2011/01/28 - 2011/01/28
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カピさん
金戒光明寺は1175年に浄土宗開祖法然上人がこの地で岩の上で「さてどこをご本尊にしよう」と考えながら念仏を唱えていた時に、突然「紫の光」が射し、上人は「ここだ」と言って庵をひらいたといういわれのある浄土宗大本山で、「くろ谷さん」と呼ばれて親しまれているそうです。江戸時代は、この地から、遠くは淀、大坂城等が見渡せ、かつ、東と北は山という天然要塞、西南には城のような石垣と、幕府の軍事拠点ともなり、幕末には新撰組の駐屯地でもあったそうです。
さて、数々の歴史のある「くろ谷さん」ですが、平敦盛を討った後、熊谷次郎直実が僧侶となるべく、法然上人を尋ねたのが、この地であったことから、境内には熊谷直実の「熊谷鎧掛けの松」、「兜の池」(出家の際兜を洗ったという)そして、法然上人の御廟前には熊谷蓮生坊直実と平敦盛の供養塔があります。
2011年1月8日から3月21日までの特別公開にて寺宝の織田信長公の「天下布武」御朱印状や「文殊渡来図」等が特別公開され、間近で卯年の神様である文殊菩薩像(伝 運慶作)や吉備観音(吉備真備が2度目の遣唐使派遣から帰国中荒らしにあい、観音菩薩にお祈りしたら嵐が静まって無事に帰国出来たという事で、その遣唐使船で使われた木から掘ったという千手観音像で、都でたいそう評判で聖武天皇の耳に入り、以来、宮中のお祝い事に借り出されるようになったそうです)をみることができます。
ちなみに、本堂は昭和九年に人災により火事で焼失。昭和11年から19年にかけて、なんと、柱の樹齢を全てそろえるほどの入念な素材選びに加え、説法の声がよく響くような、計算づくしの構造で、昭和初期屈指の名建築物となっている。
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幕府の守護職会津藩士の殉職者の墓地もあります。
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石垣
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応仁の乱で焼失したが、1860年に立て直しされた山門。「浄土真宗最初門」の額は後小松天皇の書。
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大きな湯のみ。
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法然上人の幼年期の像。幼名 勢至丸(せいしまる)。
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1612年豊臣秀頼が再建した阿弥陀堂。
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大殿から繋がっている、大方丈には親鸞聖人蕎麦喰いの像や、だまし絵風の虎や龍が描かれたふすま絵があります。これは、大方丈のお庭。
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水を浄化しているんでしょうか?
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「いけのみつ ひとのこころににたりけり にこりすみこと さためなければ」法然上人
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二代目 熊谷鎧掛けの松。
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別ショット。
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極楽橋。ここの池が「熊谷兜洗い池」この橋は、春日局がお江与の供養塔を建てた時に寄贈したとか。
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上に見える三重塔は徳川秀忠公追悼の塔。
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徳川三代将軍家光乳母、春日局が建立した、二代将軍秀忠室、お江与の遺髪を奉納している、お江与の供養塔。
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御廟。法然上人の遺骨が祀られています。
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御廟の前、御廟に向かって右側が熊谷次郎直実の供養塔。
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左側が平敦盛の供養塔。
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