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新幹線で新青森、青森の駅前ホテルに2泊して雪の町を散策。帰りは八戸に途中下車してせんべい汁昼食(別の旅行記です)という計画で、開通した新幹線にのってきました。 <br />表紙の写真は雪の善知鳥(うとう)神社です。<br /><br />食べたもの・食べなかったもの<br />◆ピカピカの新青森駅には黒石の「しる焼きそば」があるというので、並んで食べてみました。大きな鉄板で焼いたソース味のウドンと野菜を、皿にのせたら500円の黒石焼きそばで、丼にいれて汁をかけると600円のしる焼きそばです。ここの味はお奨めできません。味覚が破壊されます。<br />◆青森駅ちかくの A-ファクトリーで十和田牛のばら肉のスタミナ焼きを食べました。濃いめの味でしたが、これはよかった。ここにはいろいろと食べてみたいものがありました。<br />◆駅前通り1ブロックにあるアウガのビルには100円ショップも図書館も入っているので、いろいろと便利ですが、地下には「新鮮市場」があって生鮮食品だけでなく地場産品が並んでいます。ここには魚専門の食堂があり、ホテルから近いこともあって通いました。1月下旬には貝柱が素晴らしく美味でした。四色丼よりも三色丼がお奨めです。<br />◆もう一つの市場、有名な「のっけ丼」がある古川市場は 雪で行きませんでした。<br />◆工藤パンという有名店があります。行ってみようかと思いましたが、全国区の製パンチェーンに買収されたとのことで、地元の人は「つまらなくなった」と言っていたので行くのを止めました。<br />◆案内所には「食事どころ地図」がなく、いちいち覗いて見ることもできないので居酒屋には行けませんでした。<br /><br />歩いて訪れたところ<br />◆駅前の案内所でも、タクシーの運転手も教えてくれたので青森県の土産や展望レストランがある観光物産館「アスパム」を訪れました。三角の建物は AOMORIの A の形だそうです。ところが、入り口で「今日まで閉館です」と言われました。観光関係機関の情報交換がうまく行っていないということでしょうが、雪道を歩いていったのに腹立たしいことでした。<br />◆八甲田丸:青函連絡船が記念博物館として係留されていました。おそらく学芸員もいない博物館で「床の矢印にしたがって見学してください」と入場券売り場でいわれましたが興味も無いのに船底のエンジン室まで階段でおりて、階段をのぼってこないと帰れないなど順路設計が不親切です。レストランにはコーヒーとカレーライスしかないし、360度展望と書いてある最上階の煙突展望台まで到着したら展望台のドアに立ち入り禁止の張り紙がありました。入り口に張り紙してあれば600円も払って入場しなかったとおもいます。順路設計のやり直しと、入場料を無料にするのが適当です。<br />◆駅の近くの A-FACTORY :1階の半分は土産などの物産館で、残り半分は食事ができるようになっています。物産館には地場産品だけでなくミカンも売っていました。東京と同じ値段でした。2階にも食べ物屋がありました。いろいろと楽しい商品や食べ物があるので、ここはおすすめです。十和田牛のスタミナ焼きをたべました。<br />◆ワ・ラッセ(ねぶたの館):前年の代表的なねぶたを展示している・と聞きました。像の多くは武将で戦いの様子をハリコの像でつくっています。縄文文化が結晶したような力強さとともに、滅び行くものの怨念が表れている、とみたのは過剰な思い入れかもしれませんが、最後に展示されていた“安倍比羅夫”の像を見ていたら、火祭りが終わるときの寂しさの中で、ひたすらラッセラーと叫び、跳ね、踊る祭りの中に、消えゆく者の悲しさが含まれていると感じました。ここは時間をかけて見学したい絶対のお奨めです。<br /><br />◆善知鳥神社(うとうじんじゃ)(www.actv.ne.jp/~utou/)<br />社伝によれば19代允恭天皇の代、5世紀中ごろに現在の青森市が善知鳥村と呼ばれていたころ、善知鳥中納言安方が北国の夷人、山海の鬼を平定して創建し、坂上田村麻呂の東北遠征のおり再建されたといわれる。しかし、田村麻呂が当地まで遠征した史実はないそうです。<br />祭神は宗像(むなかた)三女神といわれる天照大神の娘3人で タギリヒメノミコト、イツキシマヒメノミコト、タギツヒメノミコト。宮司の説明では海運の都合で 宗像・海人族がここまで船で来たのだろう ということでした。<br />おなじ読みの棟方志功も青森のひとです。<br />昭和20年、アメリカ軍の爆撃で社殿は焼失し、現在の神明造りの社殿は昭和30年の鉄筋コンクリート製です。<br />いろいろな伝聞を総合すると、ヤスカタなる異人が青森に来て、この地に農魚業を伝えた。ヤスカタの後妻が「ウトウの前」で才知に長じ長命で生き神とされた、ということが事実でしょう。<br />農漁業をもたらしたというので、5・6世紀のヤマト王権が成立するころ、古墳時代?の人だと思われます。漁業も教えたというので宗像系の海人族なのでしょう。<br />斎明帝の世、安倍比羅夫の東征のとき、または桓武帝の世、坂上田村麻呂の東征(807年)のときに、ヤスカタの後裔安日の17代の孫が協力し、その功により勅勘を許されて中納言を贈官された、というのは後付けの貴種流離譚でしょう。なお、安倍氏には安日という人がいますし、安日彦という名も別の歴史に出てきます。。<br /><br />西行、定家、菅江真澄がおとずれて歌を詠んでいます。また、芭蕉の幻住庵記には猿蓑収の定稿のほかに芭蕉自筆の別案があり「能因が頭陀の袋を門かどにひろげて、松島、しら川につらをこがす。猶うとふ啼そとの浜辺よりえぞが千しまを見やらんまでと、しきりにおもひ立侍るを・・・・」とあり、曾良が「多病心もとなし」といって袖を引くので「心弱くなって・・・・」とあり、芭蕉には 当地の外ヶ浜まで足を伸ばしたい気持ちがあったらしい。<br /><br />境内には道路元標があり奥州街道の終点です。ほかに1715年造の神輿、西南の役戦没者慰霊碑などがあります。訪れたことが無い芭蕉の「名月や鶴脛高き遠干潟」の句碑もありました。<br /><br />境内のうとう沼は、往時は周囲5里ほどの潟で安潟(ヤスカタ)とよばれたが、横内城主堤氏が荒川の流れを堤川に流したため、潟が干拓されたという。現在、うとう沼の中ノ島は、祭礼の時の奉納舞台だそうです。川口に沼があって船の停泊地だったというのは、5・6世紀の大阪の河内湖と「地形的に類似」しています。<br />「うとう」の語源には諸説がありますが、アイヌ語で「u-tou」は「沼のある場所」を示すという説が好きです。オンネトウなどの「トウ」でしょうか。<br />鳥の「うとう」はウミスズメ科の海鳥で保護鳥。情愛が深いので謡曲などの物語の種になっている。また棟方志功が表題を書いている神社の由来記によれば、八代将軍吉宗は津軽藩に「うとう鳥」献上を命じているそうです。<br /><br />

大雪の青森市内と、善知鳥(ウトウ)神社参拝

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2011/01/18 - 2011/01/20

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ANZdrifter

ANZdrifterさん

新幹線で新青森、青森の駅前ホテルに2泊して雪の町を散策。帰りは八戸に途中下車してせんべい汁昼食(別の旅行記です)という計画で、開通した新幹線にのってきました。
表紙の写真は雪の善知鳥(うとう)神社です。

食べたもの・食べなかったもの
◆ピカピカの新青森駅には黒石の「しる焼きそば」があるというので、並んで食べてみました。大きな鉄板で焼いたソース味のウドンと野菜を、皿にのせたら500円の黒石焼きそばで、丼にいれて汁をかけると600円のしる焼きそばです。ここの味はお奨めできません。味覚が破壊されます。
◆青森駅ちかくの A-ファクトリーで十和田牛のばら肉のスタミナ焼きを食べました。濃いめの味でしたが、これはよかった。ここにはいろいろと食べてみたいものがありました。
◆駅前通り1ブロックにあるアウガのビルには100円ショップも図書館も入っているので、いろいろと便利ですが、地下には「新鮮市場」があって生鮮食品だけでなく地場産品が並んでいます。ここには魚専門の食堂があり、ホテルから近いこともあって通いました。1月下旬には貝柱が素晴らしく美味でした。四色丼よりも三色丼がお奨めです。
◆もう一つの市場、有名な「のっけ丼」がある古川市場は 雪で行きませんでした。
◆工藤パンという有名店があります。行ってみようかと思いましたが、全国区の製パンチェーンに買収されたとのことで、地元の人は「つまらなくなった」と言っていたので行くのを止めました。
◆案内所には「食事どころ地図」がなく、いちいち覗いて見ることもできないので居酒屋には行けませんでした。

歩いて訪れたところ
◆駅前の案内所でも、タクシーの運転手も教えてくれたので青森県の土産や展望レストランがある観光物産館「アスパム」を訪れました。三角の建物は AOMORIの A の形だそうです。ところが、入り口で「今日まで閉館です」と言われました。観光関係機関の情報交換がうまく行っていないということでしょうが、雪道を歩いていったのに腹立たしいことでした。
◆八甲田丸:青函連絡船が記念博物館として係留されていました。おそらく学芸員もいない博物館で「床の矢印にしたがって見学してください」と入場券売り場でいわれましたが興味も無いのに船底のエンジン室まで階段でおりて、階段をのぼってこないと帰れないなど順路設計が不親切です。レストランにはコーヒーとカレーライスしかないし、360度展望と書いてある最上階の煙突展望台まで到着したら展望台のドアに立ち入り禁止の張り紙がありました。入り口に張り紙してあれば600円も払って入場しなかったとおもいます。順路設計のやり直しと、入場料を無料にするのが適当です。
◆駅の近くの A-FACTORY :1階の半分は土産などの物産館で、残り半分は食事ができるようになっています。物産館には地場産品だけでなくミカンも売っていました。東京と同じ値段でした。2階にも食べ物屋がありました。いろいろと楽しい商品や食べ物があるので、ここはおすすめです。十和田牛のスタミナ焼きをたべました。
◆ワ・ラッセ(ねぶたの館):前年の代表的なねぶたを展示している・と聞きました。像の多くは武将で戦いの様子をハリコの像でつくっています。縄文文化が結晶したような力強さとともに、滅び行くものの怨念が表れている、とみたのは過剰な思い入れかもしれませんが、最後に展示されていた“安倍比羅夫”の像を見ていたら、火祭りが終わるときの寂しさの中で、ひたすらラッセラーと叫び、跳ね、踊る祭りの中に、消えゆく者の悲しさが含まれていると感じました。ここは時間をかけて見学したい絶対のお奨めです。

◆善知鳥神社(うとうじんじゃ)(www.actv.ne.jp/~utou/)
社伝によれば19代允恭天皇の代、5世紀中ごろに現在の青森市が善知鳥村と呼ばれていたころ、善知鳥中納言安方が北国の夷人、山海の鬼を平定して創建し、坂上田村麻呂の東北遠征のおり再建されたといわれる。しかし、田村麻呂が当地まで遠征した史実はないそうです。
祭神は宗像(むなかた)三女神といわれる天照大神の娘3人で タギリヒメノミコト、イツキシマヒメノミコト、タギツヒメノミコト。宮司の説明では海運の都合で 宗像・海人族がここまで船で来たのだろう ということでした。
おなじ読みの棟方志功も青森のひとです。
昭和20年、アメリカ軍の爆撃で社殿は焼失し、現在の神明造りの社殿は昭和30年の鉄筋コンクリート製です。
いろいろな伝聞を総合すると、ヤスカタなる異人が青森に来て、この地に農魚業を伝えた。ヤスカタの後妻が「ウトウの前」で才知に長じ長命で生き神とされた、ということが事実でしょう。
農漁業をもたらしたというので、5・6世紀のヤマト王権が成立するころ、古墳時代?の人だと思われます。漁業も教えたというので宗像系の海人族なのでしょう。
斎明帝の世、安倍比羅夫の東征のとき、または桓武帝の世、坂上田村麻呂の東征(807年)のときに、ヤスカタの後裔安日の17代の孫が協力し、その功により勅勘を許されて中納言を贈官された、というのは後付けの貴種流離譚でしょう。なお、安倍氏には安日という人がいますし、安日彦という名も別の歴史に出てきます。。

西行、定家、菅江真澄がおとずれて歌を詠んでいます。また、芭蕉の幻住庵記には猿蓑収の定稿のほかに芭蕉自筆の別案があり「能因が頭陀の袋を門かどにひろげて、松島、しら川につらをこがす。猶うとふ啼そとの浜辺よりえぞが千しまを見やらんまでと、しきりにおもひ立侍るを・・・・」とあり、曾良が「多病心もとなし」といって袖を引くので「心弱くなって・・・・」とあり、芭蕉には 当地の外ヶ浜まで足を伸ばしたい気持ちがあったらしい。

境内には道路元標があり奥州街道の終点です。ほかに1715年造の神輿、西南の役戦没者慰霊碑などがあります。訪れたことが無い芭蕉の「名月や鶴脛高き遠干潟」の句碑もありました。

境内のうとう沼は、往時は周囲5里ほどの潟で安潟(ヤスカタ)とよばれたが、横内城主堤氏が荒川の流れを堤川に流したため、潟が干拓されたという。現在、うとう沼の中ノ島は、祭礼の時の奉納舞台だそうです。川口に沼があって船の停泊地だったというのは、5・6世紀の大阪の河内湖と「地形的に類似」しています。
「うとう」の語源には諸説がありますが、アイヌ語で「u-tou」は「沼のある場所」を示すという説が好きです。オンネトウなどの「トウ」でしょうか。
鳥の「うとう」はウミスズメ科の海鳥で保護鳥。情愛が深いので謡曲などの物語の種になっている。また棟方志功が表題を書いている神社の由来記によれば、八代将軍吉宗は津軽藩に「うとう鳥」献上を命じているそうです。

同行者
カップル・夫婦
交通手段
新幹線
旅行の手配内容
個別手配

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  • 「青森駅は雪の中・・・・・・」でした。<br /><br />中央の建物は 案内所です。

    「青森駅は雪の中・・・・・・」でした。

    中央の建物は 案内所です。

  • 雪がふる・・・・・・・・。

    雪がふる・・・・・・・・。

  • 新青森駅には「黒石焼きそば」の店があって行列ができていました。<br /><br />このときは とてもグルメなどとは呼べない ひどい味でした。<br />べつの店のほうがお奨めです。

    新青森駅には「黒石焼きそば」の店があって行列ができていました。

    このときは とてもグルメなどとは呼べない ひどい味でした。
    べつの店のほうがお奨めです。

  • アウガの地下の食堂。<br />これがお奨めの 三色丼。貝柱・いくら・ウニの三色ですがどれも美味しかった。<br /><br />左側のおつまみと漬物は追加分です。

    アウガの地下の食堂。
    これがお奨めの 三色丼。貝柱・いくら・ウニの三色ですがどれも美味しかった。

    左側のおつまみと漬物は追加分です。

  • 観光物産館のアスパム。この時間だけ青空がのぞきました。<br /><br />案内所で教えてもらって行ってみたら、入り口で「今日までは休館です」といわれました。<br />展望台に行きたかった。<br /><br />

    観光物産館のアスパム。この時間だけ青空がのぞきました。

    案内所で教えてもらって行ってみたら、入り口で「今日までは休館です」といわれました。
    展望台に行きたかった。

  • 八甲田丸です。入場料は600円でしたが、何もありません。売り物の最上階にある360度展望台に到着したら、ドアに立ち入り禁止と書いてあった。<br /><br />入り口に貼ってあれば 600円も払って入場する人はいないと思います。<br /><br />レストランはコーヒーとカレーライスだけ。 レストランじゃないだろよ!<br /><br /><br />

    八甲田丸です。入場料は600円でしたが、何もありません。売り物の最上階にある360度展望台に到着したら、ドアに立ち入り禁止と書いてあった。

    入り口に貼ってあれば 600円も払って入場する人はいないと思います。

    レストランはコーヒーとカレーライスだけ。 レストランじゃないだろよ!


  • 左の建物が A-FACTORY です。<br /><br />駅の近くなので 買い物や食事に便利です。

    左の建物が A-FACTORY です。

    駅の近くなので 買い物や食事に便利です。

  • A-FACTORY の中です。

    A-FACTORY の中です。

  • 右がねぶたの「わ・らっせ」です。縄文文化の結晶のような祭りをダイジェストして見学できます。<br /><br />鉄板を縦にならべて囲んだ 赤っぽい色の建物です。

    右がねぶたの「わ・らっせ」です。縄文文化の結晶のような祭りをダイジェストして見学できます。

    鉄板を縦にならべて囲んだ 赤っぽい色の建物です。

  • ねぶた は 七夕や火祭りと共通のルーツを持っているそうです。

    ねぶた は 七夕や火祭りと共通のルーツを持っているそうです。

  • 海幸彦、山幸彦の兄弟の戦いです。彼らは確か ニノギノミコトの息子で神武天皇のおじさんに当たる人だったとおもいます。

    海幸彦、山幸彦の兄弟の戦いです。彼らは確か ニノギノミコトの息子で神武天皇のおじさんに当たる人だったとおもいます。

  • 安倍比羅夫の戦いです。<br /><br />安倍族については よく知りませんが 滅び去った民族だと思います。<br /><br />ウイキペディアによると、安倍元総理に関係ある九州の松浦党や、津軽の安東、安藤氏などとも関係あるようです。

    安倍比羅夫の戦いです。

    安倍族については よく知りませんが 滅び去った民族だと思います。

    ウイキペディアによると、安倍元総理に関係ある九州の松浦党や、津軽の安東、安藤氏などとも関係あるようです。

  • 善知鳥(うとう)神社です。<br /><br />この右手前に道路元標があります。

    善知鳥(うとう)神社です。

    この右手前に道路元標があります。

  • 神社の由緒説明ですが いろいろと無理な点があります。

    神社の由緒説明ですが いろいろと無理な点があります。

  • 昭和30年に完成した鉄筋コンクリート神明造りの本殿です。<br /><br />北国には頑丈なのが必要なのでしょう。

    昭和30年に完成した鉄筋コンクリート神明造りの本殿です。

    北国には頑丈なのが必要なのでしょう。

  • まるで 綿帽子の 狛犬です。

    まるで 綿帽子の 狛犬です。

  • 境内の「うとう沼」。左が中ノ島です。<br /><br />昔、周囲が 20kmもあって安全な港だった「安潟」のなごりです。<br />神社の所在地は「青森市 安方」で、由緒記によれば<br />伝説では「善知鳥中納言安方」の創建です。

    境内の「うとう沼」。左が中ノ島です。

    昔、周囲が 20kmもあって安全な港だった「安潟」のなごりです。
    神社の所在地は「青森市 安方」で、由緒記によれば
    伝説では「善知鳥中納言安方」の創建です。

  • 境内には 句碑や歌碑がいくつもありました。<br /><br />芭蕉が「うとふ啼く外ヶ浜から蝦夷が千島を望みたい」と願った「うとう村」の神社ですから 来たことが無い芭蕉の句碑を建てたのでしょう。<br /><br />

    境内には 句碑や歌碑がいくつもありました。

    芭蕉が「うとふ啼く外ヶ浜から蝦夷が千島を望みたい」と願った「うとう村」の神社ですから 来たことが無い芭蕉の句碑を建てたのでしょう。

  • 市内の道路は このような雪で歩きにくかった。

    市内の道路は このような雪で歩きにくかった。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • auntofasiaさん 2011/07/09 13:15:57
    綿帽子コマ
    こんにちは ANZdrifter様

    いつも神社&コマをありがとうございます

    表紙の写真から笑いが止まりませんでした

    ANZdrifter

    ANZdrifterさん からの返信 2011/07/09 19:08:42
    RE: 書き込み2通、有難うございます
    auntofasia 様

    メールボックスにも返事をいただき 感謝です。

    木製の鳥居まで 写真から認めてくださるなんて
    深読みをできるベテランの方だと 敬意を表します。

    今回は4日間通用で 座席指定6回できて¥13000円という
    JR東日本の休日クラブの切符で行きました。
    おなじ切符を手にした同年輩の旅行者には 何度も行き逢いました。

    綿帽子の狛犬も 3日間通用という 同じ切符で行きましたが
    一年に3回はどある この安売り切符には なるべく参加しています。

    昨年まで続けた海外一人旅は 誰が拾いに行くかと 家族が心配するので
    やめることとして 国内だけを歩くこととしました。

    こんな具合に 活動範囲がせばまってゆくことに
    寂しさを感じながらも もう少し・もう少し と
    年寄りの冷や水みたいな 頑張りを続けております。

    これからもよろしくお願いします。

    ANZdrifter 

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