2007/07/21 - 2007/07/31
719位(同エリア1330件中)
スタリモストさん
- スタリモストさんTOP
- 旅行記306冊
- クチコミ10件
- Q&A回答0件
- 295,192アクセス
- フォロワー34人
スタリモストが陽朔でケガをして、当地の人達のあたたかさに救われ、肇興ではトン族の歌声に魅せられた2007年の旅の全容。
興坪で竹筏船に乗り、水しぶきを浴びて漓江川くだりを楽しんだシーンや、龍脊の金坑に広がっていた梯田の絶景も懐かしく思い出す。
7月21日〜31日(11日間) (a3記)
※広州「陳氏書院」にて
- 旅行の満足度
- 5.0
-
■9日目 陽朔→桂林/桂林泊
朝、将先生に傷口の洗浄と包帯の交換をしてもらう。綿棒は竹棒の先に綿をつけたいかにも手作り仕様だし、消毒液がこぼれ落ちる先は普通のゴミ箱だったりするけれど、その措置は至って適切でていねいだった。診断書とともに帰国後の留意点についてもくわしく書いて渡してくれた。
10:00過ぎのバスで桂林に出発。
満席になっても人を乗せていたが、そこで登場したのが風呂桶で、これが通路に並び腰掛けることとなる。しかし可哀想なことに前方に座っていた若者が急停車の時、頭からスライディングしたような格好で前にずっこけしまった。 -
桂林バスターミナルに着いた後、タクシーに乗って「桂林民航大廈」までいった。ここのフロントで、エアポートバスの運行状況確認したのだが、午前6時半から出ていると教えてくれた。
宿は他をあたることにした。並びの角のホテルでは「部屋はある」と言った前言をひるがえされ断られ、遠回りして行き着いたのが「臨江飯店」。広さも充分で、ミネラルウォーター・湯完備で120元だった。
休んだ後、近くの店で昼食。隣の席では大学生が宴会の真っ最中で、何度も乾杯を重ねていた。ご飯は炊きたてが出てきて、麻婆豆腐とのコラボは最高だった。風をはらみ膨らむビニール覆いには手こずったけれど・・。 -
タクシーで、「漓江民族風情園」に行くが閉館(新装開園のための長期閉園)。
-
致し方ないので博物館に行くように言ったが、止まった所は西山公園エリアの「劉三姐景現園」だった。運転手が気を利かせてくれたようだが、園内は暑さのためか閑古鳥が鳴いていて入る気がせず、
-
あらためて博物館に向かった。
ここの入館者も我々が入って出る間は0人。館内にはエアコンがなく蒸し風呂状態で、汗ぶるぶるかいた昨夏のブタペスト博物館を思い出した。 -
見たい少数民族の展示コーナーには時間をさいてとどまった。上海博物館の展示とはくらべようもなく貧相だが、人形たちが民族衣装を着せられて並んでいる様はある意味圧巻。
-
踊りに興じる男の足はあらぬ方向にひん曲がっていた。
-
衣装や装飾品、道具類が民族ごとに展示されていて、どれもが精緻な作りでため息がもれた。時の流れに洗われたこれらの歴史的な陳列品と同じものが、まだ現在も現役で使われている。展示されているものと同じ竹製品がトン族の村の店先にぶら下がっていた。中国の田舎は流れる時間の単位が違うし、かって価値あるものは今も価値を持ち続けているようだ。
-
「歩き方」を木陰でめくっていて、 シアター「龍脊演芸」が目にとまった。公演の内容は、少数民族の伝承芸能をもとに構成と記されていた。タクシーを拾いシアターに着くと、公演が20分後ということだけれど、確かめてみると演目が「劉三姐」という。どうも昼と夜はちがうらしい。しきりに昼の部を進められたが、これを断ったら、上の事務所に行けという。ここで夜のチケット「民族的就是世界的夢桂林」を購入した。
-
時間つぶしに街を歩いた。バーゲンセールをしている店が多く、旅行に履けそうな靴も40元程度で売っていた。考えてみれば日本で売っている多くのものが中国製。日常使うものを買い求めることも中国の旅の目的の一つにしてもいいかも知れない。
-
宿で休んだあと、位置関係がつかめたので歩いて劇場に行った。 暮れなずむ公園を散歩していると、おそろいの帽子をかぶった中国人団体客が、杉湖に浮かぶ二つの塔をバックに記念撮影の最中。大人数を前にカメラマンの手こずり具合がおかしかった。
-
劇場はほとんど満席、圧倒的に中国人が多いけど、欧米や日本からの観光客もみうけられた。少数民族の舞踊や歌、それに雑伎を取り入れた楽しいステージだった。あの「千手観音」や「肩の上の白鳥の水上」、そして上海で観た「愛の逃避行」(長い二本の布で二人の男女が宙に舞う)も登場した。決まりポーズの時は、客席から割れんばかりの拍手。ステージと観客席が一体となった楽しい一時だった。
美しい出演者を後ほど激写。 -
■10日目 8:05 桂林→09:00広州(CZ 3231)/広州泊
「桂林民航大廈」前から6時半に始発が出ると聞いていたが、エアポートバスがスタートしたのは、6:20。ここでも早めの行動でセーフだった。広州へのフライト予定も08:05だったのに7:55に離陸した。1時間後に広州に到着。「元」が足りなくなったので両替の後、国際線側出口で駅行きのエアポートバスに乗り広州駅へ移動した。
宿探しのために、バスターミナル界隈を歩いていると、客引きおばちゃんが近寄ってきた。案内された初めの所は中国人オンリーの所で断られ、次の所は場末の阿片の巣窟のようなうさん臭い所で、値段を聞くまでもなく退散。 -
その次が、「深セン市政府駐穂招待所」だった。ここには今回の旅行でははじめてバスタブがあり、かって役人を泊めたホテルの名残があったものの、老朽化の進行はすさまじく、けっしてきれいとは言い難い室内だった。しかし、汗だくで他をあたる気力なくここに決めることにした。(120元)
-
地下鉄で「陳氏書院」に出かけた。
陳一族が祖先をまつるために、清朝末期に伝統的な広東式で創建した歴史的建造物。 -
嶺南民間建築の大成と讃えられ、広東省の重要文化財になっている。
-
この建物のそこかしこには、中国の古典や故事にちなんだ生き物や人物がうじゃうじゃと所狭しと彫刻されている。
-
西洋で言うならバロック・マニエリズムを彷彿させる爛熟気味の構成。
-
この建物の内部は、広東民間工芸館として一級の絵画・彫刻・工芸作品が陳列されていた。とりわけ、象牙や翡翠の彫刻の技巧が素晴らしく、台北の故宮博物院に陳列されていた作品群とだぶった。
-
-
-
-
また、「万兆泉」という作家の彫刻が多数展示されていた。
-
中でも庶民の日常を刻んだレリーフには、人間味溢れる生き生きとした表情が刻まれており、印象深かった。
-
そこから歩いて上下九路方面に向かった。
翡翠問屋が林立する玉器街の中に、埋もれるように「華林禅寺」があった。外の喧噪が遠のき中は静けさに満ち、線香の煙がたなびいていた。 -
堂内には黄金色の五百羅漢が所狭しと鎮座し、導師に導かれた信者たちが一列になってお経を唱えながら八の字に巡っていた。
-
椅子に腰掛け休んでいるとと、そのお経が頭をめぐり、暗示にかかったように気分がうつろになっていく。旅の疲れが出てきたのか、睡魔に襲われ、黄金の海原を一人泳ぐ夢を一瞬見た。
-
寺を出て少し歩くと、イカを醤油で焼くイイ匂いが漂ってきたので、たまらず一串買って頬張った。
-
このあたりが広州市の中でも人気のスポットとなっている「上下九路」で、建物の外観が租界地の面影を残す一画。
-
-
「金牛1華食奸」という「食べ放題飲み放題」の店を、ホコテンの交差点近くのショッピングモールの4階にたまたま見つけた。この「金牛1華食奸」は、30元で、しかも開店の5時から閉店の9時まで時間制限がなかった。色んな料理が並び、麺や焼き物などは、調理人にオーダーも出来る。当然飲み物は別に注文するのだろうと、係にビールを持ってきてと頼んだら、「ここにある、これも自由にどうぞ」と言うではないか。お代わりすること数知れず、デカいピッチャー一杯分は優に空にした。様々な中華料理を、漢字だらけのメニューと格闘することなく、目で見て少しずつ皿に盛って食べられるし、こんないいことなかった。
「食は広州にあり」をリーズナブルに楽しんだ中国最後の一夜だった。 -
■11日目 09:20 広州→13:50大阪(CZ 389)
6:00すぎ駅に向かい右端の停車場よりエアポートバスに乗車。中国南方航空のフライト予定は 09:20だったが、なんと4時間遅れの13:40発となり、関空に着いたのは19:00前でなんとか最終のリレー列車で帰宅出来、翌日の出勤に間に合った。
・・・・・・・・・・・・・・・・
山水画を地で行く桂林の絶景、人の手が築き上げた龍脊の棚田の絶景、貴州省の田舎の長閑さ、そして困っていたら、打算なく援助の手をさしのべてくれる人達との出会い。
・・・思いで深い旅になった。
※広州の夜
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
スタリモストさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
32