2011/11/03 - 2011/11/03
504位(同エリア691件中)
滝山氏照さん
JR南武線谷保駅下車甲州街道(国道20号)を渡り徒歩で約20分の三田氏館(みたしやかた、東京都国立市谷保)を訪問しました。
三田氏館は別名三田城跡又は谷保館跡と呼ばれていますが、築城時期は14世紀頃、築城者は不詳でよく判りません。
城主についても諸説があり確定していません。県主定盛説(「江戸名所図会」より)、菅原道武説(父道真が太宰府に左遷時定盛に身を寄せ彼の娘を娶り子をもうけた。「天満宮略縁記」「安楽寺記」より)、津戸三郎説(「新編武蔵風土記稿」・「武蔵名勝図会」より)、三田氏説(三田右衛門が谷保に蟄居した。「城山由来記」より)、及び別の三田氏(江戸初期から三田氏が城山に住んでいた。「万治古絵図」より)と様々な説があります。
地勢的には国立(くにたち)第一小学校の南側に比高差8mの青柳(あおやぎ)段丘が多摩川に向けて張り出した台地の端面に造られた館ですが当館跡は個人の敷地であるためか周辺に施されている土塁や空堀が極めて保存が良く充分な見ごたえがあります。
2023年11月5日追記
現地に建てられた説明板には下記の通り紹介されています。
『 三 田 氏 館 跡
所在地 国立市谷保5983の1付近
標 識 昭和19年3月
指 定 昭和30年3月28日
多摩川に向かって張り出した青柳段丘の台地上縁辺にある「谷保の城山」は、中世の城館跡であったという伝説があります。
この地は、従来から「三田城」あるいは「三田氏館」と呼ばれ、中世三田氏との関係が推測されてきましたが、鎌倉御家人であった津戸三郎為守が城主であったとする資料も存在します。現在、土塁や堀の後を確認することができますが、発掘調査などが行われておらず、城館の性格や城主などその詳細は不明です。
平成24年3月
東京都教育委員会 』
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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谷保駅周辺観光案内地図
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城山入口
途中の案内板が見当たらず入口を探すのにしばし時間がかかりました。 -
保全地域区画地図
地図下部ゾーンが公園となります。他方緑色でマークしている中央部は城跡のゾーンとなってます。 -
城山公園入口案内板
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城山公園案内図
公園内部は東西に細長く植物ゾーンを4テーマに分けています。
即ち東から身近な野草・丘と雑木林・水と植物・暮しと植物に分かれています。 -
城山説明板
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大規模の土塁
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城山台地一部
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公園の沼から見上げる城山台地
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土塁
どうやら居館を取囲んでいる土塁の一部と思われます。 -
イチオシ
土塁
長手の円弧状土塁で見事な姿です。 -
城山への入口
正門を示すような石柱が左右に建っています。右石柱に「城山」と刻印されているのが確認されます。この先に館があったと思われます。 -
見事な土塁
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イチオシ
虎口の土塁
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個人宅説明板
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大きく盛り上がった土塁
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イチオシ
井戸と虎口
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井戸近景
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土塁
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台地から見た公園
台地の下は急涯となっておりその下は公園沼地になっています。 -
神明宮の鳥居
当社には津戸家の守護神とされる神明社が鎮座しています。 -
神明宮参道
江戸時代の神明宮は神明山と称されていました。
禰宜(ネギ)を勤める代々の三田家の人は江戸時代を通じて土地や祠を維持管理しています。 -
本殿
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旧柳澤家住宅(復元民家)
江戸時代に青柳にあった農家を移築復元したものです。建築時期を示す資料等はありませんが解体調査の結果、江戸時代後期に建てられた家屋と推定されます。
(城山公園西側に「旧柳澤家住宅」が復元民家として併設されています。) -
座敷
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土間と台所
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母屋と井戸
母屋の縁側から井戸を望む。 -
谷保村・青柳村地図
移築前の青柳村と移築後の谷保村の位置を確認できます。 -
柳沢家住宅説明文
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