2011/04/29 - 2011/05/01
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hisa魚さん
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3.11から1か月と少し。
母の実家は津波に流されて何もなくなっていた。それは震災から数日経ったころ被災地の航空写真で確認していたし、あの惨状で港近くのその家が残っていることは絶望的だった。
そしてまた父の実家も気仙沼。ここは海からは離れているが航空写真でみると茶色い。高台にあるから流されていないといいが(今はだれも住んでいない)。町の病院は津波をかぶりDMATが活動しているとの新聞記事を見る。
ガソリンの供給も安定したみたいだし、行けるのならば行かないと!!
まるでバックパッカーのような荷造りをして選抜家族5人で救援物資を車いっぱいに詰め込んで3日間のハードスケジュールで大渋滞の凸凹東北道を走り気仙沼に向かった。
※写真は小泉に下る道
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
宿泊する場所がない。なんとか気仙沼郊外のホテルを予約したが4人だけ。床でもいいからとお願いするが断られ、父は本吉町実家近くの友人宅へ宿泊することに。
仙台に住む祖母や叔父に会い、祖父のお墓参りに向かう。祖母は『地震がすごくて怖くて眠れなくなった』と90過ぎてこんな試練…抱き枕をプレゼントした。3か月ぶりの再会も結局は地震と津波の話しばかり。これから向かう私たちに『気を付けてね』と仙台をたった。 -
仙台から三陸自動車道がベストなのだが、今は震災後…間違いなく混んでるし道も悪いだろう。再び東北道にのり若柳金成ICで降り、346号で本吉町に向かう。家もしっかり建っていて地震の影響は感じない。
いつもと違うのは、何回もすれ違う自衛隊の方が沢山いること。とても異様な風景だった。
*気仙沼から唐桑方面 -
父を友人宅で降ろす、明日迎えにまた来る予定。外は真っ暗。
走り出して間もなく町が一変する。何もなくなっている、バスや車がひっくり返り瓦礫が散らばっている。
こんな遠くまで…分かっていたはずなのに分かっていなかった。と驚く
父の実家からの町の光景、低い場所は茶色い。ここは河が逆流して被害にあいました。海からは4Kmもありここから海を感じることはなく山しかない印象だったのに…
家に行くには必ずお寺のこのお墓前の道を通らなければならない、いつもうっそうとしていてひと気がなく車でも怖いくらいだったのに今日はは喪服を着た人が小さな山道に沢山いた。
今まで一度もこんなに人がいたことはなかったのに…。怖さはなかったけど本当に悲しい。
父の家は無事。隣家の人はいつものように畑仕事中だった。一度も山から下りていない「町がどうなったかお墓からしか見ていない。」と。被災地でありながらほぼ自給自足で暮らしているから影響はなかったようです。高齢だから町に降りるのも大変だもんな。 -
自衛隊の方が活動していた。
ボランティアの活動起点にもなっている。
日本に自衛隊がいて良かった。本当にありがとう。 -
翌日、気仙沼市内から南下。主要道路の確保は出来ているけど道が悪い、時々柱が道にはみ出ている。
知っている光景はそこには無くなっていた。
避難所に行き親戚に会ってから、祖父母のお墓へ(お寺が避難所になっている)。
みんな話が聞いてほしくて仕方ないみたい、出来る限り耳を傾けた。
避難所の生活は本当に辛そう、でもみんな笑顔でたくましくも感じる。極限状態になると人間の本質が出ると思うが、本当に強い人たちだ。
そして母の実家に向かう。 -
夏休みのたびに田舎に来ては、水着のまま家を出てこの『大谷海岸』で海水浴を楽しんでいた。
今は駅舎だけが残り周りの旅館や民宿、お土産や、コンビニ…すべて消えていた。
砂浜までもが地盤沈下で消えてしまった。
絶句… -
駅舎の中
日本一、海水浴場に近い駅として私の自慢でもあったのに。
無残な光景 -
駅舎の屋上からの惨状 なんで!?
でも
こんな状況下、この日『道の駅 ハマナスステーション』再開!!
すごいパワーだなぁ…生きる力ってすごいなぁ。
プレハブの建物で地元の方、踏ん張っています。地元の物が売っています、力になれたらと買物をします。この日、他の道の駅からも応援が来ていて活気があった。気仙沼パン!!!作っているの!?買う買う。
懐かしい、やっぱりおいしい。
がんばれ!!! -
再開した駅の特産品売り場で見かけた手書きポスター
また、ここから…支援していきたい。
ここでも母の友人が多数おり、東京から駆けつけたこと本当に喜んでくれた。
このころ東京の水道水から放射性物質がでたときで都内のコンビニやスーパーからまた水が消えたころ。
沢の水からヒ素が出てしまった大谷一帯は大量に水の支給があったそうで、まだ5カ月の孫のいる母へ無理やり車にペットボトルの水を積み「持って帰れ!こんなにいらねーから」と。
東京は水が買えないときだたからありがたかった。でも・・・・
私たちより大変なのに…どうして?
口は悪いけど(方言なので仕方ない)本当にやさしくて強い。後ろめたい気持ちになってしまった・・・・
私たちがその立場になったら、そんなことできるのかな????
ありがとう。 -
母の実家跡地
跡形もありません。分かっていたことだけど、誰も口を開かない。
ここに来て何をすべきか?何も出来ないのか?
ただただ唖然。
未だ位牌も見つからない。でももっと辛い人がいっぱいいる。 -
母の実家跡地近く
鉄道が走っていた跡地(なんとなく分かりますか?)、線路は根こそぎ流されています。
左側は高台になっていますが被害は免れなかった。建物は残っていますが、さらに高台まで津波は押し寄せています。 -
上の写真とほぼ同じ場所から、数年前に撮った写真です。
本当になんにもなくなってこの光景はもう見れないと思うと悲しい。
気仙沼線、再開してほしい。
そしたら必ず乗りに行くよ! -
奥に見える大谷漁港 夏には綱渡り大会がありましたが…
線路や家、すべてが地面から剥がされてるという表現が分かりやすい。
これでも捜索が終わり線路や枕木がまとめられて、片付けられている状況だそう。 -
数年前の大谷漁港
のどかで静かな田舎の風景だったのに…
写っている建物は一つ残らずに流されています。
この場所までは、瓦礫で行くことはできませんでした。 -
誰も住めなくなってしまって、手入れなんてしていないのに
タンポポやスイセンが咲いていました。
時間の流れを感じ、植物の生命力の強さを感じます。
まだ、2か月経っていないのに -
向洋高校
4階のガラスも割れている。
本当に恐ろしい。
この辺は食品加工会社も多く異臭を放っていました。この先に岩井崎がありますが悪路と恐怖のため立ち入れませんでした。 -
気仙沼、安波山で日本カモシカに遭遇
悲惨な光景ばかりの中、少しばかり癒された。見られてラッキー。
あの日、君は何をしていたの? -
在りし日の大谷海岸
貝殻を拾った砂浜は消え、今は黒い土嚢で防波堤がはられています。
今回、写真を載せるのを躊躇いましたがまだまだ支援が必要で、少しでも多くの方に忘れずにいてほしいと思い載せさせて頂きました。
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この旅行記へのコメント (8)
-
- HIROさん 2011/12/14 04:27:46
- 気仙沼ですね。
- hisa魚様
はじめまして。
私どもへのご訪問ありがとうございました。
49日目というと、まだ寒い頃ですね。
私が伺った5月末でも、避難所の体育館は、ストーブを焚いていました。
ご両親のご心痛、hisa魚様のご心痛お察しいたします。
震災関連の旅行記は見ないようにしていました。
興味本位だったら、嫌だから・・・
でも、ご両親の帰郷とあったので、見せていただきました。
私自身、数日間の写真を掲載することをためらっています。
決して、興味本位に撮ったものではなく、仕事で伺い、報告のために撮ったものです。
気仙沼では、帰って、私のほうが、皆さんに良くして頂きました。
ミズ(アカザ)やワラビ、イカの刺身、おすしも美味しかった。
山へ行って採ってきてくれた人、奈良から!?とオマケしてくれたおじさん、いい人たちに出会うことができました。
また、気仙沼へ行こうと思います。
- hisa魚さん からの返信 2011/12/15 13:53:24
- こんにちは
- HIROさん、コメントありがとうございます。
私を含めて、両親・親戚ともども前向きに現実を受け止めています。
確かに、震災後に興味本位で被災地に行く人もいたようですが普通の人ならあの惨状の前にそんな気持ちも失せてしまいますよね。
私は、被災地の記憶を残すことは、忘れない、教訓にするとして大切なことだと思います。是非、写真を載せてください。
年末になり「今年の重大な出来事」だったで終わりそうで心配です。
HIROさんの
> また、気仙沼へ行こうと思います。
本当に嬉しく思います。
何もなくなってしまったけど、頑張っている人や温かい人。そんな人達が人を引き付けているなと思います。
数年後の気仙沼、、、どうなっているのでしょうか?楽しみですね。
hisa魚
-
- バインフランさん 2011/11/25 15:57:17
- 気仙沼のご出身だったんですね
- こんにちは、バインフランです。
訪問&コメントありがとうございました。
さっそくごあいさつがてら、来てみました。
hisa魚さんは気仙沼のご出身だったんですね。
驚きました。
私は、仙台市在住です。
幸いにも、私たちは仙台市中心部に近い地域に住んでいたので
たいした被害にもあわずに済みました。
それでも、住んでいたマンションは大規模半壊の認定を受けましたが。
震災後の沿岸部の状況などは
地元のニュースで、いまでも刻々と入ってきます。
地震の影響で地盤が沈下したので、毎日、天気予報では
大潮や高潮の情報を流しています。
気仙沼には行ったことはありませんでしたが、
日本有数の水揚げを誇る漁港として誇りを持っています。
早く、かつても気仙沼に戻ってほしいとせつに願っています。
今回の震災は、予想されていた「宮城県沖地震」ではないと聞いて、
今後の参考になればと、震災から約2週間のできごとは
ブログで克明に記録してました。
よかったら見てみてくださいね。
「バインフランの甘くない日常」より
http://blogs.yahoo.co.jp/banhflan2004/62105588.html
バインフラン
- hisa魚さん からの返信 2011/11/27 19:59:02
- RE: 気仙沼のご出身だったんですね
- バインフランさん、こんにちは
ブログ拝見しました、4月に仙台在住の祖母、叔父に会い結構のんきな感じでしたが、震災直後に食料がない。と言っていたのを思い出しこういう事かと思いました。東京では震災の記憶が薄れていくなか「備えあれば憂いなし」忘れずにいたいと思いました。
東京では買占めやスーパー、ドラッグストアの長蛇の列。恥ずかしい限りです…。
ところで今頃はミャンマーですね!
旅行記楽しみにしています。
hisa魚より
-
- 横浜臨海公園さん 2011/11/23 02:14:15
- はじめまして
- hisa魚さま、はじめてメッセージを差し上げます。
この度は、小生のページに初訪問を賜りまして誠に有難うございました。
旅行記を拝見させて頂きましたが、hisa魚さまは、大谷海岸にご実家があるとの由。
ボランティアで、あの界隈も廻りましたが、本当に何もかもが破壊され尽くしてしまい、嘗て、人の生活の痕跡をソコソコに残しているに過ぎません。
実は、私事ながら、小生の甥も震災以来、行方不明のまま遺品すら残されていない状態でして、写真を拝見すると心が痛みます。
今後とも宜敷くお願いします。
横浜臨海公園
- hisa魚さん からの返信 2011/11/23 12:05:16
- RE: はじめまして
- 横浜臨海公園さん
メッセージ、そして
大谷でボランティア活動をして頂きありがとうございます。
未だ3600人以上が行方不明となっているこの震災。その一人一人に大切な人、家族、友人がいると考えただけで辛くなります。
心からお見舞い申し上げます。
今後、気仙沼だけでなく太平洋沿岸の被災された地域が復興出来るよう継続した支援が必要ですね。
一人でも多くの方が忘れずにいてくれることを願い、微力ながら力になれる人でいられますように。
hisa魚
-
- 義臣さん 2011/11/17 17:10:52
- 忘れません
- 忘れませんとも
絶対に、
義臣
- hisa魚さん からの返信 2011/11/18 10:35:50
- ありがとうございます
- 一人でも多くの方が忘れずにいてくれることに感謝します。
嬉しいです。
hisa魚
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