2011/10/08 - 2011/10/08
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ぱっしょんKさん
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10月1日前後の国慶節のお休み。
今年は彼女がいけないので、1人旅に出発。
2008年に瀋陽に行った際に故宮と昭陵は訪問済み。どうせ1人ならきつい日程でも大丈夫だとの判断で、東北地方残りの世界遺産と長白山。帰り際に長春によって偽満皇宮博物館にいってきます。
では予定
9/29
飛行機移動 広州→瀋陽
瀋陽泊
9/30
福陵(世界遺産)
午後新賓満族自治県永陵鎮にバス移動
永陵鎮泊
10/1
永陵(世界遺産)
ヘトゥアラ古城
永陵鎮泊
10/2
バス移動 永陵→桓仁
五女山城(世界遺産)
桓仁泊
10/3
バス移動 桓仁→集安
高句麗遺跡群(世界遺産)
集安泊
10/4
午前中 高句麗遺跡群
列車移動 集安→通化
玉皇山公園
通化泊
10/5
午前中 列車移動 通化→白河
バス移動白河→長白山
長白山泊
10/6
長白山
長白山泊
10/7
飛行機移動 長白山→長春
偽満皇宮博物館
夜飛行機移動 長春→広州
ポイントは列車移動の切符。9/26に広州東駅で取れるかどうかです。まぁがんばってみます。
とここまでが、行ってきます!に書いていた内容。
結局販売初日に列車の切符が取れず。というよりシステムに列車の席が全く出てこない。通化から集安なんてローカル線の最たる物で売り切れはおかしい。と思い、これは、別地区では販売しない列車か?との予想を立て、現地で購入できないか確認することに。
通化から白河までの代替えのバスも調べると少ないようです。
不安を抱えながら、出発することになりました。
結果、予定とは全く違う旅行になりましたが、心配していたのとは別の原因でそうなることなど、29日の出発時点では予想すらしていませんでした。
10/8
はい!もう言うまでもありません。上記予定に10/8は入っていません。
この日からの出社もままならないのなら、長春の満州国の遺跡を見て回ってから帰ってやるわ!
偽満皇宮と地質宮だけは見たい。しかもできるだけ歩く!との考えで、前日ちょっと遠いけど海航長白山賓館に泊まりました。これはなかなかよかったのでは。
平穏な延長戦10/8スタートです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- 中国南方航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
海航長白山賓館は4つ星のホテルですが、ホテルよりも併設されている長白山吉菜食府が有名です。
朝食も豊富なバイキングスタイルでした。
朝はゆっくりと10時にいきましたが、まだ十分に料理はありました。 -
バイキングの様子です。
どうも昼食も夕食もこのレストランはバイキングで営業しているようです。 -
外観です。
フォーシーズンというビュッフェスタイルレストランのようです。 -
長白山吉菜食府の玄関にある、大理石の階段で2階に上がります。各レストランが5階にわたってあります。
-
長白山吉菜食府各階レストランの案内です。
3階には日本食、韓国食レストランがあるようです。
昼食か夕食をここで食べてみたいけど昼食食べてる時間がなさそうだなぁ。 -
ホテルの部屋に戻って出発の準備をします。
宿泊した6階のエレベーターホールです。
ソファーがあります。 -
ロビーです。
4つ星らしい豪華な装飾がされています。 -
前日夜に着いたので、外観を撮っていませんでした。撮ってみます。
さあ、まずは旧満州映画協会。現長春電影製片廠へ歩いて行ってみます。 -
時間にして20分。
長春電影製片廠に到着。
現在でも映画を製作しています。
今は辛亥革命の映画を製作しているようです。
2011年は辛亥革命100周年ですから。 -
長影世紀城が移転した今、入場はできません。
門外から写真だけ失礼させて頂きます。
中に白い毛沢東同志が立っています。 -
ここからバスに乗って、長白山賓館のある新民広場に戻ります。
目指すは偽満州国文教部旧祉。
道の反対に長白山吉菜食府が。 -
どこだ?
地球のあるき方の地図ではこのあたりだぞ。と思っていたら、見つけました。
偽満州国文教部旧祉の石碑。
今は東北師範大学付属小学校。
これは当時の建物なのか?違うような気がします。 -
という事はこのとなりが偽満州国興農部旧祉か。。。
これも立て直されてるのかなぁ。ぽいといえばぽいけど。 -
そしてこちらが、偽満州国総合法衙。
現在は人民解放軍四六一医院として利用中。 -
新民広場の様子を。
この後歩いて新民大街(旧順天大街)へ向います。 -
一番最初に目に入る満州国時代の建物は旧交通部旧祉。
現吉林大学新民校区。
興亜式建築の典型と言われているそうです。 -
旧交通部旧祉の道の反対側に目をやると、
あれ?
あれも興亜様式ぽいぞ!
行ってみる事に。 -
吉林省図書館。
もどってインターネットで調べたけど、どうも満州国とは関係ないようですぞ! -
新民大街(旧順天大街)です。
満州国の官庁街です。 -
歩いてしばらく行くと、新民大街の右側に偽満州国司法部旧祉に見えてきました。
現吉林大学新民校区。 -
道の反対側には偽満州国経済部旧祉。
現吉林大学第三医院。
ほかの建物の雰囲気とはずいぶん違う雰囲気ですね。 -
さらに歩く事、10分ほど。
偽満州国国務院。日本の国会議事堂そっくり。これも興亜式なのか。どこに西洋風と、中国式が混ざっているのかな?
ジッと見ますが、さっぱり。。
以前は入れたようですが、今は入れません。門から写真をとるしかないですね。 -
旧国務院の道の反対側に偽満州国軍事部旧祉。
この建物角が正面なんですね。
現在は吉林大学白求恩医学部付属第一臨床医学院。 -
新民大街の突き当たり。文化広場に出ました。
文化広場の奥にあるのが地質宮。
満州国宮殿として愛新覚羅溥儀が住むはずだったところ。。なんですが、
あれ、修復中ですか?
残念ながら、完全に工事でシャットアウト状態でした。
後は、満州国時代の建物といえば有名な旧関東軍司令部。現中国共産党吉林省委員会ですが、歩くのにも疲れたし、バスで偽満皇宮博物館に行く事に。
新民大街に戻り、旧国務院の前のバス停で264路バスを待ちます。 -
バスを降りて2、3分。偽満皇宮博物館の莱薫門が見えてきます。
写真の右側にチケット売り場があり、入ろうとしたら、こっちは出口!
あっちあっちって、写真のさらに左側に進む様に言われました。 -
壁伝いに歩いてすぐに入り口の保康門が見えてきました。
さあ、入ります。 -
入り口入って少々拍子抜けしました。
すぐに建物だと思っていたのですが、門をくぐると待っていたのは、きれいな緑と道のアスファルト。
奥に進みます。 -
石畳との分岐点まで来て、そちらを見たら、木でできた表札が。
馬場?
うん?後ろの柵はあきらかに馬場を囲うもの。。。。
とりあえずこの正体を確かめるのは後にして、アスファルトを進みます。 -
すると敷地の角に黒レンガのシックな建物が。
前には、文化演示中心の文字があります。
中が見れるかと覗いてみたら、ここは見学ポイントではありません。と言われ、馬場を廻る形で裏の建物に。 -
彭祖迷大師工作室の文字。
何するところかさっぱり。
何か作るのか? -
ここで馬場を見に行きます。
溥儀が乗馬を楽しんだのでしょう。
丁度乗馬教室らしきことを行っていました。 -
満族風情展とかかれた建物があったのですが、公開されていなかったです。
-
満族風情展の隣には馬文化展と書かれた建物が。
これも中に入れず。公開しているときがあるのでしょうか? -
馬厩。
馬が一頭外にいました。 -
溥儀の車の車庫8台分のスペース。
-
馬場の見学が終り、写真の興運門から建物エリアに入って行きます。
-
入ってすぐ左側の建物が宮内府。
入って見ます。 -
宮内府次長事務室。
満州国宮内府の大臣は中国人があたったが、その次長職には日本人がついて、ここを事務所としていたそうです。
本来は大臣の補佐であるはずですが、実際は財務、人事、行政の権限はすべて次長が持っていて、大臣も時によってはそれに従わざるを得なかった。とのこと。
満州国が日本の傀儡だったことがよくわかるエピソード。 -
総務処処長事務室
総務処は、皇帝への拝謁の取り次ぎとか、命令書の管理とか。ようは雑用をする役所。 -
ここが宮内府大臣室。
実際は大臣という名の日本人の操り人形のいた部屋。 -
内務処処長の事務所。
内務処は財務関係を管理。
う〜ん。大臣室と比べると、ソファーがワンランク低い様な気がするぞ! -
これが宮内府会議室。
-
宮内府の事務所が入った建物の外観はこんな感じ。
上の天窓がなければ、標準的な四合院の建物。
宮内府を後にし、向い楊春軒に向います。 -
織王の寝室。
織王が何ものかよくわからず。 -
もともと溥儀の父親愛新覚羅戴ホウ(さんずいに豊)が使用する為の応接室だったところ。
満州国に溥儀が担がれる事に反対した戴ホウは北京に行くことになり、しばらく主のいないくなったが、その後譚玉齢が様貴人となった後は彼女の応接室になっていたところ。 -
教室です。
溥儀は譚玉齢を人情、道徳、強要をすべて備えた妃に教育するべく、ここで教師を雇い、授業をさせていたそうです。 -
植秀軒です。
溥儀がここで食事をしたり休憩したり建物であった後、彼の2番目の妹と、鄭広元が結婚したあと、ここに住むことになりました。
またこの後ろの部屋に有る大きな金庫に財産をしまっていたそうです。
同徳殿が出来上がった後は宮廷学生の学び舎になった建物。 -
溥儀同徳殿完成以前に食事に利用していた食堂です。
思ったよりもシンプル。 -
応接室。
溥儀が植秀軒前の西御花園で遊んだあとに休憩場所に使ったそう。 -
内庭学生の教室。
ここで宮廷学生が勉強したところ。 -
緝煕楼です。
入り口の江沢民氏の書いた九・一八を忘れるなかれの文字が。 -
緝煕楼の中に入ってすぐの階段。
-
緝煕楼ホールの上のシャンデリア。
やはり豪華。 -
譚玉齢の書斎があります。
彼女はここを書斎、習字をするだけではなく、琴を引いたり、休憩する場所でもありました。 -
譚玉齢の応接室。
ソファーなど現在の家具屋さんでも売ってそうな、センスの良さがありますね。 -
譚玉齢の寝室。
シーツと応接室のソファーの模様が似てません? -
2階に上がります。エントランスが白色なのがなかなかおしゃれです。
-
散髪室。
日本人津田という人がおかかえの床屋さんだったようです。
清朝皇帝は「龍髪」という週間があり、切った髪を黄色い絹に包み、日付を書いて保存していたそうです。
また、溥儀が日常使う注射器をここで消毒していたそう。なんでもホルモン注射をしていた模様。 -
溥儀の仏間。
溥儀は歴代清朝皇帝同様熱心な仏教信者。
この仏間で読経、占い、運命判断、祭事などをみずから行っていたとのこと。 -
溥儀の書斎。
ここには蝋人形で、溥儀と御用掛吉岡安直の階段の様子を再現してあります。 -
溥儀の寝室。
1932年から1945年までの寝起きをしていた部屋です。 -
溥儀のトイレ
-
と浴室。
考え事をするのでしょうか?椅子や机もおいてあります。 -
溥儀の漢方薬室。盖のあるたんすと
-
棚。
漢方薬が一面にならんでいたんでしょう。 -
婉容皇后の吸煙室。
吸煙といってタバコではなくアヘン。
婉容皇后は溥儀との関係が冷めてしまい、その寂しさを紛らすためにアヘンに染まってしまいます。理由は溥儀がインポテンツで性的不能とも、ホモセクシャルであったとも言われています。
婉容皇后は不倫関係の男が2人いて、皇后で有るときに娘を一人産んだ事実もあります。
さらに、最期は通化事件に巻き込まれ、延吉に移動しアヘンの禁断症状で、ぼろぼろの状態で一人でなくなったと言われています。 -
婉容皇后のリビング。
末期にはこの部屋には人がよりつかなくなり、婉容皇后はこの部屋で孤独に暮すようになっていきます。 -
婉容皇后の寝室。
溥儀との結婚後、一度も夫婦生活をここですごしたことがない寂しさから、溥儀の側近の男性と。。。。
それが溥儀にばれ、この建物に一人で取り残されることになってしまいます。
美しい婉容皇后が人生をぶちこわす原因が押し詰められた部屋。 -
最期に緝煕楼に入って来た玄関から外を。
では裏から中和門を目指します。 -
中和門です。
-
インドで味をしめた門の枠と利用した撮影。
-
勤民楼です。
溥儀の公邸です。 -
西便殿
溥儀の公務の場所。
公邸就任後ははりきってここで政治をしていたが、日本の傀儡だと気付くにつれ、ここにやってくる事もどんどん少なくなっていきました。 -
勤民殿にやってきました。まず目に入るのが日満議定書を締結した机。
-
勤民殿の中心。正殿とも言われます。
溥儀がここで儀式や参内謁見などを行った場所。
故宮の太和殿にあたる場所ですね。 -
勤民殿の裏のほうに廻ると、中庭が吹き抜けになっていました。
-
勤民殿の裏側の部分にある仏堂。
以前は清朝の祖先もここに祀られていましたが、懐遠楼に奉先殿をつくり、そちらに移した後は神仏だけを祀る場所になりました。 -
賜宴殿。
即位の式典や祝日などの時に日本と満州国の高官と食事をしたところ。 -
先ほど上から写真撮影した中庭。今度はしたから見上げます。
-
第一待合室。
皇帝に拝謁する文官や武官はここで召見をまち。お召しになったら、勤民殿に行って皇帝への拝謁をしていたそうです。 -
吉岡安直の事務室。
-
待衛処
皇帝の警備を担当した待衛官のいた場所。 -
第二待合室。
第一待合室がいっぱいのときにこちらで待つ。
訳ではなく、第一待合室に入れない身分の人が待つところだそうです。
ソファーの室が確かに違うような気がします。 -
勤民殿の裏口にも階段があり、上に上がれます。
上には仏間や賜宴殿があります。 -
勤民殿の裏、懐遠楼に向います。
-
1階に溥儀が使っていた車が展示されています。
-
アメリカデトロイト製の車。と紹介されています。
すぐとなりに売店があって、この車のミニカーを販売しています。 -
帝室会計審査室。
まぁ文字通り、会計関係の仕事をしていたところです。 -
近侍処。
近侍が控えていたところ。 -
近侍武官所。
近侍武官が控えていたところです。 -
皇帝の警備をする人達がいたところですね。
-
奉先殿。
清朝の祖先を祀るところ。 -
歴代皇帝、皇后の肖像画と位牌があります。
-
一番奥のお堂にも位牌が。
清朝の再建を溥儀は真剣に考えていた事の現れです。 -
尚書府。
文章を司っていました.
恐らく嘉楽殿に有るんだと思うんですが、一体化してて、境目がわからなかったんです。
う〜ん。今回は椅子と机ばかりの旅行記になっている。絵変わりがあまりにも無いぞ。。。。 -
ながい渡り廊下を歩いて、同徳楼に入りました。
現地質宮が完成するまでの仮宮殿として建設された建物ですが、溥儀は関東軍の盗聴を疑い、ここで生活することは無かったという話です。
そのロビーを上から。 -
溥儀の客間。非公式な賓客や、日満高官と会うのに使用するはずでしたが、溥儀は使用しなかった模様。
-
溥儀のために設計された寝室。
溥儀が住む事はありませんでした。
もったいない! -
もともと婉容皇后の寝室として設計されましたが、福貴人李玉琴の寝室になった部屋。
-
李玉琴が居間にした部屋。
寝室にもピンクのソファー、こちらもピンクのソファー。 -
叩拝間。
重要な祝日などに臣下と謁見したところ。 -
広間に戻ってきました。
大理石の階段。 -
吹き抜けの天井。
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隅に置かれるピアノ。
さぁ外に出ます。
これで写真も絵変わりしますよ! -
仮宮殿同徳殿を外から。
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同徳殿前に広がる東御花園。
-
東御花園を東に行くとすぐ、プールがあります。
溥儀は泳ぐ事はなく、別の人が泳ぐ様子をプールサイドから太陽を浴びながら見るのが好きだったようです。 -
プールの横にこんな山が。
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その側面に入り口が。
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下に延びる階段。
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降りると廊下があります。
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一番最初の部屋を覗きます。どうも発電機っぽいです。
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ただの四角い部屋。
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そしてこの分厚いドア。
皇室専用の防空壕です。
満州国は一応中立国でしたし、ソ連軍がせめて来たときは頼みの関東軍が大した勢力もなく逃げるしかなかったので、使った事はなかったはずです。 -
東北淪陷史陳列館。
この広い偽満皇宮を見てお腹いっぱいになっていた僕はこの名前見て、「東北地方の歴史なんかどうでもいいわ!」
と思って、入らなかったのですが、もどってから、他のトラベラーの方の日記を見て、溥儀の皇帝時代の服とかの展示が有る事を知り、「失敗した〜」と後悔しています。 -
その東北淪陷史陳列館の前に蒸気機関車が。
-
2005年に長春の北方扶余という町付近で出土した東清鉄道の蒸気機関車です。
写真で見ると、小さいおもちゃの様にみえますが、実際の大きさに圧倒されました。 -
あの門。
靖国神社の遺址。
日本の神を溥儀にもお参りさせようとした支配者としての日本のエゴの現れ。清朝皇帝をお参りしていた溥儀にとってこの建物はどのような意味があったのでしょうか。 -
芙薫門。
出口になっています。 -
264路のバス。このバスは長春見物には非常に便利。
偽満皇宮から長春市内を通って、地質宮のある文化広場から新民大街を通って旧満映、長春電影製片廠までを結んでいます。
今回は駅に向うため陝西路で乗り換えです。 -
陝西路のバス停からはたくさん長春駅までのバスがあります。
-
長春駅に戻ってきました。
昼ご飯がたべたかったので、旧関東軍司令部に行くのは断念。
3時29分の吉林往き電車の切符を購入し、マクドナルドで昼食。 -
D5043次列車で龍嘉駅に到着。
-
まだ完成していない駅は空港方面へは陸橋があり、それで、すぐ前の道を渡ります。
-
龍嘉駅の外見。
空港の真ん前。 -
正面に長春龍嘉国際空港。
ここから17時40分発CZ3606で広州に帰ります。 -
行きで失敗した機内食写真。今度はちゃんとご飯のフィルムをはぎ取ってから写真撮影。
ローストビーフがおいしかった。
時間通り21時50分に広州空港着。
地下鉄で客村まで、23時過ぎに帰宅し、このトラブルだらけの旅行は終わりました。
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