1999/03/02 - 1999/03/10
5250位(同エリア6134件中)
macnさん
2011年旅行記、作成。今から12年前の初海外旅行。
昔の旅行記はいまさら書きにくいと思っていた。
でも深夜特急ノート「旅する力」を読み返すと旅を振り返って書くのも悪くないと思い始めた。
なにしろこの旅に出てなかったら、その後、海外に出かける機会はなかったかもしれない。
この旅ではいろんな経験をしたし出会いもあった。初海外ならではの新鮮な興奮や不安。そしてこの旅で経験したアクシデント、もしかしたら病院へ入院、最悪「死」ぬのかと恐怖すら感じた。そして友達との別れ。8日間ほどの短い旅ではあったけど、いろんな感情が沸き起こった旅だった。それを文字にしておきたいと思った。この旅で感じた興奮、不安、寂しさ、楽しさをいつまでも忘れたくないから。
マレーシアから留学生がクラスにいて、その彼の実家に遊びに行く旅。卒業旅行。
海外旅行は高い!!というイメージがあったけど、たまたまノースウエスト航空が関空からクアラルンプールまで就航記念で30000円の格安航空券があり、飛びついた!
初海外が”ほぼ”初一人旅。(”ほぼ”なのは留学生の実家で留学生や日本から同じく遊びに行った友達と2日間ほど合流したから)
正直アドレナリン出っ放しの旅だった。。
3月 2日 関空~クアラルンプール 空港泊
3月 3日 クアラルンプール泊
3月 4日 クアラルンプール泊 (当初は深夜列車でシンガポールへ)
3月 5日 クアラルンプール泊
3月 6日 クアラルンプール泊
3月 7日 バスで移動 ケママン泊
3月 8日 ケママン泊
3月 9日 バスで移動 空港泊
3月10日 クアラルンプール~関空
- 旅行の満足度
- 4.0
-
初海外で行く前から興奮しまくり。でも前日まで卒論で寝不足。しかも体調不良、やや風邪気味。この時点で微熱あり。
金無いから地元から青春18で関空まで。
本土から関空に渡る時、車内は俺一人・・・とても寂しいものを感じた。一人旅の寂しさをより感じる。
飛行機はノースウエスト。往復で30000円の超格安。
それもそのはず深夜便。
関空発18:35で現地着が翌2時くらいだったか・・・ -
機内食ははっきり言っておいしくなかった記憶が。外を眺めてたら寝てると勘違いされたか俺の機内食がすっ飛ばされていた。初の実践英語をここで発揮!CAに通じたのか、それとも雰囲気でなんとなくわかったのか「fish or chikin?」と反応が。。
飛行機の中は期待と不安が入り混じり、いや、不安がはるかに上回りほとんど寝ることができなかった。
現地に深夜に着くから空港のロビーで寝るところはあるか、街では行きたい所にいけるか、留学生の住む町へ行けるか、いろいろ不安だらけだった。
空港に着き不安が早速的中。まず到着ロビーは閑散としており寂しさ満点。人の姿がほとんどなくとても恐くて寝れそうにない。同じ便で到着した人はお金を両替してあっという間にみんないなくなってしまった。そこでトイレの個室に引きこもって夜を明かすことに。俺は個室の鍵をかけて、壁にもたれかかってたら、深夜にもかかわらず掃除のおばさんが登場。しばらくしたら、掃除を終えて出て行くと思ったら、なんと外から鍵を開けて俺を見るなり「GYAaaaa!!○×○△!!」と尻餅ついた。まさか人がいるとは思わずびっくり仰天してた!!しょうがないので「体調が悪いんだ」と言って個室を出た。
その後2〜3人が到着ロビーのソファーに寝てたので、意を決してその近くでザックを抱え込んで横になった。夜が明けるまでとても長く感じられた。
日本国内では寝袋ひとつで野宿をしたことはあったけど、その時は二人だったし、初海外初夜がこんなに恐いと感じるとは計算外だった。 -
「歩き方」に載っていた最も安いバスは探したけど一向に見つからない。そこでバスのチケット売り場で「一番安いクアラルンプール行きのチケットをくれ」と頼んで購入。16RM。歩き方の一番安いチケットよりは多少高いけどそこそこ安い。しかしチケットを見ると「HENTIAN DUTA」とよくわからない地名。周りの人に聞いたら確かにクアラルンプール行きらしい。多少不安だけどバスに乗り込む。降ろされたところは「?」どこなのかさっぱりわからない・・・どうやら郊外らしい。そこからダウンタウンに行く方法が思いつかなかったので結局タクシーに乗る羽目に。ダウンタウンに入って地図に載ってるような所で降ろしてもらう。
写真はぺトラナスツインタワー。当時世界で一番高いタワー。 -
タクシーを降り、歩き始めてすごく暑さを感じた。しかも体が重い。熱っぽい。体調悪い中、しかも空港のロビーで寝たのが悪かったのかもしれなかった。
国立博物館を見学した後チャイナタウンへ行き宿に入る。宿はドミトリー。
1泊8RM=240円。
1泊240円。とてつもなく物価が安い!!いくらドミのぼろいベッドだといえども物価の安さには驚いた。 -
3日目。深夜にシンガポール行きの列車に乗るために駅で事前にチケットを買った。シンガポールまで30RM。10時間近く乗ってこの値段。安い。
荷物を駅に預け身軽になって市内観光。 -
国立モスクに行ってみる。
ここで偶然、出身地の日本人と出会い一緒に観光して回ることに。 -
入り口で長袖長いロングスカートのようなものを着て入場。
所によってはイスラム教でないと入れないところもあった。 -
一旦宿に戻り、再び外出しモスクで会った人と夕食。
夕食後、別れる間際に急に鼻血。小さい時から体質のせいか鼻血が出やすく、止める術は知ってるつもりだったので、「大丈夫だよ」と言い道端で別れる。
しかししかし、別れた後、止まるどころか勢いよく出始め、止まる気配もなし。手持ちのティッシュなくなり、ついに道端に座り込み必死に鼻筋を押さえつける。その努力もむなしく、止まる気配は一向に感じられなかった。足元には血だまりが大きくなり始めた。さすがに焦ってきた。道行く人も入れ替わり声をかけてくる。「大丈夫か?」「上を向いたら止まるぞ」「両親はどこだ?呼んでこようか?」「病院へ行こう」などなど。もうその頃には40センチ四方の血だまりが出来ていた。人間ってどれくらい出血したら死ぬんだろうと思い始めた。マレーシアで出血死か?!金無いけど病院へ行こうかな、そんなことを考えてたら、また別の人が来て「うちに来なさい」と声をかけてくれた。まさか家に上げてくれると思ってもいなかったので聞き返すと「店をやってるからそこで休みなさい」と言ってくれた。一瞬犯罪まがいか?!と警戒したけど比較的若い(30くらい?)女性だったし真剣なまなざしだったので信じてついていった。店というのはゲームセンターだった。そこのトイレに通されて氷をもらって鼻を冷やし続けた。途中旦那さんらしき人や従業員らしい若い男性と交代で心配してくれた。そんな3人の気遣いが嬉しくて泣きそうだった。
それでもなかなか止まらなかった。「病院へ行こう」と言われついに行くことに決めた。海外旅行保険に入ってなかったしカードもなし、現金は日本円で2〜3万円のみ。治療費が恐ろしくかかるのではないかと思って、この時まで行かないでいたが、出血死するのではとの恐怖に対して金が無いくらい大した問題ではないと思い、ついに病院へ連れて行ってもらうことに。
しかし夜だったので病院を転々としてたのだが、その間に血が止まった!!正直ほっとした。
またゲームセンターに戻り用心のためにもうしばらく氷で冷やし続けた。その間ゲームセンターの人は俺がシンガポールに行くために駅に預けていた荷物を取りに行ってくれたり、昨日まで泊まってた宿に空きベッドがあるか確認をしてくれた。見ず知らずに人間に世話を焼いてくれて本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。
本当に血が止まった事を確認して宿に入った。出血から4時間は経っていたと思う。 -
次の日(4日目)はずっと横になりたかったけど、スタッフに部屋の掃除をするとかで追い出された。街をぶらつきたかったけど、出血の影響で100mも歩けばすぐ座り込んでしまう。しかも食欲がなく、1〜2日間は朝昼晩ヨーグルトしか喉を通らなかった。
翌晩はドミから個室に変えてもらった。体調不良の影響でドミだと精神的にも身体的にも辛かった。
その晩、悪夢を見た。翌朝起きたら部屋が散らかっていた。おそらく、うなされて暴れまくったか?! -
5日目。
体調は依然として良くはなかったけど、次の日は留学生の家に行く約束をしていたので、とりあえず翌日のバスのチケットを買っておく。俺の飛行機より後の便で、同じく留学生の家に行く友達も明日のバスに乗るはずだ。もしかしたら、今も近くを歩いているのではないかと期待した。体調悪い中、心細かったので探したけどそう簡単に見つかるはずもなかった。
あとは宿に戻ったり近くのマーケットを覗いてみたりした。マーケットを歩いていたら一人の日本人と話す機会があった。その人は明日の便で日本に帰るらしかった。俺はその人のチケットを奪って明日にでも日本に帰りたい衝動に駆られた。
もちろんそんなことできるはずもなく・・・ -
6日目。
バスで留学生が住む東海岸のケママンという町に向かう。日本からの友達は同じバスに乗っていなかった。無事に街まで着けるだろうか?また鼻血が出始めて知らない所で降ろされることはないだろうか?いろんな不安が付きまとっていた。 -
高速道路がないので一般道路をひたすら走り続ける。バスは古いのか峠道ではミニバイクにも抜かれる始末。
2時間おきにトイレ休憩があった。
そのうち一回は昼休憩。
ドライブインで昼食。 -
クアンガンと言うケママンの手前の街で小さなバスに乗り換えた。
ケママンに到着して、すぐに留学生の家に電話。電話口で留学生と話が出来たときはほんとにホッとした。すぐに彼は車で弟と迎えに来てくれた。
ようやく旅に来てからの心細さから解放された。
彼も日本に留学して最初の頃は同じような心細さを感じたんだろうか? -
彼の家に上げてもらう。どうやら他のメンバーはクアンタン行きのバスで夜、やってくるらしい。ようやく旅が賑やかになってきた。
夜、他のメンバーを迎えに行き、そのあと家に戻り留学生の母親の手料理をいただく。初めてトムヤンクンを食べる。そんなに辛さはなくおいしく食べれた。この頃にはだいぶ体調は戻ってきてて何とかみんなとほぼ同じ食事を取ることが出来た。
留学生の家族は彼(本人)と両親、2人の弟と妹の6人。母親と妹はイスラムの教えのとおり被り物をし、髪の毛は見せない。長袖でくるぶしまで隠れる服を着ている。暑い中大変だろうな・・・
今晩は彼の家にみんなで泊まる。 -
翌朝、家の近辺を散歩。
家の周りに普通にやしの実がなってる。 -
家の周りの風景。
-
昼から近くのビーチに出かける。
ビーチのバンガローを彼が借りてくれていた。
海の水は冷たすぎず少し暖かさを感じるくらいで常夏のビーチって感じがした。 -
夜は彼の家族もやってきてみんなでバーベキューを楽しんだ。旅の前半のつらさを忘れてしまうくらい楽しかった。
翌朝、俺一人だけクアラルンプールに戻るためケママンのバスステーションに行く。残りのメンバーはまだ帰国はせず、俺が行けなかったシンガポールへ向かう。
バスターミナルまで車で彼に見送ってもらう。バスターミナルに着いてから、無性に寂しく悲しくなってきた。一つは彼が留学してきた時、おそらく俺の今回の旅と同じく心細さを感じたんじゃないか、体調を悪くした時、寂しく心細い思いをしてたんじゃないかと思って、彼も当時大変な気苦労をしたんだろうなと感じたこと。もう一つは彼はマレーシアに残る身のため、もしかしたらこの別れで一生会うことはないのではと思うと悲しくなってきた。
バスに乗り座席に座った途端、涙が流れてきた。ますます俺の今回の旅の辛さと彼の日本での生活を思い浮かべ、さらに涙が流れた・・・
日本での生活どうだった?楽しかったか?
俺は君のおかげでこの旅を楽しいものにすることが出来た。
もしかしたらもう二度と会うことが出来ないかもしれないね。
さようなら。いつまでも元気で!!
クアラルンプールに夕方に戻った。その足で鼻血が出たときお世話になったゲームセンターへ行く。3人とも笑顔で迎えてくれ体調を心配してくれた。夜空港に向かうと決めてたので、それまでの間、一緒にビリヤードをしたりご飯を食べに行ったりして楽しんだ。
本当にお世話になりました。
PS
帰国便は翌朝8時だったので、夜に空港についてまた野宿。今度は出発ロビーに行ってみるとかなり人がいた。しかも日本人と知り合って近くで夜を明かし、予定通りの帰国便で帰国した。
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