2011/08/02 - 2011/08/08
1564位(同エリア2742件中)
悠太郎さん
日清戦争時、広島城内に大本営と帝国議会議事堂が移設されていた。
原爆によって崩壊したが、戦前は史跡として訪れる人が多かったとか。
城内には、市民ボランティアの方々がいて、広島城内にまつわる色々
な話を聞かせて頂いた。ありがたい。
太平洋戦争中には、師団本部も設置されていて、広島城周辺には軍関連
施設が密集していた。
8月6日ということもあって、普段は公開していないという中国軍管区
司令部の通信室を見学することができた。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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復元された広島城二の丸櫓と表御門
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表御門
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城内案内図
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二の丸の櫓
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狭間
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狭間
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狭間
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狭間
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1700年前の広島
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太鼓櫓にある太鼓。時を告げる役割をもつ。
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二の丸櫓の内部
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被爆樹木・ユーカリの木。
原爆後の広島市民を勇気づけたのは、原爆投下3日後に動き出した市電と
75年は草木が生えないと言われていたのに、被爆樹木から芽が出てきたこ
とと広島カープの存在だったと市民ボランティアの人が言っていた。 -
被爆樹木・クロガネモチの木の説明。
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本丸の石垣
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大本営跡
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大本営跡
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大本営跡
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大本営跡
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市民ボランティアの方が持っていた大本営建物の写真
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昭憲皇大后御座所跡
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広島城下町のジオラマ
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天守閣から、市民球場の向こうに原爆ドームが見える。
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国旗は半旗になっていた
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中国軍管区司令部の地下通信室の案内
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通信室で働いていた女学生たちへの慰霊碑
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通信室内部見取図。情報室・通信室・指揮連絡室(ここまでが女学生が働いていた地区)と防空司令部があった。
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通信室。ここから生存した女学生が破壊されていなかった軍事連絡線で、福山と小倉に広島の惨状を報告して、広島に原爆が落ちたことを知らせたとか。
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防空司令部の出入口。女学生が働いていた地区とは厚い壁があったようだ。
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今は壁がくり抜かれているが、このような隙間から司令官と女学生がやりとりをしていたとか。
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外からみた通信室
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