2009/03/07 - 2009/03/07
609位(同エリア882件中)
フラワーさん
名曲「アルハンブラの思い出」しか知らないジジババ。この日はついにアルハンブラの思い出作りができます。午後からはコルドバでメスキータ見学。
今日はイスラム教とキリスト教の美しい混合装飾を堪能します。といえばスマートですけれども、キリスト教からイスラム教そしてまたキリスト教という(かなり大雑把ですが)宗教上の変遷によって必然的に混ぜあったのでしょう。
地域あるいは都市によってそれぞれの歴史がありますが、ジジババの頭には
入りきれませんでした。
写真はグラナダのアルハンブラ宮殿です。
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例のごとく朝の散歩にでかけました。6:30頃でしたがまだ夜が明けていません。
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広い通りにバスが走っていました。
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グラナダ市街の立派なカテドラル。
今日のコース、グラナダ・コルドバ・セビージャはアンダルシア地方にあります。
さまざまな歴史を経て、アンダルシアはいまやスペインが誇る見所いっぱいの観光エリアです。 -
アルハンブラ宮殿に入るところに置いてある大砲。
ここが要塞部分のアルカサバです。
13世紀前半レコンキスタ(キリスト教による国土回復運動)で勢いを増したキリスト教徒軍の侵攻にそなえて、宮殿のなかでも最初に建てられました。
すでにこの頃にはイスラム教徒支配がグラナダ王国のみとなっていましたから、まさに最後の砦といえるでしょう。 -
宮殿区域の入口です。
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まず円形の広場に迎えられます。
ここはカルロス5世宮殿です。レコンキスタが完了してから建造され、この中庭の周囲はアルハンブラ美術館と県立美術館になっています。
残念ながら見学できませんでした。 -
ここは入場できなかったライオン像の住まい。
と言いたいところですが、見所の一つの“ライオンの広場”の噴水が修復中のため噴水の周りにいる12頭のうちの1頭が、ここでお詫びしていたのです。 -
まるでレースのような精緻な模様の壁面。
これはすごい。 -
タイルもきれいです。
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文字(?)を取り込んだ文様。
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果物や植物をモチーフにした文様がたくさんあります。
これは何でしょうか? -
無題。
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回廊に囲まれたアラヤネスの中庭。
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この繊細な建築様式は実に見事です。
13世紀前半に、グラナダ王国ナスル朝ムハンマド1世によって着工されました。
その後170年かけていくつかの建物が造られて完成しました。 -
イスラム建築の最高傑作が随所に見られます。
この美しい宮殿は一方でもの悲しさを我々に伝えてきます。アラビア語で「赤い城」を意味するこのアルハンブラ宮殿は、1492年のキリスト教勢力によるグラナダ奪回をその目で見ていたのです。
その時、スペインにおけるキリスト教支配が完了したのです。 -
ライオンの中庭。
噴水修理中でした。 -
どこを見てもレースの壁と天井。
この文様は彫刻ではなく、壁が乾く前に木型を押し付ける方法で作られたとのことでした。
作るのも大変。見るのも大変。「首が痛くなっちゃうよ} -
絵になりますね。
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厨房の屋根です。
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これはなんだろう。調べました。
ワシントン・アーヴィング(1783〜1859)、アメリカの作家。
「現代アルハンブラ物語」の作者。アルハンブラ、イスラム教徒が咲かせた最後の華。その複雑な歴史と波乱万丈の運命の物語。
ということでした。 -
ヘネラリフェに行く間の庭園。
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糸杉をバックに途中の広場にて。
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城壁ではなく“宮壁”の一部分。
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途中はアップダウンがあります。
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振り返ると糸杉の向こうに宮殿が望まれます。
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ヘネラリフェは1319年に造られ、王族の夏の別荘として使用されました。
離宮と庭園からなり、アルハンブラ宮殿は谷を挟んだ丘の上に建っています。
このアセキアの中庭は、お花の咲く時季に訪れたいものです。
庭園内の噴水や水路には、グラナダの南に位置し3000mを越える山もあるシエラ・ネバダ山脈からの水が利用されています。 -
離宮の窓(?)から垣間見るグラナダの町。
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ヘネラリフェからの帰りに、その方向を眺めたところです。
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アルハンブラ宮殿の遠望。
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街並み一望。
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何をしている人たちなのか分りませんでした。
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帰り道、珍しいキョウチクトウのアーチの下を歩きます。
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出てから撮影しました。
これから入場する人たちが並んでいます。 -
コルドバへ向かいます。
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初めて見た黄色いポスト。
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途中で休憩した昔の駅を利用したスペイン風「道の駅」。
「三つで何々ユーロ」商魂たくましいお兄さん達がそれだけの日本語で、
オリーブ製品を販売していました。
貨車が置いてあり、結構賑わっていました。 -
田舎のレストラン。
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正面の丘はブドウ畑でしょうか。
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街道沿いの“HOSTAL”。アメリカのモーテルのような低価格のホテルです。
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バスの乗降場所近くの記念塔ですが、何を意味するのかは分りませんでした。
帰りにバスに乗るときに一人のスペイン男性が「アー ユー ハポン?」と話しかけてきました。「シー」。なんとその人の名はハポンさんなのです。運転免許証を見せてくれました。思わず握手をしました。
支倉常長(伊達政宗の家臣1571〜1622)は1613年に慶長遣欧使節団の長として十数人のサムライを率いてスペインからローマへ派遣されました。そのうちの何人かがスペインに留まり、その子孫がハポン姓を名乗っているというのです。アンダルシアの或る地域にはハポンさんが多くいるそうです。
この話は以前聞いたことがありますが、まさかハポンさんに会えるとは! -
グアダルキビル川に架かるローマ橋のたもとから進むと、もう右手にはメスキータがありますが、入る所はまだ先です。
グアダルキビル川は、昔はセビージャを拠点として大西洋に出る交易船を運んでいたそうです。 -
メスキータの高い外壁とアルミナールの塔。
ローマ時代以前から町を形成しかつての繁栄を物語るの古都コルドバ。
後ウマイア朝(756〜1031。史料や研究者はコルドバのウマイア朝とも呼んでいます)はイベリア半島に興ったウマイア朝(661〜750のイスラム王朝、首都はダマスカス)の再興王朝です。メスキータはその創始者の命で785年にキリスト教の聖堂があった場所に着工され、その後増改築が繰り返されて世界最大級のモスクになりました。 -
現在のモスクは10世紀後半に完成しました。
写真は円柱の森の一部分ですがなぜかいい写真がありません。
1236年にコルドバがキリスト教徒に再征服(レコンキスタ)されると、また聖堂として使われることになりますが、モスクに敬意を表し“円柱の森”などはそのまま保存されました。 -
モスクの中の十字架。
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マリア像です。
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ドームはあくまでもモスクのそれです。
しかもとても立派に出来ています。 -
文様からアーチ、色使いまですべてモスクのままです。
中をずーと歩いてみてとても不思議な、いままで見たことのない空間がそこにありました。
まさにキリスト教とイスラム教の同居・融和だと感じました。 -
こちらの礼拝堂はレコンキスタ以降に建築されたのでしょう。
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教会としても豪華な仕上がりです。
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メスキータのお庭。
カメラの日付は日本時刻のままですので、一日ずれています。あしからず。 -
メスキータをバックにローマ橋にて。
涼しいですがいいお天気に恵まれました。 -
ローマ橋のとなりの橋は少し古そうでした。
グアダルキビル川です。 -
バスからメスキータに 「アディオス」
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街歩きで寄ったお土産物やさん。
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小さい観光スポット“花の小道”。
遠くにメスキータのアルミナールが。
旅はこのあとバスで2時間、宿泊地のセビージャへ行きます。
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