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 室町時代に、西国(さいこく)の覇者として栄華を極めた“大内義降”の菩提寺である“大寧寺(だいねいじ)”の紅葉を訪ねた。<br /><br /> 山口の変(または大寧寺の変)<br /><br />天文20年(1551年)9月1日、“大内 義隆”氏は、長門深川の大寧寺で自害した。<br />(大内氏が自害した歴史の背景をよく知らないので、<br />まずは“大寧寺の紅葉”を楽しんで下さい。)<br /><br /> 「大寧寺境内の墓碑」は、山口県指定史跡(昭和54年2月6日指定)<br /><br /><br /><アクセス><br />1)自家用車が便利です。<br /> 国道316号線沿いにある、湯本温泉街の山村別館より県道34号線に入り5分程度。<br /><br />2)JR美祢線「長門湯本駅」下車<br /> 残念ながら、先の大雨で厚狭川に架かる、橋げた、線路を寸断され運休中です。<br /><br /> 書きかけです。

長門市“大寧寺”の紅葉を訪ねて

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2010/11/19 - 2010/11/19

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キャンモア

キャンモアさん

 室町時代に、西国(さいこく)の覇者として栄華を極めた“大内義降”の菩提寺である“大寧寺(だいねいじ)”の紅葉を訪ねた。

 山口の変(または大寧寺の変)

天文20年(1551年)9月1日、“大内 義隆”氏は、長門深川の大寧寺で自害した。
(大内氏が自害した歴史の背景をよく知らないので、
まずは“大寧寺の紅葉”を楽しんで下さい。)

 「大寧寺境内の墓碑」は、山口県指定史跡(昭和54年2月6日指定)


<アクセス>
1)自家用車が便利です。
 国道316号線沿いにある、湯本温泉街の山村別館より県道34号線に入り5分程度。

2)JR美祢線「長門湯本駅」下車
 残念ながら、先の大雨で厚狭川に架かる、橋げた、線路を寸断され運休中です。

 書きかけです。

同行者
その他
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車

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  •  右手が、“大寧寺”入り口です。<br /><br />左側が、山口県道34号下関長門線です。途中に俵山温泉がありますよ。

     右手が、“大寧寺”入り口です。

    左側が、山口県道34号下関長門線です。途中に俵山温泉がありますよ。

  •  大寧寺川にかかる紅葉

     大寧寺川にかかる紅葉

  •  表紙とした写真

     表紙とした写真

  • “磐石橋”<br /><br />大寧寺川にかかる江戸時代前期に造られた山口県三奇橋のひとつ。

    “磐石橋”

    大寧寺川にかかる江戸時代前期に造られた山口県三奇橋のひとつ。

  •  たぶん、“さつき”<br /><br />(ツツジ科、常緑低木)低木とありますが、このさつきは、<br />高さ3メートル位ありました。

     たぶん、“さつき”

    (ツツジ科、常緑低木)低木とありますが、このさつきは、
    高さ3メートル位ありました。

  •  とても可憐できれいです。

     とても可憐できれいです。

  •  本堂

     本堂

  •  本堂前には池があります。

     本堂前には池があります。

  •  池の鯉

     池の鯉

  •  これぞ黄金の鯉

     これぞ黄金の鯉

  •  境内の紅葉

     境内の紅葉

  •  境内の中には、清らかな水路があります。

     境内の中には、清らかな水路があります。

  • 中原女医の顕彰碑<br /><br />どうやら、山口県女医第一号とされる方。<br />(明治6年9月3日三隅村生まれ、昭和38年1月逝去)<br /><br />享年89

    中原女医の顕彰碑

    どうやら、山口県女医第一号とされる方。
    (明治6年9月3日三隅村生まれ、昭和38年1月逝去)

    享年89

  •  左手小高い丘に、大内家主従の墓碑群があります。

     左手小高い丘に、大内家主従の墓碑群があります。

  • 坂道約100メートルほどの高いところにある、<br /><br />“大内 義隆”氏の墓

    坂道約100メートルほどの高いところにある、

    “大内 義隆”氏の墓

  • 大寧寺の紅葉いかがでしたか?<br /><br />夕暮れから午後10時30分まで、ライトアップされます。

    大寧寺の紅葉いかがでしたか?

    夕暮れから午後10時30分まで、ライトアップされます。

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  • 潮来メジロさん 2010/12/09 18:33:27
    大内義隆氏について・・・。ヾ(^o^)
    キャンモアさん、こんばんは! ヾ(^o^)
    毎度、訪問ありがとうございました。

    > 天文20年(1551年)9月1日、“大内 義隆”氏は、長門深川の
    > 大寧寺で自害した。
    > (大内氏が自害した歴史の背景をよく知らないので、
    > まずは“大寧寺の紅葉”を楽しんで下さい。)

    大内義隆氏について、ウイキペディアに詳しく記述されていました。(^o^)
    私も戦国武将については詳しくないのですが、最後の遣明船を派遣していた
    なんて、戦国の世の中でなかなかの文人だったのですね。

    ではまた・・・。(^o^)/~~~
               (潮来メジロ)

    キャンモア

    キャンモアさん からの返信 2010/12/11 21:10:30
    RE: 大内義隆氏について・・・。ヾ(^o^)
     潮来メジロさん、こんばんは.

    > 大内義隆氏について、ウイキペディアに詳しく記述されていました。(^o^)
    > 私も戦国武将については詳しくないのですが、最後の遣明船を派遣していた
    > なんて、戦国の世の中でなかなかの文人だったのですね。
    >
    > ではまた・・・。(^o^)/~~~
    >            (潮来メジロ)

     キャンモアもウイキペディアを読みました。
    “大寧寺の変”は、今からおよそ500年前の人間模様を表していますね。
    敵方(尼子氏)から大内方についた家来が、また尼子方に寝返り。裏切りの連続だったようです。

     自害した“大内 義隆”氏。
    人間を見る目が、少し甘かったか?と思います。敵方から寝返った人物だから、“この家来もいつか自分(大内)を裏切るかもしれない”・・・と洞察して手を打っておけば、自害せずにすんだかも。
    歴史を紐といて、後世人は、“あの場面は、ああすれば良かったのに、こうすれば良かった”と何でも言えそうです。

     ひるがえって、現在の日本国。
    政権与党である“民主党”は、数年前の蜜月も終わり、分裂の危機を迎えようとしています。
     そこには、血は飛び交わないけれども、国益も国民の利益も、そっちのけの人間模様。
    足の引っ張り合い、裏切りは、島国日本人(一部の)の本質かも?

     by キャンモア

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