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初めて 海外に行ったのは 20歳のとき。<br /><br />またまた 撮影でした☆彡<br /><br />場所は 台湾の台北<br /><br />ホテルは、あのグランドホテル!(写真参)<br /><br />屋台がすごく賑わっていて、the・Asia って感じでした<br /><br />珍しいものも食べました。<br /><br />「牛の睾丸」や「臭い豆腐」などなど<br /><br />足つぼや占いにも行きました<br /><br />びっくりしたのは、台湾の交通模様。<br /><br />なんども 車に轢かれそうになりました ヽ(´Д`;)ノ<br /><br />向こうでは、「ひかれる人が悪い」そうですね<br /><br />縦列駐車も2列 バイクに4人乗り。。。<br /><br />早朝の太極拳もやってきました☆彡<br /><br />「故宮博物館」は、中国4000年の宝が満載で大興奮!<br /><br />全部回れなかった。。。<br /><br />残念。<br /><br /><br /><br /><br />~旅とは私にとって、その土地の刻んだ歴史を見るものだと思う。~<br /><br /><br /><br /><br />何故、台湾に「中国の王朝の宝」があるか、知ってますか?<br /><br />日清戦争(日本と中国・清王朝の戦争)のあと、今まで下だと思っていた日本に負けたことによって、中国国民の心は清皇帝から離れていき・・・、「反日愛国」をかかげた、孫文の国民党が革命により、「清朝」が崩壊に追い込みました。<br /><br />皇帝のもと、4000年間独立を保っていた 中国がとうとう崩壊した瞬間です。<br /><br />孫文の死後<br /><br />農民の支持を持つ(共産党の毛沢東)と富裕層の支持を持つ(国民党の蒋介石)が内戦を続けました。<br /><br />お金持ちと貧乏な農民の戦いでもありました。<br /><br />中国が共産党(毛沢東)と国民党(蒋介石)の2つに分かれたと考えるとわかりやすいと思います。<br /><br />内政干渉もあり、毛沢東が国民の支持を得て<br /><br />とうとう、蒋介石率いる国民党が台湾に追い込まれました。<br /><br />その時に、蒋介石は中国4000年の象徴ともいえる「王朝の宝」を台湾に持ち込みこみました。<br /><br />後にそれを展示公開したのが「故宮博物館」なのです。<br /><br />台湾に中国の歴代王朝の宝があるのは、そうした歴史的背景があるのです。<br /><br />台湾に実際行ってみて、実感したのは<br /><br />台湾は、中国の中心だと思ってるということ。<br /><br />教科書にも、自国の地図には、中国もはいってるのです。<br /><br />国民党は一時期、台湾に逃げたけど、これから中国を毛沢東(共産党)の支配から救い出す。という考えなんですね。<br /><br />〈今は、台湾でも政権が変わり、違った考えになってますが。。。〉<br /><br />実際に第2次世界大戦が終わってから、台湾が「china」と世界協定に示されています。<br /><br />オリンピックも台湾が「China」で出場していました。<br /><br />国民党がアメリカに支持されてたのです。<br /><br />細かく、書くと難しい~と思う方もいると思うので、歴史はここで終わりにします。<br /><br />続きは、興味のある方だけ( ^ω^)_凵 どうぞ。。。<br /><br />***<br /><br />「張学良さん、張学良さん。お元気ですか?」<br /><br />「はい。元気です。」<br /><br />張学良という人物をご存知でしょうか?<br /><br />満州事変で父・張作霖を亡くした、後に国民党の蒋介石のNO2ともいわれ、波乱万丈な人生を送った人物です。<br /><br />私の尊敬する方です<br /><br />生まれは昭和天皇と同じ年。<br /><br />日本にきたこともあり、昭和天皇と容姿が似ていてビックリされたそうです。<br /><br />晩年の写真を見たことがありますが、昭和天皇に似てます。<br /><br />満州事変は、日本が起こした鉄道爆破事件です。それによって、中国を戦争へと持ち込もうとしたんですが…<br /><br />満州事変で、親日派だった父の張作霖を殺されたのですが、張学良は我慢します。<br /><br />今、日本の挑発に乗ってはいけない。と・・・<br /><br />「本当は、国民を救う医者になりたかったが、国民を殺す軍人になってしまった。」と晩年を振り返ってます。<br /><br />世界が中国をめぐって、戦ってる時代に張学良は、国民党の蒋介石のもとで力を発揮します。<br /><br />しかし、中国が共産党と国民党で内戦をしてる間、日本が本格的に中国を植民地化しようと、乗り込んできます。<br /><br />そこで、「今は内戦をしてる場合じゃない。」と、蒋介石に銃を向けたのが、「張学良」でした。(西安事件)<br /><br />そして、共産党と国民党は手を結びます。<br /><br />日本を追い払ってあと、国民党が台湾に逃れた時すでに張学良は牢の中でした。<br /><br />命をかけて、中国を日本から守ったのです。<br /><br />蒋介石に銃を向けたことで極刑になってました。<br /><br />でも、極刑は逃れ、軟禁になっていきます。<br /><br />「極刑にならなかったのは、蒋介石の懐の大きさだ。」と語ります。<br /><br />殺されそうになったのに、相手を讃える素晴らしい人格を持ってました。<br /><br />台湾で50年以上も、軟禁状態の時<br /><br />牢の警備に「自分は張学良だ。」と言っても取り合ってくれませんでした。<br /><br />「あの英雄が、こんなところにいるわけないだろう?頭が変になってるんじゃないか?じぃさん。」と。<br /><br />蒋介石が死に、その息子の代になっており、「張学良」は歴史の波に姿をくらませていました。<br /><br />同じく牢の中にいた、日本人で沖縄出身の城間さんが、張学良と仲良くなり<br /><br />城間さんが、日本に戻ってから 張学良に手紙を書きます。<br /><br />「張学良さん、張学良さん。お元気ですか?」と。。。<br /><br />異説はありますが、それをキッカケに張学良は、存命が証明され、50年以上にわたる軟禁生活が終わったと、書物に書いてます。<br /><br />晩年はハワイで悠々自適に過ごします。<br /><br />そして、90歳の時、盛大な「張学良・90歳記念パーティー」が開かれ、公の場に姿を現しました。<br /><br />日本から中国を守り、日本に人生を左右された、中国の愛国者は、1991年に100歳で息を引き取ります。<br /><br />まさに 「波乱の100年」を送った歴史的人物なのです。<br /><br />~いゃ~、自由に書きすぎました。。。反省。~<br /><br />*咲*

驚きの台湾~初海外~

6いいね!

1997/04/01 - 1997/04/05

24378位(同エリア30229件中)

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咲

咲さん

初めて 海外に行ったのは 20歳のとき。

またまた 撮影でした☆彡

場所は 台湾の台北

ホテルは、あのグランドホテル!(写真参)

屋台がすごく賑わっていて、the・Asia って感じでした

珍しいものも食べました。

「牛の睾丸」や「臭い豆腐」などなど

足つぼや占いにも行きました

びっくりしたのは、台湾の交通模様。

なんども 車に轢かれそうになりました ヽ(´Д`;)ノ

向こうでは、「ひかれる人が悪い」そうですね

縦列駐車も2列 バイクに4人乗り。。。

早朝の太極拳もやってきました☆彡

「故宮博物館」は、中国4000年の宝が満載で大興奮!

全部回れなかった。。。

残念。




~旅とは私にとって、その土地の刻んだ歴史を見るものだと思う。~




何故、台湾に「中国の王朝の宝」があるか、知ってますか?

日清戦争(日本と中国・清王朝の戦争)のあと、今まで下だと思っていた日本に負けたことによって、中国国民の心は清皇帝から離れていき・・・、「反日愛国」をかかげた、孫文の国民党が革命により、「清朝」が崩壊に追い込みました。

皇帝のもと、4000年間独立を保っていた 中国がとうとう崩壊した瞬間です。

孫文の死後

農民の支持を持つ(共産党の毛沢東)と富裕層の支持を持つ(国民党の蒋介石)が内戦を続けました。

お金持ちと貧乏な農民の戦いでもありました。

中国が共産党(毛沢東)と国民党(蒋介石)の2つに分かれたと考えるとわかりやすいと思います。

内政干渉もあり、毛沢東が国民の支持を得て

とうとう、蒋介石率いる国民党が台湾に追い込まれました。

その時に、蒋介石は中国4000年の象徴ともいえる「王朝の宝」を台湾に持ち込みこみました。

後にそれを展示公開したのが「故宮博物館」なのです。

台湾に中国の歴代王朝の宝があるのは、そうした歴史的背景があるのです。

台湾に実際行ってみて、実感したのは

台湾は、中国の中心だと思ってるということ。

教科書にも、自国の地図には、中国もはいってるのです。

国民党は一時期、台湾に逃げたけど、これから中国を毛沢東(共産党)の支配から救い出す。という考えなんですね。

〈今は、台湾でも政権が変わり、違った考えになってますが。。。〉

実際に第2次世界大戦が終わってから、台湾が「china」と世界協定に示されています。

オリンピックも台湾が「China」で出場していました。

国民党がアメリカに支持されてたのです。

細かく、書くと難しい~と思う方もいると思うので、歴史はここで終わりにします。

続きは、興味のある方だけ( ^ω^)_凵 どうぞ。。。

***

「張学良さん、張学良さん。お元気ですか?」

「はい。元気です。」

張学良という人物をご存知でしょうか?

満州事変で父・張作霖を亡くした、後に国民党の蒋介石のNO2ともいわれ、波乱万丈な人生を送った人物です。

私の尊敬する方です

生まれは昭和天皇と同じ年。

日本にきたこともあり、昭和天皇と容姿が似ていてビックリされたそうです。

晩年の写真を見たことがありますが、昭和天皇に似てます。

満州事変は、日本が起こした鉄道爆破事件です。それによって、中国を戦争へと持ち込もうとしたんですが…

満州事変で、親日派だった父の張作霖を殺されたのですが、張学良は我慢します。

今、日本の挑発に乗ってはいけない。と・・・

「本当は、国民を救う医者になりたかったが、国民を殺す軍人になってしまった。」と晩年を振り返ってます。

世界が中国をめぐって、戦ってる時代に張学良は、国民党の蒋介石のもとで力を発揮します。

しかし、中国が共産党と国民党で内戦をしてる間、日本が本格的に中国を植民地化しようと、乗り込んできます。

そこで、「今は内戦をしてる場合じゃない。」と、蒋介石に銃を向けたのが、「張学良」でした。(西安事件)

そして、共産党と国民党は手を結びます。

日本を追い払ってあと、国民党が台湾に逃れた時すでに張学良は牢の中でした。

命をかけて、中国を日本から守ったのです。

蒋介石に銃を向けたことで極刑になってました。

でも、極刑は逃れ、軟禁になっていきます。

「極刑にならなかったのは、蒋介石の懐の大きさだ。」と語ります。

殺されそうになったのに、相手を讃える素晴らしい人格を持ってました。

台湾で50年以上も、軟禁状態の時

牢の警備に「自分は張学良だ。」と言っても取り合ってくれませんでした。

「あの英雄が、こんなところにいるわけないだろう?頭が変になってるんじゃないか?じぃさん。」と。

蒋介石が死に、その息子の代になっており、「張学良」は歴史の波に姿をくらませていました。

同じく牢の中にいた、日本人で沖縄出身の城間さんが、張学良と仲良くなり

城間さんが、日本に戻ってから 張学良に手紙を書きます。

「張学良さん、張学良さん。お元気ですか?」と。。。

異説はありますが、それをキッカケに張学良は、存命が証明され、50年以上にわたる軟禁生活が終わったと、書物に書いてます。

晩年はハワイで悠々自適に過ごします。

そして、90歳の時、盛大な「張学良・90歳記念パーティー」が開かれ、公の場に姿を現しました。

日本から中国を守り、日本に人生を左右された、中国の愛国者は、1991年に100歳で息を引き取ります。

まさに 「波乱の100年」を送った歴史的人物なのです。

~いゃ~、自由に書きすぎました。。。反省。~

*咲*

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