2008/04/23 - 2008/04/23
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frau.himmelさん
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東北地方の大地震により犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたしますと共に、被害に遭われました皆様に心よりお見舞い申し上げます。
そして皆様が一日も早く平穏な日々に戻ることが出来ますよう、お祈り申し上げます。
日を追って入ってくる想像を絶する被害の大きさ、悲惨さには胸がつぶれる思いがいたします。
そしてそれに対して何も出来ない自分の無力さ…、ホントにホントに歯がゆい思いです。
せめて、こんな私にもできること…、日本赤十字社を通して少しばかりの義捐金を送らせていただくことしか思いつきませんでした。
また、こんな時に旅行記など不謹慎では、という思いが胸をよぎり、一旦投稿したこの旅行記も自粛して引っ込めさせていただきました。
でも、被災していない地域の人たちもが全部シュンとなってしまったら…。日本は沈没してしまいます。
被災された方々への思いやりを忘れずに、被災しなかったそれぞれの地域の人々が、それぞれの日常を今まで通り過ごすこと、それが被災地の復興にも繋がるのではないだろうか、と思います。
私達は、被災された方々のことを、ひと時も忘れることはありません。どうか頑張ってください。
◇◇
さて、午前中ワイマールを見学した私たちも、いよいよ今回のツアー最後の訪問地アイゼナッハにやってきました。
アイゼナハではゲーテの像や銘碑こそ探し出せませんでしたが、ゲーテの影響が色濃く残っています。
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
ワイマールから1時間足らずでアイゼナハにつきました。
まずはバッハの家から。
あれー、去年(2007年)と様子が違います。
手前のクリーム色の建物はそのままですが、隣のモダンな建物はなかったはずなのに…。私の頭がおかしくなったのかしら?
クリーム色の家はバッハの父親が1664年に購入して、ヨハン・セバスティアン・バッハが生まれた家とされています。 -
後から調べたらこのモダンな家は、バッハハウス公開から100年を記念した2007年に新館として増設されたものだそうです。
そういえば、2007年当時工事中だったような…。
今は博物館やコンサート会場として利用されているそうです。
カメラを向けると地元の中学生?がにこっと笑ってくれました。 -
バッハ広場にはバッハの像が…。
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バッハハウスを少し旧市街に向かって行くとルター通りに出ます。
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バッハの家とルターの家はそんなに離れていません。
2つの家を結ぶ通りです。
このへんはまだ昔の家並が残っていて、とてもいい雰囲気です。 -
この堂々とした大きな木組みの家、この家はアイゼナッハに現存する最古の木組みの家だそうです。
ここにマルティン・ルターが3年間住み、ラテン語学校に通っていました。 -
現在はルター博物館になっており、ルターが生活した時代の生活用品、宗教改革に関する資料などが展示されているそうです。
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ルターハウスの入口の博物館の案内板。
私達はツアーの悲しさ、ここも外から見るだけ…。 -
ルターハウスの飾りランプ。
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ルターハウスからマルクト広場に向かいます。
Stadtschloss 「市城」です。
かつてザクセン・ワイマール公の館でした。
ゲーテも宰相だった頃、ここにもたびたび訪れました。 -
市城の入口。
現在チューリンゲン州博物館として使われています。 -
マルクト広場では市場の後片付けをやっていました。
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マルクト広場からラートハウス(市役所)の方向を。
左には噴水が見えます。 -
マルクト広場の中央にたつ噴水。
槍を手に持ち竜(悪魔)を踏みつけている聖ゲオルグはアイゼナッハの守護聖人です。
聖ゲオルグは、ヒルデスハイムなどで見かけた聖ミカエルとともに、竜退治で有名です。
その後ろには聖ゲオルグ教会が見えます。 -
聖ゲオルグ教会の塔。高さ62m。
この教会でバッハが洗礼を受け、ルターが信者を集めて説教をしました。 -
中に入ります。
バッハの像がお出迎え。 -
教会の内部。
この教会には、バッハが洗礼を受けたときの洗礼盤もまだ残っているそうです。 -
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パイプオルガン。
ヨハン・セバスティアン・バッハがこのオルガンを弾いたかどうかは分かりませんが、アイゼナッハは、当時大勢の音楽家を輩出していたバッハ一族の拠点でした。 -
聖ゲオルグ教会を出て昼食のレストランに向かいます。
アイゼナッハの郵便局。
ドイツの郵便局はどこもよく似通っています。 -
このピンク色のかわいい建物が市庁舎(ラートハウス)
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昼食のレストラン、Brunnenkeller。
市庁舎に向かって左側にあります。
ここで問題発生。
メニューでは今日もお魚(たらのムニエル)。
お魚が体質的に受け付けないFさんは血相を変えました。
何度も旅行している彼女は、申告すれば便宜を図ってもらえることを知っています。それで、少し追加料金を出してもよいからと旅行会社には伝えていたのだそうです。
ところが今回は一度も対応してもらえませんでした。
ここのところお魚が続いていて、添え物しか食べられないFさん。
誰もが添乗員さん、少し考えてくれたらいいのにね…と言っていました。 -
今日も添乗員さんは、飲み物のオーダーを取ったきり奥の方の席に、男性の現地ガイドさんと引っ込んでしまいました。現地ガイドさんとは前からの知り合いだったようで…。
でもねー、ワイマールのゲーテハウスでも、二人でおしゃべりしたかったから説明もそこそこだったのでは…?なんてことも言われてましたよー。
お魚を運んできた女店員さんに、思い切ってたどたどしいドイツ語で聞いてみました。
「仲間の一人がお魚が食べれないことを聞いていなかった?」と、そして「可能ならば、お肉と取り替えてもらえないか?」って。
そしたらその彼女、
「シェフ(上司)は聞いていたかもしれないけど私は知らなかった。でも大丈夫よ、今取り替えてくるわね、ちょっと待って…」
って、簡単にポークシュニッツエル(トンカツ)と取り替えてくれました。
なーんだ、ちゃんと出来るじゃない。
結局添乗員さんは対応してくれる気持ちがなかったのねって、みんな不満たらたら。
でも、私のドイツ語が役にたって良かったー。Fさんには大変感謝され、旅行後もお付き合いは続いています。
◇◆
ピンボケですが、洞窟の中のような雰囲気のあるレストランでした。 -
今回のツアーは旅のベテランが多いので添乗員さんも大変です。
確かに中には首を傾げるような要望を言う人もいますが、一応客なのですから駄目もとでも対応するべきなのでは?(メニューの交換など)というのが皆の一致した意見でした。
ましてや客はほったらかしで、奥の席に引っ込むのはどうか?と…。
◆◇
そんなこんながあって、ヴァルトブルク城にやってきました。
「最もドイツらしい城」といわれるこの城は、チューリンゲンの伯爵ルートヴィッヒ・デア・シュプリンガーが1067年に建てたものです。 -
城の入口。
ツアーバスは麓までしか行きませんので、そこから徒歩で20分ほど山道を登ります。 -
城内の高台からアイゼナッハの街並みが一望できました。
ゲーテはアイゼナッハの風景が気に入って、幾度となく訪れていたようです。
この景色、ゲーテも眺めたのね…。 -
お城の中庭。
見学ツアーの待ち時間があるので少しウロウロします。
この左手奥は売店、城のガイドブックと絵葉書を買いました。 -
小鳥かごのような出窓、可愛いですね。
現在残っている城の主要な部分は、1170年後期ロマネスク様式で建てられました。
1000年の歴史を持つこの城は1999年ユネスコ世界遺産に登録されました。 -
中世の城には必ず登場する大砲、当初ここも堅固な要塞としての機能を併せ持つ城として建てられたのでしょうが、実際には大砲は使われることはなかったそうです。
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居城の部分。こちらを見学します。
ヴァルトブルク城は、ドイツの文化歴史上重要な舞台となった城です。
吟遊詩人が活躍し、聖女エリーザベトの嫁ぎ先であり、マルティン・ルターはここで旧約聖書をドイツ語に翻訳しました。
また先に述べたようにゲーテもたびたびここを訪れています。 -
居城部分です。
中世から近世ドイツの建築、芸術、歴史が詰まったこの城を、後世は博物館にするように進言したのは、ザクセン・ワイマール公国の宰相だったゲーテだそうです。 -
エリザベート・ギャラリー。
エリーザベトの一生がヴィルヘルム・ビザンティン様式(20世紀に入って造られたもの)の美しいモザイク画で描かれています。
1207年ハンガリーの王女として生まれたエリザベートは4歳のときヴァルトブルク城に連れてこられ、14歳のときチューリンゲン方伯だったルートヴィッヒ2世と結婚をします。
政略結婚とはいえ仲睦ましい夫婦でした。
しかし、20歳のとき、夫は十字軍遠征で戦死し3人の子供を抱えて未亡人になりました。 -
慈悲深かった彼女は身分を省みないで貧しい人々に施しをしていたので、貴族や宮廷からは反感をかっていました。
夫が亡くなりヴァルトブルクに居辛くなった彼女は、追われるように3人の子供を伴って城を出ます。
そしてマールブルクのコンラート司教の勧めでマールブルクに落ち着きます。
そこで彼女は施療院を建て、自ら率先して身を粉にして献身的に貧民救済にあたりました。
ところが無理がたたって24歳の若さでなくなります。
彼女の死後ローマ教皇により聖女エリザベートとして列聖されました。 -
吟遊詩人が活躍した歌合戦の大広間にあるステージ。
13世紀初めごろ、お城は宮廷文化が花開き、多くの詩人やミンネジンガー(吟遊詩人)が参加して歌合戦が開かれました。
歌合戦と言ったら紅白歌合戦を思い出しますが(笑)、そんな生易しいものではなかったようです。
敗れた者は処刑されるという命がけの歌合戦だったとか…。 -
当時の歌合戦の様子を描いた壁画。
リヒャルト・ワーグナーはこの「ヴァルトブルク城の歌合戦」を基にして名曲「タンホイザー」を書き上げました。 -
お城の中には貴重な美術品もいっぱい。
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祝宴の間。
19世紀に再建されたもの。
この大広間に魅かれたバイエルン王ルートヴィッヒ2世がノイシュヴァンシュタイン城を造るキッカケになったとも言われています。
現在は普通にコンサートなど開かれています。 -
ルーカス・クラナッハの聖母子像。
(光が反射して見難い写真でスミマセン…。)
ワイマール編でも述べましたが、ルターとクラナッハは親友でした。 -
クラナッハの聖母子像。
1517年ごろザクセン選帝侯が首都であったヴィッテンベルクに大学を造った際、ルターは大学教授として招かれました。
丁度その頃ルーカス・クラナッハも同じくヴィッテンベルクに工房を構えていたそうです。 -
リーメンシュナイダー工房作、燭台を持つ天使。
ヴュルツブルクで活躍したリーメンシュナイダーもルターと同時代を生きた芸術家です。 -
リーメンシュナイダー作といわれるマリア像。
-
ルターの部屋に通ずる渡り廊下。
1521年、ヴォルムスの帝国議会で頑として自説を曲げなかったルターは異端宣告をされ追放されます。
それをザクセン選帝侯ルードヴィヒ3世はヴァルトブルク城に匿います。
(その項は拙記 2010年初夏 ヴォルムス編に書いております) -
渡り廊下に続く小部屋で、ルターは1521年5月から10ヶ月間、ユンカー・ヨークと偽名を使い滞在しました。
その間に旧約聖書をドイツ語に翻訳するという偉業を成し遂げました。
小部屋の内部は撮っていませんが、部屋の入口には世界遺産マークがありました。 -
見学が終わり駐車場に向かいます。
足が痛いと言うシニア仲間がいたので二人でタクシーで降りました。
一人2ユーロ。
でも歩いて降りた人の方が早く着いていました。 -
アイゼナッハからフランクフルトに移動します。約200キロメートル。
途中のトイレ休憩で寄ったサービスエリア。
ツアーバスはアウトバーンの要所要所にあるサービスエリアでトイレ休憩を取ります。
ちょっとしたお土産なども買うことが出来るので、こうい所でのトイレ休憩はツアー参加者には大好評です。
街中のスーパーに比べると値段は凄く高いけどね…。 -
フランクフルトに着きました。
ツアー最後の夕食はザクセンハウゼンにあるダウト・シュナイダーという雰囲気のいい居酒屋。
もちろんフランクフルト名物アプフェルバイン(りんご酒)をいただきます。
現地の方々と同じテーブルを囲んで賑やかでした。 -
お料理はドイツ風餃子、マウルタッシェン。
やっぱり旅の最後は皆さん寂しそうでした。もう少し旅を続けたい、って言っていました。
私にとってもいろいろな意味で本当に印象に残る楽しい旅でした。
ツアーの皆さん、仲良くしてくださって本当にありがとうございました。 -
食事が終わってザクセンハウゼンで迎えのバスを待ちます。
夜8時半過ぎなのにドイツはまだこの明るさです。
いよいよ明日からツアーの仲間とは空港で別れて、正真正銘の一人旅が始まります。
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