2007/11/22 - 2007/11/24
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たじまはるさん
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平成19年11月に、上司の退職前祝い旅行で職場の同僚たち9人で東京へ行ってきました。
その時の旅の記録です。
“エリア”は複数にまたがりますので、便宜上宿泊先を選択しました。
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- スカイマーク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
【クジラを食べる】
飛行機は初めて乗るスカイマーク・エアラインズを利用。
宿泊先の浅草に着き、昼飯は鯨専門店『勇新』へ。
鯨肉のお土産商品に加え、お食事コーナーもあるのだ。
そこで鯨づけ丼を食す。
美味い!
それで鯨赤肉の刺身も自宅用お土産として購入。
1本1,000円もする、高い...。
クジラはやっぱり日本の食文化だなぁと納得しつつ、日本人ならすぐ捕り尽くしてしまうから、今の希少価値のままがいいんだろうなと思いながら、帰宅後、カミさんと二人で160g2本をあっというまに平らげてしまったのだ。 -
【伊能忠敬翁のお墓参り】
伊能忠敬翁(1745生−1818没)は凄い。
50歳で隠居し、家業の酒屋を息子に譲り上京。
51歳で江戸幕府の天文方・高橋至時に師事し、測量や天文観測を学ぶ。
そして、56歳から蝦夷地や北関東・東北地方など、第1次測量を開始。
72歳の第10次測量までして、高精度の日本地図「大日本沿海輿地全図」を作ってしまったのだ。
この時代の平均寿命が何歳かは知る由もないが、「50代から第二の人生だ」なんて悠長なことは言ってられない時代のはず。
それなのに、机上で測量や天文学を学ぶのはともかく、北海道まで測量作業をしながら歩いてきてしまったのだ。それも毎年のように何回もだ。
それでもって、そんな偉人に敬意を表してお墓参りに行くことになった。
場所は、上野と浅草の中間くらいに位置する源空寺。 -
これが翁のお墓。
-
【間宮林蔵のお墓参り】
伊能忠敬公の次は、間宮林蔵(1775生−1844没)のお墓参りに行くことになった。
間宮林蔵は、1800年に南千島で伊能忠敬と会い、測量技術を学んだそうだ。
そして彼の偉大な功績は、樺太を探検し、そこが半島ではなく島だってのを確認したことだ。
でも実の正体は幕府の隠密とのことらしい。
間宮隠密の墓は江東区の住宅街にあり、江東区教育委員会が指定史蹟にしている。
でも、千の風じゃないが、林蔵はそこにはいないと思う。
なんとなくそう思う。
稚内の宗谷岬には間宮氏の銅像があるらしいが、きっとそこら近辺にいると思うよ。
でも宗谷岬は祈りの塔のイメージが強くて、銅像の記憶はないなぁ。 -
【伊能忠敬翁の銅像】
間宮林蔵の墓参りの後は、歩いて富岡八幡宮へ。
そこには伊能忠敬翁の銅像があるのだ。
銅像の建立は2001年、忠敬翁の測量開始200年を記念して建てられたそうである。
ちょうどその頃ブームだったとはいえ、深川界隈に住み、測量の旅に出かけるときは必ず富岡八幡宮で安全祈願をしたという忠敬翁を考えると、建てるのが遅すぎたのではないか。 -
富岡八幡宮は東京都最大の八幡神社だそうで、相撲とも関わりが深く横綱力士碑なんかもあるらしいが、今回は神社参拝と、忠敬翁の銅像のみを拝んで足早に失敬したのだ。
-
【伊能忠敬翁の住居跡】
伊能忠敬翁の銅像を拝んだ後は、ちょっと歩いて翁の住居跡地へ。
昭和43年に江東区教育委員会によって「伊能忠敬住居跡」の石碑が建てられているのだ。
そこは現在はそろばん塾になっている。
浅井そろばん塾。
そろばんはいい。頭が良くなる。
でも残念ながら僕は3級止まりだった。
で、この跡地。
「東京下町散歩」などの散策ガイド本に載っているんだろうか。
これが載っていればたいしたもんだと思う。
でも石碑が車道側を向いていて、写真を撮るには車道に出て撮らなきゃならない。
それはもう危険なのである。 -
【古代インド様式『築地本願寺』】
何故か伊能忠敬を巡る旅になってしまった東京初日。
そして築地本願寺へ。
忠敬翁と築地本願寺の接点は何もない。
ただ旅の仲間と築地で待ち合わせただけです。
古代インド様式を取り入れたこの建築物はまさに“寺院”という感じがする。
以前、この築地本願寺で「東京坊主コレクション」なる宗派を超えたお坊さんが集まるイベントが催されたそうだが、とてもいいことではないか。
お寺はもっと開かれた場所になるべきだ。
お葬式ばかりやっていてはいけないと思う。
うちは、ジイさんが養子になって珍しい苗字を継いでしまい、先祖代々の墓がない家系なのである。
おまけに、オヤジは末っ子で分家、別に宗派にもこだわりがないようなのだ。
ついでに、うちの子供は女の子だから二代で家系は途絶えてしまうし、遠くない将来どこかの寺の世話にならなきゃならないので、実はけっこう悩みの種だったりするのだ。
だからと言うわけでもないが、こういう立派なお寺を拝観しているとついいろいろ考えたりするのだ。
千の風になれればそりゃいいが、現実はやっぱそうもいかない。
そのためにもお寺はもっと門戸を解放して仏教を普及すべきなのだ。
そもさん! -
【さざれ石の巌となりて】
東京2日目は6人でいざ鎌倉へ。
まずは鶴岡八幡宮。
その昔、鎌倉の大仏様を観に行ったことはあるが、鶴岡八幡宮に行くのは初めてなのだ。
八幡宮にはいろいろな願い事の絵馬が奉納されていたが、そんなことまで神様に頼むのかという、へんちくりんな願い事が書いてあったりして、きっと八幡様も嘆いていることだろう。
そして境内の源平池そばにあったのが「さざれ石」(細石)。
君が代の歌詞に出てくる石である。
解説板によると、
『石灰石が雨水で溶解され、生じた乳状液が小石を凝結して「君が代」に詠われているように大きくなって岩に成長したもの』
なんだそうだ。
「君が代」も、歌え歌うなと揉め事にされていたが、歌詞中に出てくる物を目の当たりにすると違った角度から考えさせられて興味深い。
1999年には、忌野清志郎が「君が代」収録の『冬の十字架』を発表したが、なぜかメジャーからは発売中止になってしまった。
著作権フリーの、誰もが歌える国歌なのにだ。
歌の下手くそなアイドルタレントが野球の開幕戦で歌ったこともあったが、相当ひどいもんで、そっちの方がよっぽど放送禁止ではないかと思ったもんだけどな。 -
【源頼朝公のお墓参り】
鎌倉と言ったら、いい国(1192)作ろう鎌倉幕府である。
源頼朝(1147年生−1199年没)なのだ。
鶴岡八幡宮を参拝し、さざれ石を見て、そして頼朝公の墓参りに行くことになった。
場所は八幡宮から住宅街を通り、歩いて10分くらいの白旗神社。
鎌倉散策に来た大勢の観光客が住宅街を通り抜けて墓所を見学に行くのだからここらへんに住む人はたいへんだ。
家から車を出すのが一苦労だろう。
などと考えながら歩いているうちに墓所に到着。 -
【源頼朝公を讃えた歌碑】
「君出でて民もしづまり 九重の塵もおさまる 世とはなりにけり」
歴史学者の大森金五郎さん(1867−1937)という人が、尊敬する源頼朝公を讃えた歌碑。
乱世の世を鎮めたのは頼朝公、それはあなたなのです。という歌。
しかしだ。
北海道民の僕にとってみると、源頼朝公は弟の義経を追放したという悪いイメージが強すぎて、けしからん歴史上の人物の一人なのだ。
義経は北海道では英雄で、うちの町にも義経にちなんだ、義経洞窟ってのがある。
頼朝公は、53歳で死去したそうだが、その死因にはさまざまな説があるそうだ。
義経の亡霊を見て病に倒れたという説もあるそうだから、歴史のミステリーを感じてしまうのだ。
南無南無..... -
【江ノ島ビールで一休み】
江ノ電に乗って初めて江の島へ行く。
でも片瀬海岸まで。
江の島そのものには行かず、近くの紀伊国屋旅館の食堂で江ノ島ビールで一休み。
地ビールって味だ。
ラベルにこんな文章が書いてあった。
“灯台から風の音を聞けば、青春の日々のBGMが流れてくる。
富士の傍らの雲は亀の背で琵琶を爪弾く弁財天だったのか。
生きた酵母と祈願水は様々な料理と美しいメロディーを奏ではじめる。
今宵も至福の時へ誘うのは江の島ビール。”
むむ、ジェットストリームのナレーションみたいだな。
青春の日々のBGMってのは、サザンではなく加山雄三の歌を言ってるんだろうなぁ、きっと。
実はだいぶ昔、加山雄三にはあまりいいイメージを持っていなかった。
俳優も歌手もなんだか金持ちの道楽でやっているような感じがしたのだ。
しかし、それはとんでもない大きな間違いだった。
ギターも弾いてピアノも弾いて、船を自分で設計し、船内では自分で料理を作ってしまうという、真の“若大将”だったのだ。
た、た、たいへん失礼な思い違いをしていました。
それにしても注文品の引き換え札がしぶい。
しらすおろし、まだですか? -
はい、お待ちどうさん
-
【鎌倉の大仏さん】
江ノ電は行きも帰りも大混雑。
情緒もへったくれもありゃしない。
長谷駅で降りて、鎌倉の大仏さんを拝みに。
大仏さんは浄土宗の高徳院というお寺の阿弥陀如来様。
高さは11mあるそうだが、これは台座を除いた数字だろうか、やたら大きく感じるものだ。
ところで、鎌倉さんは奈良の大仏さんに続く、日本で二番目の大仏さんだろうけど、三番手争いには諸説あるらしい。
これはけっこう揉めそうだぞ。
一番・奈良さん、二番・鎌倉さんは誰もが認めるものとして、個人的には大阪の石切さんを暫定の三番目としたい。
何が三番目なのか知らないが、「日本で三番目」という謳い文句を掲げているし、実はその三つしか生の大仏さん見ていないからだ。
もっとたくさんの大仏さんを見なきゃならないなぁ。 -
【アントニオ猪木酒場・池袋店】
鎌倉の帰り、晩飯は横浜中華街で。
その後、2次会は池袋の「アントニオ猪木酒場」に行くことにした。
入店するとゴングを鳴らしてくれる。
カーン!
店内には対大木金太郎、対ストロング小林といった猪木の往年の名勝負が放映されているが、しきりのない広いスペースだから、うるさくてしょうがない。
あちこちでサラダを頼めば、「1、2、サラ・ダー」とやる始末だ。
お客さんのほとんどが猪木の試合を見たことがない人たちではないだろうか。
燃える闘魂もすっかりお笑いになってしまった感があり寂しい。
写真は30?ウィンナーの『コブラ・ツイスト』。480円。
オリジナルカクテルには「メキシコの赤い悪魔」や「シカゴの監獄ロック」ってのがあって、おいしいものではないけどメニューを見てると楽しめる。
どうせなら「流星仮面」なんてカクテルがあればいいんじゃないか。
マスクド・スーパースターという、地味だけどとっても強かったマスクマンの名前だ。
浅草から鎌倉、中華街から池袋へ、そして浅草に戻る、なんとも疲れた東京旅行2日目だった。 -
【西郷隆盛どんの銅像】
東京最終日。
旅の終わりは上野駅で。
今回の東京旅行は、お墓参りや銅像仏像巡りの旅だった。
そこで西郷隆盛像も一枚パチリ。
実はこの銅像、実際の西郷どんの顔と似ていないという説があるらしく、さらには浴衣姿(?)というのも遺族には不満だったらしい。
しかし、この銅像により「西郷隆盛=庶民的」というイメージが作く焼き付けられたのもあるだろう。
では実際はどんな顔で、どんな人物だったのだろう。
銅像一つにも歴史のミステリーがあるのだ。
(東京・鎌倉 2007 了)
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