1990/05/04 - 1990/05/05
260位(同エリア986件中)
がおちんさん
昆明から留学生仲間と週末旅行へ行きました。
昆河鉄道に乗るのが目的の気軽な旅です。
翌朝、開遠からバスで蒙自に向かう途中、街道沿いに苗族の村を見つけたので、ちょっと寄り道しました。
旅行ルート:昆明-開遠-蒙自-箇旧
-
1990年5月4日(金)
雲南民族学院の先輩留学生から、「昆河線に乗って開遠まで行くんだけど、一緒に行きませんか?」と誘われ、同行することに。
この鉄道は昨年まで外国人は乗車できなかったが、
ついに対外開放されたそうだ。
切符は日本では懐かしい硬券。ペラペラの紙より存在感がある。下の白い切符は寝台券。
それにしても運賃が安い。 -
寝台券の裏に座席番号が書かれた紙をのりで貼られる。
今回は贅沢に軟臥(1等寝台)に乗車するのだ。 -
昆明北駅。
22時45分発の313次普快(急行)列車に乗り込む。
乗客は少なく、ひっそりとして中国らしくないが、
女性服務員の態度の悪さに「やはり中国」だと安心する。
軟臥は乗車中パスポートを車掌に預けなければならず、
かわりに金属のフダを渡されるという、変なシステム。
何のためだか知らないが、この面倒くささが中国旅行の真骨頂。 -
昆河鉄道は中国でも珍しい狭軌鉄道(メーターゲージ)ということだが、JR在来線より67ミリ狭いだけだ。しかし、中国の一般的な寝台車(標準軌)と比べると車内は狭く、体の大きな人には窮屈かもしれない。
列車はゆっくり走る。車窓の眺めが素晴らしいそうだが、今回は夜行なのでちょっと残念。
中国製の長城ワイン(辛口)で乾杯、談笑していると、いきなりドアがガラッと開けられ、公安らしき男数人が無言で立っていた。
男はこちらをジロジロと見回し、無言のまま去って行った。
共産主義的ウエルカムサービスだったようだ。 -
1990年5月5日(土)
翌朝、開遠に到着。
昔は阿迷州( 彝族の散居地)と呼ばれた開遠も、
今では立派な地方都市。
市内バスも3路線走っているそうだ。 -
朝の市内はのんびりしていて、ちょっと南国ムードが漂う。
歩道にはヨーグルト売りや油条などを売る屋台が立つ。 -
その昔、浅草の中映や新世界の前に、これと似たようなジューススタンドが立っていた。
一杯10円のオレンジジュースで、ワタナベの粉末ジュースのような味だったのを記憶している。
懐かしい気持ちになり、買って飲んでみると、「ゲーッ、変な味!」
あまりの不味さに、子供の頃の思い出はかき消され、眠気も覚めた。 -
革命的に不味いジュースのせいで、口の中が気持ち悪いまま、バスで蒙自へ向かう。
開遠から少し走った街道沿いに、少数民族の村が見えた。
途中下車して寄っていくことにする。 -
ここは麻栗坡(マリポ)村といい、苗族の暮らす集落だ。
民族衣装を着た子供が、水汲みの天秤をかついでいるのが見える。
(表紙の写真も同じ) -
水は重そうで、何度も休み休み運んでいた。
小さな子供には重労働だよな。 -
村には溜池があり、住民が洗い物をしている。
-
私たちの姿を見て、恥ずかしそうに走り出した苗族の娘。
-
ちびっ子たちが集まってきた。
子供もしっかり民族衣装を着ている。 -
どうしても照れてしまい、顔を隠す。
-
ぶかぶかの服を着て現れた女の子。
-
裸足の子も元気に遊んでいる。
-
開遠も開放されたことだし、この村を訪れる旅行者も増えるだろう。
-
村にある小学校の授業が終わった。
いすは各家庭からの持ち寄りらしい。 -
大声を出してポーズを決める小学生。
-
子供らしい笑顔の子供。
-
赤ちゃんを背負った先生(漢族)と帰宅する小学生。
先生は中国の切手(T9 郷村女教師)に出てくるような、可愛らしい「女教師」だった。 -
家に帰る先生を見送る生徒たち。
みんな先生が大好きのようだ。
なんか胸が温かくなる光景だった。 -
村を後にして、蒙自〜箇旧へと出た。
サマータイムと記された切符が懐かしい。
(夏時間制は1992年に廃止された) -
夜は焼豆腐をつまみながら白酒で乾杯。
田舎をふらっと旅すると、のどかさに出会えてうれしい。
農民姿で歩いた文山〜雲南をゆく1990 (8) に続く
http://4travel.jp/travelogue/10548026
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
24