、階段、中廊下を一まとめにし、<br />左右に一部屋づつを配して、<br />ベランダをL字に添わせている。<br />付属屋一階には使用人が居たが、<br />他のどの部屋とも結ばれておらず、<br />主人家族のプライバシーの枠外とされていた。

    神戸山手西洋人住居
    主屋は上下階とも同じ間取りになっている。
    玄関、階段、中廊下を一まとめにし、
    左右に一部屋づつを配して、
    ベランダをL字に添わせている。
    付属屋一階には使用人が居たが、
    他のどの部屋とも結ばれておらず、
    主人家族のプライバシーの枠外とされていた。

  • 神戸山手西洋人住居より宗教大学車寄 

    神戸山手西洋人住居より宗教大学車寄 

  • 神戸山手西洋人住居<br />この住宅では、敷地が狭いという悪条件の中で<br />建物をより良く見せるため、<br />工夫がこらされている。<br />ベランダの柱を整然とは建てず、<br />場所によって二本、三本と並べ、<br />その間隔もまちまちにすることにより、<br />建物に変化を持たせ実際以上に大きく見せている。<br />又、ベランダから室内へ数多くの出入り口を設けているのは、<br />余り広くない室内をベランダと一体で使うための配慮であろう。

    神戸山手西洋人住居
    この住宅では、敷地が狭いという悪条件の中で
    建物をより良く見せるため、
    工夫がこらされている。
    ベランダの柱を整然とは建てず、
    場所によって二本、三本と並べ、
    その間隔もまちまちにすることにより、
    建物に変化を持たせ実際以上に大きく見せている。
    又、ベランダから室内へ数多くの出入り口を設けているのは、
    余り広くない室内をベランダと一体で使うための配慮であろう。

  • 菅島燈台付属官舎          <br />1873年、三重県鳥羽沖合の菅島に<br />イギリス人技術者によって建設された<br />菅島燈台の付属官舎。<br />西様風住宅の形式は当初の外国人職員のためのもの。<br />当時の島民も建設に協力し、<br />建物に使われたレンガや瓦も地元の産である。

    菅島燈台付属官舎          
    1873年、三重県鳥羽沖合の菅島に
    イギリス人技術者によって建設された
    菅島燈台の付属官舎。
    西様風住宅の形式は当初の外国人職員のためのもの。
    当時の島民も建設に協力し、
    建物に使われたレンガや瓦も地元の産である。

  • 「品川燈台」          <br /> フランス人技術者の手により<br />1870年に建設された現存最古の燈台。<br />江戸防備のために築かれた人工島の品川台場に建ち、<br />対岸の木更津まで光が届いた。<br />西を示す方位文字に仏語の<br />「Ouest」の頭文字が残されている。<br />     文・石川新太郎(明治村建造物担当)

    「品川燈台」          
     フランス人技術者の手により
    1870年に建設された現存最古の燈台。
    江戸防備のために築かれた人工島の品川台場に建ち、
    対岸の木更津まで光が届いた。
    西を示す方位文字に仏語の
    「Ouest」の頭文字が残されている。
         文・石川新太郎(明治村建造物担当)

  • 「品川燈台」 から入鹿池

    「品川燈台」 から入鹿池

  • 「品川燈台」から川崎銀行

    「品川燈台」から川崎銀行

  • 「品川燈台」 から入鹿池

    「品川燈台」 から入鹿池

  • 西園寺公望別邸「坐漁荘(ざぎょそう)」<br /> 1920年に西園寺公望が、<br />静岡市の海岸に建てた。随所に竹が使われ、<br />欄間や玄関、取次ぎが特にしゃれている。<br />うぐいす張りの廊下や浴室の非常用くぐり戸など、<br />要人の邸宅としての工夫もあちこちにされていた

    西園寺公望別邸「坐漁荘(ざぎょそう)」
     1920年に西園寺公望が、
    静岡市の海岸に建てた。随所に竹が使われ、
    欄間や玄関、取次ぎが特にしゃれている。
    うぐいす張りの廊下や浴室の非常用くぐり戸など、
    要人の邸宅としての工夫もあちこちにされていた

  • 西園寺公望別邸「坐漁荘(ざぎょそう)」

    西園寺公望別邸「坐漁荘(ざぎょそう)」

  • 西園寺公望別邸「坐漁荘(ざぎょそう)」

    西園寺公望別邸「坐漁荘(ざぎょそう)」

  • 幸田露伴住宅「蝸牛庵」    3丁目26番地<br />旧所在地 東京都墨田区東向島 <br />建設年代 明治初年(1868)代<br />明治10年代(1877〜1886)、<br />下火となっていた戯作文学が、<br />自由民権論、国権論、アジア主義等の隆盛に呼応した<br />政治小説の形で復活してくるが、<br />これとは別に人間の内面を描き出そうとする動きも出てきた。<br />明治18年(1885)坪内逍遥は「小説神髄」を刊行して<br />小説の新しい方向を提唱、<br />これに応じる形で二葉亭四迷の「浮雲」が生まれたが、<br />逍遥の内面尊重の主張はさらに幸田露伴へと受け継がれ、<br />東洋的な観念を主題とする作品に結実してゆく。

    幸田露伴住宅「蝸牛庵」    3丁目26番地
    旧所在地 東京都墨田区東向島 
    建設年代 明治初年(1868)代
    明治10年代(1877〜1886)、
    下火となっていた戯作文学が、
    自由民権論、国権論、アジア主義等の隆盛に呼応した
    政治小説の形で復活してくるが、
    これとは別に人間の内面を描き出そうとする動きも出てきた。
    明治18年(1885)坪内逍遥は「小説神髄」を刊行して
    小説の新しい方向を提唱、
    これに応じる形で二葉亭四迷の「浮雲」が生まれたが、
    逍遥の内面尊重の主張はさらに幸田露伴へと受け継がれ、
    東洋的な観念を主題とする作品に結実してゆく。

  • 幸田露伴住宅「蝸牛庵」

    幸田露伴住宅「蝸牛庵」

  • 幸田露伴住宅「蝸牛庵」<br />露伴は幼少の頃算術を得意とし、<br />長じて電信を学び、電信技手を勤めるが、<br />傍ら漢籍や仏書を読破し、<br />「小説神髄」に触発されて明治20年(1887)21才の時、<br />官を辞した。<br />その翌年発表した処女作「禅天魔」が尾崎紅葉の目にとまると、<br />文筆の世界に足を踏み入れ、<br />「風流仏」「対髑髏」「五重塔」等次々に発表、<br />紅葉とともに紅露時代として一世を風靡した。

    幸田露伴住宅「蝸牛庵」
    露伴は幼少の頃算術を得意とし、
    長じて電信を学び、電信技手を勤めるが、
    傍ら漢籍や仏書を読破し、
    「小説神髄」に触発されて明治20年(1887)21才の時、
    官を辞した。
    その翌年発表した処女作「禅天魔」が尾崎紅葉の目にとまると、
    文筆の世界に足を踏み入れ、
    「風流仏」「対髑髏」「五重塔」等次々に発表、
    紅葉とともに紅露時代として一世を風靡した。

  • 幸田露伴住宅「蝸牛庵」

    幸田露伴住宅「蝸牛庵」

  • 露伴は自分の家を「かたつむりの家(蝸牛庵)」と呼び、<br />やどかりのように幾度となく住まいを変えている。<br />隅田川の東にあったこの家もその内の一つで、<br />明治30年(1897)からの約10年間を過ごしている。<br />周辺には江戸時代から豪商の寮(別邸)や下屋敷が多く、<br />この建物もその雰囲気を伝えるとともに、<br />深い土庇のある座敷には水鳥を形どった釘隠しが付けられ、<br />墨東の名残もとどめている。<br />町屋と異なり、まわりの広い庭に自由に延び拡がった建物で、<br />廊下を軸に玄関、和室、付書院のある座敷が千鳥に配されている。

    露伴は自分の家を「かたつむりの家(蝸牛庵)」と呼び、
    やどかりのように幾度となく住まいを変えている。
    隅田川の東にあったこの家もその内の一つで、
    明治30年(1897)からの約10年間を過ごしている。
    周辺には江戸時代から豪商の寮(別邸)や下屋敷が多く、
    この建物もその雰囲気を伝えるとともに、
    深い土庇のある座敷には水鳥を形どった釘隠しが付けられ、
    墨東の名残もとどめている。
    町屋と異なり、まわりの広い庭に自由に延び拡がった建物で、
    廊下を軸に玄関、和室、付書院のある座敷が千鳥に配されている。

  • 幸田露伴住宅「蝸牛庵」

    幸田露伴住宅「蝸牛庵」

  • 北里研究所本館・医学館<br /> 細菌学の大家・北里柴三郎が1915年、<br />東京都港区内に建てた。<br />八角形の塔や小窓の付いた腰折れ屋根などが目を引く。<br />顕微鏡観察のため、建物南側に廊下を配し、<br />北側の部屋に外光を直接取り込めるよう工夫された

    北里研究所本館・医学館
     細菌学の大家・北里柴三郎が1915年、
    東京都港区内に建てた。
    八角形の塔や小窓の付いた腰折れ屋根などが目を引く。
    顕微鏡観察のため、建物南側に廊下を配し、
    北側の部屋に外光を直接取り込めるよう工夫された

  • 北里研究所本館・医学館   3丁目25番地<br />旧所在地 東京都港区白金 <br />建設年代 大正4年(1915)<br />八角尖塔を頂く木造二階建のこの建物は、<br />日本の細菌学の先駆者北里柴三郎が<br />大正4年(1915)芝白金三光町に建てた研究所の本館である。

    北里研究所本館・医学館   3丁目25番地
    旧所在地 東京都港区白金 
    建設年代 大正4年(1915)
    八角尖塔を頂く木造二階建のこの建物は、
    日本の細菌学の先駆者北里柴三郎が
    大正4年(1915)芝白金三光町に建てた研究所の本館である。

  • 三重県庁舎

    三重県庁舎

  • 三重県庁舎<br />三重県土木課技師の清水義八により、<br />1879年に建てられた。模擬風建築で、<br />玄関を挟み左右対称の造りは、<br />当時の官庁の典型だった。<br />扉や額縁には、<br />素地を見せずペンキで木目を描く<br />木目塗りという技法が使われている。

    三重県庁舎
    三重県土木課技師の清水義八により、
    1879年に建てられた。模擬風建築で、
    玄関を挟み左右対称の造りは、
    当時の官庁の典型だった。
    扉や額縁には、
    素地を見せずペンキで木目を描く
    木目塗りという技法が使われている。

  • 三重県庁舎

    三重県庁舎

  • 三重県庁舎

    三重県庁舎

  • 三重県庁舎

    三重県庁舎

  • 三重県庁舎

    三重県庁舎

  • 三重県庁舎

    三重県庁舎

  • 三重県庁舎

    三重県庁舎

  • 三重県庁舎

    三重県庁舎

  • 三重県庁舎

    三重県庁舎

  • 三重県庁舎

    三重県庁舎

  • 三重県庁舎

    三重県庁舎

  • 三重県庁舎

    三重県庁舎

  • 三重県庁舎

    三重県庁舎

  • 三重県庁舎

    三重県庁舎

  • 三重県庁舎からレンガ通りへ

    三重県庁舎からレンガ通りへ

  • 三重県庁舎から東山梨郡役所へ<br />東山梨郡役所  2丁目16番地<br />《重要文化財》<br />旧所在地 山梨県山梨市日下部町 <br />建設年代 明治18年(1885)

    三重県庁舎から東山梨郡役所へ
    東山梨郡役所  2丁目16番地
    《重要文化財》
    旧所在地 山梨県山梨市日下部町 
    建設年代 明治18年(1885)

  • 北里研究所本館・医学館から<br />  東山梨郡役所へ

    北里研究所本館・医学館から
      東山梨郡役所へ

  • レンガ通りから三重県庁舎へ

    レンガ通りから三重県庁舎へ

  • 宇治山田郵便局<br />伊勢神宮外宮前に1909年、建てられた。<br />正面中央の3つのドームや<br />欄間部分のしっくい塗りレリーフなど<br />斬新な造りとなっている。<br />内部も高窓から取り込んだ外光と<br />チューリップ形の照明が、<br />ハイカラな空間を演出している。

    宇治山田郵便局
    伊勢神宮外宮前に1909年、建てられた。
    正面中央の3つのドームや
    欄間部分のしっくい塗りレリーフなど
    斬新な造りとなっている。
    内部も高窓から取り込んだ外光と
    チューリップ形の照明が、
    ハイカラな空間を演出している。

  • 宇治山田郵便局 

    宇治山田郵便局 

  • 宇治山田郵便局  4丁目46番地<br />《重要文化財》旧所在地 三重県伊勢市豊川町 <br />建設年代 明治42年(1909)<br />明治3年(1870)太政官から郵便事業開始の達示が出され、<br />翌4年には郵便の利用方法についての細かい規則が布告された。<br />これに伴ない、<br />同年東京江戸橋に日本最初の郵便役所(郵便局)が建てられ、<br />近代郵便事業が開始された。<br />その後各地に郵便役所が建てられ、<br />伊勢の宇治山田にも同5年わずか4坪(13.2?)の小さな役所が開業した。<br />郵便事業が近代国家の一翼を担って発展し、<br />電信電話事業をも行うようになると、<br />事業の拡大につれて、宇治山田郵便局は移転につぐ移転を重ね、<br />明治42年(1909)伊勢外宮前の角地にこの建物を新築した。

    イチオシ

    宇治山田郵便局  4丁目46番地
    《重要文化財》旧所在地 三重県伊勢市豊川町 
    建設年代 明治42年(1909)
    明治3年(1870)太政官から郵便事業開始の達示が出され、
    翌4年には郵便の利用方法についての細かい規則が布告された。
    これに伴ない、
    同年東京江戸橋に日本最初の郵便役所(郵便局)が建てられ、
    近代郵便事業が開始された。
    その後各地に郵便役所が建てられ、
    伊勢の宇治山田にも同5年わずか4坪(13.2?)の小さな役所が開業した。
    郵便事業が近代国家の一翼を担って発展し、
    電信電話事業をも行うようになると、
    事業の拡大につれて、宇治山田郵便局は移転につぐ移転を重ね、
    明治42年(1909)伊勢外宮前の角地にこの建物を新築した。

  • 宇治山田郵便局 <br />木造平家建銅板葺で、<br />中央には円錐ドームの屋根を頂き、<br />両翼屋には寄棟の屋根をふせており、<br />正面の左右には小ドームの載る角塔を立てている。<br />外装はハーフティンバー様式で、<br />漆喰塗と下見板張の壁が使いわけられ、<br />欄間部分には漆喰塗のレリーフが施されている。<br />窓には3段或いは4段の回転窓が付けられているが、<br />これは他に余り例をみない形式である。<br /> 入口を入ると円形の「公衆溜」と呼ばれたホールがあり、<br />その周囲にはカウンターが廻らされている。<br />ホールの天井は、まわりの事務室部分より一段と高くされ、<br />高窓から光を入れている。<br />天井の中心からはチューリップ型のシャンデリアが下げられている。<br />このように公衆用のホールを中心に据えた形は、<br />新時代の計画といえよう。<br />

    宇治山田郵便局 
    木造平家建銅板葺で、
    中央には円錐ドームの屋根を頂き、
    両翼屋には寄棟の屋根をふせており、
    正面の左右には小ドームの載る角塔を立てている。
    外装はハーフティンバー様式で、
    漆喰塗と下見板張の壁が使いわけられ、
    欄間部分には漆喰塗のレリーフが施されている。
    窓には3段或いは4段の回転窓が付けられているが、
    これは他に余り例をみない形式である。
     入口を入ると円形の「公衆溜」と呼ばれたホールがあり、
    その周囲にはカウンターが廻らされている。
    ホールの天井は、まわりの事務室部分より一段と高くされ、
    高窓から光を入れている。
    天井の中心からはチューリップ型のシャンデリアが下げられている。
    このように公衆用のホールを中心に据えた形は、
    新時代の計画といえよう。

  • 宇治山田郵便局 

    宇治山田郵便局 

  • 聖ザビエル天主堂

    聖ザビエル天主堂

  • 聖ザビエル天主堂   5丁目51番地<br />旧所在地 京都市中京区河原町三條 <br />建設年代 明治23年(1890)<br />この白亜の教会堂は、<br />近世初頭日本に渡来しキリスト教の<br />伝道に努めた聖フランシスコ・ザビエルを記念して、<br />明治23年(1890)かつてザビエルがいたことのある<br />京都の地に献堂されたカトリックの教会堂で、<br />フランス人神父の監督の下に、<br />本国から取寄せた設計原案に基づき、<br />日本人の手で造られたものである。<br />

    聖ザビエル天主堂   5丁目51番地
    旧所在地 京都市中京区河原町三條 
    建設年代 明治23年(1890)
    この白亜の教会堂は、
    近世初頭日本に渡来しキリスト教の
    伝道に努めた聖フランシスコ・ザビエルを記念して、
    明治23年(1890)かつてザビエルがいたことのある
    京都の地に献堂されたカトリックの教会堂で、
    フランス人神父の監督の下に、
    本国から取寄せた設計原案に基づき、
    日本人の手で造られたものである。

  • 聖ザビエル天主堂

    聖ザビエル天主堂

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    イチオシ

    聖ザビエル天主堂

  • 聖ザビエル天主堂

    聖ザビエル天主堂

  • 聖ザビエル天主堂

    聖ザビエル天主堂

  • 聖ザビエル天主堂<br /> フランス人神父の指導の下、<br />1890年に日本人大工の手で、<br />京都・河原町に建てられた。<br />典型的なゴシック建築によるカトリック教会堂で、<br />総ケヤキの列柱、色ガラスに草花を描いた<br />ステンドグラスが生み出す内部空間が美しい。

    聖ザビエル天主堂
     フランス人神父の指導の下、
    1890年に日本人大工の手で、
    京都・河原町に建てられた。
    典型的なゴシック建築によるカトリック教会堂で、
    総ケヤキの列柱、色ガラスに草花を描いた
    ステンドグラスが生み出す内部空間が美しい。

  • 天童眼鏡橋       <br /> 1887年に山形県天童市の倉津川に<br />架けられた石造アーチ橋。<br />山寺石という地元の砂岩が使われている。<br />西洋土木技術による街路の近代化が、<br />地方にも波及した一例で、<br />中国から伝来した長崎の眼鏡とは、<br />構造などが異なる

    天童眼鏡橋       
     1887年に山形県天童市の倉津川に
    架けられた石造アーチ橋。
    山寺石という地元の砂岩が使われている。
    西洋土木技術による街路の近代化が、
    地方にも波及した一例で、
    中国から伝来した長崎の眼鏡とは、
    構造などが異なる

  • 米国の建築家F.L.ライトの設計。<br />幾何学的に彫られた大谷石や<br />透かし入りのレンガが使われた姿は、<br />宮殿のような品格と、積み木の楽しさを持ち、<br />20世紀を代表する名建築の一つとして、<br />世界中から賞賛されている。

    米国の建築家F.L.ライトの設計。
    幾何学的に彫られた大谷石や
    透かし入りのレンガが使われた姿は、
    宮殿のような品格と、積み木の楽しさを持ち、
    20世紀を代表する名建築の一つとして、
    世界中から賞賛されている。

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