2011/03/20 - 2011/03/23
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bunkichiさん
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サイパンといえば、日本から近い常夏のリゾート地もしくは、太平洋戦争での玉砕、悲劇の島のイメージが強いところです。
しかし、かつては日本が国際連盟より委任信託統治していたところでもあり、しかも国際連盟脱退前には軍事設備の許されない平和な島で多くの日本人が住んでいた事がほとんど忘れられています。
そこで、委任統治時代の遺構が残っていないかとガラパンの町を散策してみました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 飛行機
- 航空会社
- デルタ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
サイパンへは去年の暮れ、今年の3月と2回ほど行ってきました。
-
本来の目的はダイビングだったのですが、海亀君の千分の一の歩みである「へなちょこ」ダイバーなので、ただ疲労のみが溜まりました。
(´ヘ`;) ハァ -
疲労あふれる体を癒すためフィエスタリゾートホテルのプールサイドで休んでいるとなにやら石碑を発見しました!
近づいてみると「南洋庁立サイパン高等女学校跡地」と標されています。 -
ホテルを出てみるとホテル壁脇に「南洋寺門柱跡」と書かれた門柱がポツンと残されているではありませんか!
そこで、他にも旧委任統治時代の痕跡がないものかとガラパンの町を行き当たりばっかりに探して見ることとしました。 -
今は観光客があふれているビーチロード周辺も、かつてはガラパン銀座とよばれる日本人街があり、様々なお店で繁栄していたそうですが、太平洋戦争で灰燼と化し、一時は草原化してしまった時期があったそうでから、それらしきものは何も見つけることができませんでした。
南洋庁時代のガラパン( File:Garapan in the Japanese Period.JPG)
グアム新報社「南洋群島写真帖―昔のmicronesia」より。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Garapan_in_the_Japanese_Period.JPG?uselang=ja -
ガラパンの町を南に進むと左手に真っ白なガラパン教会とその隣に古びた鐘楼が現れました。
現在のガラパン教会は1944年、戦争によって破壊されたため、戦後に再建されたものですが、その隣の鐘楼はスペイン統治時代に建てられたものです。 -
日本統治時代は、この教会の右手奥に南洋庁サイパン支庁があったそうですが、今は普通の住宅地になっており、本当にここにあったのか信じがたい光景です。
1930年代当時のガラパン教会とサイパン支庁
http://www.himoji.jp/database/db04/permalink.php?id=263 -
ガラパン教会を左手に坂道を登るとなにやらレトロな建物が現れました。
-
これは北マリアナ博物館(North Marianas Museum)です。
日本統治時代には病院として使われていたものです。
戦争で破壊され、しばらく荒れた状態になってたそうですが1988年に新たに博物館として改修オープンされたそうです。
改修前の荒れた状態の旧日本病院
http://www.himoji.jp/database/db04/permalink.php?id=619 -
館内は、現地のチャモロ人・カロリニアン人の歴史や文化、スペイン・ドイツ・日本統治時代のサイパン島・ テニアン島の歴史、サイパン島での日米の戦闘の記録などが展示されており、日本ではお目にかかれないものばかりです。
ぜひ、写真を撮りたかったのですが、館内撮影禁止のプレートを見て断念!
しかし、お願いすれば撮影可能であることを後で知りました。
(T△T) そんなぁ…
入場料:2ドル
開場時間:09:00-16:30(月曜〜金曜)、12:00-16:30(土曜)
休館日:日曜、祝日 -
この建物周辺には、この他にも多くの痕跡が残ってました。
これは、この病院で功績のあった医師を記念する石碑なのですが上部が欠けてしまって寂しく放置状態です。 -
防空壕跡も残ってました。
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とりあえず防空壕内部にも入ってみましたが、なかはゴミが散乱しており、見るに耐えない状態でした。
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少し離れた所には統治時代の刑務所跡があります。
ここだけは、「OLD JAPANESE JAIL」の看板がかかっており、ヒストリカルツアーなど一部観光客が訪れているようです。
刑務所と紹介されてますが、あえてPRISONでなくJAILとなっているのは、単なる未決の拘置所、監獄ということなのでしょうか? -
-
ミドル・ロード反対側に鳥居が見えます。
ここがシュガーキングパーク(砂糖王公園)で、日本統治時代、南洋興発株式会社の初代社長であった松江春次氏を記念する公園として戦後に造られたものです。 -
公園内には、日本統治時代、南洋興発がサトウキビ運搬用に使用していた「機関車」が展示されてました。
鉄道はサイパン島の外周をほぼ一周する様に敷設され、島中から集められたサトウキビをチャランカノアの製糖工場に集め、他にも旅客輸送や物資輸送にも活躍していたそうです。
ただ残念なことにきちんとメンテナンスがされていないのでサビでボロボロの状態です。 -
また公園内には「サイパン実業学校建物跡」も残されてました。
現在は、シュガーキングパークの管理施設として利用しているそうです。 -
シュガーパーク園内を進むと砂糖王と呼ばれた松江春次氏の銅像が現れます。
1920年頃、疲弊していたサイパン製糖産業を立て直し、他にも鉱業・水産業・農業・運輸へと事業を拡大し、一時は納めた出港税が南洋庁の収入の6割を超し、また様々な娯楽施設を設けるなどサイパンの発展に寄与した人物です。
その功績を認められ1934年現職社長でありながらこの銅像が建てられたそうです。
その後、米軍によるサイパンが占領され、銅像を撤去しようとしたところ現地人の反対により残されたという美談が伝えられてます。
だがその一方では、沖縄県人労働者と労働争議でずいぶん揉めた人物でもありました。 -
銅像には銃弾の弾痕が残っています。
-
さらに公園を進むと彩帆神社(サイパン神社)が現れます。
もともとは第一次大戦でドイツ領であったサイパンを占領した際、ドイツ軍の監視台があった小山に小祠を建てた小さなものでしたが、その後、松江春次氏によって新たに大規模な社殿が造営さたそうです。
しかしこれも第二次大戦で破壊されてしまいました。 -
当時あった「彩帆神社」の灯篭と社号標が戦闘の際の弾痕をつけて残されてます。
当時の彩帆神社(サイパン神社)
http://www.himoji.jp/database/db04/permalink.php?id=261 -
現在ある彩帆香取神社(サイパン香取神社)は1985年に香取神社連合会によって再建されたものです。
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彩帆香取神社の拝殿の裏にある小山が本殿となります。
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ここから見る風景は、沖の船が空中に浮かんでいるのではないかとの錯覚します。
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さて、せっかくなのでかつて製糖工場で栄えたというチャランカノア地区まで行ってみるかと無謀にも遊歩道沿いをトボトボと歩いてみました。
これが思いの外、遠い!
せめて自転車を借りれば良かった....。
足が痛くなるころ、なにやら美しい教会らしき建物(Mount Carmel School)が現れました。 -
すぐそばにひっそりと日本人墓地が残されてました。
更にこの先「サイパンに残る日本住宅」まで足を延ばそうかと思いましたが、場所もよくわからないので断念しました。
参考 丸平木材店ホームページ「サイパンに残る日本住宅」
http://woodyworld.sakura.ne.jp/hakusa08.html -
帰国後、調べたらに良い資料を見つけました。
http://www.pu-kumamoto.ac.jp/~m-tsuji/gyouseki.html
[45]サイパン・チャランカノア地区に残る日本委任統治時代の建築物活動と室内環境調整手法に関する研究 その6−
どうやらWilliam S. Reyes Elementary Schoolのそばのようですので興味ある方は挑戦してみて下さい。 -
最後にガラパン市街を望む丘にある旧日本灯台跡に行ってみました。
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下から見てると大した距離ではないと甘く考え、Navy Hill Rd.をひたすら登っていきました。
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Navy Hill Rd.に入って1.5km程進むと、左前方にDelegario Dr.の分岐が現れます。
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Delegario Dr.を300m程行ったところを左折すると、なにやら学校のグランドが現れます。
そこで左側に道なりに進みます。 -
少し進むと右手に出てくるFuetsa Loopに入ると奥の藪の中から旧日本灯台が見えてきます。
「1974年にこの灯台はアメリカ国立史跡登録への最初の候補として指名され、承認された4つの北マリアナ史跡のうちの1つ」というので何か案内プレートがあるかと思っていたら何もなく、道に迷い、犬に追っかけられ、けっこう見つけるのに苦労しました。
(@´_`@) チカレタ・・。 -
この建物は元々は日本統治時代の1934年(昭和9年)、珊瑚礁や浅瀬の多いタナパグ港に出入りする船への航法のための信号を出すため建てられたものだそうです。
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1944年(昭和19年)6月の米軍のサイパン島上陸の際、米軍の砲爆撃によって大きく損傷しましたが米軍はサイパン島占領後は修復し、タナパグ港の信号台として使用されてたそうです。
1947年に米軍が撤退後、暫くは放置されてましたが、1980年代の終わりに大幅に改修され、展望台レストランとして生まれ変わりました。
しかしながら、そのレストランも5年間程度しか続かず、再び廃墟となってしまったそうです。 -
だから外部、内部とも落書きだらけでした。
ここに行った時は、私一人だけだったので、正直入るのに躊躇しました。 -
でも、螺旋階段を登り、踊場」に出ると、
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そこには、ガラパン市街、タナパグ港、 マニャガハ島がくっきりときれいに見渡すことができました。
ヽ(^◇^*)/ ワーイ
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この旅行記へのコメント (2)
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- Weiwojingさん 2011/05/06 08:53:12
- 「日本統治時代の痕跡を歩く」を拝見しました。
- bunkichi さん、はじめまして。
小生のブログをご訪問いただき、ありがとうございます。
bunichi さんの「サイパンとパラオの日本統治時代の痕跡を歩く」の2編を拝見しました。
私もかつてこれらの島を訪れ、日本統治時代の遺跡や建物を探しあるいたことがあります。それで大変興味を持ち、拝見しました。かなりあちこちに残されているのですね。私が見逃していたところや分からずにいたところなどたくさん紹介されていて、大いに参考になりました。
次回訪問の際は参考にして回って見たと考えています。添付されていた昔の写真や研究資料なども大いに役に立ちました。日本人墓地のようなところは残されていませんでしょうか。このようなところもあれば、ぜひ訪ねてみたいと思います。
またちょくちょく訪問させていただきます。ありがとうございます。
Tamegai
- bunkichiさん からの返信 2011/05/06 13:59:21
- RE: 「日本統治時代の痕跡を歩く」を拝見しました。
- Tamegaiさん 訪問ありがとうございます。
今後の旅のお役に立てれば、嬉しいです。
ただ、私自身、いつも準備不足で見逃したところ多く、いつも帰ってきてから後悔しております。
例えば、お問い合わせの日本人墓地ですが、挫折した Mount Carmel schoolの手前で小規模な墓地を見ましたが、さらに学校側を奥に進むと 戦前の鳥居が残されているカトリック教会の墓地があるのですが、見逃しました。
旅行記にも載せた「北マリアナ博物館(North Marianas Museum)」館内には、戦前のガラパン市街の当時の記憶による地図が展示されてます。
その地図には、日本人刑務所のそばに本願寺とお墓があった気がします。
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