2011/02/11 - 2011/02/11
161位(同エリア1064件中)
エンリケさん
インド旅行3日目。
午前中のジャイプール観光を終え、午後は旅の最後の目的地、タージ・マハルのあるアグラへ。
途中、アグラ近郊ではムガール帝国のアクバル大帝が築いた古都ファテープル・スィークリーの宮廷地区をまわったり、アグラではタージ・マハルにまつわる劇を観賞したりと、比較的おとなしめの観光でしたが、翌日のタージ・マハル観光に向けいい予習になりました。
<旅程表>
2011年
2月 9日(水) 成田→香港→デリー
2月10日(木) デリー→ジャイプール
○2月11日(金) ジャイプール→アグラ
2月12日(土) アグラ→デリー→
2月13日(日) →香港→成田
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 3.0
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- キャセイパシフィック航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
2月11日(金)
午前中のジャイプール観光を終え、市内のレストランで昼食(当然カレー)をとった後、東へ約230km離れたアグラへ向かいます。
アグラ近郊(市の中心部から南西へ37km)では世界遺産の古都ファテープル・スィークリーに立ち寄る予定。
ハイウェイを飛ばして3時間ほどの道のりです。
車窓からは相変わらずインドらしい“なんでもあり”な景色が目に飛び込んできて、長い移動時間を楽しませてくれます。
写真は唐の時代に中国に伝わり孫悟空のモデルになったともいわれるヒンドゥー教の猿神ハヌマーンの巨像。
なんだか日本でもよく見る巨大仏像のようです。 -
こちらは5人乗りのバイク。しかも全員ノーヘル。
日本ではこんな発想とてもできません・・・。 -
ハイウェイでは物を引いているラクダもよく見かけました。
このラクダも車代わりに使うのでしょうか。
向こうには黒い煙を上げる煙突が見えますが、これはレンガを焼いているのだそうです。 -
15時40分、ジャイプールから約3時間かかって、アグラ近郊のファテープル・スィークリー(Fatehpur Sikri)に到着です。
もともとここはスィークリーという小さな村でしたが、ムガール帝国第三代皇帝で大帝とも呼ばれるアクバル(在位1556-1606年)が、ここに住む聖者シェーク・サリーム・チシュティーの予言によって男子(後の第四代皇帝ジャハンギール)を授かったとして、都が建設されることになりました。
3km×1.5kmの敷地を城壁で囲み、中央の丘に宮廷やモスクを配置したこの都は5年の歳月をかけて造られ、1571年にアグラから遷都が行われました。
そして1573年、西インドのグジャラート地方に遠征して勝利を収め、領土を拡大したアクバル大帝は、この地に凱旋した際、この勝利を記念して、新都を“ファテープル(勝利の都)・スィークリー”と名付けたのです。
さて、世界遺産に登録されている宮廷地区やモスク地区へは直接ツーリストカーでは行けず、2kmほど離れた駐車場に止めさせられ、そこからオートリクシャーに乗り換えて行くことになります。
地元のリクシャー業者の声が強いのでしょうか。
初めて乗るオートリクシャーは意外にも音がうるさく、また振動も激しいので、とても快適な乗り物とは言えませんでした。 -
ファテープル・スィークリーの宮廷地区に到着です。
早速入ってみます。
400m四方の比較的狭い敷地の中に多くの建物が林立していますが、低層のものが多く、ややゆったりした雰囲気です。
建物は木造のようにも見えますが、すべて赤砂岩で造られています。
アクバル大帝は1571年にこの地に遷都したのですが、わずか14年後の1585年にこの都を放棄して現パキスタンのラホールに再遷都してしまったため(水不足が原因とも、不安のあった辺境に備える戦略的理由とも)、当時の建物がそれほど傷まず残されました。
(首都放棄後、赤砂岩を資材として売るために建物が人々に壊されていたのを、イギリス統治時代に復元・保存したという話もあるようです。)
前方に見えるのはアクバル大帝の妃でジャハンギールの母、ラージプート族のカチワーハ家から嫁いできたマリアム・ザマーニー(Mariam-uz-Zamani、ジャイプールのアンベール城を建造したマン・スィン1世の叔母)の館。
かつては黄金などで装飾されていたそうです。
この館を含め、かつてきらびやかであったろう装飾が現在では失われ、建物はすべて赤砂岩の味気ない姿で、取り立てて目立ったものがなく、全体的にパンチ力に欠ける印象も・・・。 -
マリアムの館の脇にはジョド・バーイー殿(Jodh Bai Ka Mahal)とよばれるアクバル大帝の後宮があります。
“ジョド・バーイー”というのはアクバル大帝の子で第四代皇帝ジャハンギールの妃の名前ですが、後代、アクバル大帝の妃マリアム・ザマーニーが誤ってこの名で呼ばれ、後宮の名前までこの名がつけられるようになったようです。
【参考:Wikipedia Mariam-uz-Zamani】
http://en.wikipedia.org/wiki/Mariam-uz-Zamani -
ジョド・バーイー殿に入ってみました。
四角い中庭を四方から建物が囲んでいる、ペルシア風チャハール・イーワーンのスタイルですが、囲んでいる建物はイーワーンではなく列柱ホールであったり、深い庇(ひさし)が出ていたりするところにヒンドゥー様式の影響を見てとることができます。 -
インド風のチャトリや庇(ひさし)のある、明らかにイスラム様式とは異なった建築様式です。
アクバル大帝はイスラム教を奉じるムガール帝国の皇帝ながらも、インドに領土を拡大するにあたってヒンドゥー教徒など非イスラム勢力との融和を図り、それまで非イスラム教徒に課されていた人頭税を廃止したり、自らもヒンドゥー教徒やキリスト教徒から妻を迎えるなどしました。
(ラージプート族カチワーハ家のヒンドゥー教徒の妻から生まれた子が第四代皇帝ジャハンギールとなったのは前述のとおり。)
新都建設にあたってもその思想は反映され、イスラム様式をベースにヒンドゥー様式を取り入れたその建築様式はいわゆる“アクバル様式”と呼ばれています。 -
列柱群にも装飾や持ち送りなどにヒンドゥー様式の影響が見られます。
このようにアクバルは領土を拡大する一方、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の融和を図ったことから、ムガール帝国で唯一“大帝”と呼ばれ、現在でもインド人に人気があるようです。
一方で、アクバルが廃止した非イスラム教徒への人頭税を復活させ、イスラム至上主義をとってヒンドゥー勢力の離反を招いた第六代皇帝アウラングゼーブは隣国パキスタンで人気があるとか・・・。 -
日本人の感覚では木造建築に見えてしまいますが、すべて赤砂岩を使っている、堅牢な石造りの家です。
どちらかというと地味な世界遺産だからでしょうか、それとも16時を回って夕暮れに近づいているせいでしょうか、観光客は少なく閑散としています。 -
続いて皇帝の寝所ハーブガー(Khwabgah)へ。
現在は壁はなく、赤砂岩の列柱がジャングルジムのような姿でむき出しのまま残されています。 -
皇帝の寝所の脇には池や小亭がめぐらされ、涼やかな印象を醸し出しています。
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寝所の中にはこのようなイスラム風のアーチもあります。
さすがに自分の寝所だけあって、少しでもイスラム様式に回帰したかったのでしょうか。 -
アクバル大帝が寝ていたというベッドです。
赤砂岩のベッドはひんやりとしていそうで、夏の時期はいくらかでも涼しく過ごせたでしょうか。 -
皇帝の寝所を出ると、目の前にはパンチ・マハルと呼ばれる五層閣と、ディワーネ・カースと呼ばれる貴賓謁見の間が一望できる景色が開けてきました。
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皇帝の寝所の前にある池の周りには小亭や回廊がめぐらされており、これらはアヌープ・タラーオ(Anup Talao)と呼ばれています。
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小亭の柱や梁、持ち送りにはひとつひとつ細密模様が刻まれています。
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小亭の天井や壁にもこのような幾何学模様が。
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壁の一角には動物を描いたレリーフもありましたが、ガイドによると、後の時代に偶像崇拝を禁じるイスラム至上主義者によって顔が削り取られてしまったのだそうです。
・・・ということは、アクバル大帝によりこの都が放棄された後も、何者かがこの場所を使っていたということでしょうか。
謎は深まります。 -
宮廷地区で一際目を引くパンチ・マハル (五層閣)の前までやってきました。
頂部にはヒンドゥー建築おなじみのチャトリが載っています。
先ほどの皇帝の寝所の入口と同様に壁がなく、アーチも用いずに柱や梁、庇(ひさし) で構成された独創的な建物となっています。
かつては透かし彫りのスクリーンで覆われ、女性たちが展望や涼を取るためにも使ったそうです。
建物の前には大きく十字形に方眼が刻まれた庭(パチシ・コート)が広がっており、アクバル大帝は人間を駒に見立てたインドの古いチェス・ゲーム“パチシ” に興じていたそうです。
宮廷の記録によると、ときには、一度に200人もの競技者がゲームに参加したこともあったとか。
駒になったのは奴隷とも宮廷の女性とも言われていますが、いずれにしても皇帝ならではの道楽ですね・・・。 -
宮廷地区のいちばん奥(北)にはディワーネ・カースと呼ばれる貴賓謁見の間がありました。
この建物にも、チャトリや庇、持ち送りなどのヒンドゥー様式がふんだんに取り入れられています。 -
こちらはディワーネ・カースの脇にある宝物殿。
アーチが象の鼻(?)のかたちをしていてユニークです。 -
ディワーネ・カースの内部はこのファテープル・スィークリーの建物群の中でも最も特徴的な構造をしており、見逃せないポイントになっています。
ここは宮廷地区の政務部分にあたり、吹き抜けの室内の中央には、ブドウの実のような房状の装飾が彫刻された高さ7mの柱がそびえています。
この柱の上には二階の回廊の四方から延びる橋で渡れる構造になっており、アクバル大帝がここに立って貴賓や賢人を迎えたものと推測されています。 -
ディワーネ・カースのさらに先には貯水池があるほか行き止まりで、この都のある高台からファテープル・スィークリーの街や田園風景が見渡せるようになっていました。
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16時30分、30分ほどで宮廷地区の見学を終え、オートリクシャー乗り場(といっても道端ですが)へ戻ってきました。
この写真は途中あったゴミ箱。
なんとなく色や形がファテープル・スィークリーの建物と調和していて面白いですね。 -
このファテープル・スィークリーには宮廷地区とあわせてモスク地区もあり、そちらにはアクバル大帝が1573年にグジャラート地方を征服した記念に建立された高さ54mのアジア最大級の凱旋門であるブランド門(Buland Darwaza)や、オールドデリーにあるものと同じくインド最大級を誇る金曜モスク(Jama Masjid)など、見どころも多いのですが、時間の都合上、残念ながら木の向こうに見える姿をチラリと見るにとどめて後にします。
ちなみに、モスク地区は自称ガイドや執拗な客引きが多く出没するなど、トラブルが起こるケースが多いからパッケージツアーではあまり案内しないんだとか。本当でしょうか。
【参考:世界遺産 ファテプル・シクリの注意点】
http://ameblo.jp/his-delhi/entry-10803575988.html -
オートリクシャーに乗ってツーリストカーのある駐車場へと戻ります。
途中、こんなぎゅうぎゅう詰めのリクシャーを目撃。
よく見ると車の右側から反対方向を向いた手や足がはみ出しています。
いったい何人乗っているのでしょう?? -
ツーリストカーに戻ってあとは一路アグラへ。
走ること約40分の17時20分、日が暮れる前にアグラ市内にやってきました。
夕食の買い込みでしょうか、露店の野菜売り場には鮮やかな民族衣装を着た女性の姿を多く見かけました。 -
高級自動車、ボロい自転車、野良牛、ワイシャツ姿の露店の野菜売り・・・カオスのようなインドを象徴するワンショット。
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アグラ市内にはあちこちに野良牛が。
撮った写真を見返すと、常に草を食べています(笑)。
デリー、ジャイプールと見てきましたが、アグラがいちばん野良牛の数が多いですね。
ちゃんと車をよけて道路の脇を歩いているのもけっこうスゴイ。 -
アグラ市内はこのようにきちんと舗装されているところもありますが、まだまだ土がむき出しになっているところも多いです。
この翌日に通ったタージ・マハルへ向かう道路が泥だらけのでこぼこみちでした。
デリーやジャイプールよりもインフラ整備が遅れている印象です。
道路脇にはリアカーの露天商のほか、青空床屋も見かけました。 -
さて、この日はこれで観光終了なのですが、タージ・マハルにちなんだおもしろい劇があるとガイドに教えてもらい、観に行くことにしました。
“kalakriti”というところで18時30分から始まるというので、ホテルに荷物を置いて向かいます。
タージ・マハルをイメージした赤光りしている怪しい建物が入口です。 -
会場内は撮影禁止のためパンフレットをご紹介。
劇の内容はムガール帝国第五代皇帝シャー・ジャハーンとその妃アルジュマンド・バーヌー・ベーガム(ムムターズ・マハル)の愛の物語で、アルジュマンドが亡くなってタージ・マハルが建てられるまでを物語化しています。
時間は80分で、話の途中途中にインドらしい踊りも取り入れられています。
座席には、日本語など各国の翻訳が流れるヘッドフォンも付いています。
日本語訳はところどころカタコトの口調でしたが(笑)。
【kalakritiのHP】
http://www.kalakritionline.com/Kalakriti-Taj.htm -
こちらは看板から。
居並ぶ群臣に遠征の指示を出した後、アルジュマンドに愛を語るシャー・ジャハーン。
昔流行ったコーエーの歴史シミュレーションゲーム、“青き狼と白き牝鹿”の“オルド”のようです(笑)。
ムガール帝国の皇帝はチンギス・ハーンのDNAを受け継いでいるせいか、どうしても思い起こしてしまいますね・・・。
*劇中、彼女は一般に通用している“ムムターズ・マハル”ではなく本名の“アルジュマンド”と呼ばれていたので、ここでもそう呼ぶことにします。 -
14人の子を産んだ後、産褥熱に侵され、シャー・ジャハーンの腕の中で息を引き取るアルジュマンド。
-
アルジュマンドの死により髪が真っ白になりながらも、彼女への永遠の愛をかたちにするため、シャー・ジャハーンが22年の歳月を費やして建造したタージ・マハル。
その後シャー・ジャハーンは帝位を狙う息子アウラングゼーブによりアグラ城に幽閉され、その一角でタージ・マハルを眺めて寂しい生涯を終えますが、彼の死後タージ・マハルは永遠のものとなり、出演者が踊り始めて大団円を迎えます。
踊りは出演者のシンクロ率が低かったりと、中国で見るようなものと比べて技術上の低さは否めないですが、出演者の表情や踊りの内容が明るく希望に満ちている印象で、最後はインド国旗が登場して“India!India!”と連呼するまさに“インド礼賛”といった内容で、観る者を元気にさせてくれる楽しいものでした。
劇の終了後、満員の客席からは拍手の嵐。
壇上ではシャー・ジャハーンやアルジュマンド役を演じた俳優との記念撮影もできます。もちろん有料ですが・・・。
ちなみに、この劇の最後には、看板にもあるような精巧なタージ・マハルのミニ・レプリカが現れるのですが、これは本物と同じように大理石を用い、10年をかけて造られたたいへん貴重なものだそうです。 -
20時、劇が終わって夕食へ。
途中、道端では結婚式が催されており、明るい照明や音楽隊の演奏にひかれてたくさんのひとが集まっていました。
こういう結婚式も街のひとみんなに祝福されているようでなかなかいいものですね。 -
夕食はツアーのメンバーが泊まっていた別のホテルで。
当然カレーですが、何度食べても飽きません(笑)。
食後に飲むチャイの味も忘れられませんね。
ちなみにこのホテルでは今回のインド旅行初の停電を経験しました。
一瞬で復旧しましたが。 -
夕食後の21時30分、アグラでのホテル、ヤムナー・ビュー(Yamuna View)へ。
事前のネット情報ではあまりいい評判が書き込みされていませんでしたが、ロビー、部屋ともきれいで朝食もおいしく、とてもいいホテルでした。
入口ではインドらしい制服のガードマンが待ち受けていて、快く撮影に応じてくれもします。
匿名のホテル情報サイトはあまり信用できませんね。 -
参考までにホテルの中をご紹介。
最近改装が終わったばかりなのか、内装はとてもきれいで新しく感じました。 -
部屋もこんな感じできれいです。
ただし、“ヤムナー・ビュー”という名前にもかかわらず窓や屋上からはヤムナー川は見られません。
もちろんタージ・マハルも・・・。
その辺りがちょっとイマイチかもしれません。 -
一日の最後に恒例の(笑)“印流ドラマ”を観賞。
ここでも民族衣装のインド美人が登場して、言葉は分からないながらも表情や仕草からなんとなくストーリーが分かり楽しめます。 -
男優、女優とも白い肌のひとが人気のようですね。
インドでも美白は重要?
民族衣装の美人が登場するドラマにひかれるのは、外国人が日本の大河ドラマや時代劇を好きな感覚と似ているのかも。
さて、いよいよ翌日は今回の旅のメイン、タージ・マハル観賞です!
(アグラ観光2日目へ続く。)
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