2011/10/07 - 2011/10/10
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彷徨人MUさん
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4).「西外城河」沿い
胥門を 潜り抜ければ 秋の空
「盤胥路」を、北へ行くと、右手の「西外城河」畔に、「百花洲公園」があり、その河岸沿いは、レストラン等も見られ、賑やかである。城壁が一部復元され、その背後に広がる森の上に、「瑞光塔」が聳えていた。
谷崎潤一郎は、北から南へ向かい、「西外城河」沿いを下って来たが、その情景を次のように書いている。『 途中、「戈登橋」を渡る時に、左手の濠のほうを見ると、長い長い城壁が、そのまま殷賑な蘇州の市街を包んで居ようとも思へないほどの穏やかに、まるで牢屋の塀のように静かに静かに続いて、その向こうにはたった一つ、灰色の高い塔(瑞光塔)が聳えているだけであった。』
南宋時代には、「西城外河」沿いの城内外には、店舗や船宿、料亭、会館などが立ち並び、各地からの商人が行き来し、経済活動は活発に行なわれていた。
又、近年になって、この「西外城河」沿いの道路は、次第に馬車や車が行き交う交通量の多い道路となり、バイパス的な道路を確保するため、新たな城門も開かれた。特に、辛亥革命後、戦略上から、狭い範囲内で、城門を開いたり、閉鎖したりという状況が続いていたようだ。
① 胥門
北に進むと、道路は次第に緩やかな上り坂となり、対岸には、一部城壁が復元されていた。その先に、堤防より少し下に降りた河岸に、石造の鼓橋の「万年橋」が架かっている。「万年橋」左手の岸に大きな石像が見え、その奥に城壁と城門が見えていた。城門は「胥門」である。僕は、「盤胥路」まで戻り、そこから「万年橋」を渡り、伍子胥の石像の前に出た。「古胥門」は、石像の南にあったが、人が3、4人並んで通れるぐらいの、狭いものであった。
②.金門
「姑胥橋」を渡り、城内に入って最初の道、「学士街」を左手に回り、「景徳路」との交差点を西に向かうと、再び外城河にでたが、そこに架かる「愛河橋」の手前を北に向かう通りは、婦人服の店が多いフッション街であった。大胆な婦人服や、下着をマネキンに着せたショーウインドーなどもあり、見るとも無しに、通り過ぎると、やがて大きく左にカーブするその先に城壁が見え、そこに城門があった。民国20年に新たに開かれた、「金門」である。
③.「しょう門」(「しょう」は、門構えに昌)
「しょう門」は、蘇州第一の城門であり、蘇州の代名詞にもなっている城門である。「しょう門」を、字引きで引くと、神話に出てくる天空の門と書かれている。
「金門」を通り、城内から城外に出て、城外河に架かる「南新橋」を通り、賑やかな商業地に入った。「しょう門」前から西に曲がっている運河の南側を「上塘」、北側を「下塘」と呼び、「上塘街」の運河からは、「寒山寺」へ、その先の北西に向かう「山塘街」の運河からは、「虎丘」などへ向かう場所でもあったようだ。
谷崎は、市内見物には、驢馬に乗って回っている。橋岬にある「北寺塔」を見物後、寺の前を東西に通る「桃花塢大街」を西に向かい、「草家橋」を渡り、堀り沿いに、「四義橋」まで行き、その袂から、西濠河の城壁の内側を左へ曲がり、「水関橋」を渡って、「しょう門」を潜り、城外にある「吊橋」を見学している。
5).「北外城河」沿い
①.平門
「北外城河」に架かる「平門橋」の真ん中辺りから、西を望むと、茜色に染まってきた。その脇にジャングルジムのように鉄骨を組み合わせた構築物が、逆光の所為か、影絵のように見えたが、建築中の「蘇州駅」舎である。
伍子胥が、大軍を率いて「斉の国」を平定するために、この城門から出発したことから、「平門」と名付けられたと言われている。そして伍子胥は、斉の国を平定し、この城門から凱旋している。現在の「平門」は、「蘇州駅」の南口側のほぼ真向かいに、「北外城河」を挟み、民国17年に、再建された門である。
②.斉門
「斉門橋」は、南北に走る「斉門路」の「北外城河」に架かる橋であり、その城内側に、嘗ては「斉門」があった。呉の国に破れた斉の国が、幼い姫を人質として呉の国に送ったが、姫は、遠き故郷を思い、泣き崩れていた。呉王は、それを哀れみ、少しでも慰めようと、姫が、遥か故国斉を望むことが出来ればと、斉の国に向けて、高い建物を建築させた。これが「斉門」(望斉門)の謂れである。また、越の上将軍范蠡が、呉との講和のために嘗て献上した西施と一緒に、脱出したのは、この「斉門」だという話もある。夢物語のような、遠い、遠い、昔の話であるが、「斉門」は、現存しない。
6).「東城外河」沿い
①.「婁門」
「婁門橋」の橋詰めは、青空市場のようで、露店には人々が群がっていた。「婁門橋」の右手前橋詰めにある公園に向かった。公園の前には「東城外河」が流れており、その河岸から橋を下から眺めることが出来た。この橋の名前の由来を調べると、漢代には、この辺りは、既に「婁県」と呼ばれていたようだ。蘇州城と、現在の昆山、太倉とを繋ぐ幹線道路にあった城門であったので、その古い地名を取って 「婁門」と呼ばれたようだが、この城門も現存しない。(完)
* Coordinator: Gu Hong
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
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- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
西外城河
城内から眺めた【胥門】全景 -
西外城河
城内から見た【胥門】 -
西外城河
【胥門】記念碑 -
西外城河
城内から眺めた【胥門】 -
西外城河
呉の国の宰相、【伍子胥】像 -
西外城河
【胥門】の外城河(西濠)に架かる【万年橋】 -
城外から眺めた【胥門】全景 -
西外城河
城外から眺めた【胥門】全景 -
西外城河
城外から眺めた【胥門】全景 -
西外城河
【金門】の城内の左手にある記念碑 -
西外城河
【南新橋】の東にある【金門】 -
西外城河
【南新橋】の東にある【金門】 -
西外城河
城外から見た【金門】。 -
西外城河
外城河(西濠)に架かる【南新橋】から金門を眺める。 -
西外城河
【しょう門】の城内にある記念碑 -
西外城河
【吊橋】から眺める【しょう門】 -
西外城河
城外から眺める【しょう門】 -
西外城河
城外から眺める【しょう門】(「しょう」は、門構えに昌) -
西外城河
城内から眺める【しょう門】 -
西外城河
城内の西中市商店街から眺めた、夕暮れの【しょう門】 -
北外城河(北濠)
【平門橋】 -
北外城河(北濠)
平門橋から眺めた、蘇州駅の南側を流れる外城河(北濠) -
北外城河(北濠)
平門橋から眺めた、蘇州駅の南側を流れる外城河(北濠) -
北外城河(北濠)
平門橋から東の【斉門橋】方面を眺める -
北外城河(北濠)
蘇州駅の南側を流れる外城河に架かる【平門橋】。
この道は、南北に走る幹線道路である【人民路】である。 -
北外城河(北濠)
【平門橋】から眺めた、北濠の北側に現在建築中(一部使用されているが)の蘇州駅 -
北外城河(北濠)
北濠に架かる【斉門橋】、この道は南北に走る幹線道路の【斉門路】である。 -
北外城河(北濠)
北濠に架かる【斉門橋】、この道は南北に走る幹線道路の【斉門路】である。 -
北外城河(北濠)
北濠に架かる【斉門橋】 -
北外城河(北濠)
北濠に架かる【斉門橋】
道路は、南北に走る幹線街路の【斉門路】 -
北外城河(北濠)
【斉門橋】から西の方向に【外城河】(北濠)を眺める -
北外城河(北濠)
斉門橋を南に下りた城内にあるバス停【斉門】 -
東外城河(東濠)
【婁門橋】の近くの左岸にある公園 にある【婁門】(ろうもん) -
【東外城河】(東濠)
【婁門橋】 -
【東外城河】(東濠)
【婁門橋】 -
【東外城河】(東濠)
【婁門橋】から【外城河】(東濠)の北方を眺める。 -
【東外城河】(東濠)
【婁門橋】から【外城河】(東濠)の南方を眺める。 -
【東外城河】(東濠)
【婁門橋】 -
【東外城河】(東濠)
東西に走る幹線街路【東北街】(城内)から【婁門橋】を眺める。 -
【蘇州・夕食会】
新通天府大酒店
芥香木耳 -
【蘇州・夕食会】
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菊花醤蘿卜(大根の漬物) -
【蘇州・夕食会】
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