テオティワカン遺跡周辺旅行記(ブログ) 一覧に戻る
12月22日<br />鼻水がとまりませんな、助けてください。レッドブルの力に頼ってしまった健太郎さんです。今泊まっているペンションアミーゴは居心地が良いので、観光せずに宿からでない生活を送りそうな予感がします、、、。そう、去年のイスタンブール見たいに笑 なので、シティー初日から飛ばしていこうと思い、観光することに決めました。テオティワカン遺跡に行くことに決めました。そして、昨日仲良くなった内藤さんに冗談でいきませんか?と尋ねたら、行く!!と言ってくれて2人で行くことになりました。内藤さんは気さくでお兄ちゃんみたいな感じで、後にも俺の我儘っこを優しく受け止めてくれる心優しい人です。二人で駅に向かい、何度かメトロを乗り換えて、北口バスターミナルへ着いたのですが、さすが首都のメトロ、東京の地下鉄並みに、乗り換えでかなりの距離を歩きます。。シティーのメトロは特にスリが多くて有名で、行く方は気をつけてください。北口バスターミナルで遺跡の行きのチケットを買い、乗ること小1時間でテオティワカンに着きました。ここはラテンアメリカ最大の都市遺跡であったそうだ。しかも世界第3位のピラミッドがあるらしい。宗教都市国家として栄えたが、8世紀に謎の滅亡とともにどこかに消えてしまったらしい。。この遺跡については後ほど書くとして、太陽のピラミッドや月のピラミッドに登ってみたが、森林に覆われているわけでなく、遺跡がむき出しの状態であるため、太陽のピラミッドの頂上に登って、一面を見渡しただけで満足してしまった。俺が興味をひかれたのはユニークでエンターテイメント性があるお土産である。動物の形をした笛は、肉食動物の吠えている鳴き声みたいな音をはっしたり、石の斧や弓矢、帽子など、ほしいものだらけだった。その中でも、仲良くなったお土産屋のおばちゃんとはなしているうちに、この遺跡はマヤ文明の影響でなく、アステカの影響を受けているらしい。文明は歴史の経過と共に混じり合う。こんがります。アステカは生け贄で有名だね。。。これで遺跡、3つ訪れたわけだが、俺の中にはグッと来て感動した遺跡は一つもなかった、、、。それは俺がそれぞれの文明について勉強しなかったからだろう。。。ちゃんと勉強してから訪れるべきだったな〜。あと、遺跡よりも、海や山、自然を堪能する方が俺にはむいているのだろう。あ〜、スノーケリングしたいです!!遺跡を後にし、内藤さんは「おじさんは疲れたので宿にもどるわ〜」と言い、駅で別れ、その足で街の中心部、ソカロを訪ねることにした。本当は国立文化博物館を訪れようかと思ったが、正直文明にはあまり興味をひかれなかったのでやめとした。ソカロはコロニアル建築がズラリとならんである。周辺にはカテドラルや、国立宮殿などもあり、多くの人々で賑わっていた。一歩間違うと、危険な香りがする道もあります。ソカロ周辺を見学した後は、お腹が減ったので、メキシコ伝統料理、モーレを出しているレストランを探して、食べた。一言で、不味い、、。メキシコは美味しいものだらけで、唯一不味いと感じてい待った。独特の風味がするからだろうか、それとも俺が入ったレストランの質が良くなかったのか???即効、俺の恋人、コカコーラを口にしました。夕暮れに差し掛かるとコロニアル建築とかなりマッチして、オリエントな雰囲気を醸し出します。それと同時に治安も悪くなりますが、、、、。宿に戻ることにし、アラメダ公園を通ったのですが、小規模な遊園地があり、懐かしい乗りもたちや、たくさんの子供、とても楽しい雰囲気でした。昔の日本のデパートの屋上にあるような遊園地ですが、懐かしさと同時に、無性に乗り物に乗りたくなりました。乗り物に乗れない代わりに、射的をやり、パーフェクトに近いスコアを叩き出しました。意外な才能??景品は無修正のエロDVDでした。お店の若いお姉ちゃんが、ニヤニヤした顔で渡してきたのを今でも覚えています。宿に戻り、昨日行ったタコスの屋台に行き、だらだら過ごしました。宿の周りには売春婦だらけでした。物凄い恰好をしていました。相場は1500円くらいだそうです。中にはお釜もいるそうです。夜は宿の旅行者と一緒に麻雀をやりました☆ぼろ負けしました。ということで、バイニャ!!<br />費用 バス$5.7 電車$0.3 ランチ$2.7 ディナー$5.7 ギフト$13<br />テオティワカン<br />、メキシコシティ北東約50キロの地点にあり紀元前2世紀から6世紀まで存在した巨大な宗教都市遺跡[1][2]。当時のアメリカ大陸では最大規模を誇っていた。テオティワカン人の宇宙観、宗教観を表す極めて計画的に設計された都市で太陽のピラミッド、月のピラミッドそして南北5キロにわたる道(「死者の大通り」)が基点となり各施設が配置されている。この都市で祀られた神々は、農業・文化と関係深いケツァルコアトルや水神トラロック、チャルチウトリケ、植物の再生と関係あるシペ・トテックなどである。 古代都市に固有の城壁が存在しないことから戦争や圧政のない平和な都市と考えられていたが、近年の発掘調査の結果から、多数の殉教者、生け贄を捧げる風習が存在したことが判明し、戦士の壁画も発見されている。 社会についてはあまり知られていないが、規模から考えると神権的な権威が存在し、高度に階層が分化し、発達した統治組織があったものと推測されている。市内には職人の地区が設けられ、盛んな商業と交易の中心地であり、農民たちの巡礼となって集まる信仰の中心地でもあった。太陽のピラミッドの地下には、人類の起源の地との伝説のあるチコモストックをおもわせる七つの洞穴が枝状につながる洞窟があったので都市を建設する際の立地条件になったのかもしれない。紀元前50年にテスココ湖の南方に立地したクィクィルコがシトレ火山の噴火によって埋まると急速に発展した。都市の面積は約20平方キロメートルで、最盛期には、10万から20万人が生活を営み下水網も完備されていた。しかしながら人口の集中に伴い下水道もその処理能力を超えるようになり、やがて旱魃等の災害により、治安が悪化して、やがて滅びを迎えた。メソアメリカの中心的都市として機能していた。テオティワカンとは、「神々の都市」という意味で、これは後にこの地にやってきたアステカ人が命名した。古代都市テオティワカンとして、1987年に世界遺産(文化遺産)に登録されている<br />アステカ文明<br />伝説によればアステカ人はアストランの地を出発し、狩猟などを行いながらメキシコ中央高原をさまよっていた。やがてテツココ、アスカポツァルコ、クルワカン、シャルトカン、オトンパンなどの都市国家が存在するメキシコ盆地に辿りつき、テスココ湖湖畔に定住した。1325(または1345)年、石の上に生えたサボテンに鷲がとまっていることを見たメシーカ人は、これを町を建設するべき場所を示すものとしてテスココ湖の小島に都市・テノチティトランを築いた。その後、一部が分裂して近くの島に姉妹都市・トラテロルコを建設したとされる。<br />繁栄 <br />アステカはメキシコ盆地の最大勢力であるアスカポツァルコ(テパネカ王国)に朝貢してその庇護を受けていたが、1375年アカマピチトリはアスカポツァルコ王国の許可を得て国王(トラトアニ)に即位し、世襲の王族となった。アカマピチトリはアスカポツァルコの属国として領土を拡張することで国力を増加させた。1418年、アスカポツァルコは強国のテスココに戦争をしかけて領土を奪ったが、1426年に君主のテソソモクが死亡する。1428年、イツコアトル率いるアステカはテスココと共闘してアスカポツァルコを倒し、トラコパンを加えて三国同盟を結成した。[3]これがいわゆる「アステカ王国(帝国)」である。1440年、イツコアトルの後を継いでモクテスマ1世が即位する。モクテスマ1世は遠征を頻繁に行い、メキシコ湾岸の熱帯地方を占領・従属させて勢力を拡げた。征服した土地に対して貢ぎ物を要求したが統治はせず、自治を任せていた。そのため被征服地は度々反乱を起こしたが、武力で鎮圧された。1486年に即位したアウィツォトルの代でも拡張が行われ、太平洋沿岸の熱帯地方までを支配した。南東方向へも進出し、ソコヌスコまでを征服したが次第に前線が遠くなるにつれ兵站の問題が発生し、それ以上先へ進むことは出来なかった。1502年、モクテスマ2世が王位につくと南方の太平洋沿岸へ遠征を行い、ヨピ人などを服従させて新たな領土を獲得した。しかし、南端のトトテペク王国は抵抗を続けた。1519年にスペイン人が到来した時点で、アステカの支配は約20万平方メートルに及び首都テノチティトランの人口は数十万人に達し、当時、世界最大級の都市であった。中心部には神殿や宮殿が立ち並び市もたって大いに繁栄した<br />

飯がとにかく旨いんです、メキシコ

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2010/12/22 - 2010/12/22

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kawabekentarou

kawabekentarouさん

12月22日
鼻水がとまりませんな、助けてください。レッドブルの力に頼ってしまった健太郎さんです。今泊まっているペンションアミーゴは居心地が良いので、観光せずに宿からでない生活を送りそうな予感がします、、、。そう、去年のイスタンブール見たいに笑 なので、シティー初日から飛ばしていこうと思い、観光することに決めました。テオティワカン遺跡に行くことに決めました。そして、昨日仲良くなった内藤さんに冗談でいきませんか?と尋ねたら、行く!!と言ってくれて2人で行くことになりました。内藤さんは気さくでお兄ちゃんみたいな感じで、後にも俺の我儘っこを優しく受け止めてくれる心優しい人です。二人で駅に向かい、何度かメトロを乗り換えて、北口バスターミナルへ着いたのですが、さすが首都のメトロ、東京の地下鉄並みに、乗り換えでかなりの距離を歩きます。。シティーのメトロは特にスリが多くて有名で、行く方は気をつけてください。北口バスターミナルで遺跡の行きのチケットを買い、乗ること小1時間でテオティワカンに着きました。ここはラテンアメリカ最大の都市遺跡であったそうだ。しかも世界第3位のピラミッドがあるらしい。宗教都市国家として栄えたが、8世紀に謎の滅亡とともにどこかに消えてしまったらしい。。この遺跡については後ほど書くとして、太陽のピラミッドや月のピラミッドに登ってみたが、森林に覆われているわけでなく、遺跡がむき出しの状態であるため、太陽のピラミッドの頂上に登って、一面を見渡しただけで満足してしまった。俺が興味をひかれたのはユニークでエンターテイメント性があるお土産である。動物の形をした笛は、肉食動物の吠えている鳴き声みたいな音をはっしたり、石の斧や弓矢、帽子など、ほしいものだらけだった。その中でも、仲良くなったお土産屋のおばちゃんとはなしているうちに、この遺跡はマヤ文明の影響でなく、アステカの影響を受けているらしい。文明は歴史の経過と共に混じり合う。こんがります。アステカは生け贄で有名だね。。。これで遺跡、3つ訪れたわけだが、俺の中にはグッと来て感動した遺跡は一つもなかった、、、。それは俺がそれぞれの文明について勉強しなかったからだろう。。。ちゃんと勉強してから訪れるべきだったな〜。あと、遺跡よりも、海や山、自然を堪能する方が俺にはむいているのだろう。あ〜、スノーケリングしたいです!!遺跡を後にし、内藤さんは「おじさんは疲れたので宿にもどるわ〜」と言い、駅で別れ、その足で街の中心部、ソカロを訪ねることにした。本当は国立文化博物館を訪れようかと思ったが、正直文明にはあまり興味をひかれなかったのでやめとした。ソカロはコロニアル建築がズラリとならんである。周辺にはカテドラルや、国立宮殿などもあり、多くの人々で賑わっていた。一歩間違うと、危険な香りがする道もあります。ソカロ周辺を見学した後は、お腹が減ったので、メキシコ伝統料理、モーレを出しているレストランを探して、食べた。一言で、不味い、、。メキシコは美味しいものだらけで、唯一不味いと感じてい待った。独特の風味がするからだろうか、それとも俺が入ったレストランの質が良くなかったのか???即効、俺の恋人、コカコーラを口にしました。夕暮れに差し掛かるとコロニアル建築とかなりマッチして、オリエントな雰囲気を醸し出します。それと同時に治安も悪くなりますが、、、、。宿に戻ることにし、アラメダ公園を通ったのですが、小規模な遊園地があり、懐かしい乗りもたちや、たくさんの子供、とても楽しい雰囲気でした。昔の日本のデパートの屋上にあるような遊園地ですが、懐かしさと同時に、無性に乗り物に乗りたくなりました。乗り物に乗れない代わりに、射的をやり、パーフェクトに近いスコアを叩き出しました。意外な才能??景品は無修正のエロDVDでした。お店の若いお姉ちゃんが、ニヤニヤした顔で渡してきたのを今でも覚えています。宿に戻り、昨日行ったタコスの屋台に行き、だらだら過ごしました。宿の周りには売春婦だらけでした。物凄い恰好をしていました。相場は1500円くらいだそうです。中にはお釜もいるそうです。夜は宿の旅行者と一緒に麻雀をやりました☆ぼろ負けしました。ということで、バイニャ!!
費用 バス$5.7 電車$0.3 ランチ$2.7 ディナー$5.7 ギフト$13
テオティワカン
、メキシコシティ北東約50キロの地点にあり紀元前2世紀から6世紀まで存在した巨大な宗教都市遺跡[1][2]。当時のアメリカ大陸では最大規模を誇っていた。テオティワカン人の宇宙観、宗教観を表す極めて計画的に設計された都市で太陽のピラミッド、月のピラミッドそして南北5キロにわたる道(「死者の大通り」)が基点となり各施設が配置されている。この都市で祀られた神々は、農業・文化と関係深いケツァルコアトルや水神トラロック、チャルチウトリケ、植物の再生と関係あるシペ・トテックなどである。 古代都市に固有の城壁が存在しないことから戦争や圧政のない平和な都市と考えられていたが、近年の発掘調査の結果から、多数の殉教者、生け贄を捧げる風習が存在したことが判明し、戦士の壁画も発見されている。 社会についてはあまり知られていないが、規模から考えると神権的な権威が存在し、高度に階層が分化し、発達した統治組織があったものと推測されている。市内には職人の地区が設けられ、盛んな商業と交易の中心地であり、農民たちの巡礼となって集まる信仰の中心地でもあった。太陽のピラミッドの地下には、人類の起源の地との伝説のあるチコモストックをおもわせる七つの洞穴が枝状につながる洞窟があったので都市を建設する際の立地条件になったのかもしれない。紀元前50年にテスココ湖の南方に立地したクィクィルコがシトレ火山の噴火によって埋まると急速に発展した。都市の面積は約20平方キロメートルで、最盛期には、10万から20万人が生活を営み下水網も完備されていた。しかしながら人口の集中に伴い下水道もその処理能力を超えるようになり、やがて旱魃等の災害により、治安が悪化して、やがて滅びを迎えた。メソアメリカの中心的都市として機能していた。テオティワカンとは、「神々の都市」という意味で、これは後にこの地にやってきたアステカ人が命名した。古代都市テオティワカンとして、1987年に世界遺産(文化遺産)に登録されている
アステカ文明
伝説によればアステカ人はアストランの地を出発し、狩猟などを行いながらメキシコ中央高原をさまよっていた。やがてテツココ、アスカポツァルコ、クルワカン、シャルトカン、オトンパンなどの都市国家が存在するメキシコ盆地に辿りつき、テスココ湖湖畔に定住した。1325(または1345)年、石の上に生えたサボテンに鷲がとまっていることを見たメシーカ人は、これを町を建設するべき場所を示すものとしてテスココ湖の小島に都市・テノチティトランを築いた。その後、一部が分裂して近くの島に姉妹都市・トラテロルコを建設したとされる。
繁栄
アステカはメキシコ盆地の最大勢力であるアスカポツァルコ(テパネカ王国)に朝貢してその庇護を受けていたが、1375年アカマピチトリはアスカポツァルコ王国の許可を得て国王(トラトアニ)に即位し、世襲の王族となった。アカマピチトリはアスカポツァルコの属国として領土を拡張することで国力を増加させた。1418年、アスカポツァルコは強国のテスココに戦争をしかけて領土を奪ったが、1426年に君主のテソソモクが死亡する。1428年、イツコアトル率いるアステカはテスココと共闘してアスカポツァルコを倒し、トラコパンを加えて三国同盟を結成した。[3]これがいわゆる「アステカ王国(帝国)」である。1440年、イツコアトルの後を継いでモクテスマ1世が即位する。モクテスマ1世は遠征を頻繁に行い、メキシコ湾岸の熱帯地方を占領・従属させて勢力を拡げた。征服した土地に対して貢ぎ物を要求したが統治はせず、自治を任せていた。そのため被征服地は度々反乱を起こしたが、武力で鎮圧された。1486年に即位したアウィツォトルの代でも拡張が行われ、太平洋沿岸の熱帯地方までを支配した。南東方向へも進出し、ソコヌスコまでを征服したが次第に前線が遠くなるにつれ兵站の問題が発生し、それ以上先へ進むことは出来なかった。1502年、モクテスマ2世が王位につくと南方の太平洋沿岸へ遠征を行い、ヨピ人などを服従させて新たな領土を獲得した。しかし、南端のトトテペク王国は抵抗を続けた。1519年にスペイン人が到来した時点で、アステカの支配は約20万平方メートルに及び首都テノチティトランの人口は数十万人に達し、当時、世界最大級の都市であった。中心部には神殿や宮殿が立ち並び市もたって大いに繁栄した

  • 髪の毛もどしました<br /><br />今日も歩きます

    髪の毛もどしました

    今日も歩きます

  • とりあえずメトロ

    とりあえずメトロ

  • めっちゃこんでます

    めっちゃこんでます

  • 合間にプラネタリュウムも

    合間にプラネタリュウムも

  • つきました!

    つきました!

  • これを見れば大きさが想像つきますか?

    これを見れば大きさが想像つきますか?

  • 頂上到達<br />大好きなコカコーラと

    頂上到達
    大好きなコカコーラと

  • シティーに戻りました

    シティーに戻りました

  • まずかった

    まずかった

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