2010/11/14 - 2010/11/14
126位(同エリア222件中)
フラワーさん
トルコ2日目アンカラ市内観光のあとバスで4時間、世界遺産カッパドキアに行きます。
1923年にアタテュルクさんがトルコ共和国を成立させた時に、首都をイスタンブールからアンカラに移しました。
今までの多くの「しがらみ」と王制時代の都市、イスタンブールから脱して新生トルコを、との意思から首都機能をアンカラに移したそうです。
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エレベーターでレストランへ。8:30出発です。
当初予定では7:30でしたが、私たちも含めたご年配の方がたに、添乗員さんが配慮してくれたのでしょうか。 -
美味しそうなものが沢山あります。とくに果物や野菜は日本のものと味も殆ど同じでキュウリ、メロン、柿は気に入りました。
果物、野菜の自給率は87%だそうです。 -
チーズ、バターなど。パンも種類が豊富でした。
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例の蜂蜜です。蜂蜜独特の癖がなく美味しい!
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温かいお料理も沢山あります。
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食事のあとの映像としては適当ではありませんが、このトイレには“ウオッシュレット”がついていました。よーく見ると発見できます。
これでも十分使えるのでした。 -
ガラスで半分仕切りつきのシャワールーム、これジジの好みです。
カーテンはバスタブの内側に入れますが、サイズが小さかったりして外にお湯が飛散してしまうので苦手です。
私はあまり好きではありません。ガラス戸が半分しかないのでシャワーのお湯が外に飛び散ります。(ババ談)
年とると自分の好みが鮮明になるようで・・・。 -
ホテル前の道路、出発間近です。
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アンカラ城に行く途中の街の風景。
トルコでのツアーコンダクターはノリさんという方でした。イスタンブールの大学で英文学を専攻していたとき、となりの教室の日本語の授業に入り込んで、熱心に勉強したそうです。その後で古代史も勉強したとのこと。
彼によればアンカラは人口500万人のつまらない町。刺激が少ないとのことでした。
この旅行記でもノリさんからの情報が入っています。 -
昔ながらの住宅地です。
首都に行けば何とかなると考え各地から出てくるが、彼等が田舎の生活習慣をそのままアンカラに持ち込むので、現代の都市としては立ち遅れてしまうという、ノリさんの見解がありました。 -
すぐ近くの人と車。向かい合わせでボンネットを開けているから、バッテリー充電中でしょうか。なにやらお話ししてます。
この赤い車はアメリカ自動車産業の全盛時代を、想い起こさせます。 -
アンカラ城です。AD6世紀にローマ帝国によって建造されました。
当時ローマともうまくやっていたのですが、トルコ人のルーツはもともとがモンゴル系の遊牧民族ですから、城壁の中に住むことはなかったようです。 -
歩道橋の上から見た景色。雑然としています。
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歩道橋の上から撮影。後ろを向いているのはトミー・リー・ジョーンズに似ている運転手のメメトさん。
その前にいるのは現地ガイドの通称ノリさん。
ババも下で待っています。昨夜転んで足を痛めましたので、歩道橋に上るのはチョット大変。
これから沢山歩くのに不安です。 -
歩道橋の下からアンカラ城を写したつもり。何か違う物が写っています。
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アンカラの中心地でしょうか。
お顔は見えませんが、アタテュルクさんでしょう。
トルコのオスマン帝国は第一次世界大戦で、ドイツ、オーストリア側に加わり敗北しました。シリア、アラビア、アルメニアなどの広大な領土を失い、列強連合国に
国内までも攻撃された。この危機的状況に立ち向かったのが、ムスタファ・ケマル将軍(パシャ)です。重要拠点、領土を連合国から守り、1922年スルタン制度(王制)を廃止させローザンヌ条約により、ほぼ現在の領土が回復されました。
ここからアタ(父)テュルク(トルコ)の称号が贈られました。 -
バスから見た街の何でも屋さん。狭いところに品物がぎっしり並んでいます。
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ムスタファ・ケマル・アタテュルクが眠る霊廟です。中には入れませんでした。
彼は共和国成立後、大胆な改革を実行しました。
国教(イスラム教)を廃止し政教を分離、一夫多妻制の廃止、女性参政権の実現、また男女の教育義務化、イスラム暦に変えて太陽暦の採用、メートル法導入、ローマ字の採用、アラビア文字にかわるローマ字の採用さらに男性のフェス(鉢型のトルコ帽)と女性のペチェ(顔を覆うヴェール)の着用禁止など、新生トルコ共和国の近代化を推進しました。
トルコの紙幣にも彼の顔が多くあります。 -
イスタンブールはもともとイスラム教王制の巨大都市で、アタテュルクさんの改革には非協力的だったこともあり、首都をアンカラに移したとも言われています。
そのアンカラにお別れしててトゥズ湖を経由し、カッパドキアまで4時間のバスハイクです。 -
石灰岩がころがっているように見えるのは、トルコの大切な食料、羊です。
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牛も放牧されています。
やはり豚小屋はありませんでした。 -
トゥズ湖が見えてきました。
世界第二位の塩分濃度(一位はアメリカのソルトレイク、死海は三位)で面積は琵琶湖の約2倍でトルコで二番目の大きさ、水深は最も深いところで3m、魚は生息できずピンクの小エビのみが生息するそうです。フラミンゴはこの小エビを食べるからピンク色なのだそうです。 -
白い水辺はすべて塩です。なんと表現したらいいのか。
波はありません。舐めるとすごいショッパさでした。
子供連れの観光客が多く、こんな感じで遊んでいました。
この写真はババの傑作とジジはに思っています。 -
マーケットというよりお土産物屋さん。
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どうしたのかな?びっくりしたのかな?
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ここは足元が滑りやすく、デコボコしています。
慎重に歩かないといけません。負傷中のババもなんとか頑張っています。
お塩の白浜と、空と湖面の境界線がない不思議な風景。 -
ここにもいました。器に入った塩に潜り込んだ目玉。
一つ目小僧、三つ目小僧がかわいいです。 -
こんなところに国旗をはためかしたメロン屋さん。形はカボチャに似てますが確か
メロンと説明がありました。
車が停まっているので売れてるのかな。
塩辛い場所で何故甘いメロンができるのか、ノリさんにも分りませんでした。 -
波がなく真っ平らな湖面ですから、対岸がきれいに逆さまに映っています。
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ここもそうです。
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レストランでランチです。
トルコは親日家が多いと聞いてましたが、車はヒュンダイ、ルノー、フィアット
BMW、フォルクスワーゲンがよく走っていました。日本車はホンダが健闘していました。トヨタではアヴェンシスが目立ちました。 -
温室のような造りです。屋根に落ち葉が重なっていました。
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ここの経営者は敬虔なイスラム信徒だそうで、アルコール類は全くありません。
たまにはこれもいいかな。
お水でカンパイといきましょう。
ヨーグルトは塩味で美味しいと評判でした。 -
スープの次にラザニアがでました。メインはいためご飯と肉(多分ビーフ)と野菜の煮こみ料理です。
概してトルコの食事は美味しいです。安心できます。 -
デザートは甘いあまーいケーキまたはみかんでした。みかんの味は日本とほとんど同じでした。
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どう読むのかは定かではありませんが、このレストランでした。
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遠くに3000m級の山が見えてきました。このハッサン山とカッパドキアの東方に聳える4000m近いエルジエス山の2つの火山が、あの不思議な景観を造ってくれたのです。
これでこの旅の主役の一つ、カッパドキアが近いことが分りました。 -
まずはカイマクル地下都市を観光します。
どこにもお店があります。買いまくることのないように。 -
身をかがめないと歩けません。床はデコボコでババにとってはまた危険ゾーンです。
この地下都市は深さ55m、地下8層で各層の収容人数200人と解説してある本もありますし、9層あるいは8〜10層という記事もあり、また収容人数が
15000人、20000人という解説もあります。
これは入っても分りませんでした。
まだ未発掘の部分もありそうです。 -
これは確か井戸です。内部は迷路そのもので、ここに住んでいた人たちも困ったと想像されます。でもイスラム教の迫害から身を守るために、キリスト教信者がAD
9〜10世紀に掘られたものと推定されています。殺されたり囚われるよりはずっとマシだったのでしょう。
ただ6世紀ごろからすでにカッパドキアには洞窟で生活していた人がいたようです。 -
中には台所、居間、ホール、教会、ワイナリー、粉引き臼など生活に必要なものは揃っていました。でもトイレは“おまる”を使っていました。おまるといっても壷ですが、それに入れて薪の灰をかけて固まらして肥料としていたそうです。
なにもかもそのとき生きていた人はいないので、推察に近いものでしょう。
ノリさんに怒られるかな。 -
この岩のえくぼで胡椒や唐辛子をすり潰していました。
それにしても、石灰岩の壁をくりぬいたところに置いたローソクの明かりだけで、日常生活をしていた・・・信じられないことです。 -
カイマクルからトルコ絨毯の工場見学に行きました。デモンストレーションですがベテランの職人さん(皆さん女性でした)が実際に製作してました。根気のいる仕事で経験も大切です。
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一番下の糸の通し方がここトルコ絨毯の特徴で、100年ぐらいの使用にも十分耐えるそうです。
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繭から取った細い細い糸を撚っていきます。
絹糸を作るのも手間がかかりますね。 -
絨毯の売り込み開始です。
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カッパドキアのホテルは、カッパドキア ケーブ リゾート アンド スパという長い名前で略して“CCR”となっていました。
ところで、このルームきーはいかがですか。
フェルトで出来たツーシスターズです。まったく昔のホテルの鍵ですが、我が同胞の中にはカードキーの方もいらっしゃいました。
新築した方のお部屋でしょうか。 -
カッパドキアの洞窟ホテルには期待していました。昨年も10月にトルコのツアー(洞窟ホテルではない)に申し込みましたが、直後に「洞窟ホテル宿泊」の広告が届いたので変更してもらいました。結局は用事が出来てしまい泣く泣くキャンセル
しましたが・・・。
その洞窟ホテルのドアを開けると、まず下り階段が3段ありました。 -
階段の上から部屋を見てびっくりしました。なにやら隠れ家みたいな造りで、降りる階段があって2層になっているようです。
こりゃ凄いとこに来たもんだ! -
一階のシャワールームとトイレです。
ここは黒い細かい目のブラインドを下ろさないと、外から丸見えでした。
ブラインドを下ろしても夜は外からうっすら見えます。
5ツ星ホテルなのに不可解ですね。
でもこんなことをカバーして余りある価値あるホテルでした。 -
一階のフロアーの天井は山小屋風。ライトもいいですね。
このホテルは全室異なった仕様になっています。 -
外から部屋のドアを開けて階段を下りた正面には、ウェルカムドリンクのコーヒーセットとフルーツそしてミネラルウォーターが私たちを迎えてくれました。小さい木のテーブルといすがありました。
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この階段を降りるとベッドルームでジャグジーつきバスルームとトイレがあります。階段の途中のくりぬいたライティングスペースに何か置いてあります。
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ガラスの民芸品です。憎い演出ですね。
今日行った「カイマクル地下都市」にあった、ローソクを立てるためのくりぬきのようです。 -
地階に降りる階段の上から、ベッドルームを見たところ。モデルが一名。
ベッドサイドにもくりぬきがあります。 -
ベッドルームの壁の演出。陶板です。
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もうひとつ。
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私たちの部屋に掛かっていたカッパドキアの風景画。
アンティーク調のモノトーンでした。 -
地階のバスルームの入口。この右側にもくりぬきがあります。
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日本で言うところの「おたま」かな。
くりぬきに入っている物品には一切手を触れませんでした。
壊すとイヤなので・・・。 -
地階のジャグジーつきのバスルームと洗面台。
残念ながら作動方法が分らずに、お湯につかるのみにとどまりました。
ババさんは足の負傷のためシャワーのみでした。これも残念。 -
地階のシャワールームとトイレ。
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地階から一階に上がる階段の途中から、部屋のドアーの方向を見上げる。
このホテルで嬉しかったのは、スチームヒーターがそこここにあったことです。
しかし食事を終えて部屋に戻ると、暖房が切れていました。これはまずい。何故かと言うと旅行中にたまったありったけの洗濯物を干さないとならないからです。さっそくフロントに電話したところ、今の時間はお客がバスルームで、お湯を大量に使うので作動していない。あと一時間以内には暖房を入れるとの返事。
翌朝までに無事乾いていました。 -
今日のディナーはこのホテルのレストランです。部屋から屋外に出て歩いて坂を上っていきます。うまく撮れませんでしたが下の町の夜景がきれいでした。
ここは標高約1200m、夜はちょっとひんやりしていました。
レセプション入口はここです。いま19:00、なんとなくいいですね。 -
このスープ美味しかったです。
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ワインとサラダで、まずはいただきまーす。
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メインディッシュのきのこソースのチキン。
レストランは日本人旅行者で溢れかえっていました。 -
きれいなロゴタイプ。日本語のメニュー、分りやすいです。
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最後はフルーツサラダでした。
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「はい、お飲物のお支払いをおねがいします」。
バイオリンの音色も清々しく・・・、ご馳走さまでした。 -
スパ、レストラン、ブティックなどはこちらから。
あらトルコ風呂も・・・間違えないでください。おねがいしますヨ。
明日は午前中は自由行動ですが、私たちはオプションでギョレメとゼルベの野外博物館に行きます。9:00ホテル発です。
ちなみに気球に乗る人もいました。これは旅行会社のオプションではなく個人で希望者が参加しました。こちらは5:25発です。
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