2011/05/18 - 2011/05/18
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さすらいおじさんさん
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安土城(あづちじょう)は、近江八幡市安土町にあった山城で城址は国指定特別史跡。織田信長(おだのぶなが、1534−1582年)の天下統一を象徴する城郭で、山頂の天主に信長が起居、家族も本丸付近で生活し、家臣は山腹や城下の屋敷に居住していたとされる。
大型の天守を初めて持つ威容を誇ったが、1582年の家臣明智光秀(あけち みつひで、1528−1582年)の信長への謀反・本能寺の変後焼失し廃城となった。現在は石垣などの一部の遺構を残すのみだが、安土城の築城技術が安土桃山時代から江戸時代初期にかけて日本国内に築城された近世城郭の模範となり、石垣職人集団「穴太衆(あのうしゅう)」は全国的に城の石垣普請に携わった。
ポルトガル人イエズス会宣教師であるルイス・フロイス(1532−1597年)は著書『日本史』に、天主に関する記述を残している。
「中心には、彼らがテンシュと呼ぶ一種の塔があり、私たちの塔より気品があり壮大な建築である。この塔は七重からなり、内外共に建築の妙技を尽くして造営された。事実、内部にあっては、四方に色彩豊かに描かれた肖像たちが壁全面を覆い尽くしている。外部は、これらの階層ごとに色が分かれている。あるものはこの日本で用いられている黒い漆塗りの窓が配された白壁であり、これが絶妙な美しさを持っている。ある階層は紅く、またある階層は青く、最上階は全て金色である。このテンシュは、その他の邸宅と同様に我らの知る限りの最も華美な瓦で覆われている。それらは、青に見え、前列の瓦には丸い頭が付いている。屋根にはとても気品のある技巧を凝らした形の雄大な怪人面が付けられている。」ルイス・フロイスのおかげで16世紀の状況が目に見えるようだが、さすが織田信長が天下統一を誇示するにふさわしい城郭だったようだ。
(写真は安土城跡)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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この旅行記へのコメント (2)
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- カメちゃんさん 2011/09/18 12:28:20
- 行ってみたい安土城
- さすらいおじさん こんにちは
いつもご訪問いただき、またご投票下さってありがとうございます<(_ _)>
以前にお邪魔した時、さすらいおじさんの豊かな旅に驚いていました。
きょうは、こちらにお邪魔させていただきました。
今はない安土城ですが、日本の歴史を大きく変える原動力となった信長の居城だっただけに、そこに立たれた感慨もさぞかしかとお察しします。
私の知るお城と言えば、名古屋城と彦根城くらいなもの(=_=)
それも、歴史のことなど全く考えもしないで、珍しさに気を取られてばかりでした(^^;)
これからは日本の歴史や文化にも触れてみたいものと、考えさせられました。
それにしても、信長はあの時代に何を感じ、どんな構想を持っていたのでしょうか?
そのあたりの興味は、尽きるところがないですね。
ありがとうございました。
これからもよろしくお願いしますね。
カメちゃん
- さすらいおじさんさん からの返信 2011/09/18 18:35:38
- RE: 行ってみたい安土城
- カメちゃんさん
ご訪問、安土城のコメントをありがとうございます。こちらこそいつもご訪問いただき投票もいただきありがとうございます。定年旅行シリーズ、同じ体験を持つ私も楽しく拝見しております。
>それにしても、信長はあの時代に何を感じ、どんな構想を持っていたのでしょうか?
本当に私も信長が何を考えていたのか、知りたいです。わずかな手勢で京都に来て、まさか部下の謀反に遭おうとは思ってもいなかったでしょう。さぞ無念だったろうと思います。
でも本能寺の変が無ければ秀吉が天下を取れたかどうか疑問ですし、歴史も変わっていたでしょうね。歴史も人生も一瞬のチャンスをつかめるかどうかで180度変わるものだなあ、と思います。
こちらこそこれからもよろしくお願いします。
また定年旅行シリーズ、拝見に伺います。
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