2010/12/24 - 2010/12/24
284位(同エリア947件中)
イロコさん
萩に行く用事があったのでその後の3時間半は城下町を散策したり食事をしました。
萩城址に行くのは25年振りくらいです。
高杉晋作の生家は初めて行きました。
江戸時代の息吹を感じる町です。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
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山口県立萩美術館・浦上記念館近くから散策を始めました。
俥宿 天十平は自家製スコーンが評判のギャラリー&ティールームです。
江戸・大正時代の民家の客間を利用しているそうです。
立派な門があります。 -
春日神社。
春日大社の分霊。 -
春日神社の説明
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旧児玉家長屋門の案内板
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説明板
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長屋の建物。
桟瓦葺きの入母屋造り。
壁は上部は白壁で、腰部はなまこ壁。 -
旧児玉家長屋門の入口。
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門を入ると長屋はこんな感じです。
見学自由なので建物の中に入ってみました。
細長く畳の部屋が並んでいました。 -
旧児玉家長屋門の場所を示す案内石
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旧明倫館跡の石碑と案内板
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石碑の後ろには石垣と夏ミカン畑があります。
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土塀
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土塀
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土塀のアップ
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先ほどの土塀を曲がると堀内鍵曲(ほりうちかいまがり)があります。
敵の侵入に備えてわざと直角にまげた道で、左右を高い塀で囲んで見通しを悪くしたものです。
石垣と白壁の上から夏ミカンも見えます。 -
大きな石も埋め込まれています。
その向こうは土塀です。 -
鍵曲の先には口羽家宅門があります。
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鍵曲から見た口羽家の表門方面。
永代家老に次ぐ寄組という役職にあった口羽家の屋敷。
上級武士が住んだ旧三の丸の一等地に立つ。
毛利家江戸藩邸の門を移築したと言われる表門は22.2m。
白壁と腰下はなまこ壁が美しい長屋門で萩に現存する屋敷門の中で最大のもの。
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入口。
入母屋造り本瓦葺。
片藩門の南側には門番所、中間部屋、厩を置く。
門番所には表向きに出格子があり、また門側にも窓があって門の内外を見通すことができるようになっている。 -
入口の案内板
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門を入ると左側に門番屋。
馬小屋もあります。 -
井戸
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主屋の台所を覗いてみました。
釜戸は複製で小さめだそうです。 -
入館料は100円です。
母屋は切妻造り桟瓦葺屋根の東側に、入母屋造りの突出部を設けている平屋です。 -
建物は南向きで座敷と奥座敷の間に武者隠しと見られる2畳の「相の間」(あいのま)が設けられているのが特徴。
門番が使っていた袖がらみ(鈎針状の武具)などもありました。
お座敷からは橋本川や対岸の玉江の風景も楽しめる一等地です。 -
庭先からは常磐島が見えます。
口羽家の隣は藩主の別邸があったそうです。 -
城址を目指して小さな橋(深野橋)を渡るとミドリヤファームがありました。
ホルスタインとかけあわせた見蘭牛や加工品を販売するお店は買い物の人が多かったです。
向かいの網焼きレストラン見蘭は17時からでお肉のメニューがありました。
お城に向けてこんな細い並木道を歩いてみました。 -
並木道を抜けて角を曲がるとこの様な塀がありました。
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城址への入口。
両側にお土産屋さんが並んでいます。
左手には市営の駐車場があります。
後ろに見えるのは指月山(しづきやま)です。
右側はお店の駐車場ですが、無料と書いてありました。
お土産を買う時はこちらの駐車場を利用すると良いかも。 -
入口から入り振り返った所。
慶長9年(1604年)、毛利輝元が指月山麓に築城を開始し慶長13年に完成。
約260年間栄えた藩城の跡地。
本丸やすべての建物は明治7年(1874年)に解体された。
外堀と城壁の一部や石垣などが残されており一帯は国の史跡に指定されている。
旧本丸跡は指月公園(しづきこうえん)として春は600本あまりの桜が咲く名所。 -
正面に鳥居が見えます。
明治三十三年建立。
左手側に指月山があります。 -
狛犬
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志都岐山神社の説明。
毛利元就、輝元など歴代の藩主を祭る。
1879年(明治12年)創建の神社。 -
狛犬の後ろに石碑があります。
またミドリヨシノというガクが緑色の桜の説明がありました。 -
ミドリヨシノの枝を見上げてみました。
来年の4月頃が待ち遠しいですね。
薄緑色の花なんでしょうね。 -
石造りの万歳橋はかつての藩校、明倫館の遺構。
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横方面から見た所。
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志都岐山神社
手前は舞殿かと思いました。
そこは歩いてはいけないのだろうと建物の横を歩きました。
後ろに回ると本殿と繋がっていたので、歩いても良かったのかも知れません。 -
祭神は、毛利元就、隆元、輝元、敬親、元徳ら歴代藩主。
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旧福原家の書院
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説明板
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神社の周囲でどこからともなく猫が一匹ニャーニャーと近寄ってきました。
多分野良猫だと思いますが私の前を歩いて行きます。
あんまりついて来てもいけないので、軽くヨシヨシするだけにしました。
近くに池が見えたのでそちらの方に歩くと猫も付いてこなくなりました。
とても人懐っこい猫でした。 -
池の真ん中に島があり橋を渡れました。
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今度は天守閣跡を目指しました。
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石段を上がると天守閣の石垣です。
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天守閣の石垣の曲線
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掘を見渡す。
後ろに見える山は指月山 -
天守閣の様子の写真
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城址の石碑
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説明板
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花江茶亭への門。
花江茶亭はもと三の丸にあった13代藩主毛利敬親の別邸、花江御殿の茶室「自在庵」を明治22年(1889年)に移したもの。
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門を入ると右側に花江茶亭があります。
入母屋造り、茅葺平屋の風雅な建物です。
抹茶が頂けますが、12月から2月はお休みです。 -
花江茶亭の説明板
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梨羽家茶室
藩の重臣であった梨羽家の茶室を移築した建物。
花月楼形式の茶室。
年末の城内すす払いの際には藩主が一時ここに移るのが恒例だったため
「煤払いの茶室」とも呼ばれたそうです。 -
庭があり、池だと思いますが水がありませんでした。
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再び天守閣の石垣
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少し歩くと背後にある指月山へ登れる道に出ました。
指月山は標高143mです。
うっそううと茂る樹林は藩時代に城内林として保護されていたため巨木が多いそうです。 -
石段があり、山頂へは20分位で行けるようです。
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天守閣の石垣を横方面から眺める。
右手の奥にあるのが入口へと渡る橋です。 -
隣に石彫公園があります。
国内外の彫刻家24人による石のオブジェがありました。 -
潮騒の音が聞こえるので風に逆らいながら歩くと西の浜に出ました。
長門方面を眺める。 -
今日は風が強く気温も低めです。
日本海は白波でした。
吹きさらしなので写真を撮るのがやっとで、さっさと引きあげました。 -
先ほどの石彫公園に行くと何匹かの猫に出会いました。
多分野良猫だと思いますが、日なたぼっこをしています。 -
毛づくろい中
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こちらの猫も毛づくろい中。
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日なたぼっこ
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指月山。
標高142mです。
石彫公園にも桜の木がたくさんあります。
この公園もきっと花見客で賑わうんでしょうね。 -
公園の様子を記した看板
駐車場もあります。(多分無料だと思います) -
石彫公園から少し歩いた所に石垣がありました。
この奥はどうなっているんでしょう。
ちょっと興味がありました。 -
奥に進んでみると竹林と木が植えてありました。
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結構大きな石垣もありました。
お城の掘りの外側に築かれていたんでしょう。 -
萩焼の体験陶芸が出来る建物等を過ぎると、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋があります。
長屋は安政3年(1856年)築で重要文化財です。
毛利元就の五男、元秋を始祖とする厚狭毛利家の屋敷。
維新後に解体され、唯一残る長屋。
入場料210円(萩城址、指月公園と共通) -
長屋は結構長いです。
萩に現存している武家屋敷の中でも最大で、全長約51m。
東の座敷、中の座敷、物置、西の座敷、板の間と5ブロックに分けられた内部は部屋数も19室。 -
指月橋のたもとに萩八景遊覧乗り場があります。
3〜11月に水辺の城下町を巡る1周40分の船旅が楽しめます。
今はお休みでした。
乗り場の後ろの方面が城址と指月山です。 -
指月橋を渡って左側の菊が浜方面に歩こうかと思いましたが寒いので止めて真直ぐ歩きました。
そしたら天樹院の標識があったので寄り道をしました。
もともとは輝元の隠居所(四本松邸)で、輝元亡き後、天樹院8輝元の法名)という菩提寺が建てられましたが明治2年(1869年)に廃寺となり墓所だけが残ったそうです。 -
説明板
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墓所の門
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門の左側に看板がありました。
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右側に料金を入れる所がありました。
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墓は花こう岩製の五輪塔形。
輝元の墓は高さ2.1m。夫人のものは1.8m。 -
旅館「北門屋敷」の裏門です。
市の重要伝統的建築群保存地区の萩城旧三の丸地域に立ち、武家屋敷を思わせる雰囲気の旅館です。
ぐるりと回った萩高校側に入口があります。
中はイングリッシュガーデンや西欧スタイルのダイニングなど和洋
折衷の建物と露天風呂も備わっています。
(ちなみに皇太子夫妻も宿泊されました)
お花が綺麗な頃がお勧めですね。 -
北門屋敷の斜め前にある毛利家別邸表門の説明
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表門
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さらに歩くと塀があったり、萩焼を販売するお店がたくさんありました。
あとで旅行ガイドを見て知ったのですが、北門屋敷を少し歩いた所に問田益田氏旧宅土塀と言って約232mの本瓦葺きで萩市指定有形文化財の
塀があったそうです。
見なくて残念でした。 -
萩博物館の裏側です。
2004年11月に開館。
吉田松陰や高杉晋作の書簡や遺品などをはじめとする萩の関連資料、江戸時代の町並みを再現した模型などを展示しているそうです。
時間の関係で入館しませんでした。 -
建物の様子。
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来年の4月10日までは「なつかしい萩」という催しのようです。
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萩博物館の駐車場も過ぎた所に釜飯が食べられる「わらじや」がありました。
お腹もすいたのでサザエ釜めし定食を頼みました。(小鉢2品、汁、フルーツ付き)2415円。
ウニ釜飯定食 1890円
ウニ丼定食(板ウニ1/2枚を使った)2940円。
となりにはお土産屋さんがありました。 -
約20分するとこのようにサザエ、ウニタップリの釜飯が出来上がりました。
お茶碗は萩焼です。
家の薄い茶碗と違って、ずっしりとしたお茶碗でした。 -
すぐ近くに菊屋家住宅があります。
日本最大級の貴重な町家を見学出来ます。
萩御用達の豪商、菊屋家の邸宅。
2000坪の敷地のうち約3分の1が公開されており、主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場は国指定重要文化財です。
庭園には6m弱の石が敷かれているそうです。(中に入らなかったので詳しいことは不明です)
藩主が参勤交代に出る時に通る御成道に面していた「みせ」は、殿さまを見下ろさないように平屋造りになっています。 -
菊屋の横の通りは菊屋横丁と言います。
その通りを歩くと先ほど食事をしたお店の看板がありました。 -
道百選に菊屋横丁も選ばれています。
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菊屋横丁の長い白壁。
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菊屋横丁を下ると右側に高杉晋作生誕の家があります。
旧宅の一部が残っています。
高杉晋作は高杉小忠太の長男として天保十年(1839年)8月20日に生まれる。 -
入館料は100円です。
お座敷には上がれません。 -
高杉晋作の家の門の前から高杉家の白壁と歩いて来た菊屋横丁を眺める。
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玄関
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藩政時代には500坪の広さがありましたが、現在はその南半分で現存する当時の建物としては座敷(六畳床の間付)、次の間(六畳)、居間(六畳、四畳半)小室(三畳)のほかに玄関、台所が残っている。
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自筆の書の複製などが展示してあります。
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庭
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鎮守堂。
扉は月と太陽(陰陽)を表しているようです。 -
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ツツジに白い花が3輪咲いていました。
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文久三年(1863年9頭をそって東行(とうぎょう)と号したとき
京都で詠んだ歌
西へ行く人をしたひて東行く 心の底そ神や知るらむ
(意:西行を慕って頭を丸めたけれども自分の心は逆に東へ行くのだ。
その心は神だけが知っているだろう) -
高杉晋作産湯の井戸
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石碑
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説明
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井戸の所から門を眺める
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高杉晋作生誕の家から少し歩いた所に公園があります。
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ニュースで見た高杉晋作立志像がありました。
松下村塾の双壁と称され奇兵隊を創設し維新の大業へと導いた偉業を
讃えて平成二十二年十月三十一日に建立されました。 -
顔をアップしてみました。
萩にいる頃の姿でちょんまげ姿です。 -
後ろ姿。
見ている方角は生誕の家や萩城、指月山方面です。 -
公園にある門
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門をくぐりぬけて表側から見た所。
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高杉晋作の横顔を垣根越しに見てみました。
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菊屋横丁の端の案内標識がありました。
今回の散策はこのあたりで終わりになります。
江戸時代の地図が現代でも通用するともことです。
いたるところに江戸時代や明治時代の遺構がありました。
三時間半の散策は歴史の勉強にもなりました。
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この旅行記へのコメント (1)
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- わんぱく大将さん 2010/12/28 05:10:17
- 古きものは歴史を感じますね
- 初めまして、大将と申します。旅日記、懐かしく拝見させていただきまた。私も30年前くらいに、萩、津和野と1度、廻ったきりですが、こうして、お写真を見せていただくと、古きものは歴史を感じますね。(当たり前か?)
それだけ、自分も、古きものに近づいてきたという所でしょうか。今度は、母を連れて、訪れたいと思います。
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