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12月21日<br />引き続き長時間バスです。いろんな夢を見たな〜。笑ってしまった夢が、俺がレジでお金でなく、ニンニクで払って逃げてしまい、捕まってしまった夢だ、、、。現実的にはありえない、、、。そんなこんなで、バス24時間移動を経て、タイル張りの建築物が並ぶまち、ププエプラに到着した。長かったようであっという間だった。薬のお陰かな??何度も爆睡できたしね。まずは荷物を預け、メキシコシティー行きのバスのチケットを買い、市バスで市街地に向かった。初め市バスはどれに乗ればいいか分からなかったけど、親切なメキシコ人が英語で丁寧に教えてくれて、無事に市街地に付くことができた♪ある増す広場の周辺はコロニアルな町並みが残る歴史地区になっていいて、観光の見所も集中していた。郷土料理のレストラン、民芸品のエルパリアン市場もあり、観光しながら買い物も楽しめるそんな街であった。市街地は碁盤の目のように区画整理されていて、カテドラルの周辺にはサントドミンゴ教会などもある。カトリックの強化が多く点在し、タイルの装飾が施された美しい教会もあって、まるでそれらはコロニアルな街の景観に溶け込んでいるようにも思えた。また修道院跡を利用した博物館も多く、展示物の観賞と合わせて、歴史的な建物の内部も見学できたりする。1910年の革命家のアキレス・セルダンの家も無料で訪れることができたが、当時の銃痕の後も痛々しく残っていた。俺はスペイン語が話せないから、結構バスの乗り場とかでも苦労したけど、街の人々は優しく、分からない英語と簡単なスペイン語を使い、丁寧に教えてくれて、ここでも人の温かさを感じることができ、ハッピーになれた♪ここは郷土料理発祥の地でもあるので、どうしてもモーレを食べたかったのですが、レストランに入ったら、メキシコペソがないことにき気が付き、銀行に行ったら、両替ができずに、腹を減らし、シティー行きのバスターミナルへ戻り、シティーに出発した。シティーまでは2時間で着き、そこから初めてメトロをつかってみたが、自分がどの路線に居て、どっちの方面へ乗ればいいか分からなかったけど、そこでも、ガイドブックを持っている俺をみて、メキシコ人が話しかけてくれ、丁寧に教えてくれた。そして、ペンションアミーゴの最寄り駅に着いたが、どちらの方向へ向かえば分からなかったけど、そこでも、地元のおじさんとか若者が教えてくれて、バッチリ宿にたどり着けた♪ここは日本人宿で長期滞在者が多い♪いろんな方と話し、夜ごはんを食べに行った☆タコスとかメッチャ旨いです♪でも疲れたな〜♪今日はもう寝ます♪<br />費用<br />バス$11 宿$25 フード$10 DVD$2.5<br /><br />メキシコのみならずラテンアメリカの経済の中心地の一つである。アステカ王国のかつての首都テノチティトランでもあった。2010年の国際連合の統計によると、近郊を含む都市圏人口では東京、デリー、サンパウロ、ムンバイに次ぐ世界第5位である[1]。2010年、アメリカの外交専門誌フォーリンポリシーにより、世界第30位のグローバル都市に選ばれており[2]、中南米では、ブエノスアイレスに次ぐ第2位である。 また、2008年の都市GDPは3900億ドルであり、世界第8位である。 行政上の正式名称は、連邦区 (Distrito Federal、D.F.) 。D.F.(デ・エフェ)と呼ぶ人はメキシコ北部に多い。<br />歴史 <br />アステカ王国時代は「テノチティトラン」と呼ばれ、テスココ湖の湖上に築かれた壮麗な都市だった。1519年にスペイン人のエルナン・コルテス (Hern&amp;aacute;n Cort&amp;eacute;s) のメキシコ征服により破壊され、湖は埋められてその上に現在のヨーロッパ(スペイン)風の都市が築かれた。スペインの植民地時代とその後の独立を経て、メキシコのみならず中南米を代表する大都市として発展を続けた。1900年代前半の、そして第二次世界大戦後も続いたメキシコの経済成長を受けて1968年には夏季オリンピックが、さらに1970年にはFIFAワールドカップが開催された。1985年9月19日にマグニチュードM8.1のメキシコ地震が発生した。震央からメキシコシティは約400?程離れていたが、大地震特有の長周期地震動が襲い、250以上の高層ビル・高層住宅・ホテル・病院などを倒壊させ、地下鉄の一部も崩壊し7000人以上が死亡した。メキシコシティの市域の大半が軟弱な地盤だったため、震央から約400?程離れているのにも関わらず被害が拡大した。しかし急速に復興を遂げて翌年の1986年には予定通りに2度目のFIFAワールドカップが開催された。現在は都市圏が世界第2位の人口を持つ、ラテンアメリカを代表するグローバル都市に成長した。<br />行政 <br />面積は1479平方キロメートル。周囲は、西北東の3方をメヒコ州に囲まれ、南にモレロス州と隣接する。州には属さない独立した連邦直轄地である。連邦区の行政の長は大統領によって指名される。連邦区は、1824年に、当時のメキシコシティと周辺の自治体を範囲として誕生した。1928年には連邦区内にあった自治体を廃止し連邦政府による一体的な統治を実現した。現在では、自治体としてのメキシコシティは存在せず、連邦区の範囲全体を指してメキシコシティと呼ばれている。<br />

コロニアルやプエブラ!!

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2010/12/21 - 2010/12/21

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kawabekentarou

kawabekentarouさん

12月21日
引き続き長時間バスです。いろんな夢を見たな〜。笑ってしまった夢が、俺がレジでお金でなく、ニンニクで払って逃げてしまい、捕まってしまった夢だ、、、。現実的にはありえない、、、。そんなこんなで、バス24時間移動を経て、タイル張りの建築物が並ぶまち、ププエプラに到着した。長かったようであっという間だった。薬のお陰かな??何度も爆睡できたしね。まずは荷物を預け、メキシコシティー行きのバスのチケットを買い、市バスで市街地に向かった。初め市バスはどれに乗ればいいか分からなかったけど、親切なメキシコ人が英語で丁寧に教えてくれて、無事に市街地に付くことができた♪ある増す広場の周辺はコロニアルな町並みが残る歴史地区になっていいて、観光の見所も集中していた。郷土料理のレストラン、民芸品のエルパリアン市場もあり、観光しながら買い物も楽しめるそんな街であった。市街地は碁盤の目のように区画整理されていて、カテドラルの周辺にはサントドミンゴ教会などもある。カトリックの強化が多く点在し、タイルの装飾が施された美しい教会もあって、まるでそれらはコロニアルな街の景観に溶け込んでいるようにも思えた。また修道院跡を利用した博物館も多く、展示物の観賞と合わせて、歴史的な建物の内部も見学できたりする。1910年の革命家のアキレス・セルダンの家も無料で訪れることができたが、当時の銃痕の後も痛々しく残っていた。俺はスペイン語が話せないから、結構バスの乗り場とかでも苦労したけど、街の人々は優しく、分からない英語と簡単なスペイン語を使い、丁寧に教えてくれて、ここでも人の温かさを感じることができ、ハッピーになれた♪ここは郷土料理発祥の地でもあるので、どうしてもモーレを食べたかったのですが、レストランに入ったら、メキシコペソがないことにき気が付き、銀行に行ったら、両替ができずに、腹を減らし、シティー行きのバスターミナルへ戻り、シティーに出発した。シティーまでは2時間で着き、そこから初めてメトロをつかってみたが、自分がどの路線に居て、どっちの方面へ乗ればいいか分からなかったけど、そこでも、ガイドブックを持っている俺をみて、メキシコ人が話しかけてくれ、丁寧に教えてくれた。そして、ペンションアミーゴの最寄り駅に着いたが、どちらの方向へ向かえば分からなかったけど、そこでも、地元のおじさんとか若者が教えてくれて、バッチリ宿にたどり着けた♪ここは日本人宿で長期滞在者が多い♪いろんな方と話し、夜ごはんを食べに行った☆タコスとかメッチャ旨いです♪でも疲れたな〜♪今日はもう寝ます♪
費用
バス$11 宿$25 フード$10 DVD$2.5

メキシコのみならずラテンアメリカの経済の中心地の一つである。アステカ王国のかつての首都テノチティトランでもあった。2010年の国際連合の統計によると、近郊を含む都市圏人口では東京、デリー、サンパウロ、ムンバイに次ぐ世界第5位である[1]。2010年、アメリカの外交専門誌フォーリンポリシーにより、世界第30位のグローバル都市に選ばれており[2]、中南米では、ブエノスアイレスに次ぐ第2位である。 また、2008年の都市GDPは3900億ドルであり、世界第8位である。 行政上の正式名称は、連邦区 (Distrito Federal、D.F.) 。D.F.(デ・エフェ)と呼ぶ人はメキシコ北部に多い。
歴史
アステカ王国時代は「テノチティトラン」と呼ばれ、テスココ湖の湖上に築かれた壮麗な都市だった。1519年にスペイン人のエルナン・コルテス (Hern&aacute;n Cort&eacute;s) のメキシコ征服により破壊され、湖は埋められてその上に現在のヨーロッパ(スペイン)風の都市が築かれた。スペインの植民地時代とその後の独立を経て、メキシコのみならず中南米を代表する大都市として発展を続けた。1900年代前半の、そして第二次世界大戦後も続いたメキシコの経済成長を受けて1968年には夏季オリンピックが、さらに1970年にはFIFAワールドカップが開催された。1985年9月19日にマグニチュードM8.1のメキシコ地震が発生した。震央からメキシコシティは約400?程離れていたが、大地震特有の長周期地震動が襲い、250以上の高層ビル・高層住宅・ホテル・病院などを倒壊させ、地下鉄の一部も崩壊し7000人以上が死亡した。メキシコシティの市域の大半が軟弱な地盤だったため、震央から約400?程離れているのにも関わらず被害が拡大した。しかし急速に復興を遂げて翌年の1986年には予定通りに2度目のFIFAワールドカップが開催された。現在は都市圏が世界第2位の人口を持つ、ラテンアメリカを代表するグローバル都市に成長した。
行政
面積は1479平方キロメートル。周囲は、西北東の3方をメヒコ州に囲まれ、南にモレロス州と隣接する。州には属さない独立した連邦直轄地である。連邦区の行政の長は大統領によって指名される。連邦区は、1824年に、当時のメキシコシティと周辺の自治体を範囲として誕生した。1928年には連邦区内にあった自治体を廃止し連邦政府による一体的な統治を実現した。現在では、自治体としてのメキシコシティは存在せず、連邦区の範囲全体を指してメキシコシティと呼ばれている。

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  • メキシコ伝統のお菓子

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  • メキシコ革命時代の銃痕があります

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  • 中心地

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  • メキシコシティー到着

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  • 念願のタコス

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  • とにかく飯が旨いメキシコです

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  • 毎日露店が立ち並んでいます

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