2011/09/23 - 2011/09/23
291位(同エリア601件中)
旅姿さん
埼玉県日高市にある巾着田(きんちゃくだ)の「曼珠沙華まつり」に出かけてきました。
ここは埼玉県の南部に位置し、西は秩父山地と高麗(こま)丘陵、東には入間台地が広がり、その間を高麗川が流れる。大きく湾曲した高麗川に囲まれた地形が巾着に似ているため、”巾着田”と呼ばれている。
秋のお彼岸の時期に合わせたように咲く曼珠沙華は、ヒガンバナとも呼ばれ、早咲きの群生地では、ちょうど見頃をむかえ大変混雑していました。
このあと、高麗郷古民家(旧新井家住宅)そして、この地の開拓の祖・高麗王若光の菩提寺「聖天院」へと寄り道してみました。
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
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西武池袋線の池袋駅から急行で約1時間で「高麗」駅に。
駅前に建つ---この赤いものは何でしょう? -
雨がぱらつく中、巾着田へ向かう。
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途中で 勝海舟の筆塚 があり
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大きなクリの木も
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「巾着田」のイメージ
Uの字の青い部分が「高麗川」で、その内側の赤い部分が「群生地」 -
高麗川を渡る手前で咲く「曼珠沙華」
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イチオシ
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イチオシ
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鹿台橋から眺める「高麗川」
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群生地に入る手前で
白い曼珠沙華も--- -
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イチオシ
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高麗川沿いを進む
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巾着田の中央部にある花畑
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「アマクリナム」(ヒガンバナ科)
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先日の台風15号で、コスモス畑は殆ど倒れていましたが
わずかに残っていました。 -
群生地近くには観光バスが集まって来ています
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早咲きの群生地に入ってきました。
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イチオシ
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台風で倒れた木の根の部分に、曼珠沙華が伸びてます
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台風の影響で橋が流されています
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曼珠沙華まつりのイベント会場を通り、
田畑の中央部にある「水車小屋」へ。 -
水路の水で水車が回っています
コトコトコットン---
昔に戻ったような風景です -
小川で遊ぶ--
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これは「ソバの花」
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一面のソバ畑が広がる---
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高麗川に架かる「あいあい橋」がみえます
曼珠沙華群生地とはここでお別れ--
ここから先は周辺をちょっと散策してみます -
県道川越・日高線の天神橋を過ぎると
「高麗郷古民家」があります。
この建物は、平成20年度に日高市が、高麗郷の景観保全を目的に取得した『旧新井家の住宅』で、築150年は経っているそうです。
■新井家の歴史■
江戸時代末には高麗本郷村の名主で、明治に入ると戸長、後に高麗村の村長を務め、地域の政治を担ってきた歴史がある。(配布の一般公開資料より)
秩父・長瀞に「旧新井家住宅」がありますが、ここの旧新井家との
関係を聞いたが不明でした。 -
土蔵と納屋の間を上がってきました。
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ハギの花が--
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母屋は東西が28mあるそうです。
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客殿
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中秋の名月
2011年9月12日が十五夜でした。 -
土間
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これは何でしょうか?
「とうかんや、とーかんや」と言いながら、これで土間をたたき
モグラ退治に使ったそうです。 -
古民家の隣にあるお寺
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高麗坂東観音霊場 第二十九番 長寿寺
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所々に曼珠沙華が咲く
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「高麗神社、聖天院」方面へ行ってみます
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大分歩いたようですが、まだあと1kmあります!
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高麗坂東観音霊場 第三十一番 如意輪堂
を通り -
遠くに何やら見えてきました。
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両側の石柱はどこか見覚えがあります。
---高麗駅まえにあったあの赤い将軍標です! -
ここは
高麗山聖天院 勝楽寺
716年に国難を避け、日本に渡来した高句麗人1799人の首長「高麗王若光」
ら一族の菩提寺として奈良時代に創建された。 -
聖天院の山門
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風雷神門
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庭園
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高句麗若光王稜
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山の中腹に見える本堂
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急な階段をあがり本堂へ
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石灰岩の雪山
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見晴台からの眺め
--高麗人が開いた里の風があがってきます。
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