2011/09/27 - 2011/09/30
91位(同エリア177件中)
みやじさん
9月26日
小一時間のアルバニア訪問を終えてムリカン Muriqan の国境からモンテネグロへ再入国。間違ってショコダル湖南岸を通る険しい道を選んでしまい散々な苦労をしつつバルへ抜けました。あとは幹線道路通って宿を予約してあったブドヴァへ。
9月27日
午前はブドヴァ Budva 近郊の廃墟(地図の「砲台」)を探検。午後はコトル Kotor 近郊で別の廃墟を訪問し、夕方コトル湾をフェリーで渡り、この晩の宿を予約してあったヘルツェグ・ノヴィへ。
9月28日
ヘルツェグ・ノヴィから北へ向かいドブロブニク空港でレンタカーを早めに返却。その後にバスで往復してドブロブニクの街を簡単に観光。夕方飛行機でザグレブへ行き宿泊。
9月29日
早朝の飛行機(乗継便)で羽田へ帰りました。
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2011年9月にクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロを
レンタカーで旅行してきました。39歳男性、1人旅です。
○21日:羽田→パリ→ザグレブ → ラストケ → プリトヴィツェ泊
○22日:プリトヴィツェ観光 → ビハチ → コレニツァ泊
○23日:→ クニン → クルカ国立公園 → シベニク泊
○24日:→ スプリット → モスタル泊
○25日:→ ブラガイの砦 → ストン → コトル泊
●26日:コトル近郊の要塞 → アルバニア → ブドバ泊
●27日:ブドバ近郊の砲台 → ヘルツェグ・ノヴィ泊
●28日:→ ドブロブニク →(国内航空)→ ザグレブ泊
●29日:→ パリ→羽田
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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9月26日午後。アルバニアからモンテネグロに戻り(入国時にまた10ユーロ払わされました)最初の分かれ道で。左は往きに通った森の中の細い道です。往路よりは立派な道なのではないか…と期待して、復路は右の道を進んでみました。
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道は海抜1000m近い険しい山の斜面に続いていました。不安を抱えつつ、まさか尾根まで登らないだろうと願いつつ進みます。が、結局そのまま尾根まで上り詰めてしまいました。写真の右側はその途中で撮影した、切り立った稜線が続く様子です。
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稜線の反対側(北東方向)を撮影。遥か下に見下ろす巨大な湖はショコダル湖です。ショコダル湖は観光地としては日本では無名ですが、非常に非常に美しいところのようです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Lake_Skadar#Gallery -
湖の中にも続くダルマチア式海岸。遠くにポドゴリツァの街の灯りも見えていました。絶景です…。
絶景ですが既に日没を迎えていました。暗い中 山道を通る事を考えるとブルーな気分になりました。 -
ガードレールのない崖の道。落ちると500mほど下の湖へ。この写真を撮ったあと、すぐ真っ暗になりました。アップダウンも頻回です。フェード、ヴェーパーロックといったブレーキ故障が発生しやすい条件が揃っています。
死ぬよりは山の中で一泊する方がましだろうと頭を切り替え。ゆっくり進みました。結局、約2時間でこの山道を抜け ヴィルパザール Virpazar で幹線道路に出ました。 -
今晩の宿泊地ブドバ。安宿にチェックインを済ませて夕食に出かけました。写真は夜のヨットハーバーと、遠景がブドヴァ旧市街です。
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適当に入ったホテルのレストランで。タコのサラダと、海産物のクリームパスタ。
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ブドヴァはやや大衆的なリゾートの街です。9月末でしたが欧米系の観光客がヴァカンスの終わりを楽しんでいました。写真は港の公園内の露天のゲームセンターです。
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日本で言う「ダンレボ」のゲーム筐体。どこかの国からの型落ち品かな?と思って画面を見てみましたが、ちゃんとセルボ・クロアート語でした。
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翌9月27日の朝。宿泊していた安宿 Montenegro Freedom Hostel。ブドバのバスターミナル付近の住宅地にあります。民家を改装したものです。広い庭には果樹が茂っています。
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明るくなってから撮影した部屋。ダブルルーム一室30ユーロでした。
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宿のオーナーは元バックパッカー風の30代男性。いい意味で旅人フレンドリーでした。前日の晩到着した時は「荷物が片付いたらホールに来なよ、ビールを一緒に飲もう」と声をかけてくれました。バス旅行者にはお薦めの宿です。自動車派には旧市街の近くにある、料金が同程度の Montenegro Hostel Budva がお薦めです。
http://www.montenegrohostel.com/en/ -
この日はレンタカーで北上しつつ、地図で調べておいた廃墟を探検することにしました。写真は道路地図のコトル周辺のページです。廃墟にはそれと分かるマークが表示されており、写真でいうと Perast の右に1つ、Lepetane の上に1つ、傾いた旗のマークがあり、それです。
まずはブドバの港口にある廃墟マーク目指して出発。 -
ブドバを走り出してすぐの岬から見えたブドバ湾口の島。ケスタ地形でしょう。
ケスタ(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%82%B9%E3%82%BF -
想定した廃墟の地点に「城」マークの案内がありました。モグレン要塞 Trvdava Mogren と読めます。案内板があるくらいなので安全面で問題ないと判断し、徒歩で向かいました。
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雑草に覆われた砂利道を登っていくと城門が。期待できそうです。
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城門の先はアドリア海。しかし古城と思っていた建物は、一部がコンクリートで補修されています。コンクリート部分はオスマントルコと戦っていた古城ではなさそうです。
特徴的な円形のコンクリート構造、特徴的な立地(海に突き出た岬)からすると第1次世界大戦の前後の沿岸砲台の跡のようです。昔の古城跡をカモフラージュに使って改装したのでしょう。 -
円形のコンクリート床と、それを取り囲む石造りの小部屋群。コンクリート部は旋回式の大砲の台座、小部屋群は砲側弾薬庫と退避豪と思われます。
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丘の頂上部分にある、石積み=古城部分に上ってみました。
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古城部分の屋上にはコンクリートの小部屋が作ってありました。屋根は分厚く、砲弾の落下に耐えるように作ってあります。展望施設(軍事用語では「射撃指揮所」)のようです。
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射撃指揮所の屋根からブドバ湾方向。見晴らし良好です。写真の岬の突端はブドバの旧市街 Stari Grad です。
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要塞施設の内部。足元と臭気に気をつけながら進みます。死体があると怖いからです。
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床にコーラのペットボトル、ベッドのマットレスが散乱しています。地元の若者が遊びに来るスポットになっているのかも知れません。
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この城壁部分は中世の築造部分と思われます。
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この砲台跡を Google Map の航空写真で見るとこうなります。
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さらに周辺を Google Map で。地図の東寄り(右側)の岬にあるのが今回訪問した砲台跡です。ブドバの街から徒歩圏内です。
この地図を帰国後に見ていて、西にもう1つ別の砲台跡があるのに気づきました。 -
その西側の砲台跡を Google Earth の航空写真で。私が訪問した東側の砲台跡よりも大規模です。砲座の保存状態も良好のようです。どなたか探検してきて下さい。
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砲台跡の探検を終えてレンタカーでコトルへ。写真はコトル旧市街を正面にのぞんだものです。山の中腹、写真中央に砦が見えます。これが旅行記で「頂上まで登った」と書かれる地点です。
コトル湾は氷食カルスト地形の沈水海岸だとか。地学でいう「フィヨルド」そのものですが、しかしガイドブックで「フィヨルド」と紹介するものを見かけないのは何故でしょう?? -
コトル湾の小島に作られた修道院。船で渡って内部を観光できるそうです。
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午後の目的地は、コトル湾を横断するフェリーの乗り場近くにある古城でした。ところがその古城は海沿い道路からは見えたのですが、近づいても登っていく獣道が発見でません。藪こぎしての接近も考えましたが、結局あきらめました。地中海性気候のこの付近の森は、木々に棘が多く日本の森のように突き進むのは困難なのです。
その付近の道路沿いに、予想していなかった別の廃墟を見つけました。道路に面してコンクリートの巨大な壁が見えます。 -
近づいてみると、何の装飾もないコンクリ打ち放しの構造物でした。窓や入口は塞がれていました。写真は道路側につけられた銘板です。1942年に4人の方々が亡くなったようです。2行目〜3行目にかけて「イタリア」「占領」とあるので、この構造物は第2次世界大戦の湾口砲台なのでしょう。
港口の湾口砲台は地味に見えて、軍艦の強敵だったそうです。日露戦争で日本海軍はロシアの2軍港に歯が立たず、第2次大戦でオスロの要塞はドイツの巡洋艦を轟沈しています。 -
このあとコトル湾をフェリーで渡りました。5分の航海、5ユーロです。24時間運行しています。この日は車が満載になる毎に約15分間隔で運行していました。
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フェリー乗船中の風景。
バスや自家用車に乗車したまま過ごしている人達もいました。日本では沈没事故に備えて航行中は旅客は車から降りる決まりがあるのですが、欧州では運用が緩いのでしょう。
1年前にエストニアでサーレマー島に渡った時も、やはり運用はいい加減でした。 -
フェリーを下船し、しばし港風景を観察。
この数日前に、モンテネグロの入管職員にこのフェリーについて尋ねたところ「あのフェリーに5ユーロも払って乗るのは馬鹿げてる。海岸沿い道路を30分走ればいいだけだ」との助言をいただきました。 -
船着場で魚釣りする人。体長30cmのヒラソウダのような魚が掛かってました(写真中央)。このあとバレました(釣り用語)。
この日は同型船4隻が運行していました。他にもう1隻大型船がありましたが、ずっと岸壁に係留されていました。多客期・荒天用と思われます。 -
旅も終盤。暑いなか丘に登り疲れていたため、早めに宿泊地ヘルツェグ・ノビ Herzeg Novi に向かいました。
写真はヘルツェグ・ノビの旧市街です。砦と城壁がよく保存されています。資料では1979年の地震で壊滅的被害を受けたとありますが。
街はドブロブニクと違って静かでした。 -
旧市街の、本拠地となる砦。ガイドブックによると内部に石造りの劇場があるそうです。足が痛かったため内部は見学しないで終わりました。
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旧市街のレストランで夕食。ジェノバ風ペンネ。
このほか私は入店しなかったのですが、「地球の歩き方・中欧」に掲載のある海の見えるカフェが綺麗でよさそうでした。 -
9月28日。アドリア海沿いを北上しモンテネグロ・クロアチア国境を通過。
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お昼にドブロブニク空港でレンタカーを返却。午後はバスでドブロブニク観光に。
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ドブロブニクの旧港。
ドブロブニクはクロアチアを代表する観光地です。欧州系・アジア系の観光客で賑わっていました。この旧港の広場には各種の半日〜2泊程度の現地ツアーの受付屋台がひしめいていました。競争が厳しいのか価格は良心的に見えました。バス旅行で行っても十分楽しめそうです。
このあとはドブロブニク空港に戻り、飛行機でザグレブへ戻りました。ザグレブではイエラチッチ広場近くの安宿に泊まりました。 -
翌9月29日。早朝の飛行機で日本へ帰るだけの日です。地球の歩き方に『路面電車は朝4時から運行』と書いてあるのを真に受けて、イェラチッチ広場から中央駅まで30分かけて歩くはめになったのは誤算でした。
写真は苦労して辿り着いたザグレブのバスターミナル。ここで空港行きのバスに乗ります。早朝で入口が閉まっていましたが、ネットで予習していたため動揺する事なくクリアできました。
お世話になったサイト:CROATIA ☆ DREAMS
「基本営業時間以外のバスの運行について」
http://52croatia.wordpress.com/2010/08/11/busterminalzagreb/ -
空港へのバス待ちの間に見つけた、ザグレブ市内観光のポスター。なぜか日本の新幹線0系のご尊顔が。実際にはザグレブ中央駅に乗り入れている高速鉄道車両は独ICE系のものなのですが、日本の新幹線は速い鉄道の象徴になっているのかも知れません。
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空港行きバスが到着。
これで日本へ帰るまで不確定要素はゼロに。余裕そうに書いている この旅行記ですが1人旅はやっぱり冒険の連続です。 -
パリへ向かうクロアチア航空の小さな飛行機。飛行機からはスロベニアのアルプスがよく見えました。
この旅行記を読んでいただきありがとうございました。皆様の参考になればと思います。
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