1977/10/05 - 2005/01/10
183位(同エリア244件中)
ナームさん
カトヤナカのジュディー家
1977年はじめてひとり旅でネパール、インドそして最終目的地のスリランカ入る。
何も知らないスリランカだが、なにか憧れを感じる島だった。この島で水産加工などをしながら暮らせたら、なんて夢みたいなことを考え〜。
高校時代からアジアに関心があり、あれから20年後に実現しそうな予感がして胸がときめいた。
スリランカで初めて知りあった男はアントン。空港に民宿の客引きに来ていたのだ。
それから1984年まで毎年スリランカを主に、タイ、インド、ネパ−ルなどを歩き回る。半年位いてお金を使い果たしたら帰国するという感じで〜。
ー写真はジュディーの母親ー
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カトヤナカのジュディー家
大食いだから恥ずかしい!
連れていかれたのは空港のあるカトナヤカの田舎町。しかも婚約者の家だった。
この辺では裕福な家に見える。下宿人を3人置き、この家だけ電気がある。
彼女らいつも別に食べる。「一緒に食べよう!」と言っても「No Thanks」。恥ずかしいのだろうと思ったが、数日後その理由が分かった。
「たくさん食べるのを見られるのが恥ずかし!」だと。確かに食べるは、食べるは二皿はペロ〜ットたいらげるのだからね〜。 -
カトヤナカのジュディー家
父親は密造酒の売人か?
ジュディーの父親はおとなしく、酒も飲まないので面白くないから近所の家に飲みに行く。ある日カドカンビ(密造酒)を飲んだ。これが安くて美味いのだ。
「これは何処で買えるのだ!」と聞くと。
「お前の泊まっているおやじさんが売人だよ!」と答える。
散々飲んで騒ぎ、家に帰り父親に探りを入れようと
「今晩はカドカンビを飲んできたよ。何処で買えるの?」と言うと
「あれは体に悪いから飲まないほうが良いよ」と…
ここちよい酔いが回り、父親はのしぐさを思い浮かべ「本当にそうなのかなあ?」真偽を探っているうち寝込んでしまった。 -
カトヤナカのジュディー家
陽気な子供の決まり文句は「ハロー、ボンボン、ペンシュル、1ルピー」
スリランカの大人も子供も陽気だ。気軽に声を掛けてくる。
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カトヤナカのジュディー家
近所の結婚式
アントン友達の結婚式に出る。花婿花嫁が来るまで太鼓を打ち続けるのだが、何時間もやって来ない。
その間、延々と太鼓をたたく姿が一番印象にのこった。 -
カトヤナカのジュディー家
1979年ジュディー家に私が名付け親の長男誕生ー生後3ヶ月ー
1978年行った時はアントンは出入り禁止になっていた。定職を持たない彼に母親が愛想が尽きたのだ。ジュディーは未練があり頼まれて私が二人の連絡役に〜
そして、母親とアントンの間も取り持ち仲直りした。
彼は定職にも就かず「ツーリストの商売をして儲けよう!」なんて話を持ち込むが、信頼できないので相手にしなかった。
スリランカをさる時には妊娠しており、名前を付けてと言うので、日本車の「NISAAN(ニシャンと発音)」とつけた。
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カトヤナカのジュディー家
1981年ニシャン2歳に成長
今年に行った時はアントンは定職に就いていた。 -
カトヤナカのジュディー家
1981年ニシャン2歳に成長おばあちゃんになる
可愛い孫に母親は満足そう。 -
カトヤナカのジュディー家
1995年ニシャンは16歳の高校生に
この間10年あまり、ジュディー家に顔を出さなかったのは訳があった。
実は、前に泊まったとき、つい油断して財布から2万ほど抜かれてしまった。私は油断した自分が悪いと割り切っていたが、妻には許せないことのようで、それから一度も顔を出していなかった。
久しぶりの再会に、アラッカ(ヤシウィスキ−)で一杯となったが、そのうちアントンが感極まりむせぶ泣きだした。その時の妻の一言が面白かった。
『金を盗んだのを悪かったと思い泣いたんだ!』とすかさず飛び出したのだ。よっぽど根に持っていたようだ。
ある友人の家で、みんなで食事に行こうと誘ったら、母親だけが「メイドが居るから家を空けられない」と残った。どうしてだと思いますか?。
こんな国柄だから、自分の不注意を悔いるしかないのだ…。
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ゴールのフオート
1977年アラビア商人末裔一家の豪邸に居候
列車でゴールに着くと、客引きの少年について行きゲストハウスへ。それから
「日本語を話せる人がいる!」ついて行ったのがこの豪邸。現れたのはF・B氏、日本には毎年宝石を卸に行くと言う。
「明日から家に泊まりなさいよ!」と言うので、言葉に甘えて翌日から泊まり1週間居候したのだ。
それからスリランカに行くたびに彼の家に泊まる事に〜
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ゴールのフオート
アラビア商人末裔一家の豪邸に居候
1977年はバンダラナイケ社会主義政権から、ジャワワルデネ自由主義経済政権に替わった年だが、物はないがのんびり助け合いながら暮らしていた社会が、2,3年ですっかり替わってしまった。
ある年行くと、大きな冷蔵庫が…そして中にはビール瓶がぎっしり〜
「昨日は宴会で二日酔いだよ〜」彼の友達が2階から降りてきた。
イスラム教徒なので、以前はメイドの目があるからと、二人でホテルへ行き飲んでいたのに〜
経済発展で、こんなに精神的にも変わるものかと驚いた。でも、これは我々日本人も歩いてきた道なんだと思い直した。 -
ゴールのフオート
アラビア商人末裔一家の豪邸に居候
宝石の原石が無造作に置かれている。
その後、彼から宝石(カットした裸石)を仕入日本で販売し始めた。 -
ゴールのフオート
アラビア商人末裔一家の豪邸に居候
会社はコロンボにあるので週末だけこの家に帰る。彼と一緒にいかな時は、私と5人のメードさんとの生活。まるで私のメードさんのように、目が覚めたら紅茶、食事と至り尽くせリの暮らしになる。
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ゴールのフオート
アラビア商人末裔一家の豪邸に居候
庭師と雑用係のユスフ。
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ゴールのフオート
アラビア商人末裔一家の豪邸に居候
彼が帰る日は皆大忙し。普段は何もしないから、入念に掃除をしてピカピカにし、料理の準備に大わらわ。
毎日の食事は、朝はパン食、昼はスープカリー、夜もスープカリー。でもこのスープカリーがルウーカリーと違って飽きないのだ。朝もパンにスープカリーを浸して食べるぐらいになった。
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ゴールのフオート
アラビア商人末裔一家の豪邸に居候
末っ子のスベーダーとメイドさん親子との食事。 -
ゴールの街
肉はどの部位も値段が同じ
なぜかロース、もも肉、ばら肉も値段は同じ。でも内臓のハツとかタンは高い。
なぜなのと聞くと
「これはこんな大きな牛から少ししか取れないからだ!」と言う。
日本では昔は内臓が安かったが、いまは物によっては内臓の方が高いかもね。 -
ゴールの街
食堂もHOTELと言う。
こんな小さな店なら、宿泊のHOTELとは思わないが、コロンボの大きな店で
「今晩部屋空いていますか〜」と聞いたことがあった。
1階がレストランで2階以上がHOTELだと思ったからね。
そしたら店員はキョトン?としていた。 -
ウノワトナの海
ゴールから近い静かな海
ゴールからバスで日帰りしたり、泊まりで良く行った海。スリランカでは有名なヒッカドウワーとか、その他にも高級リゾートがあるが、ここはあまり知られていなく地元の人が多い海。
湾内は波が静かで、浅瀬にも熱帯魚や亀などが泳ぎ廻っていて楽しく遊べる。 -
イチオシ
ウノワトナの海
ゴールから近い静かな海
1990年代から外国人も来始めた。
のんびり読書をしている白人観光客。 -
イチオシ
ウノワトナの海
ゴールから近い静かな海
トップレスの白人に魅入るスリランカ人。 -
ウノワトナの海
ゴールから近い静かな海
海の売り子、ナンディカ小学生の頃は果物売り。
良くなついて可愛がっていた女の子。 -
ウノワトナの海
ゴールから近い静かな海
中学生になってからは衣服売りに出世〜 -
ウノワトナの海
ゴールから近い静かな海
20歳の頃結婚して子供も産まれ、道筋に衣服類を作りうる店を出していた。
結婚する時は「なんで定職のない男と結婚するだ!父親は定職がないため幼い頃から苦労したろう〜」と行ったが、成功の人生を歩んでいるようだ。
私は一人の人間を長く見続けるのが好きだ。それで、その社会の全部とは言えないが一端を見ることが出来るから〜 -
アハンガマの海
スリランカでも珍しい棒杭釣りの海
1977年に初めて行った海。ここはお気に入りのひとつ。漁師も子供たちも一緒にいると楽しいから〜。
棒杭によじ登り釣りをしたり、漁師の家で魚を食べたりとにかく面白い。 -
アハンガマの海
スリランカでも珍しい棒杭釣りの海
良い写真を撮りたいと言うのも楽しみのひとつ。 -
イチオシ
アハンガマの海
スリランカでも珍しい棒杭釣りの海
夕陽を撮りた〜い。その一心でしまいには1時間半位かけて毎日のように自転車で通い始めた。
漁村の人たちは
「残念1今日も雲でダメだったね。ご飯食べて帰りまた明日おいで〜」
慰めの言葉と半分からかわれた日が続いた。 -
イチオシ
アハンガマの海
スリランカでも珍しい棒杭釣りの海
やっと良い夕陽が撮れたぞ〜。と予感がした1枚。
そのころゴールでは
「○○はアハンガマに恋人が出来たらしい」と言う噂が飛び交っていた。
そうだよな、毎日恋人に逢いに行くような気持ちで、太陽に逢いに行ってたのだからね。 -
ネゴンボの海
優雅な姿の帆立船漁船の海
空港から近いので、帰りに必ず寄る海岸。
海は奇麗でないが帆立船の漁を見ているのが面白い。 -
ネゴンボの海
優雅な姿の帆立船漁船の海
帆立船を狙っていると、突然お尻を洗いに現れた女の子二人。 -
ネゴンボの海
優雅な姿の帆立船漁船の海
ここの夕陽も素晴らしい。 -
1984年11月 スリランカ・スープカリー店オープン
スリランカでの水産加工は難しいと分かり、帰国して直ぐにオープンした。
ちょうど、F・B氏も来日していたので駆けつけてくれた。嬉しかったよ〜
友達から
「スリランカ・カリ−と言ったって誰も知らないよ。インドカリーにしたら〜」
と言われたが
「スリランカが好きだからやるんだよ」
強引に帰国後2ヶ月でオープン。
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スープカリーも全国区に
最初は「これがカレー?」となかなかなじまなかったが、やがてスープカリーが名物料理になり、全国に知れ渡るようになった。
その間、冬季間2ヶ月ほどは休業しアジアの旅を続けていた。
そして現在は3店とも他人に譲り、引退して相変わらずアジアの旅を〜
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