![子供の頃から船旅に憬れていた<br />いつか、大きな外国船に乗り、異国を旅してみたい<br />そんな夢がようやく叶うことになった<br /><br />飛行機では決して味わえない贅沢な時間が船旅にはある<br />朝起きて、海鳥と同じ視線で海を眺める<br /><br />眩しいまでの白い家々が並ぶエーゲ海の島々を目指し、紺碧のアドリア海を進む<br />汽笛の合図と共に、いつか夢で見た景色がゆっくりと近づいてくる<br /><br />さあ、陽気なイタリアンクルーと一緒に巡るコスタビクトリアの旅へようこそ!<br /><br />7日目 コルフ島を出航した船はクロアチアの観光地 ドブロブニクを訪れます<br />](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/62/04/650x_10620411.jpg?updated_at=1360050510)
2011/10/20 - 2011/10/30
960位(同エリア2028件中)
くろへいさん
子供の頃から船旅に憬れていた
いつか、大きな外国船に乗り、異国を旅してみたい
そんな夢がようやく叶うことになった
飛行機では決して味わえない贅沢な時間が船旅にはある
朝起きて、海鳥と同じ視線で海を眺める
眩しいまでの白い家々が並ぶエーゲ海の島々を目指し、紺碧のアドリア海を進む
汽笛の合図と共に、いつか夢で見た景色がゆっくりと近づいてくる
さあ、陽気なイタリアンクルーと一緒に巡るコスタビクトリアの旅へようこそ!
7日目 コルフ島を出航した船はクロアチアの観光地 ドブロブニクを訪れます
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 船 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ドブロブニク(Dubrovnik)の名前の由来は、クロアチア語の「樫の木」からきているといわれている
それ以前はラグーサ(ラテン語でRagusa 岩の意味)と呼ばれていた
ドブロブニクの歴史は紀元前に遡る
古代イーア人が最初の住人といわれているが、その後古代ギリシアの影響を受けてヘレネス文明がこの地に持ち込まれた
その後ツァブタット難民が移住するようになり、この島をラグーサ(ラテン語)、クロアチア語でラウーナと命名した
以降、ドブロブニクはラグーサ共和国として呼ばれるようになった
歴史上、この名前が登場したのは667年である
従い、1300年もの歴史がこの街にあるということだ -
その後1272年に発効されたStatute Lober Statorun Civitatis Ragushという公文書のなかにドブロブニク共和国の名前が登場する
元々ラグーサという名称は前述したように、「岩」という意味を持つ
これは、この地に最初に居住した人達が呼んでいた名前だが、ドブロブニクはビサンチン帝国(東ローマ帝国)の植民地から独立以降、堅牢な城壁を持つ要塞都市を築き上げていった
その後、13世紀になり、ベネチア共和国などイタリアの海洋都市国家との貿易により大きく繁栄していく -
ベネチアとの海洋貿易により、ベネチア文化がこの都市に与えた影響は大きい
街を歩くと、街の景観がベネチアとよく似ているのに気が付くであろう
ベネチアが「CITY OF ART」と呼ばれているのに対し、ドブロブニクの別称は「アドリア海の真珠」と呼ばれている
1925年にノーベル文学賞を受賞したイギリス近代演劇の第一人者であるアイルランド出身の劇作家バーナードショウは、「ドブロブニクを見ずして天国を語るなかれ」と言った -
今では、ヨーロッパで最も美しい街のひとつとして、世界中の旅行者の憬れの的となっているが、これらの建築物は海洋国家として長きにわたり欧州の諸外国と貿易を続けてきたドブロブニクが、それぞれの時代にゴシック、ルネッサンス、バロックなどの様式や意匠を取り入れ、多彩且つ華麗な建築美を構築していったといわれている
特に、ベネチア文化の影響を強く受けたドブロブニクは、同じようにベネチアの影響を強く受けたボヘミア地方(チェコ共和国)のチェスキークロムノフと酷似していると思うのは私だけであろうか? -
長きにわたって、軍事的、経済的な独立を保ち続けた世界最初の「自由都市国家」ドブロブニクの歴史も、栄光と繁栄のみに飾れらる明るい事ばかりではなかった
1667年、バルカン半島を震源とする大地震によって、驚く事にドブロブニクの市民の半数以上が死亡したといわれている -
近年では、ユーゴスラビア紛争によりセルビア、モンテネグロから攻撃され、「アドリア海の真珠」は戦火の火を浴びる事になった
ユーゴスラビア紛争の背景を簡単に説明しておこう
もともと、ユーゴスラビアは他民族国家として諸々な多様性を持っていた
第二次世界大戦では、ナチ率いるドイツとファシスト率いるイタリアによって占領されていた
両国の敗戦後、ユーゴスラビアでは民族主義者によるバルチザン活動が活発化しはじめたが、そのなかでバルチザンのリーダであるヨシップ.ブロズ.チットーが国を纏めて悲願の独立を達成する -
チットーにより独立を果たしたユーゴスラビアは、社会主義政策をとりいれるものの、当時冷戦時代にあった旧ソビエトを中心とする東側とは一定の距離を保っていた。
当時「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、ひとつの国家」とまでいわれた国を、チットーはそのカリスマ性を如何なく発揮しながら、国内の民族主義活動を抑止し、多民族国家として統一が保たれていた
東西冷戦の最中に、殆どの国家が東西の何れかに組み込まれていった中で、ソ連の衛星国とならずに独立が保たれたのは奇跡的といえる
同様に、チットーの影響が如何に強かったか分るといえるであろう -
1990年代に入り、ゴルバチョフ政権になったソ連国内では、急速に民主化が進捗していく
この民主化の流れは、ソ連国内に留まらず、当為のソ連の衛星国であったルーマニアやポーランド等東欧の政治体制を根本的に変え、やがてはチャウシェスク大統領の処刑やベルリンの壁崩壊という、歴史の変革へと続いていく
もともと独自の社会主義体制であったユーゴスラビアでも同様に、共産党による一党独裁体制からの脱却を廃止する動きが活発化していった
これらの活動は、同時にチットー体制に対する反体制勢力ともなり、これまで首を縮めていた民族意識が目覚める事態に繋がっていった
セルビアではストロボタン.ミロシェビッチ、クロアチアではフラニョ.トゥジマン等の民族主義者が実権を握り始めるようになった
そして、ついに大セルビア主義を掲げたミロシェビッチがユーゴの中心で大統領になった
この大セルビア主義こそ、これらの地を血で血を洗う紛争の原点というべきもので、かつてユーゴの土地を支配したナチズムによるゲルマン民族主義を彷彿させる事から、歴史的にも皮肉な状態といえるであろう
最も大セルビア主義の根源となっているのが、そもそもセルビア人の土地をオスマントルコ帝国やオーストリアハウスブルグ家の支配による民族の分断から発しており、彼らの血の中に流れている民族独立の渇望がいかに根深いか窺い知る事ができるというものだ -
この大セルビア主義の大きな過ちと言われている所以が、自意識過剰なまでの被害妄想癖ではないだろうか
ミロシェビッチが大きく躍進した背景に、セルビア人を経済的搾取や差別の被害者とすることで、他民族の利益や権利を軽視した事が、この地域の混乱を大きくする事になった
これら他民族の集合体である国家の中で、一民族でしかないセルビア人が、その主権を急進的に主張する事は、他民族にとって憂慮ならない自体であることは想像に難くない
クロアチア人が大多数を占めるクロアチアや同じくアルベニア人が大多数を占めるアルベニアがユーゴスラビアからの独立に傾くのも自然な流れといえるであろう
これらの不協和音が決定的となったのは、1991年5月15日に、ユーゴスラビア連邦国家の幹部会の議長が、これまで決められていた順番でセルビア人からクロアチア人に交代する筈であったが、幹部会のセルビア人たちが反対した事で、議会は粉砕、事実上ユーゴスラビア連邦の国家機能は停止した -
クロアチアの独立は、その後のボスニアヘルツェゴビナの独立紛争への継起にもなり、虐殺や民族浄化等の暗い歴史を産む事になった
さて、クロアチアの独立宣言後、ドブロブニクは直ちにユーゴスラビア人民軍内のモンテネグロ人により激しい攻撃を受ける事になる
これは、当時のモンテネグロ政権がセルビア人政府に忠誠を誓っていた事から、モンテネグロ人はドブロブニクを歴史的にモンテネグロの一部と主張していた
実際に、ドブロブニク市内に居住するモンテネグロ人は僅か5-6%しかおらず、この主張が対外的に容認できない事は明らかであった
1991年10月1日 ユーゴスラビア人民軍が観光客で賑わうドブロブニクへの砲撃を開始した
その後、ユーゴスラビア人民軍は要塞となっているドブロブニクを7ヶ月間も包囲した
12月6日には最大の攻撃が行われ、114人がその犠牲となった
尚、共産主義者のチットーは、第二次世界大戦後に多民族国家ユーゴスラビアを纏めた功績がある一方、ドブロブニクでは宗教弾圧を行い多くの市民を虐殺した
いずれにしてもドブロブニクとすれば受難の歴史の連続である -
紛争により、ドブロブニクの街は一旦はその存在そのものがユネスコの危機遺産に登録されたが、紛争終結により大幅な修復活動が行われた
現在では143k?の市内に43,700人が居住している
その内約30,000人が城壁の中の旧市街に居住しているといわれている
気候は地中海気候により、夏は乾燥し、冬は雨が多い
但し、冬には突風なども起きやすく、典型的な地中海気候とは若干異なった性質を持つ
とはいえ、冬も比較的温暖な気候なため、年間を通して世界中から多くの観光客がこの街を訪れる -
この旧市街は、長さ2kmにわたる城壁によりその周囲が囲まれている
ミンチェタ要塞をはじめとする各所からは、素晴らしい景色を眺める事ができる
この城壁を1周すると約1.5時間かかるというが、くろへいは1周するのに2時間以上かかった
とにかく何処からでも絶景が望めるので、できるだけゆっくり歩いてみたい -
城壁の途中にあるカフェでオレンジジュースを飲む
この辺は柑橘類が有名で、目の前で熟したオレンジをそのまま絞って飲ましてくれる
1杯4ユーロはやや高いが、絶景を前に飲むジュースは最高に美味い
できれば、ジンとカンパリを少し混ぜて飲みたかった!
遠くにコスタビクトリアが見える -
この城壁の散歩はドブロブニクの町を空中から見下ろすようで誠に気持ちが良い
-
有名な建造物は勿論、美しい海や庶民の生活も覗く事ができる
まあ、住んでいる人にはちょっと迷惑かな -
城壁散歩はできるだけ早い時間がお勧め
人も少なく、絶景を独り占めできる -
かなり滑るのと、日差しが強いので、履き慣れた靴と日焼け止めは必須
-
釣鐘に注目
こんなかわいい人形もベネチア風? -
街全部が赤い瓦で統一されている
できるだけ本来の姿を忠実に復元するようにしている
日本の建売住宅のデザインと比べると随分と品がよい -
ロブリエナッツ要塞の入り口に
[世界中の黄金をもってしても自由は売らず]
と書かれている
ナポレオンに占領されるまで1,000年の独立を守ってきたドブロブニク市民の気概が窺い知れる -
ドブロブニクは、城内と外界を完全に遮断して造られた街だ
限られた面積の中で、全てが計画的に施工された
1000年以上前ではあるが、上下水道も完備されており、市当局が清掃を管理していたという -
この要塞都市では、驚くほど都市機能が発達していた
学問や学術を重要視し、大学や新聞社、造船所を設立 -
オノフリオの噴水
1438年に作られたが、今でも街の人達は飲料水として用いている
スルジ山の地下水がオノフリオで湧き、今でも街の人達の喉を潤す -
提督の住むスポンザ宮殿には旗が掲げられており
「私事を忘れ、つねに公共に心を配るべし」
を代々の提督の座右の銘にしていたそうだ
今の時代でも見習うべきところは多々あるような気がする -
驚く事に、総督の任期は僅か4週間
汚職や権力の集中を防ぐために、任期は出来る限り短くしたといわれている
どこかの国の将軍様とはえらい違いだ -
街のランドマークとなっている時計台横にあるのが、政治の機能が集中したスポンザ宮殿
-
-
-
海に向けられた大砲
どれだけの間、この大砲は城壁を守っていたのだろうか? -
※記載の内容は、各文献やHPの情報から纏めたものです
文章構成はくろへいが行いましたが、一部抜粋もありますのでご容赦下さい
本旅行の関連サイトです
移動編 ①
http://4travel.jp/traveler/mochida1969/album/10617639/
コスタビクトリア号船内編 ②
http://4travel.jp/traveler/mochida1969/album/10617677/
アンコーナ編 ③
http://4travel.jp/traveler/mochida1969/album/10618024/
ミコノス島編 ④
http://4travel.jp/traveler/mochida1969/album/10618232/
ミコノス島の猫編 ⑤
http://4travel.jp/traveler/mochida1969/album/10619464/
アテネ(ピレウス)編 ⑥
http://4travel.jp/traveler/mochida1969/album/10619518/
コルフ島(ケルキラ)編 ⑦
http://4travel.jp/traveler/mochida1969/album/10619951/
ドブロブニク編2/2 ⑨
http://4travel.jp/traveler/mochida1969/album/10621057/
ベネチア編 ⑩
http://4travel.jp/traveler/mochida1969/album/10621113/
ベネチアの風景
http://4travel.jp/traveler/mochida1969/album/10621128/
イタリア、ギリシアのショッピング
http://4travel.jp/traveler/mochida1969/album/10621332/
イタリア、ギリシアで食べた料理
http://4travel.jp/traveler/mochida1969/album/10621316/
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