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1990年、大学の卒業旅行で友人3人とインド・ネパール旅行に行きました。<br />手配旅行だったのでそれなりに大変なこともありましたが、すっかりインド大好きになってしまいましたよ。<br /><br />タイ(バンコク)を経由してタイ航空でデリーへ<br />デリー1泊<br />夜行列車でヴァナラシーへ<br />ヴァナラシー3泊<br />夜行列車でアグラへ<br />バスでジャイプールへ<br />ジャイプール2泊<br />バスでデリーへ<br />デリー1泊<br />ネパール航空でカトマンズへ<br /><br />という行程でした。<br /><br />写真はジャイプールの町です。<br />乾燥した空気と岩山の風景のジャイプールは、この旅行中一番エキゾチックに感じられました。<br /><br />※以前のブログの書き直しです。別のブログサイトに載せていた内容をこちらに移しました。※

インド・ネパール卒業旅行<アグラ・ジャイプール>

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1990/02/22 - 1990/03/08

5314位(同エリア9309件中)

binchanさん

1990年、大学の卒業旅行で友人3人とインド・ネパール旅行に行きました。
手配旅行だったのでそれなりに大変なこともありましたが、すっかりインド大好きになってしまいましたよ。

タイ(バンコク)を経由してタイ航空でデリーへ
デリー1泊
夜行列車でヴァナラシーへ
ヴァナラシー3泊
夜行列車でアグラへ
バスでジャイプールへ
ジャイプール2泊
バスでデリーへ
デリー1泊
ネパール航空でカトマンズへ

という行程でした。

写真はジャイプールの町です。
乾燥した空気と岩山の風景のジャイプールは、この旅行中一番エキゾチックに感じられました。

※以前のブログの書き直しです。別のブログサイトに載せていた内容をこちらに移しました。※

旅行の満足度
5.0
同行者
友人
交通手段
鉄道 高速・路線バス 観光バス タクシー
旅行の手配内容
個別手配
  •  1990年3月1日、ヴァナラシーからの寝台特急でアグラに移動。今回は4人で1コンパートメントを確保していたのでしっかり休めました。<br /> コンパートメントは夜は4人用の寝台ですが、昼間は6人がけの座席となり他のお客さんと相席になります。私たちが窓辺のテーブルにお菓子や果物を置いて食べていたら、相席のインド人のおばさんがそれを勝手に片付けようとするのです。何をするの!?と思っていたら、駅に停車したとたん窓から猿がそれらを狙いに来ました。なるほど、インドの駅では「猿に注意」でしたか!<br /> <br /> 3月2日早朝、アグラに到着。駅前ではやはりオートリクシャーの客引きが手ぐすね引いて待っていたました。ノリのいいお兄ちゃんがいたので、アグラの観光地を回ってもらうことに。今や客引きのノリに突っ込めるほど強くなった私たち!<br /> このとき荷物をどこかに預けて観光したと思うのですが、そういった細かい段取りを全てリーダー役の友人が調べあげていてくれました。今と違ってネットのクチコミ情報などはなかったので、そのほとんどを地球の歩き方に頼っていたと思われます。もちろんインドについて研究する学生だったので、先生や助手の方などから仕入れた情報も多かったと思います。それにしても、初海外であれだけ周到に準備してくれた友人には、いまさらながら感服しています。<br /> <br /> アグラ観光と言えばまずはタージマハル。中にはインド各地から見物に訪れている家族連れ、団体がたくさん。外国人ももちろんたくさんいました。南インドのマイソールから来たという20人程の大家族と、なぜか写真を一緒に撮ったり。(写真はその時のもの)超有名観光地ならではのテンションの高さが面白かったです。<br /> カメラ片手に庭園を歩いていると、インド人のオジサンが「ここからこの角度で写真を撮ると、池に廟が映ってとても美しい」と教えてくれました。その通りの角度でファインダを覗くと正に、パンフレットに載っているような素敵なタージマハルの姿が見えました。さっそく写真に収めると、すかさずオジサンが「情報料をくださいな」と・・・。なるほどこういう情報も有料なんだな、と妙に納得して支払いました。<br /> <br /> その後アグラ城を見物。リクシャーの客引きは運転手とは別人で、一緒にリクシャーに乗り込んでいるのですが、彼が実質ガイド役。ヴァナラシーで気力を充填した私たちに終始振り回されていた感のある彼でしたが、ここで起死回生の一手。レストランと大理石の店に私たちを導引することに成功しました。我々としてもちょうど休憩したい頃で渡りに船。<br /> レストランは、コテージ風のホテルのオープンテラスで、とっても素敵なところ。私たちも毎日客引きや物売りの攻勢と闘っていますが、彼らもまた観光客のワガママや財布の紐と格闘し、工夫したり情報を仕入れたりしてるんですよね。<br /> <br /> この後、アグラのバスターミナルからジャイプール行きのバスに乗ります。

     1990年3月1日、ヴァナラシーからの寝台特急でアグラに移動。今回は4人で1コンパートメントを確保していたのでしっかり休めました。
     コンパートメントは夜は4人用の寝台ですが、昼間は6人がけの座席となり他のお客さんと相席になります。私たちが窓辺のテーブルにお菓子や果物を置いて食べていたら、相席のインド人のおばさんがそれを勝手に片付けようとするのです。何をするの!?と思っていたら、駅に停車したとたん窓から猿がそれらを狙いに来ました。なるほど、インドの駅では「猿に注意」でしたか!

     3月2日早朝、アグラに到着。駅前ではやはりオートリクシャーの客引きが手ぐすね引いて待っていたました。ノリのいいお兄ちゃんがいたので、アグラの観光地を回ってもらうことに。今や客引きのノリに突っ込めるほど強くなった私たち!
     このとき荷物をどこかに預けて観光したと思うのですが、そういった細かい段取りを全てリーダー役の友人が調べあげていてくれました。今と違ってネットのクチコミ情報などはなかったので、そのほとんどを地球の歩き方に頼っていたと思われます。もちろんインドについて研究する学生だったので、先生や助手の方などから仕入れた情報も多かったと思います。それにしても、初海外であれだけ周到に準備してくれた友人には、いまさらながら感服しています。

     アグラ観光と言えばまずはタージマハル。中にはインド各地から見物に訪れている家族連れ、団体がたくさん。外国人ももちろんたくさんいました。南インドのマイソールから来たという20人程の大家族と、なぜか写真を一緒に撮ったり。(写真はその時のもの)超有名観光地ならではのテンションの高さが面白かったです。
     カメラ片手に庭園を歩いていると、インド人のオジサンが「ここからこの角度で写真を撮ると、池に廟が映ってとても美しい」と教えてくれました。その通りの角度でファインダを覗くと正に、パンフレットに載っているような素敵なタージマハルの姿が見えました。さっそく写真に収めると、すかさずオジサンが「情報料をくださいな」と・・・。なるほどこういう情報も有料なんだな、と妙に納得して支払いました。

     その後アグラ城を見物。リクシャーの客引きは運転手とは別人で、一緒にリクシャーに乗り込んでいるのですが、彼が実質ガイド役。ヴァナラシーで気力を充填した私たちに終始振り回されていた感のある彼でしたが、ここで起死回生の一手。レストランと大理石の店に私たちを導引することに成功しました。我々としてもちょうど休憩したい頃で渡りに船。
     レストランは、コテージ風のホテルのオープンテラスで、とっても素敵なところ。私たちも毎日客引きや物売りの攻勢と闘っていますが、彼らもまた観光客のワガママや財布の紐と格闘し、工夫したり情報を仕入れたりしてるんですよね。

     この後、アグラのバスターミナルからジャイプール行きのバスに乗ります。

  •  1990年3月2日午後、アグラのバスターミナルからジャイプール行きのバスに乗車。なかなかキレイで乗り心地も悪くありません。途中ドライブインで休憩がありましたが、そこのレストランやトイレも快適でした。何より、地平線まで続く平らでまっすぐな道、車窓に広がる平原が印象的。<br /> ジャイプール到着は夜でした。<br /> <br /> 日本からホテルを予約する時、旅程を柔軟にするため各都市一泊目のみを予約し二泊目は現地で延泊を依頼することにしていたので、ジャイプールでも到着してから延泊を申し込みました。フロントでそのやりとりをして部屋に入り、ルームサービスで紅茶を頼むと支配人が直々に運んで来てくれました。夜だから客室担当者は帰ってしまっていたのかもしれません。<br /> 支配人は「明日の夜大きな結婚式があるので一緒に行ってみないか?」と誘ってくれました。とても興味があったのですが、夜出歩くのはやめておこうと4人で決めていたので残念ながらお断りしました。続いて支配人は「ここのホテルは高い。お金がもったいないから明日はもっと安いホテルにしたらどうか?私が紹介するから。」と言うのです。このホテルの支配人なのに!?と我々は疑心暗鬼。しかし明日の午前中は予定もなかったので、試しに安いホテルとやらを見に行ってみることにし、支配人と待ち合わせの約束をしました。<br /> 結局、予約してあったホテルを一泊で気に入ってしまった我々は、待ち合わせ場所には行ったもののその場でお断りしました。実はこの日、午後ホテルに戻ると、ツィンルームからスィートに部屋を替わることになりました。料金はツインとおなじだったので私たちにはラッキーだったのですが、もしかすると安易に延泊をOKしてしまった支配人が苦肉の策で他のホテルを薦めたのかも知れません。<br /> このホテルの皆さんは親切で居心地のいいところでした。残念ながらこのホテルの名前の記録がなく、どこだったのか分からなくなってしまいましたが・・・。<br /> <br /> 居心地がいいといえば、このジャイプールという町は総じて垢ぬけた感じ。道を歩いている牛(牛以外の動物も)が少なく、デリーやヴァナラシーでよく見かけたフンの山もありません。物売りや客引きも強引さがないので、観光していてもあまり疲れないんですよね。<br /><br />(写真は支配人との記念撮影)

     1990年3月2日午後、アグラのバスターミナルからジャイプール行きのバスに乗車。なかなかキレイで乗り心地も悪くありません。途中ドライブインで休憩がありましたが、そこのレストランやトイレも快適でした。何より、地平線まで続く平らでまっすぐな道、車窓に広がる平原が印象的。
     ジャイプール到着は夜でした。

     日本からホテルを予約する時、旅程を柔軟にするため各都市一泊目のみを予約し二泊目は現地で延泊を依頼することにしていたので、ジャイプールでも到着してから延泊を申し込みました。フロントでそのやりとりをして部屋に入り、ルームサービスで紅茶を頼むと支配人が直々に運んで来てくれました。夜だから客室担当者は帰ってしまっていたのかもしれません。
     支配人は「明日の夜大きな結婚式があるので一緒に行ってみないか?」と誘ってくれました。とても興味があったのですが、夜出歩くのはやめておこうと4人で決めていたので残念ながらお断りしました。続いて支配人は「ここのホテルは高い。お金がもったいないから明日はもっと安いホテルにしたらどうか?私が紹介するから。」と言うのです。このホテルの支配人なのに!?と我々は疑心暗鬼。しかし明日の午前中は予定もなかったので、試しに安いホテルとやらを見に行ってみることにし、支配人と待ち合わせの約束をしました。
     結局、予約してあったホテルを一泊で気に入ってしまった我々は、待ち合わせ場所には行ったもののその場でお断りしました。実はこの日、午後ホテルに戻ると、ツィンルームからスィートに部屋を替わることになりました。料金はツインとおなじだったので私たちにはラッキーだったのですが、もしかすると安易に延泊をOKしてしまった支配人が苦肉の策で他のホテルを薦めたのかも知れません。
     このホテルの皆さんは親切で居心地のいいところでした。残念ながらこのホテルの名前の記録がなく、どこだったのか分からなくなってしまいましたが・・・。
     
     居心地がいいといえば、このジャイプールという町は総じて垢ぬけた感じ。道を歩いている牛(牛以外の動物も)が少なく、デリーやヴァナラシーでよく見かけたフンの山もありません。物売りや客引きも強引さがないので、観光していてもあまり疲れないんですよね。

    (写真は支配人との記念撮影)

  •  1990年3月3日、ジャイプールは赤い花崗岩でできた建物が多いためピンクシティーと呼ばれています。桃の節句にピンクシティーを観光しました!<br /> <br /> 午前中、ジャイプール市内で細密画のアーティストに声をかけられました。アリさんと言う方で日本でも絵が紹介されたことがあるそうです。その時は絵を見せてもらう時間がなかったので、翌日アトリエを兼ねたご自宅へ伺いました。そこでは写真をとらなかったのでどんな絵だったかはあまり覚えがないのですが、ジャイプールの普通のお宅にお邪魔できたのは幸運でした。<br /> 絵のことはあまり覚えていないにも関わらず、お宅に向かう途中で見かけたゴミ捨て場のことは強烈に覚えています。カメラを向けるのがはばかられるほどの強烈さだったので撮ってないのですが、野菜くずから動物の内臓、がれきまでが雑多に人の背丈ほども積み上げられていました。あのあとどうやって処分するのでしょうか。<br /> <br /> 話をこの日の午前中に戻します。アリさんのもとで働く青年にレストランに連れて行ってもらい昼食。ステンレスのお盆に数種類のカレーが入ったインドの定食を食べました。あまり辛くなくておいしかったです。明らかに過剰な数の店員さんに周りを囲まれて食事している写真が残っています。カレーやチャパテイのお代わりを薦めてくれたり、フレンドリーな店員さんたちでした。<br /> 午後はツーリストインフォメーションから出発するツアーで、風の宮殿、ジャンタルマンタル、アンベール城を巡ります。アンベール城ではもちろん象に乗りました。背中の籠に4人一緒に乗るのですが、高いわ揺れるわでけっこうスリリング。頭の上にも直に座らせてもらったのですが、象の髪の毛(?)は剛毛で、服の上からでもチクチクと痛かったのを覚えています。<br /> <br /> 1990年3月4日、デリーへバスで移動です。<br /> デリーでは、インド初日に泊まったジャンパットホテルに再び宿泊しました。明日はついにインド出国。ネパールに向かいます。<br /> <br />(写真はアルバムに整理した写真。当時はデジタルじゃないですから。)

     1990年3月3日、ジャイプールは赤い花崗岩でできた建物が多いためピンクシティーと呼ばれています。桃の節句にピンクシティーを観光しました!

     午前中、ジャイプール市内で細密画のアーティストに声をかけられました。アリさんと言う方で日本でも絵が紹介されたことがあるそうです。その時は絵を見せてもらう時間がなかったので、翌日アトリエを兼ねたご自宅へ伺いました。そこでは写真をとらなかったのでどんな絵だったかはあまり覚えがないのですが、ジャイプールの普通のお宅にお邪魔できたのは幸運でした。
     絵のことはあまり覚えていないにも関わらず、お宅に向かう途中で見かけたゴミ捨て場のことは強烈に覚えています。カメラを向けるのがはばかられるほどの強烈さだったので撮ってないのですが、野菜くずから動物の内臓、がれきまでが雑多に人の背丈ほども積み上げられていました。あのあとどうやって処分するのでしょうか。

     話をこの日の午前中に戻します。アリさんのもとで働く青年にレストランに連れて行ってもらい昼食。ステンレスのお盆に数種類のカレーが入ったインドの定食を食べました。あまり辛くなくておいしかったです。明らかに過剰な数の店員さんに周りを囲まれて食事している写真が残っています。カレーやチャパテイのお代わりを薦めてくれたり、フレンドリーな店員さんたちでした。
     午後はツーリストインフォメーションから出発するツアーで、風の宮殿、ジャンタルマンタル、アンベール城を巡ります。アンベール城ではもちろん象に乗りました。背中の籠に4人一緒に乗るのですが、高いわ揺れるわでけっこうスリリング。頭の上にも直に座らせてもらったのですが、象の髪の毛(?)は剛毛で、服の上からでもチクチクと痛かったのを覚えています。

     1990年3月4日、デリーへバスで移動です。
     デリーでは、インド初日に泊まったジャンパットホテルに再び宿泊しました。明日はついにインド出国。ネパールに向かいます。

    (写真はアルバムに整理した写真。当時はデジタルじゃないですから。)

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