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文学愛好家の方には、ここサンクトペテルブルクはドストエフスキーの聖地である。ドストエフスキー(1821−1881)はモスクワで生まれ、17歳の時にサンクトペテルブルクに移った。1849年には社会主義研究会に属していたという罪で銃殺刑を言い渡されたが、直前に死一等を減ぜられてシベリア送りとなった。オムスクで約10年間懲役刑生活を過ごしたあと、サンクトペテルブルクに戻ることができた。その後「罪と罰」(1866年)、「カラマーゾフの兄弟」(1880年)など多くの名作を発表した。サンクトペテルブルクには前述のネフスキー大修道院に彼の墓(写真1)があり、彼が住んだ家は博物館になっている(写真2)。<br /><br />私は長大なロシア文学は苦手で、長い長いロシア人の名前を覚えるのが特に難物であるが、「罪と罰」は若い頃に読んで感銘を受けた。文学ファンや研究者の間では、サンクトペテルブルクの主人公ラスコーリニコフの家や、金貸しの老婆を殺した家、ソーニャの家や盗んだ品を隠した家もすべて正確に特定されているそうで、江川卓氏は「謎解き罪と罰」にその地図を載せている。<br /> <br />この小説が書かれた当時の雰囲気は、大規模な区画整理によって失われてしまっている。ソーニャの勧めで大地に接吻し、殺人を告白して主人公の魂の浄化が行われたセンナーヤ広場(写真3)も、当時のランドマークだったウスペーニエ寺院はソビエト時代に破壊されてしまい、マクドナルド(写真4)が時代の流れを感じさせる。それでも今もここには大きな市場があり、当時の雑然として陰鬱な閉塞感と華麗な都市の裏の世界を垣間見ることができる。<br /><br />続いてプーシキンについて。プーシキン市はサンクトペテルブルクの南、ツァールスコーエ・セロのある町の名であり、また彼の名を冠する通りはサンクトペテルブルクにもモスクワにもあり、彼の像は至る所で見ることができる。サンクトペテルブルクの中心地、ここネフスキー通りにある文学カフェに立ち寄った時のプーシキン(写真7−9)。彼が住んだ家は現在博物館となっている(写真10)。プーシキンについての知識は皆無だったのであるが、グリンカの 「ルスランとリュドミラ」、チャイコフスキー「スペードの女王」、「エウゲニー・オネーギン」、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドノフ」などロシアオペラの主要作品が彼の作品を台本にしており、またフランス人との決闘で命を失うなど大変興味をそそられる人物であるため今回彼の足跡をたどってみた。<br /> <br />プーシキンは1799年生まれ、ロシア文学史上最高の詩人と言われ、ロシア人から大変愛されている。急進派として政府と衝突し、監視されるなど波乱の人生を送っている。1831年スウェーデン貴族の血を引く美貌で知られたナターリア・ゴンチャロワと結婚、4人の子をもうけた。(三女マリアはトルストイのアンナ・カレーニナのモデルになった)1835年ナターリアはフランス人の亡命士官、ジョルジュ・ダンテスと出会い、彼が彼女に言い寄ったため1837年プーシキンは彼に決闘を申し込んだ。決闘はペテルブルグ郊外の雪原で行われ、プーシキンはダンテスの撃った弾を右腹部に受けて倒れその2日後に亡くなった。37歳の短い生涯であった。<br /> <br />波乱万丈、という形容がふさわしい人生であったため、プーシキンは多くのロシア人から愛されており、サンクトペテルブルク(写真11)にもモスクワ(写真12)にも彼の像が立ち、プーシキン市やプーシキン広場、プーシキン通りなどが彼の名を冠しているわけである。<br />

サンクトペテルブルクの文学散歩:ドストエフスキーとプーシキン

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2008/12/10 - 2008/12/19

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ハンク

ハンクさん

文学愛好家の方には、ここサンクトペテルブルクはドストエフスキーの聖地である。ドストエフスキー(1821−1881)はモスクワで生まれ、17歳の時にサンクトペテルブルクに移った。1849年には社会主義研究会に属していたという罪で銃殺刑を言い渡されたが、直前に死一等を減ぜられてシベリア送りとなった。オムスクで約10年間懲役刑生活を過ごしたあと、サンクトペテルブルクに戻ることができた。その後「罪と罰」(1866年)、「カラマーゾフの兄弟」(1880年)など多くの名作を発表した。サンクトペテルブルクには前述のネフスキー大修道院に彼の墓(写真1)があり、彼が住んだ家は博物館になっている(写真2)。

私は長大なロシア文学は苦手で、長い長いロシア人の名前を覚えるのが特に難物であるが、「罪と罰」は若い頃に読んで感銘を受けた。文学ファンや研究者の間では、サンクトペテルブルクの主人公ラスコーリニコフの家や、金貸しの老婆を殺した家、ソーニャの家や盗んだ品を隠した家もすべて正確に特定されているそうで、江川卓氏は「謎解き罪と罰」にその地図を載せている。
 
この小説が書かれた当時の雰囲気は、大規模な区画整理によって失われてしまっている。ソーニャの勧めで大地に接吻し、殺人を告白して主人公の魂の浄化が行われたセンナーヤ広場(写真3)も、当時のランドマークだったウスペーニエ寺院はソビエト時代に破壊されてしまい、マクドナルド(写真4)が時代の流れを感じさせる。それでも今もここには大きな市場があり、当時の雑然として陰鬱な閉塞感と華麗な都市の裏の世界を垣間見ることができる。

続いてプーシキンについて。プーシキン市はサンクトペテルブルクの南、ツァールスコーエ・セロのある町の名であり、また彼の名を冠する通りはサンクトペテルブルクにもモスクワにもあり、彼の像は至る所で見ることができる。サンクトペテルブルクの中心地、ここネフスキー通りにある文学カフェに立ち寄った時のプーシキン(写真7−9)。彼が住んだ家は現在博物館となっている(写真10)。プーシキンについての知識は皆無だったのであるが、グリンカの 「ルスランとリュドミラ」、チャイコフスキー「スペードの女王」、「エウゲニー・オネーギン」、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドノフ」などロシアオペラの主要作品が彼の作品を台本にしており、またフランス人との決闘で命を失うなど大変興味をそそられる人物であるため今回彼の足跡をたどってみた。
 
プーシキンは1799年生まれ、ロシア文学史上最高の詩人と言われ、ロシア人から大変愛されている。急進派として政府と衝突し、監視されるなど波乱の人生を送っている。1831年スウェーデン貴族の血を引く美貌で知られたナターリア・ゴンチャロワと結婚、4人の子をもうけた。(三女マリアはトルストイのアンナ・カレーニナのモデルになった)1835年ナターリアはフランス人の亡命士官、ジョルジュ・ダンテスと出会い、彼が彼女に言い寄ったため1837年プーシキンは彼に決闘を申し込んだ。決闘はペテルブルグ郊外の雪原で行われ、プーシキンはダンテスの撃った弾を右腹部に受けて倒れその2日後に亡くなった。37歳の短い生涯であった。
 
波乱万丈、という形容がふさわしい人生であったため、プーシキンは多くのロシア人から愛されており、サンクトペテルブルク(写真11)にもモスクワ(写真12)にも彼の像が立ち、プーシキン市やプーシキン広場、プーシキン通りなどが彼の名を冠しているわけである。

旅行の満足度
4.0
観光
4.5
ホテル
3.5
グルメ
4.0
ショッピング
4.0
交通
4.0
同行者
社員・団体旅行
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
鉄道 タクシー 飛行機
航空会社
フィンランド航空

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  • アレクサンドル・ネフスキー墓地のドストエフスキーの墓

    イチオシ

    アレクサンドル・ネフスキー墓地のドストエフスキーの墓

  • ドストエフスキーの住んだ家、現在は博物館

    ドストエフスキーの住んだ家、現在は博物館

  • 「罪と罰」に登場するセンナーヤ広場

    「罪と罰」に登場するセンナーヤ広場

  • センナーヤ広場のマクドナルド

    センナーヤ広場のマクドナルド

  • ドストエフスキーの家に近いネフスキー大通り

    ドストエフスキーの家に近いネフスキー大通り

  • ドストエフスキーの家の近くの教会

    ドストエフスキーの家の近くの教会

  • 「文学カフェ」のプーシキン像

    「文学カフェ」のプーシキン像

  • 「文学カフェ」の入り口

    「文学カフェ」の入り口

  • 「文学カフェ」の外観

    「文学カフェ」の外観

  • プーシキンの家、現在は博物館

    プーシキンの家、現在は博物館

  • 「芸術広場」ロシア博物館前のプーシキン像

    「芸術広場」ロシア博物館前のプーシキン像

  • モスクワ、プーシキン広場のプーシキン像

    モスクワ、プーシキン広場のプーシキン像

  • マリインスキー劇場の「スペードの女王」

    マリインスキー劇場の「スペードの女王」

  • サンクトペテルブルク一の本屋「ドム・クニーギ」

    サンクトペテルブルク一の本屋「ドム・クニーギ」

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