2011/08/29 - 2011/08/30
22位(同エリア113件中)
春風ねこ丸さん
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スロベニアのシュコツィアン鍾乳洞までくれば、もうイタリアはすぐそこ。
EU圏内なので国境はスルー。カルスト台地の高台からは静かに凪いだアドリア海が見えてきます。
山を一気に下れば港町トリエステに到着。
トリエステはかつてハプスブルク家の重要な貿易港として栄えた港町。そのため今でもオーストリア風の建物や文化が色濃く残っています。
19世紀には一時ナポレオンのフランス軍が占領。20世紀に入るとイタリアに併合されるも、第二次大戦でイタリアが降伏するとナチスドイツの支配下に入り、大戦終結時にはユーゴスラビアが占領。戦後は国連の管理地域になり、1954年にようやくイタリアに復帰、というなかなか数奇な運命をたどった街です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス
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トリエステは、駅の近くはにぎやかで車通りが多く、活気がある。悪く言えばごみごみしている。
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美しかったスロベニアからいきなりここにきたときは、ちょっとがっかりしたくらい。
宿泊したホテルローマも、騒がしいバス通り沿いにあって雰囲気は今ひとつ。 -
どことなくウィーンを思わせる古い建物と、その前から発車するレトロなトラム。このトラムは登山電車みたいにかなりの坂を上って山の上までいくらしい。残念ながら乗れなかったけれど。
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駅前から歩いて大運河までくると、港町らしい美しい風景が目に入ってくる。
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運河を渡る橋の上には、かつてこの街で暮らした作家ジェイムズ・ジョイスの彫像が静かに佇んでいる。
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裏通りには、ローマ時代の劇場跡が今も残る。
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トリエステの坂道。
この日は洞窟ふたつを歩き通して疲れていたので、とてものぼる気力はありません。 -
車両進入禁止のイタリア統一広場までくると、駅前の喧噪は嘘のように、のんびりと穏やかな空気が広がっている。
正面にあるのは市庁舎。 -
後ろを振り返ると、二本の柱の間の向こうにアドリア海。
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港を背にして広場の右側に建っているのは、ロイド保険トリエステ館。
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バロック様式の古い建物も。
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左側は美しいモザイクで飾られた政庁舎。
夕陽を反射して金色に輝いている。 -
だんだんと日が暮れてきた。
日が沈むまでここにいようかな。 -
海沿いの道路を渡って、埠頭まで歩いてきた。もうすぐ日が沈みます。
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広場を振り返ってみる。
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沈んでいく。
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日没後、トリエステの街は鮮やかな光に包まれます。海も街の光を映して金色に光ってます。
これは埠頭から出ていた船に乗り、海の上から街を見たところ。
船は「島」まで行くというので、どこに行くのかと思ってたら、単に2分くらい離れた防波堤に行くだけ。それ「島」とはいわないのでは。
レストランとかあったら夜景を見ながら食事をしようと思ってたのだけど、開いてなかったので、同じ船に乗ってまた街まで戻る。ちなみに船は無料。 -
街に戻ると、広場の建物が美しくにライトアップされていた。
昼よりも夜の方が幻想的できれいですね、この街は。 -
さて翌日。駅前からバスに乗って海沿いの道を走り、ミラマーレ城という城を見に来た。
バス停から城まではしばらく歩く。
道路の脇はすぐ海になっているのだけれど、道路と海の間のほんのわずかな細いスペースが海水浴場になっていて、老若男女が日光浴をしております。中にはトップレスな方も。
なお、バスのチケットは前もって買っておかなければならず、車内では買えないので要注意。私たちはそれを知らずにバスに乗ってしまい、結果的にただ乗りしてしまうはめに。
運転手さんは肩をすくめて「ただでいいわ」と言ってくれましたが。 -
アドリア海は波も少なくきれいに澄んでいて、カモメやウミウなどの鳥たちがいる。
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岬の突端に見えてきた純白の城がミラマーレ城。
ハプスブルク家の悲劇の夫婦マクシミリアン大公と公妃シャルロッテが新婚時代を過ごした瀟洒な城です。
内装は当時そのままに残されていて、船室を模してわざと天井を低くして狭いベッドを置いた部屋があったり、膨大な書物を収めた図書室があったりと、海と知識を愛したマクシミリアンの趣味がそのまま形になっていて微笑ましいものがあります。 -
城のまわりはイタリア式の公園が広がっています。
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マクシミリアンは、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟です(有名な皇妃エリザベートはフランツ・ヨーゼフの妻)。おそらく皇帝の弟として、皇帝の地位への野心もあったのでしょう、1864年、マクシミリアンは、ナポレオン三世の傀儡としてメキシコ皇帝に即位します。しかし、いきなり押しつけられた皇帝をメキシコ人が快く思うはずもなく、即位後まもなく反乱を起こされ捕らえられてしまいます。
妻のシャルロッテはヨーロッパに戻り、各国の王家やローマ教皇に援助を求めるものの、誰一人として手をさしのべる者はなく、しだいにシャルロッテは心を病み被害妄想にかられるようになっていきます。
ついに精神科医により狂気を宣告されたシャルロッテは、かつて幸せだった新婚時代を過ごしたこの城に幽閉されるのです。
そして1867年、マクシミリアンはメキシコで銃殺。シャルロッテは故郷ベルギーに戻り86歳まで生きますが、最後まで夫の死を信じなかったといいます。 -
そんな悲劇の歴史を思えば、明るい日差しを浴びて白く輝くこの城も、何か哀しみをたたえているような気もしてきませんか。
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アドリア海はおだやかにミラマーレ城を見守っています。
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