2011/11/25 - 2011/11/25
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kotetsupatapataさん
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気がつけば、今回の旅行記が96冊目との事・・
まあ愚にもつかない旅行記ばかりよう書いたものです。
しかも稚拙な文章にお付き合いいただいた上に、投票までして頂いた方には本当に感謝感謝です(^。^)y-.。o○
この感謝の念を胸に抱き? 今回は美濃の紅葉の名所を訪ねました。
- 交通手段
- 私鉄
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前日奥様に「車貸してちょ〜」と頼んだら、「今日はダメ(>_<)」と断られました(ToT)/~~~ なんで〜
まあ仕方がありません(;一_一)
列車で行けて、近場で紅葉の綺麗な所・・
あった! 谷汲の華厳寺なら行けるぞ(*^^)v
という訳で、大垣から養老鉄道に乗り換え、終点の揖斐を目指します。 -
終点の揖斐に着きました。 「乗って残そう」の幟が寂しそうにはためいています。
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揖斐川町
岐阜県の西部に位置する揖斐川町は、2005年(平成17年)1月31日 に揖斐川町が揖斐郡谷汲村・久瀬村・春日村・坂内村・藤橋村と合併し、新しい揖斐川町が発足しました。
滋賀県と福井県に隣接しています。 -
こちらが、今回の旅の救世主といっても過言ではない、揖斐川町コミュニティバスです。 このバスが運行していなかったら、今回来るのは断念していました。
揖斐駅に到着する時間に合わせて運行しています。
今回は先ずは横蔵行きのバスに乗り、横蔵寺を目指します -
がら〜ん(;一_一) 終点まで約40分乗りましたが、料金はたったの200円(*^^)v それなのに、乗っていたのは合わせても4人だけ・・
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横蔵寺に着きました。 駐車場には5〜6台観光バスが止まっていました。
ステッカーを見ると「奥美濃三山紅葉巡り」と書いてある車が多いです。
奥美濃三山とは、ここ谷汲の横蔵寺・華厳寺と美濃市の大矢田神社の三か所を指すようです。 -
★横蔵寺★
801年(延暦20)に伝教大師最澄が創建したと伝えられる寺。22体の国の重要文化財が安置され、多くの絵画、書籍を蔵していることから"美濃の正倉院"と呼ばれている。
横蔵寺は、元亀2年(1571年)、織田信長の兵火で焼失し、現在ある本堂、三重塔、仁王門などの主要伽藍は江戸時代の復興だそうです。 -
イチオシ
★横蔵寺★
ちょっと散りかけでしたが、綺麗な紅葉です。 -
★横蔵寺★
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★横蔵寺 仁王門★
檜皮葺の楼門、三間一戸(正面の柱間が3間で中央の1間が戸口)です。
延宝3年(1675年)完成。 -
★横蔵寺 仁王門★
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イチオシ
★横蔵寺 客殿★
ここの紅葉が一番綺麗でした(*^^)v -
★横蔵寺★
江戸時代初期、4年の歳月をかけて寛文3年(1663年)に完成した三重塔 -
★横蔵寺★
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★横蔵寺 本堂★
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★横蔵寺 舎利堂★
横蔵寺は、多くの文化財を有する寺として知られるとともに、「ミイラのある寺」として知られている。舎利堂に安置される「舎利仏」すなわちミイラは、妙心法師という人物の遺体である。妙心法師は横蔵寺の地元の村の出身で、俗名を古野小市良と言った。天明元年(1781年)に生まれ、諸国を巡って仏道修行をし、文化14年(1817年)、断食修行の後、今の山梨県都留市の御正体山で即身成仏したという。遺体は何らの加工もなく、自然にミイラ化したとされ、当初は成仏した地の山梨県で保存されていたが、遺族らの要望により、明治23年(1890年)、本人の出身地の横蔵寺に移された。
(byうぃき) -
★横蔵寺★
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★横蔵寺★
お寺自体はさほど大きくないので、30〜40分もあれば見終わってしまいます。
ところが・・ 次のバスまであと1時間もある(ToT)/~~~
マイカーと違い、これが公共交通機関の短所(ー_ー) いっそ歩こうかと思いましたが、華厳寺までは約8kmあるとの事・・
仕方なく待ちました。。 -
バスに乗ってしまえばあっという間に到着です。
続いては谷汲山華厳寺を参拝に、以前東京で添乗員をしていた時、某旅行会社の西国三十三か所巡りのツアーに添乗で来て以来ですから、およそ10年振りくらいです。
10年振りといえば、今から10年前の2001年(平成13年)9月30日限りで、ここ谷汲まで走っていた名鉄谷汲線という電車が廃止となりました。
現在は旧谷汲駅が保存されています。 -
改札口
それにしても最近えらく廃線跡巡りしている気が・・
そんなに“鉄”だったのか俺・・ -
保存されている路面電車
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この先線路は岐阜まで続いていたそうですが、相次いで廃止となりました。
確かにこの辺りは過疎化に加え、車社会ですので廃止は時代の流れを考えれば仕方がない面もありますが、旅情をそそる点や、環境面を考えれば残念ですね。 というのは部外者の感傷でしょうか・・ -
さて、横道にそれましたが、参拝へ出かけましょう。
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★華厳寺 総門★
華厳寺は延暦17年(798年)、会津黒河郷の豪族大口大領なる人物によって創建されたそうです。『由来記』によれば、大口大領は都の仏師に依頼して自らの信仰する十一面観音の像を造立しました。
彼は観音像とともに会津に帰ろうとしましたが、途中、美濃国の赤坂(現・岐阜県大垣市)で観音像が動かなくなってしまいました。赤坂の北五里の山中に観音所縁の霊地があるというお告げを受け、大口大領は同地に草庵を建立。延暦末年に、当地で修行していた僧・豊然上人(ぶねんしょうにん)の協力を得て華厳寺を建立しました。
延暦20年(801年)、桓武天皇の勅願寺となり、延喜17年(917年)には醍醐天皇が「谷汲山」の山号と「華厳寺」の扁額を下賜。天慶7年(944年)には朱雀天皇が鎮護国家の道場として当寺を勅願所に定め、仏具・福田として一万五千石を与えたそうです。
「谷汲山」という山号については、『寺付近の谷から油が湧き出し、仏前の灯明用の油が汲めども尽きなかった』ことに由来します。
(Byうぃき) -
★華厳寺★
この先仁王門までの参道の両側には土産物屋や食堂、巡礼の衣装などを売る店が並んでいます。 -
★華厳寺★
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★華厳寺 仁王門★
なかなか立派な仁王門です -
★華厳寺 仁王門★
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★華厳寺 仁王門★
門を後ろから見ると・・ -
★華厳寺★
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★華厳寺 本堂★
建武元年(1334年)足利氏と新田氏の戦乱が起こり、新田氏一族堀口美濃守貞満の乱をはじめとする戦乱で幾度となく諸堂伽藍を焼失するが、 明治12年(1879年)豪泰法印によって再興。
入母屋造、正面五間、側面四間の外陣部の奥に、棟を直行させて内陣部が接続する。
本尊は十一面観世音菩薩、右脇侍(向かって左)は不動明王、左脇侍(向かって右)は毘沙門天(重要文化財)である(いずれも非公開)。堂内右手に納経所、地下に戒壇巡りがあり、正面向拝の左右の柱には「精進落としの鯉」と称する、銅製の鯉が打ち付けられている。西国札所巡礼を三十三番札所の当寺で満願した者は、その記念にこの鯉に触れるならわしがある。
(Byうぃき) -
★華厳寺★
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★華厳寺★
本堂に昇る階段付近の紅葉が一番鮮やかだした(*^_^*) -
★華厳寺★
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★華厳寺 本堂★
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★華厳寺★
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華厳寺の紅葉素晴らしかったです(*^_^*)
帰りは、樽見鉄道の谷汲口駅行きのバスに乗ります。 先程の横蔵寺とは逆に今度は時間ギリギリセーフ(ー_ー)!! でバスに乗車。
やはり公共交通機関の旅は難しい・・ -
無人駅です。
周りに何もありません(T_T) -
15:20発の1両編成の列車で大垣へ戻ります。
途中の駅で通学の学生さんが大量に乗りラッシュアワー並みの大混雑です(>_<)
大垣からは名古屋経由で帰りました。
今日も充実した旅となりました。『古刹と紅葉』やはり日本人の琴線に触れる組み合わせですね(*^_^*)
京都まで行かなくても、近くにこんないい所があるとは、知りませんでした。
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