2011/04/16 - 2011/04/17
354位(同エリア386件中)
じょーさん
このたびの東日本大震災により、お亡くなりになった方々に深い哀悼の意をささげるとともに、被災されました皆様には心よりお見舞い申し上げます。
私の父の兄弟が東松島市・石巻市で被災し、暫く安否が不明でしたが、ようやく全員が無事と判明、父に代わって妹と義弟3人(義弟の友人も石巻在住)でお見舞いに行きました。
ニュースで見る映像が、自分の目の前に広がりただ言葉を失うだけでした。
20数年振りに父の田舎に、このような形で行くことになるとは・・・。
- 交通手段
- 自家用車
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1時半頃妹夫婦が我が家に到着、追加の荷物を積み込み出発。
2時頃首都高に乗り、4時になるので大谷PAで一回目の休憩。 -
二回目の休憩は安達太良SAで。
福島西ICから福島飯坂ICまで事故による通行止め情報あり。 -
福島西ICでは通行止めによる出口渋滞だったので、福島松川PAスマートICで降り、下道で給油も済ませ、福島飯坂ICで再び高速に乗り菅生PAで三回目の休憩。
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仙台南部道路が少し渋滞し仙台東部道路を進むと、津波の跡が目に飛び込んできました。
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道路より陸側には、瓦礫が積み上がっていました。
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三陸自動車道もやや渋滞、石巻港ICを降り、予定より1時間強遅れて赤井の叔父さん宅に到着。
叔父さん宅は、床上浸水したものの家が崩れるような被害は無かったとのこと。
床下には泥が溜まってしまい、潜り込んでかき出しているそうです。(白く見えるのは消毒の為の石灰) -
電気・プロパンガス・上下水道は復旧済みで、ごく普通の生活を送っているようで、朝食用のおにぎり・サンドイッチを用意していましたが、朝食をご馳走になり、貞山の叔父さん宅へ移動します。
丸太が見えるところは仙石線の線路で、わざわざそこに置いたかのように乗っかっていました。 -
石巻街道を東に進みますが、両側とも悲惨な状況です。
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貞山の叔父さん宅も床上浸水の被害のみとのこと。道の両側には瓦礫が置かれていました。
従弟の家は大街道東だった為、駄目になったそうです。
昼食をご馳走になり、渡波の伯父さん・叔母さん宅へ移動します。 -
市役所を過ぎ、中瀬に向かう途中です。
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石ノ森萬画館
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橋を渡り、先に進みます。
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避難所になっている湊小学校
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伯父さん・叔母さん宅も床上浸水のみで、家には被害なし。
伯父さん宅側は7~80センチ地盤沈下した為、満潮になると庭が海になってしまいます。 -
数分でここまで。
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道路も冠水。
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この後、義弟の友人宅・神取の父のいとこ宅を訪問し、ナビをして頂いた赤井の叔父さん宅に戻り、渡波の叔母さんの娘が仕事だった為、赤井の叔父さん宅で再会、夕飯までご馳走になり、20時頃出発。
お見舞いに行ったにも拘らず、逆にお世話になってしまいました。 -
安達太良SAで休憩・お土産を買い先に進んだところ、
走行中一瞬寝てしまい、左車線から右車線に移っていた。
慌てて次のSAPAで2時間程仮眠、4時頃帰宅。
幸いにして、親戚は人的被害もなく、自宅で生活できていますが、
家が流され・崩れた方が避難所生活を強いられていることを思うと心苦しく思います。
石巻にボランティアが殺到し、受入を中止しているとニュースでも報道されていますが、街の姿を見れば、人はいくらいても足りないと思います。
再び時間を作って石巻に行かなければと心に決めました。
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