1990/02/22 - 1990/03/08
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binchanさん
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1990年、大学の卒業旅行で友人3人とインド・ネパール旅行に行きました。
手配旅行だったのでそれなりに大変なこともありましたが、すっかりインド大好きになってしまいましたよ。
タイ(バンコク)を経由してタイ航空でデリーへ
デリー1泊
夜行列車でヴァナラシーへ
ヴァナラシー3泊
夜行列車でアグラへ
バスでジャイプールへ
ジャイプール2泊
バスでデリーへ
デリー1泊
ネパール航空でカトマンズへ
という行程でした。
写真はガンジス河日の出ツアーでの一枚です。
※以前のブログの書き直しです。別のブログサイトに載せていた内容をこちらに移しました。※
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
1990年2月24日、タイ航空でインドのデリー、インディラガンディー国際空港に到着。大阪やバンコクの空港と比べるとうす暗く、さびしい感じの空港でした。
当時「地球の歩き方」のインド版はすでに出版されており、グループのリーダー役の友人はそれでいろいろ下調べしてくれていたのですが、私はそれを読むこともなく全く予備知識なしで旅行に挑んでいました。そんな私ですがメンバーのおかげで空港バスに乗りニューデリー市内に無事に到達できたのでした。
翌日ヴァナラシーへ移動する夜行列車を予約するためまずはニューデリー駅へ。そこで第一のカルチャーショックです。これはカルチャーと言うよりただのショックでした。駅の周りをびっしりと埋め尽くすホームレスの人々。駅に近づくと、6~7歳の子供が靴に額をこすりつけて「お恵みを!」と集まってきます。お金を出したら絶対ダメだと聞いていたので、メンバーの一人が飴をいくつかにあげると、それでも次から次へと子供が寄ってきて収集がつかなくなってきました。「ごめんね、もう飴なくなったよ」、と言い訳しながら何とか振り切って構内へ。この体験で、なんとなくインドについてきてしまった私は「しまった!とんでもないところに旅行に来てしまった」と思いもう一人のメンバーもそう思ったそうです。しかし、リーダーを含むあと二人は、「これこそインド!ついにインドにキタ~~」と思ったんだそうです。
そして駅で第二のショックが。実は、到着が土曜日になることが分かっていたので、レイルパス(外国人がインドの列車に期間限定で乗り放題できるパス)を手配してくれた旅行社の人に、駅の窓口は休みではないのか?と確認していました。すると旅行社の人は「駅ですから土日も関係ないです。」と言っていました。当時は日本から列車の予約はできなかたのです。ところが、いざ駅に到着してみるとあっさり、「土曜は午後休みです。月曜にまた来なさい。」とのこと。それでは困る、と抗議していると事務室の窓からオジサンが手招きをし、駅の人も「じゃああの人について行きなさい」と言います。他に手段もないのでついていくと、旅行代理店のようなところに連れて行かれました。
そこで手数料を日本円で1一人当たり3,000円近く支払い列車の手配をお願いしました。これって相場より高額だよなと思いつつ、その時は「日本で計画してきた予定通り(ホテルも各地で予約済みですし)移動しなければ」、という気持ちが強かったのですね。さらに旅行代理店のお兄さん(さっきのオジサンとは別人で、社長らしき人)の勧めるまま、翌日列車の時間までの間の市内観光を予約(価格は記録なし)しました。翌日お兄さんにホテルまで迎えに来てもらう約束をし、予約してあったジャンパットホテルへ、タクシーで移動。
当時アジア諸国は天安門事件から始まった民主化の嵐が吹き荒れ、インドもい
たるところでデモや暴動があり、治安はかなり怪しいものでした。ですからチェックイン後はホテルから出ずに、買い物や食事もホテルで済ませることに。
ホテルのレストランでの夕食。サラダの脇にピーマンのようなものがのっていたので何気なく食べました。するとそれは生の青トウガラシ!辛さを感じた途端目の前が暗くなり、ショック状態に陥りました。食事もそこそこに、這うようにして部屋に戻り飴を口に入れて横になり何とか回復。当時はまだ激辛トウガラシの種類も知られていない時代で、全く無防備に口に入れてしまいました。
ホテルの中の絨毯の店で買い物(バブル時代の女子大生だから金遣いもそれなりでした…)していると、「日本人の友人がいる」とある人の名刺を見せてくれました。それは当時から世間を騒然とさせていた新興宗教の教祖のサインが入ったもので、私たちはかなり引きました。
インド初日はこんな感じで終わり。
(写真はデリー上空) -
1990年2月25日、昨日の旅行代理店のお兄さんがホテルに迎えに来て、荷物も車に積み込んでくれて市内観光へ。お兄さんいわく、「インド人はこの手のホテルには入ることができない」とのことでした。(もしかしたら私の聞き間違いかもしれませんが、当時は高級なホテルは現地人シャットアウトといった雰囲気がありました。)
ジャーママスジット、ラールキラー、ラージガート、インド門などを車で案内してくれ、地元の人が行くカジュアルなカレー店にも連れて行ってくれました。実はこれまで食事は機内食かホテルでとっていて地元の食事にはなかなかトライできずにいたのです。お兄さんお勧めの「あまり辛くない」というチーズ入りカレーを注文しました。テーブルにはぶつ切りの生玉ねぎが置いてあったのですが、初めは何のために置いてあるのかわかりませんでした。試しにつまんでみるとひどく辛くて食べられたものではなかったからです。ところが、「辛くない」と言われたチーズカレーですら私たちには激辛で、それを食べた後玉ねぎをかじると、それが何とも甘く感じるのです。実は口直しだったんですね。
お兄さんのアレンジでデリーを楽しみ、「高めの料金だったけれどいい経験できたね」などと感謝の気持ちも芽生えていた我々でしたが、いざ予約してくれたという列車に乗る段になり、「lこれぞインド!」の洗礼が!
予約してあるはずの列車がホームに到着したので、車掌さんにレイルパスを見せ「寝台が予約してあるんですが」と言うと客車の外に貼ってある名簿を見ながら「あなたたちはまだ予約リストに載っている。だからキャビンはない。」と言われました。リストを見ると確かにその通り。あのお兄さんにだまされたのか、駅でお兄さんに最後の確認をさせなかった我々の落ち度なのかはとにかく、とにかく寝台は確保されていないのです。でも一等座席のレイルパスは持っているので、車掌さんは「とにかく乗れ!」と言います。とりあえず一等車両に乗り込み列車は出発しました。
(写真はお兄さんのお店の看板) -
列車は車両の間の行き来ができないので車両ごとに車掌さんがいます。一等の車両はコンパートメントなので満席だと居場所がありません。ですからその車両の車掌さんに「二等車両に行けば自由席に座れるよ」と勧められ、次の停車駅で95リットルのバックパックを背負ってホームを猛烈ダッシュし二等車両へ。
そこはインドの庶民の皆さんが和気あいあいと乗っていて、鶏なんかも籠に入って通路にいたりする、実にいい感じの車両でした。インド好きの友人などはすっかりインド人婦人と打ち解けて楽しく過ごしていました、ところが、車掌が現れ我々のパスを見るなり、「これは一等のパスだから二等にいてはダメ」と言われました。そこでまた次の停車駅でホームをダッシュ。車掌が指定した一等車両に乗り込みました。
乗り込んだはいいけれど、座席のない我々はコンパートメントに入るわけにもいかず。だんだん「廊下でもいいんじゃないか」という雰囲気になり、持ってきた新聞紙を敷き通路でくつろぎ始めました。周りを見ると通路で寝ている人もいるし、こういうものなのかもとお菓子を食べたりしながら通路で一晩過ごす覚悟を決めていると再び車掌が登場しました。「外国人の女の子がこんなところにいてはいけない。こっちに来なさい。」と通路からの撤収を余儀なくされてしまいました。
案内されたのは我々のような境遇の人々が集まるコンパートメント。行き場のない一等客が寄せ集められているようです。我々が入っていくと、リーダー(?)らしき男性が「ノープロブレム!ここにいればいいよ、さあここに座って!」とやたら仕切ってきます。もしかしてこの人のコンパートメントを開放してくれているのか?とやや感謝しつつ、座席の片隅に座らせていただきました。そこから日が暮れるまで、寄せ集めのコンパートメントで肩寄せ合って過ごしました。
夕方にはコンパートメントには我々とリーダー男ともう1~2人しかいなくなり、我々も広々と座席を使ってかなり快適でした。ところがある駅でこのコンパートメントの寝台の正当な持ち主が乗り込んできたのです。その人にリーダー男はあっという間に叩き出され、他の人もいなくなってしまいました。あれほど仕切っていたのにリーダー男もまた我々と同じ席ナシ客だったらしいのです。我々もまた通路に逆戻りか、と思っていると、コンパートメントの主が「君たちは中国人か?韓国人か?」と聞いてきました。「日本人です」と答えると、「私は日本企業と仕事をしている。日本人のことは知っているからここにいてもいい。私の家族は三人だから、あと一つのベッドを使うといい。」と言ってくれました。その人は奥さんと子供の家族連れだったのです。
一時は廊下でもいいと考えていましたが、はやり治安を考えると部屋にいられるのはありがたい。お言葉に甘えて上段ベッドの一つを借りて夜を過ごしました。ただし!4人でベッド一つは相当狭く、夜中に友人二人が床に降りて新聞紙を敷いて寝てくれました。その二人はそんなことに備えて、アウトドア用のウオームシートなども持ってきていたようです。さすがインド好きです。
ちなみにトイレに行く時、リーダー男が通路で寝ているのを見ました。
こうして、インド2日目は終わったのでした。 -
1990年2月26日、列車は朝6時前にヴァナラシー中央駅に到着。朝もやの駅前に出るとタクシーやオートリクシャーの客引きがわらわらと集まってきました。
安全上の理由から、タクシーなどに乗るときは必ず4人一緒にと約束していたので、一番しつこかったオートリクシャーに強引に4人で乗り込みました。皆大きな荷物を持っている上、客引きの男(運転手とは別人。どうやら運転手と客引きという職業にきっちり線引きがあるらしい)まで乗ってくるので、小さなオート三輪は完全に重量オーバーです。
アショクホテルへと言って走りだしたのはずが、方向が明らかに違うことがわかってきました。アショクホテルはまずまず高級なホテルなのですが、どんどん下町の住宅街のほうに向かっています。そして、到着したのは住宅街の中にある安宿の前。言った場所と全然違うじゃないかと抗議する私たちに客引きは、「実は中央駅は暴動のために列車が入れず、君たちが降りたのは別の駅。アショクホテルも暴動のため近寄れない。だからこのホテルを紹介する。」と言うのです。
でもね、それもう絶対ウソなのです。
あまりにも明らかなウソに全員脱力。客引きと口論の上、最初に合意した金額の半値程を払ってリクシャーを降りました。
結局そこから荷物を担いで歩いてホテルへ。(写真はその途上)途中で休憩しながらやっとの思いでホテルに到着しました。昨夜はトラブル続きの上、狭いベッドに4人という悪条件でほとんど寝ていませんし、初海外旅行5日目の疲れも出てきて疲労困憊。とりあえず昼までぐっすり眠りました。
それにしてもインドに到着してから次から次へとハプニングが起こります。4人でいたからなんとか乗り切ってきたのですが、実は皆それなりにへこんでいました。
ヴァナラシーは、デリーよりショッキングな光景にたくさん出会う場所です。しかし、ここで数日を過ごしインド人の困った面、とても温かい面、エネルギッシュな面などに触れ、4人でそれについて話し合い、何かふっきれたような気持になりました。そして私は、ここヴァナラシーでインドが大好きになり、いつの日かまた絶対来ようと心に決めたのでした。 -
ヴァナラシーのホテルでひと休みした後、ツーリストインフォメーションへ向かいバスツーに参加。サルナートという仏教遺跡に向かうツアーです。
観光をしているとぼちぼち日本人の若者(当時は私も若者だった!)に出会ったものです。一人旅のバックパッカーから私たちのようなグループまで。最近は海外に行くとたくさんの中高年に会いますが、当時の個人旅行は若者の独壇場でしたね。
サルナートでは仏塔や寺院、博物館を見学。博物館の一角に1メートル程の大きさの仏像を入れた箱が置いてあり、そばに男の人が座っていました。友人の一人がその箱を覗くと男の人が「お布施を払ってくれ」と要求してきたそうです。他の展示品はそんなことはないのですが、あの箱の中の仏像はその男の私物だったのでしょうか?今でも不思議です。他には歴史の図録で見たことがある獅子像などが展示されていて、なかなか見ごたえがあった記憶です。ツーリストバンガローでのティータイムの後、ガンジス河畔に建つマハラジャ美術館へ。
かつてマハラジャが暮らした宮殿を美術館にしたというもので、建物も展示品も豪華。河に向かって作られたテラスから、正に今ガンジス河に夕陽が沈むのが見えました。(そんな時間にばっちりその場に案内するなんて、あのガイドさんはきっとベテラン!) 眼下の河岸には沐浴する人、背後にはマハラジャ宮殿、そしてガンジスの夕陽・・・、まさにインドな光景にうっとりしたものです。
この後土産物屋に寄ってツアーは終了しました。
そういえば、ヴァナラシーはよく停電しました。暗くなってからホテルに向かって歩いていたら周辺もとろもホテルの明かりが一斉に消えたり、エレベーターに閉じ込められたり・・・。一人だったら怖かったろうな~。
(写真はサルナートの街角とバスのチケット) -
1990年2月27日、ヴァナラシー2日目です。
この日はガンジス河の日の出を見るツアーに参加しました。ガイドさんは昨日のサルナートツアーと同じオジサン。このオジサン、外国人混載のツアーをテキパキと進めてゆく有能なガイドさんなのですが、やたら「ノープロブレム」を連発するので我々の間では「ミスターノープロブレム」と呼ばれていました。(その後ノープロブレムを連発するインド人に何人も出会ったため最終的には「ノープロブレムⅠ世」と改名されました。)
朝6時にツーリストインフォメーションを出発しガンジス河の船上から日の出を見、下船してガート(沐浴場)を見物。路地を通り抜けながら、ヴィシュワナート寺院、ブルーモスク、ドゥルガー寺院、バーラトマタ寺院と回りました。その後ツーリストバンガローで朝食をとり、ヒンドゥー大学構内を見物してツアーは終了。船、バス、徒歩を組み合わせた楽しいツアーでした。
さて、計画ではヴァナラシーに3日滞在し、再び寝台列車でアグラに移動する予定だったのですが、駅で28日の寝台を予約しようとするとすでに満席。かなり人気の路線のようです。往路の教訓からヴァナラシー滞在を一日延ばして、3月1日の寝台を確保することにしました。
余裕ができた一日で町の散策や買い物を楽しみました。
とあるタクシー運転手さんが「外国人の乗客にコメントを書いてもらってるノートがあるんだ。日本人のコメントもあるよ。」と見せてくれました。そんなやりとりの間彼はずっと後ろを向いてしゃべりながらの運転。あぶないな~と思っていたら、ノートのコメントもほとんどが「この運転手さんは前を向いて運転しないので注意するように」という内容。我々も速やかにノートを閉じて、「前を向いて運転してください」とお願いしました。
また、町で話しかけられたお兄さんにサリーのホールセールショップを教えてもらって、一人2着ずつサリーを購入。大量にあるサリーをいくつも見せてもらって、値切ったりしながら買い物するのはとても楽しかったです。マハラニサリー(マハラニ=マハラジャの奥さん)という金糸で刺繍が施されたちょっと高めのサリーも買ったのですが、実はたいして品質の良くない生地だったようです。高級品を買う場合は商品知識を持っていないとだめですね。
友人の内2名が、その前年に名古屋で開催されたデザイン博のインド館のバイトでサリーの着付けを習っていたので、さっそくホテルでサリーファッションショーをしてみました。
2月26日から3月1日まで4日滞在したヴァナラシー。ガートでの火葬、道端にずらりと並ぶ体に障礙がある路上生活者の姿などに、覚悟はしていたもののショックを受け。また、タクシーに乗れば、「いい店を知っているから寄ろう」だの言われ、観光地に行けば強引な物売りを振り払い、と常に闘い、交渉しなければならない状況に疲れ果てました。
ところが、4日目ここを発つときにはなぜか、4人とも到着時よりも気力が満ちていたのです。やっぱり、ヴァナラシーはパワースポットかも!?ですね。
(写真はガンジス河畔にたたずむノープロブレム1世)
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初海外は卒業旅行「インド・ネパール」
この旅行記へのコメント (3)
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- ヤドカリさん 2024/02/20 16:24:55
- 懐かしく拝見させていただきました。
私も同じ頃2月~3月にインドを一人で卒業旅行していました。その時の写真はもうありませんので、同じ時を過ごした風景の一端が感じ取れる写真を拝見出来て嬉しかったです。
私はヴァナラシーは行ってませんが、往きの機内で隣の座席だったので少し話した納見(のうみ)さんという、卒業旅行を一人でしていた女子大学生に会ってないでしょうか?彼女はヴァナラシーに行ったと言ってましたから。ダメ元でお聞きした次第です。すみません。楽しい旅行記をありがとうございました。
- binchanさん からの返信 2024/02/20 17:00:12
- RE: 懐かしく拝見させていただきました。
- ヤドカリさん、こんにちは。
同じ時代にインドへ行かれていたんですね。今のインドはあのころとはすっかり変わっていることでしょう。同じ思い出をお持ちの方に読んでいただけてとてもうれしいです。
お尋ねの女性ですが、残念ながらお会いしていないようです。
ヴァナラシーやアグラ、ジャイプールでは日本人旅行者(みんな学生でした)を見かけはしましたが、名前を名乗りあうことはありませんでした。はっきりした記憶ではありませんが、バス移動しているときに、一人旅の日本人女性を見かけたと思います。ほとんどがグループ旅行の中、一人旅なんてかっこいいなと思った覚えがあります。その方も、そんな感じで旅をされていたのでしょうか。
- ヤドカリさん からの返信 2024/02/22 15:45:47
- RE: RE: 懐かしく拝見させていただきました。
- お返事いただきありかとうこざいます。
そうですよね。短い滞在期間中に名前まで知ることは普通無さそうですよね。私の記憶では、当時はちょくちょく女性の一人旅も見かけたように思います。
それぞれ断片的な記憶しかありませんが、納見さんは往きの機内で隣だったし、デリー到着の翌日にアーグラで再び会ってびっくりしたので、良く覚えています。ですからお元気にしていらっしゃるのかな、とか感傷に浸ってしまいました。
これからも楽しい旅行をお続け下さい。ありがとうございました。
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