2011/09/29 - 2011/10/02
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megmeguさん
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阪急交通社トラピックスの大連・旅順・金州4日間。
観光と8回の全食事がついて、スーペリアクラスのホテルに3連泊して、29,900円(国内空港施設使用料2,040円 旅客保安サービス料 500円 海外出入国税 1,130円 燃油サーチャージ 9,000円は別)
追加分を足しても1人42,570円。
観光と食事と移動も付いてるから、安いぐらい。
急遽、大連へ行くことに変更した。
JAL又はANA直行便!大連・旅順・金州4日間
1週間前に、航空会社とホテルが決まった。
往きが成田9:35発JAL827、帰りが成田16:55着JAL828。
ホテルは4つ星の大連渤海明珠大酒店。
激安ツアーやけど、72時間前からWEBチェックインで座席指定もできるし、マイルも50%ついた。
(旅行時の為替、1元12.5円で計算)
- 旅行の満足度
- 3.0
-
金州の観光で響水寺にお参りしたとこまで書いた、トラピックスの大連・旅順・金州4日間の旅9月29日、1日目の続き。
響水寺から10分ほどで、金州博物館へ到着。
途中、ロバの荷車やオート三輪を見かけた。
金州は田舎料理を出す店がいくつかあって、人気が高いけど、値段は高めやそう。
卵なども地卵でおいしいので、町の倍ぐらいするんやて。
金州博物館は以前は町の中心部にあったそうやけど、今は郊外に移ってて、隣には金州図書館もある。 -
1階には、昔の金州城の大きなジオラマが。
2階には新石器時代の石器や青銅器など古いものがいろいろ。
3階は工事中。
1階だけ写真撮影ができる。
とガイドの李さんから説明を受けて、館内へ。
入口外の左側には「清道光三十一年(1841)金州城防鉄炮」と台座に書かれた大砲が置かれてた。 -
入って左側が博物館。
私たちのツアーが来てから、館内の電気をつけたりしてたみたいや。
入館料もいったんかなあ。
1階にはハイテクな展示もあって、床に鯉の映像が映ってて、その上に乗ると鯉が移動する。
大きなジオラマを見ると、金州が立派な城郭都市やったことがようわかる。
日本が占領してたころには、城郭は残ってたみたいやけど、その後文革時代に全て壊されてしもたそうや。
2階には戦国時代の貨幣など貴重そうな物もいろいろあった。
新しい建物でトイレがきれいと聞いてたけど、扉に鍵がなかった。
大連のトイレでトイレットペーパーがあるとこはほとんどなかった。
ティッシュペーパーは必携。 -
1階のロビーのようなところで、「刘瑩童年絵画作品展」というのをやってた。
「刘瑩」は、地名なんか、学校の名前なんか、人の名前なんかなあ?
小学生ぐらいの子どもの絵が展示されてた。
似たような女の子の漫画のような絵が多くて、目には星がキラキラしてて、長いお下げ髪。
セーラームーンの影響なんやろうなあ。
写真は「快樂的童年」という題で11歳の作品。
ここには25分ほどいて、次は金州都督府へ向かう。 -
金州博物館から5分ちょっとで金州提督府址に到着。
清時代は、金州副都統衙門やったとこ。
でも、ガイドブックに載ってる提督府とは全然違う。
ガイドの李さんは、金匯花木中心と書いてあるとこに入っていく。 -
入口には、閑人免進 閉館! 謝絶参観!
「無用の者立ち入り禁止」「閉館」とまで書いた紙が貼られてる。 -
お庭のようなところの突き当たりに、石碑があった。
これが、正岡子規の詩碑。
「行く春の酒をたまはる陣屋哉」と刻まれてる。 -
明治27(1894)年7月、日清戦争が勃発。
11月6日大山巌大将率いる第2軍が金州城を占領、11月21日には旅順を攻略。
翌年の明治28(1895)年4月17日に、下関で日清講和条約が調印される。
正岡子規が近衛師団つきの新聞「日本」従軍記者として遼東半島に上陸したのは、その2日前の1895年の4月15日。
せっかくわざわざ来たのになあ。
5月15日に出航してるから、大連におったのは1か月ほど。
5月4日には、第二軍兵站軍医部長やった森鴎外に挨拶に行ってる。
5月2日、旧松山藩主で近衛師団副官やった久松定謨(さだこと)から、金州第一の割烹店宝興園に招かれる。
そのときのことを詠んだ句みたいや。
米田 利昭 子規の従軍
ガイドさんは、句碑が最近発掘されたって言うてはったけど、まだ新しそうな碑。
ネットで調べてみたら、文化愛媛という機関紙の2002年10月 49号に掲載されたものがみつかった。
愛媛県出身の池内央(いけうち ひろし)さんが、子規の遼東半島での足跡を調べ「子規・遼東半島の三三日」という本を1997年に出版してはる。
調査のなかで、昭和15(1940)年天后宮の境内に日本人篤志家が建てた子規の句碑があったと知って、その行方を捜しはったけど、わからずしまいやった。
それが1998年に工事現場から埋められていた句碑が発見され、池内さんは句碑の再建に奔走しはる。
苦労の末2001年に再建されたのが、この碑なんやそうや。 -
提督府(副都統衙門)の建物は、復元されたものやけど、それもボロボロみたいや。
だから行かへんかったのか、時間がなかったのか、たいしたことないからなのか。 -
道の向かい側には、新旧のオート三輪が停めてあった。
こちらは古いオート三輪。 -
こちらは新しいオート三輪。
-
7階建て、8階建てのアパートがいくつも建ってて、その窓にはすべて窓柵がついてる。
ガイドさんによると、泥棒対策なんやそうや。 -
提督府前にいた犬は、端正な顔立ちやった。
大連の旅、続く。
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