2011/02/26 - 2011/02/28
54位(同エリア94件中)
ハンクさん
ハイデラバード旧市街の観光を午前中に終えて、午後は約7km南西にあるゴールコンダ要塞を訪れた。巨大な花崗岩の3重壁で取り囲まれた要塞で、そのスケールに圧倒される。万里の長城にたとえる人もいるようだ。前編に書き忘れたが、空港から8時-20時でタクシーをチャーターして交渉の結果1800ルピー、実際には19時帰着でチップやら駐車代やらで2200ルピーほど。相場であろう。
もともと前王朝により1143年に建てられた泥の砦であったが、その後クトゥブ・シャーヒー王国のイブラーヒーム・クリー・クトゥブ・シャーおよびその息子ムハンマド・クリー・クトゥブ・シャーの治世62年間に要塞へと強化、拡充された。要塞は高さは122mの孤立した花崗岩の丘の上に、今も壮麗にそびえ建っている。
技術屋として興味あるのは、当時としては画期的な陶器製パイプを利用した給水システムが要塞内に存在したことである。このシステムにより飲料水は勿論、いくつかの噴水も要塞内に作られていた。さらに、この要塞はユニークな通信システムを持っており、正面玄関のアーチの下で手を打つと、アーチの反響効果により30-40m以上離れた別の地点へ、その音が明瞭に伝わる。ここで手を打つと、この音響効果は現在も機能していることを実際に確かめることができる。また、王の謁見バルコニーには、刺客の攻撃から王を守るためのさまざまな工夫がされていると言う。現代インド人よりもよほど緻密な施工を行ったのではなかろうか?(おっと失礼!)
要塞を守る絶壁は、難攻不落の絶壁として長年機能した。中でも要塞の南側にある稜堡は、当時ムガル帝国王子だったアウラングゼーブ率いる1656年のムガール帝国第二次遠征軍を防ぐために、アブドゥル・クトゥブ・シャーの将軍だったムーサー・カーンによって設計され、建築家のダーマチャールによって増設されたものである。しかし、総攻撃を受けたゴールコンダ要塞はついに陥落したそうだ。今日、遺構となったゴールコンダ要塞は、「兵どもの夢の跡」となっている。
途中にヒンドゥー寺院があり、インド神話に登場する血と酒と殺戮の女神カーリーが描かれており再び驚かされる。このえげつなさに比較すれば、イスラム文化の方に好感を持ってしまうのは私だけだろうか?また、ヒンドゥー寺院の上にある明らかに牛の形をした岩を見て考え込んでしまった。これがインドにおけるイスラム教とヒンドゥー教の共存の形なのだろうか?
2月末とは言え、気温は軽く30℃を超えており、炎天下で階段を登るのはかなりきつい。ここを目指す方は季節を選んで、水をお忘れなく。
ゴールコンダ要塞から約1.5km北西に「7人の王の廟」がある。実際には10ほどの廟があり、説明の看板と一致していないのが、インド的である。いずれも、はすの葉や芽をあしらった装飾を持つ台座に、たまねぎ型のドームを持っている。時代的には、ムガール帝国の全盛期に建設されたタージ・マハールよりも、150年ほど先行して建設が始まった。イスラムの廟建築のルーツを見ることができる。
遺跡や景色の写真を撮っていると、子供たちが人懐っこく話しかけてくる。中にはアイスクリームを食べながら、写真を撮って、とせがんでくる。イスラム教国では人物の写真を撮ることはご法度であることが多いが、ここハイデラバードではイスラムの掟はすでに過去となっているのであろう。もちろん、黒いヴェールで身を包んだ女性の写真を撮ることはしなかった。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- タクシー 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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入り口にあるゴールコンダ要塞のガイドマップ
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要塞に上る道
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下から堅固な要塞を一望する
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まさに難攻不落の要塞の絶壁
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城門の入り口、上部の穴は敵兵に熱した油を浴びせるためであるという
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要塞には30分ほど階段を登る、2月とはいえ炎天下ではかなりきつい。水をお忘れなく!
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途中にヒンドゥー寺院があり、インド神話に登場する血と酒と殺戮の女神カーリーが描かれており、再び驚かされる。このえげつなさに比較すれば、イスラム文化の方に好感を持ってしまうのは私だけだろうか?
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ヒンドゥー寺院の上にある明らかに牛の形をした岩を見て考え込んでしまった。これがインドにおけるイスラム教とヒンドゥー教の共存の形なのだろうか?
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遠くに新市街の高層ビル街が見える、ハイデラバードの発展により日本企業の進出も目覚しい
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頂上の城郭からの眺め、万里の長城を思わせる城壁が見える
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アーチ構造の城壁の通路、ローマの遺跡ほどではないが、当時の緻密な建設技術が伺える
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他のイスラム教国では写真撮影されることを好まないが、インドでは寛容なようだ
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イチオシ
アイスクリームを手に楽しそうな子供たち
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気軽に撮影に応じてくれた家族、明らかにイスラム教徒ではない
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インド人にとって携帯電話は片時も手放せない
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意外にもソーラーシステムによる照明灯が設置されている
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アイスクリームを手に笑顔の子供たち
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気軽に撮影に応じてくれた親子、子供たちは笑顔でいっぱいだ
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「7人の王の廟」の説明、1518-1687 AD建設とある。タージ・マハールの完成は1653年であるからまさに同時代である
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初代王スルタン・クトゥブ・シャー廟(1518−1543)
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4代王モハメッド・クトゥブ・シャー廟(1580−1612)
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5代王スルタン・モハメッド・クトゥブ・シャー廟(1612−1626)
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6代王アブドゥル・クトゥブ・シャーヒ廟(1626-1672)
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7代王ニルザ・ニザムディン・アハメッド廟(1672-1687)、未完成である
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上記スルタンの廟の内部、王の棺が中央に埋め込まれているだけで何の装飾もない
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どの王か不明であるが王妃と葬られている
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こちらもどの王かは判読不明
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バクシ・ベグムの廟、彼は王ではなくこの廟は「7人の王の廟」の外にある
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