2011/09/11 - 2011/09/14
7位(同エリア22件中)
服務員さん
今回の旅行はDELTA航空のマイルを使い出掛けてきたのですが、空席の関係で期間が5日間しか取れなかったのでそれなりの近場を選びました。目的地決定には4トラベルの会員の方からもいろいろアドバイスをいただきました。
この場を借りてお礼申し上げます。
例によって日本人があまり行かない所ですが北京から近く訪れるにはさほど苦労はいらないところです。定番の観光地に飽き足らない貴方、是非参考にしてみてください。
ところで、今回訪れた娘子関は日本とは因縁浅からぬところなのです。
ときは昭和12年日中戦争の真下、太原攻略を目指す日本軍と守る中国軍との間で激戦が繰り広げられたのです。
攻めるは板垣将軍(敗戦後戦犯となり処刑)、守は「山西王」閻錫山。
当初日本軍は苦戦を強いられましたが北支那方面軍の支援を得てようやく攻略に成功したと言う歴史があるのです。
日本の敗戦後、今度は逆に閻錫山が日本軍の残留を画策したのは歴史の皮肉と云うか興味深いところですね。
閑話休題、それではご覧ください。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- デルタ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
この時間のターミナル1南ウィングの出発はほぼDELTAが占有しています。
ただで旅行させてもらい文句は言えないのですが北京到着が日本時間で12時過ぎは身体に応えます。 -
ボーデングブリッジは空いていたのになぜかバスに乗って塔乗。
機材はB767、席は9割程塞がっていました。 -
夕食と言うか、夜食です。
CAが<麺>、<麺>と言うのでてっきり焼きそばと思い麺を注文したらチキントマトソースのパスタでした。
確かに麺には違いないですね。 -
1泊目は北京駅近くの天堂陽光大酒店へ宿泊。
本当はハワードジョンソンパラゴンホテルに泊まりたかったのですが、宿泊費が予算よりオーバするのでこのホテルを予約。
部屋は広々としていて悪くはないけれども何となく全体的に活気がない感じでした。 -
朝食のバイキングです。
中国人向けのおかずが中心。野菜の和え物、漬物、豆腐干、饅頭、豆乳など。外国人にはきついかも。 -
これがホテルの外観。北京駅を背に右手に見えます。
交通の便が良いので最初の1泊はここにするのもいいかな。 -
北京西駅へは地下鉄北京駅から復興門で乗り換え、軍事博物館で下車しB出口から連絡バスに乗り到着です。
上手く切符が買えるかな。いつもながらちよっとドキドキです。 -
石家荘へはD2005に乗ろうと計画していました。
20分ほど並び無事購入に成功。
列車本数の増大や高速道路網の拡充によるバスの高速化により切符の購入は容易になりました。
ちなみにDは中国の新幹線(動車組)の頭文字です。 -
こちらが切符です。
硬座(普通車)で84元、邦貨で約1000円です。 -
世界中の注目を集めた中国新幹線に乗ります。乗車時間は2時間の予定でしたが報道のとうり事故後に減速しているようで、2時間半かかりました。
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列車は河北大平原を驀進します。直線が多いせいか揺れはあまり感じません。
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D2005は太原行きなので石家荘北駅に停車します。
下車後切符を買おうとしましたが翌日の切符は完売。
この時点でバスにて北京に戻ることにしました。
でもバスの切符を買う前に腹ごしらえは欠かせません。
駅前の飯屋で肉うどんを食べたのですがどこに肉があるかわからない代物。6元ではこんなもんでしょう。 -
石家荘北駅から北京行きのバスターミナル(石家荘客運総站)がある石家荘駅までは20路のバスに乗り終点の石家荘駅で下車します。
ターミナルは駅前広場の南側にあり歩いても5分ほどで行けます。
北京行きは15分ごとに発車しており料金は75元、所要時間は4時間30分でしたので軍配は列車に上がります。 -
切符を買ったら次は宿探しです。
初めから宿は駅前と決めていたので駅の正面にある4星ホテルにしました。
料金は298元とやや高かったのですが利便性を考えて決めました。
それに安宿のぬるいシャワーはもうこりごりですから。少し贅沢させていただきました。 -
部屋の内部はこんな感じ。
さすが広々して寛げました。 -
午後からはようやく観光に出発です。
正定の寺廟群へは「地球の歩き方」に書いてあるとおり駅前から51路のバスに乗り30分程かかります。
バスに乗り込むとき「正定」と言うと切符をくれるのでなくさぬようにしてください。正定の街の入口で検札があります。
正定汽車站で1路の市内バスに乗り換え、大仏寺まで行き下車。丁度隆興寺の前がバス停なので早速散策に出かけましょう。
写真は隆興寺の山門まえの照壁の「瑠璃中心花」です。
見事なものです。 -
天王殿です。
北宋代の創建ですが後代の補修がなされているようです。 -
天応殿をくぐると摩尼殿が見えてきます。
北宋代の創建。創建時の様子を良く残しています。 -
太い柱、力強い斗洪うーん素晴らしい。
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摩尼殿内の大仏も北宋代のもの。
ただ、金ピカに補修され新品のようです。 -
大仏の背面にはお約束の観音様の塑像があります。
相当に細かい塑像でみごとです。 -
壁面には明代の壁画が描かれています。
暗くて解りずらいのですがこれも素晴らしいものです。 -
-
次の建物は戒壇です。
清の乾隆時代の建物です。 -
内部には明代の銅製の仏像が奉られています。
この仏像、前後双面に向いているという珍しいものです。 -
戒壇を過ぎると右側には慈氏閣が、左側には転輪蔵閣が建っています。
慈氏閣内には弥勒菩薩が安置されています。 -
これが慈氏閣内の弥勒菩薩です。宋代初期の作で、1本の木から彫られているとのことです。
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左側の転輪蔵閣です。
ほぼ慈氏閣と同じ外観ですが内部は全ったく異なります。 -
内部は経典を収める回転式書架になっています。
二つの建物共に宋代のものです。 -
続いての建物は高さ21.3メートルの千手観音を収める大悲閣です。(大きすぎて建物全部を上手く写せませんでした)やはり北宋代の建物で、1944年に大規模修理されました。
そのためあまり古い感じはしません。 -
大悲閣内の千手観音菩薩です。
監視の目を気にしながら柱の影から撮影しました。
台座には力士や天女、竜などが彫られているのですが紹介できず残念です。 -
御布施を弾むとこのような楽隊の賑やかな演奏が始まります。
あまりに賑やかなので驚いてしまいました。 -
ハスの花型の蝋燭、ちょつと綺麗。
-
大悲閣の遠景。少しは巨大さが分かるでしょうか。
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続いては明代の建築の弥勒殿です。
なぜか監視が厳しく内部は写せませんでした。 -
隆興寺最後の建物は毘蘆殿です。
もともとは正定城内の崇因寺の主殿でしたが1959年に移築されたものです。 -
隆興寺を出て門前をぶらぶらします。
寺の近くだからでしょうか。占い屋などが並んでます。 -
露天の八百屋も健在です。
-
こちらは路上マージヤンですね。楽しそうです。
-
しばらく歩くと天寧寺塔が見えてきます。
唐代創建で1986年に大修理をしています。
入口に「登れません」の張り紙があったので門の外から見るだけにしました。 -
開元寺の門前に旅回りのサーカス団がいました。
ものすごくチープな感じですね。哀愁が漂います。 -
こちらが開元寺の須弥塔と鐘楼です。
どちらも唐代のものです。 -
鐘楼は小さな建物ですが唐代の伸びやかな感じがよく出ています。
(内部には修理前の写真がありましたが相当手をいれたようです) -
須弥塔はレンガでできていて登れません。
-
塔はこのように力士が支えています。
長い間ご苦労様です。 -
開元寺は公園として整備されていますが、そこに巨大な贔屓が展示されています。
説明によれば2006年に正定にて出土、長さ8.4メートル、幅3.2メートル、高さ2.6メートル、107tとのこと。
この巨大な贔屓が載せていた石碑とはどんなもだったのでしょうね。 -
開元寺から数分で臨済寺に到着です。
入場券を買おうとしていたら「入場券はいらないよ」通りがかりのおじさんの一言。
ありがとうございます。
日本では臨済宗は一大勢力ですが、中国ではどうなのでしょう。
僧侶の数は隆興寺より庄到的に多い感じがしました。 -
臨済寺塔です。
金代のものです。 -
正定の南門近くに来ました。
広恵寺の華塔が見えます。
この塔、ユニークな塔とゆうことで「歩き方」にも紹介されていますが、実は修復前の姿は次の写真のとうりなのです。 -
この写真は1998年に刊行された「正定文物精華」に掲載されている華塔の写真です。
それにしても大胆に修復したものですね。 -
ようやく南門に到着です。
堂々たる城壁と楼閣(近年火災のため再建)です。清代以前は相当栄えていたのですね。 -
左側が石+專(セン)造りの城壁、右側が版築作り城壁、すでに壁ではなく土手になっています。
耐久力の差が明瞭に分かります。
これで正定の街あるきは終わりです。
足も痛いし、腹も減った。
石家荘に戻りましょう。 -
夜飯は、ホテル近くのイスラム食堂で食べました。
これはじゃがいもと牛肉のトマト煮込み。ピリカラ味で美味。
冷えたからだを温めてくれました。 -
こちらは炒飯、人参やインゲンが入っていてピラフ風味、美味。
二品で21元でした。 -
こちらが食堂の親父さん。もちろん回族。
日本人が来ていると注文とりの娘から聞いて表に出てきて会話が始まった。
日本にはイスラム教徒がいるかとかモスクはあるのかとか。はたまた日本人はカレーや蘭州ラーメンは好きかとか。
色々会話は弾み楽しい一時を過ごしました。 -
3日目の朝食です。
やはり中国人向けの料理ですが、味付けもさることながら野菜自体の味が断然美味しい。
花巻もほのかな甘さで思わずお代わりしてしまいました。
お腹が満ちたら娘子関へ出発です。
ホテルのフロントで聞いたらタクシーのチャーターは1日1000元ぐらいとのことだったけれど、実際は幾らで行ってくれるかな。 -
イチオシ
駅前で流しのタクシーを捕まえて交渉したところ、携帯で本部と連絡を取り、チャーター代は600元で、加えて観光中の待ち時間分として150元、合計750元とのこと。値引きの余地なしと見て750元で手を打ちました。
と言う訳で市内から高速を飛ばし、山道を超え、1時間30分位で到着しました。
城楼に向かい左側は桃河と言う川が流れ、右側は断崖で要害の地に建つています。 -
元々は葦沢関と呼ばれていましたが唐の太宗の妹の平陽公主が娘子軍を率いて防備を固めたことから娘子関と呼ばれるようになったとのこと。
それで楼閣の内部には平陽公主の塑像が鎮座しています。 -
崖沿いにも城壁が築かれ観光客の挑戦を待つています。
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崖を登ると眺望が開けます。
関内の街の造りと関の下に桃河が流れているのが分かりますね。 -
崖の上は尾根沿いに延々と長城が連っています。
-
城門の内側の様子です。
観光地ずれしておらず、良い雰囲気です。 -
人通りもすくなく、静寂な時が過ぎています。
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道沿いに200メートルほど進み右に曲がると裏門に出ます。
こちらもこじんまりしていますが堅固な造りです。 -
裏門の遠景です。
残念ながら楼閣には登れません。
門外には畑が広がっていてのどかな雰囲気です。
まさに「兵どもが夢の跡」でしょうか。 -
近くには娘子関瀑布と言う滝があり、名所になつています。
真夏に来たら良いでしょうね。
でも、日本ではどこにもありそうな滝ですけど。 -
中国では珍しい清冽な水がいいのかな。
でも、滝を見るだけで15元も取るなんてあんまりですよね。
しかもゴミが落ちたまま掃除もしないので地面は汚いし。 -
観光のあとは市内に戻り昼飯です。
牛肉と葱の炒めご飯、12元でした。
肉の量が少ないのが不満でした。
味は、醤油の見たままの味で悪くはなかったな。 -
食事の後はバスターミナルへ移動して3時発のバスで北京に戻りました。
バスは席は狭いし座りっぱなしなので疲れます。
やはり汽車が良いな。
以上で石家荘の旅行記は御仕舞いです。
続きは「北京胡同てくてくある記」をご覧ください。有難うございました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 城壁フェチさん 2011/09/21 17:29:17
- お株を奪われました!
- 娘子関!この風情は素晴らしいですね。此処の城壁は相当残って居るのでしょうか?
私のGooglマップにも既にマーキングしてありました。行かれそうも無いけど気になって居た所だった様です。
正定の南門も良いですね。山西省と河北省には歴史的にも魅力的な所ですよね。
先ずは、絶対羨ましいです!
- 服務員さん からの返信 2011/09/21 20:49:15
- RE: お株を奪われました!
- 早速旅行記ご覧いただきありがとうございます。
> 娘子関!この風情は素晴らしいですね。此処の城壁は相当残って居るのでしょうか?
関に向かい左側は川で城壁はありません。(川が自然の要害になっていたようです。)
右側は断崖になっていて写真にあるように崖に城壁が張り付いている様な感じです。崖を登りきると、遠くまで城壁が続いているようでした。(天気が良くなく遠くまで見通しがききませんでしたけど。)
> 先ずは、絶対羨ましいです!
そんあことありません。
石家荘は北京の隣の河北省の省都で、列車の本数も多く比較的行き易いところと思います。
(切符を買うときは今でも紙に第4希望ぐらいまで書いて窓口のおばちゃんに差し出しいていますよ)
往復で買えるようになつたので便利になりました。
是非トライしてください。
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