2011/04/13 - 2011/04/20
6位(同エリア218件中)
chiaki-kさん
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2011/3/11 東日本大震災発生。こんな時期に海外旅行なんて行っていいのか迷った。しかし、日本経済や支援してくれた世界の国のことを考え、予定通りツアーに参加することにした。
今回の行く先はマレーシア。ツアーはいつもの○急交通社で、参加費は6泊8日で69,800円という毎度お馴染みの格安ツアー。燃油サーチャージが1人10,400円付いてしまったが、世界的な原油の値上がりの為やむを得ない。
マレーシアは東南アジア諸国のひとつで、近年めざましく経済発展している国。マレー半島南部とボルネオ島北部に分かれており面積は329,847平方km(日本より少し小さい)、人口27,468,000人、1957年にイギリスより独立した連邦立憲君主国で、1年を通じて平均気温が30℃に近く、雨量も多いため蒸し暑い。それにしても私の旅行は寒い国か、暑い国のどっちかだ。
表紙の写真はキャメロンハイランドで見かけたランドローバー・ピックアップ。かなりの年代物だが、いまだに現役である。なお、後方には、もっと古いランドローバーが駐まっている。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- ベトナム航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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4/13
集合は13日8時に成田空港第2ターミナル団体カウンター前。ターミナルに入ると何と静かなこと。いつものやかましい中国語や韓国語がまったく聞かれない。受付カウンターに行くと誰も並んでいない。受付の方に今回の人数を聞くと4人とのこと。当初20人ほどの申し込みがあったが、ほとんどキャンセルになってしまった模様。大赤字なのによくぞ催行してくれたと逆に感謝する。
今回利用するエアは昨年のベトナム旅行でも利用したベトナム航空VN951便。ゲート(G88)も全く同じ。 -
7:55(定刻5分前)にゲートを離れるが、機内はガラガラで乗客は1/4ほどしか乗っていない。写真はVN951便で出た昼食。昨年よりおいしくなったような気がする。
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成田を飛び立って約6時間後、ホーチミンシティ、タンソンニャット空港に到着、ここでマレーシア行きの便に乗り換えるのだが、トランジットの時間が2:30ほどあったので空港内のレストランで軽い食事。手前の麺はフォーガー、ドリンクはマンゴーシントー(2人で23$)。どちらもおいしかったが、1年前のベトナム旅行の記憶が蘇った。
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食べ物ばかりで恐縮だが、ベトナムからマレーシア行きのVN759便で出た夕食。VN951便より軽かったが、お味はまあまあ。
マレーシア、クアラルンプール国際空港(以後クアラルンプールはKL、空港はKLIAとする)に、ほぼ定刻の19:30(MST)到着。迎えの現地ガイドさんと合流し、これから1週間お世話になるトヨタ・ハイエースバンに乗り込み一路KLへ。 -
4/14
最初に泊まった宿はKL郊外にあるホテル・パール・インターナショナル。外観は立派なのだが内装はやれが目立つホテル(金庫使えない、TVは音しか出ないなど)。しかし、スーパーマーケットと隣接していたので旅行中必要となるビール、水、ドリンクや菓子などを調達できたのは便利だった。 -
17階にあるホテルの部屋からKL市内を撮影。早朝なのでまだラッシュは始まっていない。
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9:30、4人の客を乗せたハイエースが向かったのはKL市内にある王宮。ちなみにマレーシアは立憲君主国であり王様がいる。正門の前にうじゃうじゃいるのは中国人の団体。
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次に向かったのが国立モスク。マレーシアは民族構成が極めて複雑な国家で国民の65%がマレー系で宗教はイスラム教となっており国教でもある。ちなみに華人系が25%で宗教は仏教。インド系が7%で宗教はヒンズー教かイスラム教となっている。
写真は国立モスクの礼拝堂。非モスリムは入れない。(撮影はOK) -
独立広場。元々はイギリス人のゴルフ場だったとのこと。マレーシアは1511年~1957年までポルトガル、オランダ、イギリス、日本の支配を受けた歴史を持っており、とくにイギリスは170年の長きに及び、今でもその影響が各所に残っている。ちなみに公用語はマレー語だが共通語は英語で国民のほとんどが話せる。
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これが今回我々を運んでくれたハイエースと、現地ガイドのTさん。ちなみにTさんは中華系の方で家はペナンにあり日本留学の経験あり。なお、ドライバーさんはマレーシア人とのこと。
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土産物屋を2軒ハシゴした後、ほとんど中華料理に近いマレー料理の昼食を食べる。レストランの外に出ると果物の露店発見。ここでマンゴスチンを購入。マンゴーは市場などでも購入できるが、マンゴスチンは見つけたらその場で買わないと無くなってしまう果物。値段は12個で7RM(単位はリンギット、1RM≒30円で210円)。なお、顔を隠した方は今回のツアーで一緒になったご夫婦。
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ペトロナスツインタワーは1998年に建築された451mの超高層ビルでKLのランドマーク的存在。建てたのは国有石油会社のペトロナスだが、タワーの片方を日本のハザマが、もう片方は韓国のサムスンが建設した。建設当時は世界一の高さだったが2003年に台北101(509m)に、2010年にはドバイのブルジュ・ハリファ(828m)などに抜かれる。
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KLから北上するハイウェイE1に乗る。マレーシアは170年イギリスに支配された関係で右ハンドル・左側通行。高速道路網は全国に行き渡っているが建設にあたっては日本の建設会社が関与した模様。
従ってIC、JC、SAやPAも日本とそっくりの構造で、標識の色も同じ。走っている車も日本車や、日本車に近い車がほとんどなので、まるで日本の高速道路を走っているような不思議な感覚をおぼえた。 -
違うのは道路脇に延々と続くアブラヤシの畑(プランテーション)。果実から石けんや食用植物油の原料となる油が採れ、マレーシア全体では20,000平方kmに作付けされている。マレーシアの基幹産業のひとつでもあり、バイオディーゼル燃料として注目もされているが、熱帯雨林を焼き払って栽培されるので環境問題も引き起こしているそうだ。
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2時間ほどE1を走行した後、高速道路を降りて山の方へ向かって走り出す。目指すはキャメロンハイランドだが、途中現地住民の方が道端で営業している露店に立ち寄る。小さい車はこういうとき具合が良い。売っていたのは果物の王様と呼ばれるドリアン。ちなみに管理人はドリアン初体験。
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発酵した生ゴミのような強烈な臭い、そしてねっとりとした果肉。一口か二口で良かったのだが現地の方は次々とドリアンの実をなたで割り始め結局3個分くらい食べたような気がする。お値段は10RM(300円)。
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ゲップをすると鼻をつくドリアンの臭いと戦っているうちにキャメロンハイランド到着。標高約1500mのキャメロンハイランドはイギリス統治時代にイギリス人のウィリアム・キャメロンによって開発され、年間をとおして気温は20℃前後と涼しく、茶葉や野菜の栽培がさかんな地区。最近はリゾート地区として賑わっている。
写真は立ち寄った紅茶園から見た茶畑だが、ここで収穫された茶葉はほとんど紅茶となる。なお、この後からお腹の調子がおかしくなりホテルの部屋に入るとただちにトイレへ直行。せっかく食したドリアンとお別れしてしまった。 -
18:30、ホテルから車に乗り、町中のレストランで名物のスチームボートの夕食。まあ、マレーシア風寄せ鍋で、涼しい気候や壊れたお腹にジャストミートといった感じだった。今回宿泊したホテルはどちらかというと山の中の一軒家で、外にはこれといった店も無く、部屋にはネットも無しという環境のため、21時頃にさっさと就寝する。
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4/15
これが宿泊したエクアトリル・キャメロンハイランド・ホテル。朝食の内容も含めてKLのパールインターナショナルホテルよりは良かった。 -
部屋からは長期滞在者向けのコテージや山が見える。朝霧がすがすがしい。
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この日は9:30にホテルを出発。10分ほど走って、ついた場所はカクタスバレー(サボテン園)。
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もちろんサボテンもたくさんあるが、熱帯の花の方がきれい。これは極楽鳥。
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ハイヒール
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ちょうちん花?などの花々が、所狭しと咲き誇っていた。
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これはタイとマレーシアのナンバーをつけたハイエースの軍団。ガイドさんの話では陸路を12時間位走ってタイからやってきた観光客を乗せた車とのこと。飛行機より安いので結構タイ人が遊びに来ていた。ちなみにマレーシアのナンバープレートの色はブラック。
このあと、朝市に寄るが雨が激しくなってきたため、ドライいちご、はちみつ、ジャムを購入してさっさと車に引き上げる。雨のため写真無し。 -
次は予定外のバタフライファーム。1人5RMを支払う。
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温室のような造りの小屋の中はこんな感じだが、花々に目をこらすと・・・
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こんな蝶や
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あんな蝶や
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そんな蝶が一杯だった。(蝶や植物の名前・・・わかりま千円)。わかる人おせーて(^^;;
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1時間ほどかけて山を下り、再び熱帯の地へ。イポーというマレーシアで4番目に大きい街で中華バイキングの昼食。昼食後クアラカンサーという小さい町に寄る。ここでウブディアモスクという名前のきれいなモスクを見る。気温は34℃を超えもう気絶しそう。
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E1をさらに北上すること約2時間でバタワースという町へ。そこから長さ13.5kmのペナンブリッジを渡りペナン島へ。対岸にジョージタウンのランドマークであるコムタワーが見える。なお、この橋は韓国の現代グループが架けたとのこと。
ペナン島は人口約70万人の島。面積は日本の淡路島くらいで人種の割合は中華系が一番多く、次いでマレー系、インド系その他となっている。ロングステイの欧米人や日本人も多い。 -
チョコレートのお店を見てから夕食会場の海鮮料理レストランへ。
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ゆでた海老、揚げたイカとシャコなどの料理が出た。写真には写っていないが、頼んだ缶ビールの値段は1本15RM、つまり450円!!!マレーシアはイスラム教の国なので酒はほとんど輸入品(*)、さらに結構な関税がかかっている模様。
(*)酒造メーカーもあるらしい。
夕食後、渋滞する道路を避け、裏道大作戦でホテルまで直行する。ドライバーさんはホテルに宿泊するが、ガイドさんは家に帰ると言う。聞くとガイドさんの自宅はホテルのすぐ前とのことである。25階(最上階!)の部屋はバルコニー付き、しかもオーシャンビュー! 部屋のLANコネクターに日本から持参したケーブルを接続すると、あっさりインターネット接続に成功、しかも無料。なんて良いホテルだ。
暗くなってから徒歩で10分ほどの場所にあるコンビニまで酒と水とつまみの買いだし。レストランほどでは無いが缶ビール1本が8RM(240円)。飲んべえには暮らしにくいぞマレーシア。 -
4/16
ペナン島で2泊したのはタンジュン・ブンガ地区に建つパラダイス・サンデービーチリゾート・ホテル。25階立てで全室オーシャンビュー。個々の部屋が海側に向くよう廊下に対して斜めに造ってあるので確かにオーシャンビューになる訳。
写真はバルコニーからの眺めその1。海の向こうはマレー半島のバタワース。 -
バルコニーからの眺めその2。4連のリゾートマンションがタンジュン・ブンガ地区のシンボルか?手前はコプソーン・オーキッドホテル・ペナン。道路を挟んで反対側にホーカー(屋台)とコンビニなどあり。
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バルコニーからの眺めその3。向こうにあるピークはパールヒルという。
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ホテルを出て、道路を渡り、右へ500mほど進んだらこの先にある交差点を左へ。
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バスターミナルを通過してさらに進むとこんな感じの建物が現れる。ここがタンジュン・ブンガの朝市。
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市場の中はこんな感じで地元の皆さんが食料品をショッピング。果物屋でマンゴーを購入するが”eat tody”と言うと完熟したマンゴーを選んでくれる。1kg7RMという表示だったが、秤で1kgを越えると7RM以上になるのでご注意を。
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9:00にハイエースに乗り込み、ジョージタウンの観光へ。写真はジョージタウンのガーニー地区。まるでホノルルのよう。
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街の中心部につくと、トライショーと呼ばれる人力車に乗り換え。
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トライショーは中華街を通過し到着したのは1801年に建てられたカピタン・クリン・モスク。モスクは修復中だったので尖塔をパチリ。
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次はセント・ジョージ教会。1818年に建てられたキリスト教の教会で宗派は英国国教会。修復が終わったばかりできれい。なお、このジョージタウン地区にある歴史的建造物は、2008年にマラッカと一緒に世界遺産に登録されている。
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1903年に建てられたペナン市庁舎。こちらもきれいに修復済み。世界遺産の力か?
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コーンウォリス砦は1786年、ペナン島がイギリスに割譲されるとただちに建設された要塞。大砲のほとんどはイギリス製だが、中にはオランダ製のものもあり、女性がその大砲に触れると子宝にめぐまれるとの言い伝えがある。
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マハ・マリアマン寺院は1883年に建てられたヒンズー教寺院。寺院内では上半身裸の坊さんがなにかの儀式を行っていた。なお、内部の写真撮影は禁止。
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クー・コンシーは1851年に建てられた中国・福建省出身クー一族の仏教寺院兼集会場。元々は苦力(クーリー・労務者)として福建省などからやってきた中国人は過酷な労働に耐えながら、その才覚を生かして商売で身を起こし、このような立派な寺を建てるまでに至ったとのこと。
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世界遺産観光が一段落したところでコーヒー店と民芸品店に寄ってから、昼食会場のインド料理レストランへ。ナンと何種類ものカレーがスパイシーでおいしかった。今回の旅行で一番かも。
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13:30ころホテルに戻り後はフリータイム。16時まで部屋でうだうだ過ごしたあと、バスに乗ってガーニー地区へ行く。バスに乗るときは行く先をドライバーに告げ、料金を先に支払う。ちなみにプラザ・ガーニーまでは1.4RM。(注:ガーニー手前のBSで降車すること)
プラザ・ガーニーはペナンにいくつかある大型ショッピングセンターのひとつで、若者に人気のあるお店。衣料品コーナーで時間を潰したあと外へ出る。やってきたのはペナン最大のホーカー(屋台街)であるガーニードライブ。明るいので、まだ空いている。 -
注文はまず飲み物から。アイスティー2RM。次にラクサと呼ばれるマレーシア独特のうどんが3RM。そしてチキンカレーが4RM。合計日本円で270円也。ラクサはスプーンに入っていた香辛料のようなものを全部入れてしまったので辛すぎて大変なことに。チキンカレーの方はOKだった。
食後またプラザ・ガーニーへ戻り、地階にあるスーパーマーケットでショッピング。ラーメン、香辛料、お菓子、飲み物、お土産などを購入する(60RM)。その後またバスに乗りホテルへ。楽しい1日だった。 -
4/17
朝食後、時間が少しあったので浜辺へ出てみる。高層マンションが林立しているが2004年のスマトラ沖地震による津波でペナン島も被害を受け、21人が亡くなっている。なお、向こうにある山の裏側がバトゥ・フェリンギ地区で、ペナン及びマレーシアを代表するビーチリゾートがある。 -
8:30にホテルを出発して1時間ほどE1を南下したあと、ブキットメラで高速を降りたところにあるオランウータン保護施設を見学。施設は人工の湖で出来た島に造られており写真の桟橋から専用の船で渡る。
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15分で島の桟橋に接岸。
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迎えにきたのは雌のオランウータンで「ハナちゃん」。
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こちらは雄。名前はたしか「マイちゃん」。
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生まれたばかりの赤ちゃんは保育器やベビーベッドに入れられ、全て人間の手で育てられている。ご覧のとおり紙おむつも着用。
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オランウータンは子育てが下手で、ときおり子供を死なせてしまうため、やむを得ない措置とのこと。
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セガリという地区にあるウミガメの保護センターに立ち寄る。
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こちらは生まれたばかりの赤ちゃん
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ちょっと大きくなった子供
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そして大人になる。うまく育てれば100歳くらいまで生きるそうだ。
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途中で昼食をとりながら、ウミガメ保護センターから下道を走りに走って着いたのはルムッという港町。船が出航するまでしばらく時間があったので、インド系の方が経営する町のお店でTシャツを5枚ほど購入。1枚6RM~30RM。やはり良いものは高い。写真はパンコール島へ渡るフェリーから見たルムッの港。
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出航してしばらく行くと左側にマレーシア海軍の基地が見える。
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30分ほどしてパンコール・アイランドリゾート専用の桟橋に接岸。パンコール島は小豆島くらいの小さい島だが2500人ほどの人が漁業と観光業で暮らしている。
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ホテルにチェックインしてから、18:30に迎えにきたピンクのタクシーにハイエースのドライバーさんも一緒に乗り込む。
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10分ほど走った島の南側の町の食堂で海鮮料理の夕食。茹でたシャコがメインデッシュ。炒飯は少々飽きた。この晩はエアコンを止め、久しぶりに波の音を聞きながら就寝した。
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4/18
この日は半日フリー。オプショナルツアーはパスし、ホテルでうだうだと過ごす。リゾートはこーでなきゃ。写真はホテルのメインロビー。 -
ロビーにコンシェルジェがいたのでインターネットのアクセス方法をたどたどしい英語で聞くと”Wifi?”と言う。”Yes”と言うと”Here, it's free”とのことで、さっそく持参したPCをロビーの机の上で開いてみたらアクセスコードを入れる必要もなく簡単に繋がった。v(^^)
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メインの建物の前にはプールがある。他にもう一ヶ所あるがこちらのほうが大きい。
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上の建物の2Fで朝食を食べていると突然スコールがきたが、すぐにやんだ。
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ホテルの従業員さんが皿に乗せたパンを運んでいるので行ってみると。
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ホーンビル(サイ鳥)に餌付けをしている場所だった。ホテルの敷地内にはこのほかに孔雀もいたが写真は取り損ねた。
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遠浅の砂浜には
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たくさんのカニさんがうごめいていた。
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12:00にチェックアウトしたあと、ホテル内のランチレストランで昼食。ハンバーガーとダイエットコークを注文(たしか35RM)。バーガーも大きかったがフライドポテトの量が半端でない。14:00に、護送車のような送迎バスに乗り埠頭へ。14:30出航。
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15:00にルムッに戻り、ハイエースで下道を2:30ほど南下。途中で早めの夕食。そして到着したのがクアラセランゴールという場所。ここでホタルを見るのだという。
19:20 マレーシアのジャングルに日が沈む。 -
あたりが真っ暗になるとともに、手こぎボートは川を音もなく進む。遠くからは解らなかった対岸の樹木にびっしりとホタルが光っているのが見えた。樹木によっては、まるでクリスマスツリーのように輝いているのだが、残念ながら写真撮影は無理だった。ASAを最大値にしても撮影できたのはこの船着き場だけ。
*最近はスマホでもホタル撮影できるようだ。技術の進歩は素晴らしい。
このあと1時間ほどかけて22:00頃KLに戻る。宿は初日と違って市内中心部にあるクオリティ・ホテル・シティセンター。近くにそごうデパートもある便利のよさそうな場所にある良いホテルだった。LANケーブルも装備されているしゃれた部屋だったが1分で1.2RMと接続料が半端でないのと、明日帰国すればいくらでも出来るのでネットはとりやめた。 -
4/19
朝食後ちょっと外へ出てみる。この建物のうしろがクオリティ・ホテル・シティセンター。このあとホテルの部屋に戻って最終パッキングを行う。今朝は8:00出発なので忙しい。 -
KLセントラルステーション。日本語の表記もあるKLで一番大きい駅。ここからマラッカの近くの駅まで列車に乗る。出発してしばらくはKLIAと結ぶ線路と平行していたが、やがて単線となり景色から建物が消える。代わって熱帯のジャングルが延々と続く。
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2時間ほど列車に揺られた後、とある駅で下車すると待っていたのはいつものハイエース。車の方が早かったみたい。写真は車に乗り換えてからすぐについた町のレストランで食べたチキンライス。マレーシアの名物料理でおいしかった。
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マラッカはマレーシア西海岸にある人口45万人の街で、マラッカ海峡に面しており東西貿易の拠点として発展した街。14世紀に誕生したマラッカ王国(マレーシアの歴史上最も古い国)が都と定めたところで、明とも同盟を結んでいた。
しかし、1511年にやってきたポルトガル人に征服されマラッカ王国は滅亡、1641年からはポルトガルに代わってオランダに、1826年からはオランダに代わってイギリスに、1941年から4年間は日本に統治された歴史を持っている。
歴史的町並みが残されていることが評価され、2008年にペナン島のジョージタウンとともにユネスコ世界遺産に指定される。写真は青雲亭寺院。マラッカもモスク、寺、教会の多い街。 -
17世紀にオランダ人が建築したマラッカ・キリスト教会はマラッカのランドマーク的存在。
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キリスト教会から徒歩でセント・ポールの丘を登ってゆくと戦国時代に日本でも布教活動を行ったフランシスコ・ザビエルさんの像がお出迎え。
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セント・ポール教会は16世紀にポルトガル人の建てた教会。鉄分を含んだラテライトを焼いて積み上げて建てたため頑丈。
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セント・ポールの丘からはマラッカ海峡が一望。沖を大型の石油タンカーが行くが、ここは日本の生命線でもある。
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ポルトガル人が築いたサンチャゴ砦。塀はオランダ人によって壊されてしまったが、この門はセント・ポール教会と同様、鉄分を含んだラテライトを焼いて分厚く積み上げてあるため頑丈すぎてこわすのを諦めたとのこと。
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マラッカ最後の観光はマラッカ川クルーズ。
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船が出発してまもなく観客の嬌声! 見ると体長1mくらいのオオトカゲが魚をくわえている。
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どこかで見たような橋や、イラストの描かれた建物など、ちょっとやらせっぽい感じがして、なんとなく中国の臭い。
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ここはUターンする埠頭だが、同じ物を見ても仕方ないのでここで船を下りる。
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1年近く使われていないモノレール。開通式直後に車輪やコンピュータトラブルにより停止し、未だに可動できていない。ちなみに中国製。
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ハイエースはマラッカからKLIA(クアラルンプール国際空港)に直行。空港手前で早めの夕食をとり、16:00頃空港へ到着。ここでドライバーさんとはお別れ。1週間ありがとう。次にベトナム航空のカウンターにチェックインし、出国フロアへ降りるエスカレータの手前でガイドのTさんとお別れ。1週間お世話になりました。
これで7日間のマレーシア駆け足旅行は無事終了。イミグレ、セキュリティ(北京に続いてまた逆のような気が)も通過し、シャトルに搭乗。写真はシャトルから見たサテライト。KLIAはマレーシアの威信をかけ1998年に完成した巨大なハブ空港。サテライト内も巨大で4つのウィングが中央部から伸びている造りとなっている。ちなみにKLIAの設計は黒川紀章さん。 -
20:40 20分ほど遅れてVT758は静かにゲートを離れる。
Good By Malaysia (^^)/~
これで「2011年 マレーシア旅行記」は終了です。本日も古い旅行記を最後まで、ご覧いただき、ありがとうございます。 -
エピローグ
司馬遼太郎の小説に「坂の上の雲」という作品がある。この坂の上の雲とは明治の人々があこがれた欧米近代国家を「雲」にたとえたもので、憧憬を込めてつけられたタイトルである。
明治維新後ゼロからスタートした日本は、欧米列強国をコピーすることで軍事大国となったが、無理な背伸びがたたり太平洋戦争に敗北、3等国に転落してしまった。そして、焦土の中から日本人は不死鳥のように立ち上がり、ウサギ小屋に住む働き中毒と揶揄されながらも高度経済成長に成功、今度は経済大国として世界経済に影響を与える国のひとつとなった。
しかし、登り坂はいつかは下り坂となる。バブル崩壊、金融不安、リーマンショック、少子高齢化社会、そして今度は東日本大震災と日本は再び試練の時代に入ろうとしている。このように最近元気の無い日本とは対照的に、マレーシアをはじめ中国、韓国、ベトナムなどのアジアの国々は今が右肩上がりの高度経済成長期にさしかかっている。特にマレーシアは石油、天然ガス、鉱石、木材など資源に恵まれ、国民所得は毎年増えつづけている。
1981年から2003年まで22年間マレーシアの首相となったマハティール元首相(*)の強引ともいえるリーダーシップにより、マレーシアの空港、鉄道、港湾、高速道路、高層ビルなどのインフラは整備され、国有石油会社ペトロナスや国産車プロトンの創設などにより重工業は発展、2020年には先進国に並ぶという目標にむけ目下まい進中である。
(*)最近返り咲いたが、コロナ禍前に辞職した。
もちろん観光も手抜かり無く、ペナン島やランカウイ島には欧米や日本などからの観光客はもちろん、リタイアメントビザ制度によりロングステイを楽しむ人々を呼び込むため数多くのリゾートマンションが建設中である。逆にマレーシア人の海外旅行熱もうなぎ登りで、ベトナム、オーストラリア、中国や日本などが人気だという。少々バブリーな感じがしない訳ではないが、とにかくマレーシアは元気である。下り坂にさしかかってしまった日本も、元気なマレーシアから少しおすそわけをいただいても悪くはないような気がする。
LASTの写真はキャメロンハイランドで見かけたトヨタ・カローラ(2代目)。日本なら解体屋でも見かけない旧車だが、なんとまだ現役だった。
2020年6月25日 一部加筆・修正済み
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この旅行記へのコメント (2)
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- 葵さん 2013/08/26 20:12:41
- 初めまして。
- chiaki-kさん初めまして。
つい一週間前にこちらで旅行記を始めたばかりの新参者です。
当方の旅行記に投票有難うございました!
そして・・・
私も同じツアーに同じ年の9月ですが参加いたしました。
chiaki-kさんの旅行記を読みながら当時を懐かしく思い出していました。
読みながら、あれれ?もしや同じツアーなのでは?
と、嬉しくなってしまいコメントさせてい頂きました。
お写真も凄く素敵で、カメラワークが絶妙ですね〜!ため息です〜vv
沢山の旅行記があるので、これから時間をかけて少しずつ読ませていただきますね。
それでは、突然のコメント失礼いたしました。
- chiaki-kさん からの返信 2013/08/27 11:12:29
- RE: はじめまして。
- 葵さん、はじめまして。こちらこそマレーシア旅行記に投票いただき、ありがとうございます。
> 私も同じツアーに同じ年の9月ですが参加いたしました。
> chiaki-kさんの旅行記を読みながら当時を懐かしく思い出していました。
2011年4月に参加したマレーシア・ツアーなんですが、旅行記に記載したとおり、
東日本大震災の一ヶ月後に、参加者4人でよく催行してくれたと思います。
参加者が少なかったせいか、ツアー車も小回りの効くハイエースだったので、
普通は通らない山道で途中停車し、ドリアンを食したりできました。
> お写真も凄く素敵で、カメラワークが絶妙ですね〜!ため息です〜vv
お褒めの言葉をいただき、嬉しいです。
私は一度の旅行で、1500枚程度撮影しますが、その中から、そこそこの画像を選んで
ブログにUPしています。まあ、下手な鉄砲もなんとやらというやつです。
> 沢山の旅行記があるので、これから時間をかけて少しずつ読ませていただきますね。
気がつけば44タイトルにもなっていましたね。(^^;;
お暇なときで結構ですから、どうぞ、お立ち寄りください。
お待ちしています。
chiaki-k
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