2011/12/16 - 2011/12/16
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konetさん
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グラナダ概要
シエラ・ネバダ山脈の麓、ベガと呼ばれる肥沃な平野に位置するグラナダは、ローマ時代に起源をもつ歴史ある町。1236年にコルドバがキリスト教徒に奪回されてからは、ナスル朝グラナダ王国の首都となり、イベリア半島におけるイスラム最後の砦として繁栄を極めた。そして1492年のグラナダ陥落まで2世紀後半にわたり、レコンキスタの暴風にさらされながら、終末の宴ともいうべきアルハンブラ宮殿を築き、そこに華燭の炎を燃え上がらせた。この城の最後の王アブディル(ムハンマド11世)は、城を落ちシエラ・ネバダの険路にさしかかる丘の上で宮殿を視界に納めて、惜別の涙を流したと伝えられる。
1492年は、レコンキスタ完了の都市であるとともに、グラナダの征服者イサベル女王の援助を受けたコロンブスが、新大陸に到達した都市でもある。スペインが世界制覇の夢に燃えて大海原に乗り出していく、大航海時代の幕開けであった。
スペイン統一以降、イスラム教徒はグラナダの町から追放され、モスクは接収されて教会となるが、アラブ様式は破壊されることなくキリスト教文化に接ぎ木された。グラナダが歴史の表舞台から姿を消したあとも、アラブの余韻はひっそりと息づき、この町の陰影深い精神性を形作る。
「グラナダは無為の町であり、瞑想と空想のための街である」。グラナダの沃野に生まれ、グラナダの瞑想の時に詩を刻み、グラナダの銃弾に倒れた詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカは、この町の特質をこのように語った。(地球の歩き方スペインから引用)
アルハンブラ宮殿概要
グラナダ王国が建国されたのは、1238年。相前後してイスラム教徒の本拠地だったコルドバとセビーリャが陥落し、レコンキスタが完了しつつあるという、風雲急を告げる時代のことだった。ナスル朝初代王アル・アフマール(在位1232~73)は、脆弱な国家の基盤を整えるため、仇敵カスティーリャ王国に服属して外交を安定させ、商工業の発展に力を注いだ。賢明な政治によって経済が潤うと、王はアルハンブラ城内に王宮を築城する。スペイン=イスラム文化の輝かしいモニュメント、アルハンブラ宮殿である。
都を見下ろす丘の上に姿を現した宮殿は、初代王の没後も歴代王によって建設が進められ、7代王ユースフ1世(在位1333~54年)の世になってようやく完成をみる。この時代、アルハンブラ城内にはモーロ人貴族を中心に2000人以上の人々が暮らし、市場、モスク、住宅街が整備され、貴族の宮殿は7つを数えたという。なかでもナスル朝宮殿は、外見は武骨ながら、一歩中に入れば幻想世界が展開する、イスラム芸術の結晶だった。そのあまりの美しさに「王は魔法を使って宮殿を完成させた」とさえいわれた。
幻想世界の終焉は、1492年に訪れた。もはやレコンキスタの勢いに抗しきれないと判断した最後の王アブディル(在位1482~92年)は、カトリック女王イサベルに城を明け渡し、臣下とともに北アフリカに逃れた。
18世紀の王位継承戦争やナポレオン戦争を経て、アルハンブラは荒れ果ててしまったが、19世紀の米国人作家ワシントン・アービングの『アルハンブラ物語』によって再び世界の注目を集めた。現在はスペイン有数の観光地として、訪れる人々を魅了している。
http://4travel.jp/overseas/area/europe/spain/granada/kankospot/10007973/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E5%AE%AE%E6%AE%BF
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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