1990/05/05 - 1990/05/07
216位(同エリア1019件中)
がおちんさん
苗族などの少数民族を見るため、文山へ。
当時、雲南省の東南部は未開放で情報も少なく、文山州は旅をしてみたいエリアのひとつでした。
ベトナムとの国境紛争の後だったので警備が厳しく、文山に着くまで3度もバスチェックがありました。目立たぬよう農民姿で出発したのですが、銃を持った軍人がバスに乗り込んできたときは、さすがに冷や汗が。
文山市内は軍用車が多く走って物々しい反面、のんびりと町を歩く少数民族の姿が印象的で、のどかさと緊張の混ざった不思議な旅となりました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
-
1990年5月6日(日)
昆明からオンボロバス雲南号に乗って11時間。
カルストの山に囲まれた地方都市、文山に到着。
乗り心地の悪さに加え、夜行だったのでかなり疲れた。 -
さらに疲労感を倍増させたのが、途中で受けた辺防検査。
これまで夜行バスで検査を受けたことはなかったが、今回は文山に着くまでに3回も検査があった。
最後の検査は軍によるもので、銃を持った兵士がバスに乗り込んできた。懐中電灯で乗客を照らしながら回り、何人かがバスを降ろされた。
身分証を見せろと言われたらアウトだったが、農民姿になっていたのが幸いしてか、私はセーフ。兵士の鋭い視線が怖かった。
降ろされた乗客が帰ってこないまま、バスは走り出した。
なんでだろう? 謎だ。 -
無事に文山に着いたものの、やはり普通の未開放地区とは異質な空気を感じる。
兵士を満載した軍用トラックや、葉っぱで迷彩をほどこした軍用車両を見かけた。おそらく中越国境紛争の関連に違いない。
ここから少数民族の村に行くつもりでいたのだが、ややこしいことになると困るので、今回は市内を歩くだけにした。 -
ズタ袋を担いで散策開始。
目立たぬよう、カメラは必要なときだけ取り出して撮影し、軍用車などは写さないように気をつけた。
文山は市内に盤竜江が流れ、橋の多い街だ。 -
赤ちゃんを抱えて歩く、苗族女性。
土ぼこりで茶色い文山の街に、民族衣装が映える。 -
今日は日曜日。
百貨商店の前は大勢の人でにぎわっていた。
ここでも目にするのは苗族だ。
ちなみに昼は停電するので店内は暗い。
それは昆明も同じだった。 -
グループで遊びに来ていた、苗族の娘たち。
しかし、もっと印象的だったのが右端の人物。 -
笠のようにかぶっているのは大きな鉄鍋だ。
中国ではよく見かける光景だが、これが最も効率よく運ぶ方法なのだろう。
そして彼が履いているのは、当時流行していた「紳士用ハイヒール革靴」。 -
アルタ前ならぬ、ロータリー前に立つ、苗族娘3人衆。
上着はきれいなブラウスを着ているところが、オシャレのポイントか。
私からすれば、見事な刺繍のスカートのほうに目が行くのだが。 -
こちらも素敵なスカートを身に着けた、姉さんトリオ。
手作りのため、よく見るとデザインが異なる。 -
橋の上を歩く女性の服装は初めて見た。
どの民族だろう? 彝族でもないし、チワン族とも違うな。
肩からさげた布のバッグは、荷物がたくさん入りそうだ。 -
街角にたたずむのは、おそらく彝族系のおばさん。
文山には民族衣装の人が多い。 -
河浜路にて。
街を行きかう少数民族。
雲南省らしい光景だ。 -
見事な刺繍の苗族女性。民族服は美しい。
ついでに帽子もかぶって東京を闊歩してほしいものだ。
個人的には奥の男性のかばんも気になる。 -
アイスキャンディーを落とさぬよう、細心の注意を払う 彝族の子供。
これまた素晴らしいデザインの服。
没個性になった日本人から見れば、うらやましい限りだ。
民族の誇りを持って、いつまでも漢化しないことを祈る。 -
路地に入ると、大きなザルやホウキを売る少数民族のオバサンがいた。
-
古い町並みが残る裏通り。
-
いつの間にか市場へ入り込んでいた。
-
隠し撮りは本当に疲れる。
いい加減、カメラをしまうのが面倒になってきた。
さっきも見かけた、この服装。
いったい何族なんだろう? -
街外れまで来た。
このへんから戻るとしよう。 -
なにやら人が集まっているので、行ってみた。
鳥を持ち寄り、鳴かしあいをしているのだった。
男のホビー、趣味の世界。
写真中央の人はアイス売りだ。 -
再び目抜き通りに戻ると、目立つグループを発見。
彝族かな? -
やはり彝族だった。
後方の洋品店は、停電でもしっかり営業中。 -
街を歩く彝族の女性たち。
今まで見たことがないデザインだ。
偶然、後ろに軍人を載せたトラックが写ってしまった。
それほど文山には軍用車が走っていた。
※ 余談だが、昆明から文山に来る途中の平遠鎮にも少数民族を見に何度か行ったことがある。中国でも最悪の無法地帯と化し、麻薬や武器の密輸基地となった悪名高い所だが、その武器は中越国境紛争のため通行する軍用車から盗んだものだったというから驚きだ。何も知らずにウロウロしていた自分が怖い。2年後の1992年、3000名以上の武装警察による831掃毒行動により、黒社会組織は壊滅、治安は回復した。 -
かごを背負った苗族。
おばさんも可愛く見えるのが民族衣装。 -
「父ちゃん、そろそろ帰ろう!」と言ってるようだった、 彝族の家族。
父ちゃんの尻当てとかばんの汚れかたが、リアルな農民を表していた。
私も農民姿をしてるけど、いくら似たような服を着てみても、本物にはかなわない。 -
午後、解放型トラックの荷台に乗って、村に帰らんとするチワン族の一行。
私もついて行きたいが、残念ながら今回はパス。
再び夜行バスに乗って昆明に帰った。
連日の長距離移動で疲れたけど、
文山散策は楽しかった〜。
服務員と行った建水・燕子洞〜雲南をゆく1990(番外編)へ続く
http://4travel.jp/travelogue/10618535
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この旅行記へのコメント (10)
-
- Ted@CiscoTours comさん 2011/04/06 15:16:11
- 彝族
- がおちんさん、こんにちは
良いですね、この雰囲気。
でも1990年から20年以上経ったいまは、まるっきり違った風景になっているのかもしれませんね。でも行って見たいです。
ところで「彝族」ってどう読むのですか?
Ted
- がおちんさん からの返信 2011/04/06 17:09:08
- RE: イ族です
- Tedさん、こんにちは。コメントをありがとうございます。
文山は2009年に再訪したのですが、すっかり都会になっていました。
旧市街には昔の面影も感じられましたが、民族衣装で歩いている人はおらず、ただ通り過ぎてしまいました。↓そのときの旅行記です。
http://4travel.jp/traveler/gaochin/album/10407503/
> ところで「彝族」ってどう読むのですか?
「いぞく」です。雲南省や四川省に多く暮らしています。
人情があって義理堅く、熱い心を持った人々です。今回の震災に関しても、彝族の友人や知人からは手紙や国際電話をいただきました。
- Ted@CiscoTours comさん からの返信 2011/04/07 14:55:12
- RE: RE: イ族です
- がおちんさん、こんにちは
2009年の旅行記みました。
まるで違う街になっているのですね。
「西洋化」が「近代化」と言うなら、ブータンのように近代化を拒むのも一つの生き方のようなきがします。
イ族って魅力的ですね。
また来ます。
- がおちんさん からの返信 2011/04/07 19:55:11
- RE: RE: RE: イ族です
- Tedさん
同感です。日本もそうですが、便利さと引きかえに人情や個性が失われ、損得勘定で生きる人間が増えるのが西洋化=近代化の現実ですね。
彝族をはじめ少数民族の人が、いつまでも個性を失わないでいて欲しいと願っているのですが、もうこれからの中国では無理かもしれません。
ヨセミテの旅行記、また拝見させていただきます。
がおちん
- 敏さん からの返信 2011/07/22 18:12:43
- RE: RE: イ族です
- がおさん
こんにちは!
雲南省麗江市寧蒗県出身のイ族です。
ルグフの文章を拝見しました。10年前のこととは言え、がおさんの文字を読むたび、ルグフでの思い出が生き生きと浮かんできます。
私もルグフが大好きです!
お会いできて嬉しいです!
機会があればぜひまた麗江へ足を伸ばしてください。
- がおちんさん からの返信 2011/08/05 11:24:41
- RE: 瀘沽湖
- 敏さん
はじめまして、がおちんです。
返事が遅くなってごめんなさい。
敏さんは寧蒗県出身なのですね? では小涼山彝族の方でしょうか。
実は、敏さんにコメントをいただいた7月22日より雲南へ行っており、本日帰国したところです。麗江から寧蒗への道が雨で不通となってしまい、急遽、攀枝花-盐源を経由して瀘沽湖へ旧友を訪ねてきました。
寧蒗では1990年の火把节に参加したことがあります。とても懐かしい思い出です。
近々、今回の旅行記も載せますので、また見に来てください。
- 敏さん からの返信 2011/08/18 11:43:00
- RE: 彝族
- > がおちんさん、こんにちは
返信ありがとうございます。
お話したとおり、寧蒗県は小涼山で、四川省は大涼山です。私は寧蒗県地元のイ族です。中学校二年の時麗江市へ引っ越してきました。今は北京で院生生活を送っています。
7月の末に私も寧蒗へ親友訪問に行ってきましたよ。麗江へ戻る途中、土石流が発生し、2時間も待たせて、いらいらした私はタクシーを拾って、また寧蒗方向へ向かいました。
機会があれば、私たちと一緒に火把节を過ごしましょうか。
- がおちんさん からの返信 2011/08/20 08:31:50
- RE: RE: 彝族
- 敏さん、こんにちは!
> 7月の末に私も寧蒗へ親友訪問に行ってきましたよ。
それは偶然ですね。ひょっとすると麗江あたりですれ違っていたかもしれないですね。
> 機会があれば、私たちと一緒に火把节を過ごしましょうか。
ありがとうございます。
寧蒗の火把节は、彝族や普米族・モソ人・藏族など、いろんな民族衣装が美しいですね。
がおちん
-
- captainfutureさん 2011/02/26 22:15:29
- 羨ましく拝見しました。
- >懐中電灯で乗客を照らしながら回り、何人かがバスを降ろされた。
>身分証を見せろと言われたらアウトだったが、農民姿になっていたのが幸
>いしてか、私はセーフ。兵士の鋭い視線が怖かった。
ひえええ。恐ろしいです。でも後に続く写真を拝見すると、やはり行って良かったですね。十分価値があったと思います。当時の未開放地区、大変興味深く拝見しました。20年の歳月で今はすっかり様変わりしてしまっているんでしょうね〜。
帰りも同じように銃を持った兵士の厳しい検査があったのでしょうか。
>父ちゃんの尻当てとかばんの汚れかたが、リアルな農民を表していた。
生活感がにじみ出ていて、本当にリアルですね。
一つの街に色々な民族がそれぞれに独自の文化を守りながら暮らして、又は行き来している姿はさぞ壮観だったと思います。まさに辺境の旅の醍醐味って感じですね。
次回作も楽しみにしております。
- がおちんさん からの返信 2011/02/27 22:02:28
- RE: 羨ましく拝見しました。
- captainfutureさん
こんばんは、がおちんです。
> ひえええ。恐ろしいです。でも後に続く写真を拝見すると、やはり行って良かったですね。
このときは本当に怖かったですが、行ってよかったです。未開放にもいろいろあって、経済的に貧しい(それを見られたくない)ためだったり、国境付近だったりしますが、国防的な理由の場合は特に厳しかったです。でも、そういう所に少数民族が住んでいたりするんですよね。
後日、面倒な目に遭うのが嫌で、地元政府を通して辺境の村に行ったのに、国境警備隊に拘束されたことがありました。結局は筋を通しても通さなくても、嫌な思いをさせられるのが中国だと悟りました。
それでも、当時の雲南は宝箱のふたを開けたような楽しさがあったので、あまり苦には感じませんでした。今のようになってしまうと、友人に会いに行く以外は行く気がしません。
> 帰りも同じように銃を持った兵士の厳しい検査があったのでしょうか。
いいえ、軍によるものはありませんでした。助かりました。
> 一つの街に色々な民族がそれぞれに独自の文化を守りながら暮らして、又は行き来している姿はさぞ壮観だったと思います。まさに辺境の旅の醍醐味って感じですね。
そうなんです。外部の情報はほとんど入らないし、観光化もされてなかったから面白かったんですね。当時の雲南はそういうところがまだ沢山ありました。
> 次回作も楽しみにしております。
ありがとうございます。次は瀘沽湖の予定です。自前サイトにも載せているので内容がだぶりますが、時間があるときにフィルムスキャンをしてアップします。よろしくお願いします。
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