2011/06/20 - 2011/06/20
95位(同エリア273件中)
キヌちちさん
少年時代からの大ファンだったビートルズの誕生地・リバプールに足を運ぶことができました。現地のタクシーによるビートルズ・ツアーでゆかりの場所を見学しました。とりわけペニー・レーンやストロベリー・フィールドでは年を忘れて大興奮してしまいました。
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リバプール駅からタクシーによるビートルズ・ツアーに電話で申し込みました。写真はツアーで乗車したオースティンの「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」号。ツアーは約3時間で50ポンド。正式なツアー名は「THE BEATLES FAB FOUR TAXI TOUR」です。この会社はタクシーにビートルズの曲名を付けており、全部で12台あるということでした。
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「LUCY IN THE SKY …」号の車内。
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最初の見学場所。1962年8月23日にジョン・レノンと妊娠中のシンシア・パウェルが婚姻届を出した戸籍登記所(当時)。ジョン側の立会人はポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、ビートルズのマネジャーのブライアン・エプスタイン。シンシア側は兄とその妻。リンゴはまだビートルズに新加入したばかりで呼ばれていなかった。サインするだけの簡易な結婚式だった。
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ブライアン・エプスタイン氏の生家。ガイドのレイさんによると、エプスタイン氏はゲイで、ヒット曲「DO YOU WANT TO KNOW A SECRET」はそのことをほのめかした歌だそう。知らなかった。
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1957年7月6日、ウールトンのセント・ピーターズ教会の野外バザー会場で行ったビートルズの前身、クオリーメンのコンサートで演奏するジョン・レノンの写真。この日、友人の紹介で演奏を見学に来たポール・マッカートニーと出会い、ポールもクオリーメンのメンバーに加入することになった。
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1940年10月9日、ジョン・レノンが生まれたリバプール・マタニティ・ホスピタル(産科医院)。ジョン・ウィンストン・レノン。父親はアルフレッド、母親はジュリア。
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ジョン・レノンが1940年10月9日午後6時30分にここで生まれたと記された銘板、壁に埋め込まれている。一番上に「THIS IS NOT HERE」の文字が刻まれている。レイさんに「どういう意味ですか?」って尋ねたら「私にも分かりません」とのこと。神がかり的な実存?理解不能です。
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ジョン・レノンが1962年の夏、新婚生活をスタートさせたフラット。ジョンの結婚は秘密にされたが、シンシアはすでに妊娠していた。この建物はブライアン・エプスタインの所有で、新居が見つかるまで提供された。
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リバプール・インスティチュート。ポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンの母校。
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ジョン・レノンが通ったアート・スクール、リバプール・カレッジ・オブ・アート。ここで後に夫人となるシンシアと出会った。
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リバプール・インスティチュート(左側)とリバプール・カレッジ・オブ・アートは隣接している。
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リバプール・インスティチュート前に展示されていたアート作品「A CASE HISTORY」。
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A CASE HISTORYの説明看板。コンクリートによる鞄や楽器入れなどのアート作品。
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A CASE HISTORY、ポール・マッカートニーのギターケース。
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リンゴ・スターの生家。リンゴ・スターことリチャード・スターキーは1940年7月7日、港湾労働者や植民地からの移住者が多く住むディングル地区の写真の家に生まれた。ここは現在、リンゴ・ランドとも呼ばれている。父親はパン職人でリンゴと同じ名のリチャード、母はエルシー。リンゴが3歳の時に両親は離婚し、母ともっと安い家に移らなければならなかった。
【ロンドン時事】英リバプールにある元ビートルズのリンゴ・スターの生家について、名所旧跡保存団体ナショナル・トラストはこのほど、「保存に値しない」との結論を下した。レンガ造りの生家は自治体当局の再開発計画の対象地区内にあり、当局が取り壊しを検討中。支援者らは同団体による買い上げで保存が実現すると期待していた。
2012年5月31日付のデーリー・テレグラフ紙によると、この家をめぐっては、市内の観光名所となっているジョン・レノンやポール・マッカートニーの家と同様、保存を求める声が上がっていた。しかし、ナショナル・トラストは、リンゴ・スターが3カ月しか住んでいなかったことを理由に重要性は低いと判断した。 -
玄関の扉は見学者たちによる落書きでいっぱいだった。
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リンゴ・スターが住んでいた労働者住宅街は現在、解体されずに廃墟になっており、向かいの家の壁にはハトが営巣していた。
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何カ所かで「THE BEATLES FAB FOUR TAXI TOUR」の別の車両と一緒になった。こちらは「LADY MADONNA」号で女性ガイドだった。
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リンゴ・スターの家でも一緒になった「LADY MADONNA」号。
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リンゴ・スターの最初のソロ・アルバム「センチメンタル・ジャーニー」のジャケットに使われた建物だそう。
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住んでいた通りに立つリンゴ・スターの写真。
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リンゴ・スターが住んでいた通り。右側奥のピンクの家。
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リンゴ・スターが20年間に亘って住んだ家。
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最も来たかったペニー・レーンです。ペニー・レーンの曲を頭の中で反芻しながら見て回りました。
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塀に記された「PENNY LANE」の道路名。ペニー・レーンは住民が1ペンスずつ出し合って造った道にちなんで、そう呼ばれるようになったそうです。
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Dovedale Towers in Penny Lane。ダンスホールやパブとして使われていた1957年にジョン・レノンとクオリーメンが数回演奏したことがある。
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レイさんによれば、ペニーレーンの正確な長さは分からないそう。結構長く続いておりました。道が途切れた商店の店先にもペニー・レーンの文字が多く見受けられました。
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ペニー・レーン
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ペニー・レーン
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ペニー・レーン。フィッシュ、チップス店。歌詞に「Penny Lane is in my ears and in my ears Full of fish and finger pies in summer meanwhile back 」とあります。
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歌詞にある「On the corner is a banker with a motor car」のbankerだった所。今は外科医院です。
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ペニー・レーン
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ペニー・レーン
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ペニー・レーン、ビートルズが実際に通ったという理髪店。歌詞に「 a barber showing photographs Of every head he's had the pleasure to know And all the people that come and go stop to say hello 」「the barber shaves another customer We see the banker sitting waiting for a trim 」など理髪店のことが多く含まれている。
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ドライバー兼ガイドのレイさんが理髪店の人にビートルズの思い出やエピソードを聞き出してくれた。
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店内に飾られたビートルズの写真。
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店内に飾られたビートルズの散髪写真。
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ポールの散髪風景の写真が飾られていました。
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お客さんはビートルズの写真に囲まれて髪をカットしてもらっていました。
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お客さんの背中の壁にもビートルズの写真。
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店内に飾られたビートルズの写真。
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理髪店内にはビートルズの写真が所狭しと飾られ、Tシャーツなどビートルズ・グッズも売られていました。
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