2011/09/10 - 2011/09/13
6位(同エリア14件中)
銀の匙さん
ビザから交通、宿、観光までほとんど自分で手配した、1週間のロシア駆け足旅行は、いよいよハイライトへ。モスクワ発の夜行列車でペトロザヴォーツクへ向かい、そこから世界遺産のキジ島へ渡ります。
モスクワを19時55分に出て、ペトロザヴォーツクまでは約13時間の列車旅です。2等寝台では、初めてロシアの人と、ゆっくりお話する機会があり、旅の一番の思い出となりました。
*
もともと、9月後半の連休を使ってロシアに行こう!という計画だったのを変更したのは、世界遺産になっているキジ島に渡るフェリーが、9月中旬から運休すると聞いたからでした。
当然、ほとんどシーズンオフだったのですが、フェリーはフィンランドからの観光客で満席。いかに人気のある観光地であるかをしみじみ感じました。
ここでは、生まれて初めて観光地をガイドさんに案内してもらう、という体験をしました。確かに、ただ漫然と見ただけでは見逃してしまっただろうことも説明して貰えました。
以下では、ロシアの2等寝台列車の様子と、ご参考までに、キジ島のガイドさんの話を中心に記します。
ここまでの旅行記は
旅の準備-モスクワ編
(https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10602778/)
モスクワ-ウラジミールへの特急サプサン号編
(http://4travel.jp/traveler/silverspoons/album/10604667/)
ウラジミール~スズダリ編
(https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10605205/)
ウラジミール編
(https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10605687/)
をご覧下さい。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
今日はモスクワ19:55分発の寝台列車で、ペトロザヴォーツクに向かいます。夕方まではモスクワを観光しようと、朝も早くから荷物を駅に預けに来ましたが…最寄りの地下鉄コムサモリスカヤ駅を出ると、始発の鉄道レニングラード駅は…いったい、どこ?
目の前に、どーんと鉄道駅は広がっているのですが、電光掲示板を見ると、列車の向かう方向が全然違います。その隣には、これまたどーんと、素晴らしくモダンな設備を備えた駅構内の「絵」が。どうやら立て替え中らしい。
この付近は3つの鉄道駅が集中しており、それぞれ別の建物なので厄介です。
取りあえず大通りまで出て、お巡りさんに聞いて、ようやく(何となく方向的には)解決。画面の右側に向かって歩きます。
荷物を預ける部屋は大きく、窓口がいくつもあります。看板が出ていて何時から何時までと時間が書いてあるのですが、現在時刻が書かれている窓口に人がいるということは、窓口が開く時間らしい。ってことは、出発時に開いている予定の窓口に預けなければ取り出せなくなるということ?
係の人に列車の予約メールを見せると、うなずいてくれたので預けることに(無事、受け取ることができました)。
寝台列車は乗車前に手荷物検査があります、と鉄道のホームページに書かれていたので、発車の30分前に駅に来てみました。待合い室からホームに通じる改札のような場所には係員が立っていて、セキュリティゲートのようなものがありましたが、どうやら使ってないみたいでした。
当然、時間が余ったので、駅構内のスタンドで軽食を買います。タコスみたいな生地にお肉と野菜を巻いたのがおいしそうだったので注文してみました。
料金は2種類書いてあるのですが、何がどう違うか分かりません。結局、私は安い方、連れは高い方を注文しました(2人いると、こういう時は便利)。
ホームの外側にも窓口があって、両側のお客さんをさばいているため、結構待たされました。最後に何かいろいろ聞いてくるのですが、よく分かりません。
と、後ろに並んでたお兄さんが、にやっと笑って英語で、「Anyway, the answer is, DA!」何でもいいから、答えは「ダー」だ!と力強くアドバイスしてくれたので、ダー!と答えてみると、トッピングとソースをかけてくれました。
それがまたおいしくて☆ お兄さん、アドバイスありがとう。
あとで調べてみましたが、最近流行り出した食べ物らしく、正しい名前は未だに良くわかりません。ロシア通の日本人には、結局はブリヌイなんじゃないの?と言われましたが…。ちなみに私のはチキン味で、連れのはチキン+チーズ味でした。ロシアで食べた、一番おいしいものの一つ。ごちそうさまでした。 -
指定された列車番号の場所に行って、パスポートと端末を照合してもらいます。今回はごく普通の、2等寝台に乗りました。4人一部屋なので、ロシアの人と相部屋かも知れません!
この列車も、ロシア鉄道のHPから予約したのですが、寝台の上下を選ぶことが出来ました。出入りしやすいように、迷わず下にしたのですが、コンパートメントについて見ると、すでに上段のお客が荷物を運び込み終えて、下段に腰掛けていました。
ずいぶん長いこと寝台車に乗っていなかったので、すっかり忘れていましたが、下のベットはその部屋の人たちが寝るまでベンチ代わりなので、勝手に寝るのは結構難しいんでした。昼間歩き回って疲れたので、早く休みたかったんだけど…。
向かいあったベットの真ん中にテーブルがあり、そこにペットボトルの水と紙袋に入った軽食が用意されていました(くわしくはロシアの鉄道のクチコミをご覧下さい)。そういえば切符を買うとき、料金に軽食が含まれている、と思しきアイコンがついてましたっけ。
さらに、枕の脇にはタオルと、使い捨てのアメニティもセットされていました。濡れティッシュ、紙スリッパ、歯磨き粉、歯ブラシ、石鹸、靴べらなどです。ホテル並(以上?)に気が利いてます。
腰掛けていたロシア人の男女は起ち上がり、座面を上げると下に箱があるので、そこに荷物をどうぞ、と教えてくれました。
トイレは日本の普通列車によく似た感じでしたが、駅の到着前後30分、施錠されてしまうのには参りました。ときどきえらく長く停車する駅があるからです(夜行なので、列車を降りる勇気はでませんでした)。
コンセントも、トイレの洗面台の前にあるだけなのですが、各車両に1箇所ずつ、予備のコンセントがあり、連れの携帯(兼カメラ)は、ちゃっかりそこで充電させてもらいました。
私の携帯は、ちゃんとソーラー電池を持っていったので問題なしです!
しかし、ロシアの列車は相変わらず静かで、大きなシャッター音のするケータイのカメラで撮影するのは、やはり断念せざるを得ませんでした。 -
相部屋のロシア人二人は連れなのかと思ったら、女性の方は、予約の関係で同行の人と部屋が別々になってしまっただけだったらしく、お連れさんの居る、他のコンパートメントに出かけてしまいました。
私の連れの方は、他人がベッドの上に座っているので横たわることもできず、ガマンして自分もベッドの上に座っていたものの、座ったまま舟を漕ぎ始めました。そのうち車掌さんが飲み物の注文を取りに現れました。事情が呑み込めない私がボケッとしていると、いままで黙って向かいに座っていたロシア人の男性が突然英語で、「紅茶かコーヒーの注文はありますか?別料金だけど」と教えてくれたので、びっくり。
有り難いことに、お互い、英語の下手さ加減が同じくらいだったので、その後は下手くそなりに、いろいろと話が弾みました。
英語がつっかえるたびに、Please wait a minute...と言って、正確な表現や文法を思いだそうとするあたりが、文法むちゃくちゃでもガンガンしゃべるぜ!みたいな国の人たちと比べると、日本人の態度に近くて、親近感を覚えます。
質問の前に必ず「May I ask...?」「Can I ask...?」と付け加えるのが、また好感度大だったのですが、ひょっとしてロシア語ではこうするのが礼儀なんでしょうか…?
さて、この方はモスクワで政府関係のお仕事をしていらっしゃるそうで、99歳(!)になるお祖母さんがペトロザヴォーツクでご健在なので、訪ねていくところだとか。ご自身も小さいとき、しばらくそこに住んでいたことがあったそうです。
ペトロザヴォーツクのある場所は、ロシア語でカレリアと呼ばれる地域だそうですが、文化圏としてはフィンランドと同じで、小学校では外国語としてフィンランド語を学んだそうです。土地の言葉はフィンランド語に近いので、皆上手に話せる、と言っていました。
ロシア語は読める?と聞かれたので、列車案内の先頭の「カレリア」という文字を発音すると、それは土地の言葉やフィンランド語では「カレゥオラ」(と聞こえましたが、とても不思議な発音だった)と読むんですよ、全然違うでしょ、と教えてくれました。
余暇の過ごし方とか(ダーチャという別荘で菜園を作るのがほとんどだということです)話しているうちに、映画の話になり、持っていた会話帳で映画のページを開くと、私の大好きな『ナイトウォッチ』もちゃんと出ていました(ホントに使える本だこと)。
これ、とても面白かったです、続編の『デイ・ウォッチ』も日本で公開されたんですよ、というと、とても喜んでくれて、自分は映画も好きだしセルゲイ・ルキヤネンコの原作も好きだとのこと。映画化された作品は海外でも翻訳されてるみたいだけど、他のも面白いよ、と勧めてくれました。
日本に帰って調べてみたら、短編も翻訳されていたのでびっくり。さすがはSFマガジン。
その後、話題はフクシマに移り、住民はどうしているの、と聞かれたので、近い場所の人は避難したけど、少し離れた場所の人は避難するかどうか、自分で判断している。こういう場合は、チェルノブイリの時のように、国が避難を強制しないのが良いのか悪いのか、分からない、という話をしました。
すると、自分も最近、海外の人が撮ったチェルノブイリについてのドキュメンタリーを見た。もっと早い段階で出来ることがあったのではと今なら思う、と言うので、日本では、今度の事故について政府が何か隠していないかと疑っている人もいるんですよ、と説明すると
“In my opinion... if something happens,the first thing they do is hiding. Hinding is their business!”
個人的見解ですけど、政府というのは、何かあったらまず隠す。それが仕事と心得てるんですよ、と言って、ははは!と笑いました。
ま、そうなのかも知れないけど…。でも、公務員がそんな事言っていいんですか…?
などなど、話題はまだまだ尽きず、寝台列車の夜は更けて行きました。 -
朝になると車内には、朝っぱらからバリトンおやじが歌い上げる、「愉快なロシアのヒグマおやじ」といった趣きの(そんな題名の歌があるのかどうかは存じませんが)歌が流れ、降りる人はせっせと支度を始めました。
そういえば、せっかく話をしてくれた人の名前も聞いてませんでした。それこそ「May I ask...?」と尋ねてみると、「アルジョムです。健康という意味ですよ」と教えてくれました。日本でいえば「健さん」ってとこでしょうか。
いや待て。
その名前は『メトロ2033』の主人公の名前ですよ。それはちょっと話が出来すぎなのでは?
そんな私の疑惑を見透かすかのように、先方が説明するには、
「ロシアでは名前のバリエーションがあまりないので、同名の人が少なくないんですよ。学校なんかでは、みなあだ名で呼ぶんです。」
よっぽど面白いあだ名で呼ばれてたのか、思い出し笑いをするアルジョム氏。
「正式な呼び名は、自分の名前の後ろにお父さんの名前を続けるんです。例えば、イワン・ミハイロビッチとか。」
ドナルドの息子でマクドナルドとか、アラソルンの息子のアラゴルンとか、ああいう類ですかね…(いや、後者は違うだろ)。
確かに、お父さんの名前を呼び名で足す文化ってありますよね。日本だったら、区別するのに足すとすれば、たいてい場所の名前だろうけど。川上の五郎さんとか、湾岸署の五郎さんとか。
とくだらない物思いにふけっているうちに、列車は無事、ベトロザヴォーツクに到着しました。
ちなみにロシアの場合は、お父さんの名前を足すと敬称になるそうです。だから、ロシアの人がイワン・ミハイロヴィッチ、と言ったら、そのココロは、日本語でいう「イワンさん」と同じことなのでしょう。
フェリーが2時間後なので、時間はあるようでありません。帰りのフェリーは17時には戻ってくるし、街の観光は戻って来てからにしようと思い、駅のカフェでコーヒーを飲んで、駅の外側にある手荷物預かり処に荷物を預けたら、出発です。
ちなみに、預かり処の入り口にも時間が書いてあったのでとても心配だったのですが、確かめてみたら、入り口に入った中の窓口を閉める休憩時間で、いちおうコインロッカー式なので、誰もいなくても荷物を出すことはできます。(ただ、預けるときは使い方を聞かないと、分からないと思います…)
前回の「黄金の環」に輪をかけて簡単な地図しか持っていないため、相当不安でしたが、何とかフェリー乗り場に到着。首から番号札のようなものを掛けてもらうと、それが往復のチケット代わりでした。湖を高速船で1時間半ほど進むと、ずいぶん遠くからも、燃え立つ銀の焔のような建物が見えました。 -
フェリー乗り場から、木を敷き詰めた林道を通って進みます。ここは野外博物館のようなスタイルになっていて、入場料を払って入る仕組みになっています。確かに、これだけの場所を維持しようとすれば、相当費用もかかることでしょう。
今回は、入場チケットに現地の英語ガイドさんがついているタイプの料金でお願いしました。実は、ガイドさんの後ろについて観光するのは初めての体験です。
私たちに付いてくれたのは、リンドグレーンを映画化することになればピッピ役に抜擢されそうな、元気なお嬢さんで、てきぱきと話を進めてくれました。以下はすべて、彼女から聞いた説明です…。
キジ島のあたりは元々、異教徒の住む土地でした。祭りの時は裸踊りをしているような蛮族です(私が言ったんじゃありません!ガイドさんが言ったんです!)。
そこへ宣教師がやってきて、布教の許しを求めました。土地の有力者は最初認めたがりませんでしたが、宣教師が病気を癒したため、布教を許可した。そのとき建てたのが、復活教会という小さな建物です。
外からやってきた人たちは、この島やその一帯に農業のやり方を持ち込みました。土地を3つに分けて、1つは休ませ、1つにライ麦を、もう1つに大麦を、といったやり方で輪作する方法で、この地方では今でも続く農法だそうです。
その後、ロシア正教が広まるにつれ、あたりの島々に住む農民が、お金を出し合って教会を建てることにしました(キジ島からあたりを見回すと、対岸だか島だか分からない岸辺に囲まれています)。
「おらほの畑からもよく見えるようにな」「おらほの島からもな」と、お金を出したからにはその分、元を取らねばと主張する当時の農民の皆さん。
という訳で、お金を出した島々の人たちが公平に教会の正面を見られるように、ということで、あの独特の8角形の教会が建ったのだと言います(ホントかい…)。 -
ってことで建ちましたプレオブラジェンスカヤ教会ですが、初代は落雷で消失。1714年に再建されたものが今日まで残っているということです。
立派な建物は夏用の教会で、隣の小さな教会は冬用の教会です。冬場は寒いため、暖房が効くように、小さな教会を使用するのだそうです。
船から見ると、中が空洞のように見えたのですが、どうも地面と接触している部分が傷んでいるらしく、そこを取り除き、外側から鉄骨で支えているようです。
この修復方法は、世界中の専門家から文句を言われています、とガイドさんはテキパキと説明してくれました。 -
あの屋根がどうなっているのかは、皆さん知りたいところですよね。その辺、ちゃんと説明してくれましたので、ご紹介しましょう。博物館のスタッフが、小さな模型で再現してくれています。
まずは木を切り出し、薄く削り出して形を作ります。 -
木で柱を作り、その周りに、寄せ木細工のようにはめていきます。
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内部はこういう感じです。
-
外側は、このようにして作っていきます。
キジ島の周りには、大きな石を切り出す場所がなかったため、全ての建物は木から造られました。
この辺りの男性は木工に優れており、木の性質もよく理解していました。材料として選んだ木も、テキトーなものではありません。
教会の建物をよくご覧頂くと分かりますが、上の屋根部分と、下の柱部分は色が違っています。上はアスペン、下はパイン材で、それぞれ経年変化によって、上は銀色、下は黄金色に変化します。農民はもちろん、そうした効果を狙って素材を選んだのです。
さらに、この二種類の木には芳香がするという特長もあります。欠点としては、耐久性はそれほどでもないので、ある一定の期間が過ぎると、葺き替えなければならないという点です。 -
内部は当然、入れませんでしたが、隣にある、1764年建立のボクロフスカヤ教会は中に入ることが出来ました。入り口にはスカーフが用意されていて、ガイドさんもさっと被りました。私の方は、またまたショールの出番です。聖歌を聞かせてもらい、イコンの内容を説明してもらいました。
続きまして、この建物…だったかどうかは忘れましたが、とにかく、当時の典型的な農家が移築されており、中に入って見学させてもらいました。
2階建てでかなり大きな家で、湖に面した窓側には凝った飾りがついています。この辺りの農民は農閑期には木工として、サンクトペテルブルクに出稼ぎに行っていたそうです。
腕の良い職人だった彼らは街で家具や内装を手がけ、かなりの現金収入を得て島に戻ってきました。
そして自分の家を、特に、湖に面した側の窓を、凝った彫刻や、当時サンクトで流行っていた「ロココ調のバルコニー」(^^)で飾りました。隣の島の人たちや漁をする人達に財を誇示する意味もあったとのことです。 -
屋内を再現する展示です。当時と同じ方法で糸を紡いでいます。均等に糸が紡げる女性が良いお嫁さん、という評価だったそうです。
私など、まっさきに負け組です。
他の部屋では、ビーズ細工をしているスタッフの女性もいました。同色のビーズを通した糸を筒状に編んだ、ちょうどリリアン編みのような太さのビーズの紐の中に、別のビーズで×の形に模様を編み込んでいきます。
見るからに複雑そうなこの工芸品はその製法が長いこと廃れていたそうなのですが、博物館のスタッフが再現に成功。元々は、漁をするときの網の作り方をヒントに考案されたのでは、とのことでした。 -
1階の台所付近の様子です。奥には、お湯を沸かすサモワールが見えます。
ちょっと写真では分かりづらいかと思いますが、上の方に棚板を渡して、食器などが載っているのが見えるでしょうか。実は、かなり玄関に近い場所に渡されています。
外からやってきた人は、家の主人の許しがなければ、この棚板よりも先に進むことはできません。ちょうど日本で言う「しきい」の役目を果たしているようです。
面白いのは、下の写真のように、子どもが居住するスペースの入り口にも、同じような板が渡してあることで、子ども達も、大人の許可がないかぎり、その板から先に出ることはできなかったということです。 -
同じく一階にある、子ども用のスペースです(台所の左側と隣り合っている)。
上の方に棚板があるのがご覧頂けるでしょうか。
窓と窓の間には、赤い色で刺しゅうをしたタペストリーが掛けられています。模様にはそれぞれ意味があり、魔よけの役を果たしているとのことです。赤は特に魔よけの効果があると信じられていました。 -
ダイニングに置かれたテーブルです。
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窓にはガラスがはまっており、2重窓になっています。家の角、90度に2つの窓に挟まれているコーナーは一番明るく、重要な席で、家の主人が座りました。
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キッチンの脇にある食器棚です。その前に置かれているのは鶏用のケージです。冬は寒いので鶏は室内に入れていました。
大家族+鶏が同居していて、さぞかしにぎやかだったことでしょう。 -
二階です。独身女性の部屋だということです。
昔の女性は、良い家に嫁ぐために、いかに器量を美しく保つかに腐心していました(今でも、そんなに変わらないと思いますが…)。
美しくなるために、いろいろとおまじないなどもあったそうです。迷信もありましたが、今になると合理的(?)と思われるものもありました。
たとえば、朝、顔を洗うたらいの中に、銀貨を入れておくなどです。銀に消毒・殺菌作用があるというのは、現在よく知られていることです。 -
嫁入り前の娘さんは、未来の義父、義母や嫁入り先の家族に贈り物をして気に入ってもらうために、刺繍や装飾品などを手作りして、箱の中に作りためておいたそうです。
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断捨離チックなお部屋。憧れです。
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2階には渡り廊下のようなものがあり、納屋へと続いています。びっくりするほど広い家です。
冬の間、家畜は家の中で飼います。また、舟の修理なども屋内で行うため、そのスペースがあります。
舟は、水草の生えた湖を進みやすいように、先が細くなった、この地方独特の形をしています。
納屋から1階まではゆるいスロープになっており、冬場に外出するときは、屋内で馬にそりをつけ、そのまま外へ出たそうです。 -
屋外に出ると、スタッフの人が木彫りの展示をしています。子どものおもちゃだとのことですが、魔よけも兼ねているそうです。
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模様として付けられたドット(点)には、「水」という意味があるのだそうです。重要な文様として、あちこちで使われています。
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キジ島から遠く離れた島の中には、自前の小さな教会を持っているところもありました。その中の1つを移築してきたものだそうです。
基本的に、ロシアの教会は、教会堂と鐘楼の2つの建物がセットになっています。
教会の鐘は、鐘撞き(Bellringer)が鳴らしますが、毎年、春の決まった日には、子ども達が自由に鐘を鳴らすことが出来ました。
その中から、後継の鐘撞きを選んだそうです。
鐘は適当に鳴らしているわけではなく、ちゃんと曲が決まっています。スタッフが、伝統的な曲を鳴らしてくれました。繊細ながら力強い旋律です。
身体の中に染みいるような音ですね。と言うと、
鐘撞きには元気で長生きできる人が多いということから、鐘の音には治療効果があると信じられていたそうです。振動による健康増進効果があるのかも知れません、とガイドさんは言いました。 -
あれこれ1時間ほど説明してもらって、風車小屋が見えるところまで来ると、ではここで説明は終わりです、フェリーは15:30分なので、乗り遅れないように、とテキパキ言い残して、ガイドさんは帰って行きました。
晴れたり曇ったりのお天気でしたが、ガイドさんによると、9月に入って傘をささなくて済む事自体が珍しく、今日は良いお天気にあたるのだそうです。
草地には可憐な野の花が咲き誇り、湖を渡ってくる風はとても爽やかです。まだフィンランドには行ったことがないのですが、こんな雰囲気の場所なのでしょうか。 -
湖岸では、わざわざ釣り道具を持ち込んで釣りを楽しんでいる人もいました。
ベンチも数カ所あったのですが、フィンランドからのツアーの人が座っていたので、失礼して、小さな建造物の入り口にある、縁側みたいなところに腰掛けます。
そういえば、お昼を食べていなかったので、写真のような、のんびりした景色を眺めながら、列車で配られた軽食を頂くことにしました。ユネスコのマークが貼ってある建物でお昼ごはん…良かったのだろうか…でも、ピクニックには最高の場所でした。 -
フェリーの時間が早くてまだまだ名残り惜しかったのですが、これに乗らないと戻れなくなってしまいます。
フェリー乗り場に向かって歩く途中にも振り返って、燃え上がるような教会を眺めました。
そこの周りだけが、太古の時代で止まってしまったような、本当に不思議な雰囲気を醸し出している建物です。
フェリー乗り場に行く木道の途中には、ワイルドそのもののトイレがあり、話のタネにぜひ体験して頂きたいのですが、そんなダンジョンもこなしつつフェリーり場に戻ると、小さなおみやげ物やさんがいくつか並んでいました。
白樺細工の小カゴが、とても無造作に、いかにもお土産という感じて並べられていて買ったものかどうか迷いましたが、とても軽いしパンを入れるのによさそうだったので、結局、大きさ違いで2つ買いました。日本に帰ってからよく見てみると、とても丁寧な細工で、模様も繊細で素敵です。ショーケースのある店なんかだったら、とんでもない値段がついていそうです。
白樺の皮には殺菌効果があるとのこと、確かに木の心地よい香りがします。これなら楕円形のとかも買ってくれば良かったかも。
乗船を始めたころ、船着き場には新しく、白い大きな船がやってきました。どうやら、サンクトペテルブルクあたりからはるばる到着した豪華クルーズ船のようです。たくさんの人が降りてきて、また島はにぎやかになるのでしょう。
帰りのフェリーでは、今度はまたしゃれたアニメーションをやっていました。中央アジアっぽいキャラの5人組(ロシア代表?)が、フランスやイギリスなどに行って、サッカーの試合をする、というもので、キャプテン翼もビックリの超華麗なプレーが繰り広げられます。これも途中から見て途中までだったので、続きが見たい… -
22時55分のサンクトペテルブルク行き寝台列車まで、あと6時間もあります。ガイドブックを見ると、ペトロザヴォーツクの街のことなどほとんど載っていません。
これは困ったなぁと思ったのも束の間、道すがら、おいしそうなスイーツをショーウインドーいっぱいにならべた、北欧風のカフェを発見。入ってみると地元のお客さんでいっぱい。
ちょうど雨が降ってきたので、初めてみる変わったスイーツを注文して、雨宿り。やる気をチャージして歩き出すと、公共の建物が集まっている場所に出ました。
そういえば、この町の博物館の2階に、カレワラに関する展示があると、ガイドブックに載っていました。カレリアはフィン語だとカレウォラ…(?)と列車でも聞いたし、きっとそれなりの展示があるのではと期待できます。地方入館17時半、閉館18時。時計を見るとあと5分あります。
急いで建物に飛び込むと、もう窓口を閉めようかと思っていたらしい女性が、ちらっと時計を見ると、チケットの料金表を差し出しました。なぜか3枚写真が出ていて、それぞれに料金が違っています。
これは、同じ博物館で別々の展示をやってるらしい…何の下調べもせずに、うっかり上野の東京都美術館に入っちゃったガイジンさんのような状況です。
カレワラ、カレワラはどれ…とつぶやく私をさっくり無視して、係の人は一番下の絵の上に指でグリグリ3重丸を描くと、同じ絵柄のチケットをハイと差し出しました。どうやら、館イチオシの特別展のチケットらしい。まあ、私が東京都美術館の職員なら同じようにするでしょう。しょうがない。
例によって、係の人が先に立ち、展示室の電気をパチパチ点けて回ります。左右の壁にところ狭しと名画が飾られてるみたいなのですが、とにかくそういう状況なので、ほとんど小走りの斜め鑑賞状態。
無理やり入場してきたくせに、ろくすっぽ名画も見ない私たちに呆れたのか、係の人は、つと振り向いて出口近くの絵を指さし、何か言いました。恐らく、これが目玉の○○の絵画よ、よく見るように、というような事かと思いますが、恩知らずの私はとにかくカレワラで頭がいっぱい。カレワラは、どこ?
そうだ、展示はこの建物の2階にあるってガイドブックに書いてあった気がする。とにかく階段を上ろう…!とする厚かましいガイジンツーリストの前に立ちはだかる係のおばさん。
おとなしく切符売り場の窓口に戻ると、がーんそうだった、入場17:30分まで…ご丁寧にも窓口にはカーテンが掛かっています。一縷の望みを掛けて、2階は…という手振りをしてみると、おばさんは時計をまた見て、今日はおしまい、というようなそぶり。
ま、入れてもらった時点で既に特別待遇だったんですから、文句は言えません。でも見たかった、カレワラの展示…。どなたかご覧になった方がいらっしゃったら、ぜひ教えてくださいませ。
すっかり打ちのめされて博物館を後にした私たちでしたが、見るべきものはまだまだあります。この辺のお店は8時9時まで開いており、本屋さんなどは小さいながら充実の品揃え。この地方独特の民族衣装を紹介する本などを物色しているうちにどんどん時間が過ぎていきます。
途中入った小さなCDショップでは、色縁メガネを掛けた、ファッション雑誌の記者のような、ちょっととんがった感じのお姉さんが店番をしていました。
こちらが構わずCDを物色していると、「Can I help you?」とまるでこちらが窃盗犯のような勢いで聞いてくるのでビビリましたが、思い切って「ロシアオリジナルのロックCDを探しているんだけど…」と言ってみると、いきなり番台を降りてきて、任せとけ的な勢い。
あれこれ選んでくれたので、買いましたとも、もちろん…。ついでに、コメディのDVDもお願いしたら、これは絶対面白い、と勧めてもらいました。
そんなこんなで夜も更けてきたので、夜ご飯を食べることに。レーニン像のあるあたりにはきちんとした料理を出すレストランがいくつかあるというので行ってみたのですが、人っ子ひとり歩いていないのでちょっと心配になり、もう少し駅に近い、カレリア地方のお魚料理の店に入ってみました。ただ、内装は民家風にしていて凝っていましたが、お味の方は今一つ…。
このお店が広告を出していたため、やっと地図が手に入りました。これが最初からあればねぇ…。でもまあ、マルクス通りとレーニン広場さえ分かれば、確かに迷いはしないけど…。
そうこうしているうちにすぐに夜10時を回ってしまい、あわてて荷物を引き取ります。
次はいよいよ最後の目的地、サンクトペテルブルクです。
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