2011/03/03 - 2011/03/03
2405位(同エリア4164件中)
杏仁豆腐さん
三ノ輪駅を出発して、竜泉を巡り、一葉記念館を訪ね、吉原を歩き、土手の伊勢屋で天丼をいただきました。
http://4travel.jp/traveler/19563147/album/10550529/
天丼でお腹いっぱいになった後は、向島めざして歩きました。
時折、見え隠れする東京スカイツリーを眺めながら、隅田川、向島百花園へ。
向島百花園では、梅とスカイツリーの共演です。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
PR
-
土手の伊勢屋から午後の部のスタートです。
-
604m
-
吉原大門の交差点からこ吉原方面への道はS字カーブになっています。
将軍がここを通る時になどに、街道から遊廓を見通せないようにS字にしたとか。 -
歩いていると、時折、スカイツリーが姿を現わします。
-
地方橋の交差点に来ました。
-
地方橋は、かつての山谷堀に架かっていた橋で、山谷堀が埋め立てられた現在も(山谷堀公園となっている)橋柱だけは残っています。
-
-
地方橋からのスカイツリー。
-
隅田川に来ました。
隅田川の流れとスカイツリーはいいものですね。 -
-
隅田川沿いをスカイツリーを眺めながら、歩きます。
-
白髭橋を渡ります。
-
首都高速6号線とスカイツリー。
-
向島百花園に着きました。
江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804〜1830年)に造られた花園です。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢(さはらきくう)。交遊のあった江戸の文人墨客(ぶんじんぼっかく)の協力を得て、元旗本、多賀氏の屋敷跡である向島の地に、花の咲く草木観賞を中心とした「民営の花園(かえん)」を造り、開園しました。 -
開園当初は、100本のウメが主体で、当時有名だった亀戸の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです。その後、例えば、ミヤギノハギ、筑波のススキなど詩経、万葉集など中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにしました。「百花園」の名称は、「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものです。
百花園は当時の一流文化人達の手で造られた庶民的で、文化趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった美しさを持っています。
民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に最後の所有者の小倉未亡人から東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で制限公開しました。なお、昭和53年10月に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けました。 -
2月5日(土)〜3月6日(日)まで、梅にゆかりのある向島百花園では、「梅まつり」を開催しています。
-
園内には、29の句碑、石柱が随所に立っています。
日本橋石柱です。 -
池とスカイツリー。
-
-
御成座敷です。
-
-
-
いろいろな種類の梅がきれいに咲いていました。
-
-
-
水琴窟がありました。
-
スカイツリーの出現によって、向島百花園からの風景も変わりました。
-
東向島駅に行く途中に、スイートサンクチュアリーISOに寄りました。焼き菓子などを購入。
ミニヨンフロマージュも購入ましたが、家に帰って、袋の中を見ると、なんと入っていませんでした。レシートで確認したら、料金は取られていませんでした。
お持ち帰り時間まで聞かれて、入れ忘れるとは......。 -
チョコレートの焼き菓子です。
ミニヨンフロマージュが残念です。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
29